第二章 王グヴァン
第二節 噂
船は無事に航海を終え、ガリアスの港に到着した。
港町には市が立ち並び、多くの人で賑わっていた。ガリアスの館は異民族に蹂躙されたが、町が破壊されることはなかった。異民族にその余裕がなかったのである。
「外海は波が荒いからな」
ガリアスの町を一代で興し、統べてきた領主ガリアスは四十を少し過ぎた茶髪の男だった。年の割には髪には白いものが混じり、実際の年齢よりも老けて見える。
「異民族の船は耐えられなかっただろう」
髪と同じ明るい茶色の目を大きく見開いて彼は言った。
「館を襲うとすぐに川を上っていった。あんたにとっては災難なことだったな、グヴァン」
彼は来客に話しかけた。
彼の前の長椅子にはグヴァンとヴァイ、イズミが横並びに腰かけていた。
「愚かなる異民族、」
ガリアスは饒舌だった。
「二人も領主を討ち漏らしたのだからな。しょせんは烏合の衆だ」
「奇襲攻撃と車の機動力で先手必勝しているだけだからな」
とグヴァンも同意した。
「森林地帯が途切れれば車や船の修理もおぼつかない。ガリアスとゴートは長年交易してきた間柄だ。お互いの命の安堵のために手を貸してくれ」
とグヴァンが言えば、
「俺は、」
とガリアスが膝から下のない右足を叩きながら言う。
「足を失ってから戦いには参加できない。あんたがガリアスの港を守るというのなら援助するよ」
「約束は必ず守る。ガリアスの潤沢な財で俺を王にしろ」
グヴァンの尊大な物言いにガリアスは愉快そうに笑った。
「大言壮語の男だと噂に聞いた蓬髪のグヴァンがこんな餓鬼だとは知らなかったぜ」
グヴァンは鼻で嗤った。
「親父の代から交易してたんだ。俺の年は知っていただろう」
「老獪な側近の傀儡だと思ってた奴は俺だけじゃないと思うぜ」
グヴァンは不快そうに眉間の皺を深くしたが、何も言わなかった。
「俺が老獪な黒幕になってやろう。せいぜい楽しませろ」
「傀儡師はいらねえぞ。てめえは金だけ出してろ」
「ふざけた餓鬼だぜ」
ガリアスは無礼な客の悪態に大笑いすると当面の資金をグヴァンに貸し与え、後ろ盾になることを約束してくれた。
三人は早速、武器を調達するために町へと出かけた。
市場の外れに鍛冶師が店を構えており、店頭には様々な金物が置かれていた。
「繊月刀はあるか」
店の中に足を踏み入れ、ヴァイが問うと是と応えて店主が奥から湾曲した鞘に収まった刀を持ってきた。
柄には象嵌された輪がついている。手首を入れるにちょうどいい大きさだった。輪の部分を握るとヴァイはすらりと抜き放つ。鞘の形に添って丸い円を描いた銀色の刃が姿を現した。
「繊月…三日月ですね」
とイズミが言った。
「本当に三日月みたい」
「直刀の方がよくないか」
とグヴァン。
「突きやすいだろう」
「突いて使うなら直刀がいいですが、」
ヴァイは銀色の刃を用心深く品定めしながら、
「露払いには力がいらない方がいい」
丸い輪に手首を通すと、ヴァイは軽く回す。刀は空を切り、微かな音を立てながらくるくると回った。
「繊月刀は遠心力で威力を増す。軽い一振りでも複数を相手にできる」
ああ、それは、とイズミが声を落とす。
「”彼ら”も使っていました」
ヴァイは頷いて、
「繊月刀は車の上から振り下ろすのに適している。店主、もう一振りほしい。もう一回り小さいものをくれないか?」
「左手用ですね?」
白髪の店主は皺だらけの顔をくしゃっとさせて言う。
「察しがいいな」
ヴァイは笑った。
「殺傷力が高いなら」
とグヴァン。
「おれも繊月刀にしようかな」
いや、とヴァイ。
「正面から受け止めるには繊月刀は強度に欠ける。王様は切りかかるものを受け止めることの方が多いはずです」
なるほど、とグヴァンは思った。
「一つ聞いていいか」
「わかることなら」
「さっきから舞い散っている白い花びらはなんだ?」
「え?」
ヴァイは我に返ったようにあたりを見回した。
「お前が話すたびに散っているぞ」
見ると肩口に泡のような白い一片が今にも落ちんと漂っていた。
ああ、とヴァイは苦笑した。
「これは迂闊だった」
「内緒の話なのか」
「家伝を言葉にするとそうなるのですよ」
「家伝?」
「隠者の家に伝わる術です」
「喋り続けたらどうなる?」
「身が縮みます」
グヴァンは目玉を大きく見開いた。ヴァイは面白そうに笑って、
「門外不出の術だが、喋る以前に我が身がなくなる。外に出る心配もない」
「まるで呪いだな」
ヴァイは声を立てて笑った。
「血と同じです。流し続ければ死ぬ」
「確かにそうだが」
「話す言葉が花びらになるって素敵ですね」
イズミが女性らしい感想を述べたが、
「いや、死ぬんだぞ」
とグヴァンが野暮な突っ込みを入れた。
「イズミは刀は使えるか?」
とヴァイ。彼女は困ったような顔をして小さく首を横に振った。
「身を守るすべがいるな」
ヴァイは店内を見回して、
「あの白い布は?」
店主に尋ねる。だが、店主は何も答えなかった。ヴァイは何事か察したようで、
「ウーヴの毛皮?」
と窺うように問うた。白髪の老人は目を丸くする。
「よくご存じで」
「ウーヴ?」
とイズミ。
「イヌ科の動物ですよ、注意書きは?」
「……ございませんが、隠者であられるか?」
ヴァイは黙って頷いた。主はさらに目を見開くと、
「では、これは差し上げましょう」
「いや、ウーヴなら高値で売れるでしょう」
「持ち主が亡くなって引き取りはしましたが、もはやこの界隈には使える者がおりません。どうかガリアスをお守りください」
唐突な言葉だった。ヴァイは老人の顔を見る。その顔には深い皺が刻まれていた。小さな目がじっとこちらを見ている。ヴァイは頭を下げると、両手でウーヴの毛皮でできた布を恭しく掲げると、
「尽力いたします」
と答えた。
「奥に」
と店主が言う。ヴァイは白い布を持ったまま、店の奥へと進む。
イズミとグヴァンは事態が飲み込めないまま、後を追う。
「ここなら誰にも見られません」
と老人が言った。ヴァイは今一度店先に目をやったが、誰もいないのを確かめると、ウーヴの布を両手で高く掲げ、背中に羽織るように翻した。すると急に身を屈めたように布はがくんと低い位置まで落ちる。床に落ちたと見えた布は、しかし、もはや布ではなかった。
そこにいるのは犬によく似た動物だった。四つ足の先まで白い毛皮に覆われた獣は目元だけが仮面をしたように黒く、銀に光る眼玉がぎょろりとついていた。細長い狐のような顔には尖った二つの耳まで届かんばかりの赤い口が裂け、白い牙が覗いている。低く唸りながらも逃げようとはせず、その場をうろつく姿には不思議なことに影がなかった。
「ああ」
と老人は両手を合わせて嘆息する。
だが、グヴァンとイズミは意味がわからない。
「何の手品だ?」
グヴァンは怪訝そうに呟く。
「ヴァイは?どこに行った?」
だが、老人は呆けた表情で目の前の動物を凝視しているだけである。もう一度獣に目をやる。だが、もう一度不思議は起きた。そこにはもう獣はいなかった。代わりに白い布を纏ったヴァイが座り込んでいた。彼は手のひらで毛皮の具合を確かめながら、
「これはいい」
と呟いた。
「貴様、」
とグヴァンは気色ばむ。
「今、どこにいた?」
ヴァイが見上げる。
「イズミ、これを羽織るといい」
グヴァンの問いには答えず、ヴァイは毛皮を差し出した。イズミはこわごわと手を差し出すと、
「……これ、生きてませんか?」
ほう、とヴァイの青い瞳が三日月になる。
「さすがイズミ」
そう言いながら立ち上がる。
「何の話だ」
グヴァンは依然、事態が飲み込めない。
「さっきの獣はなんだ?お前が化けたとか言うなよ?」
ヴァイは眉を大きく引き上げたが、何も言わなかった。
赤々と燃え上がる篝火は天を焦がさんばかりに高く炎を噴き上げていた。
パチパチパチと爆ぜる音は生木をくべたからだろうか。
濛々と上がる煙はまるで煙幕を焚いたようだった。
剥き出しの大地に座り込んでいるのは異民族の主ゴグルである。
男はいつも忙しい。そしていつも不機嫌だった。
ただ、それも無能の手下が悪いのだ。
足元に転がっている無能な手下の禿頭を片足で火の中へと押し込んで、
「お前らは俺を弄っているのか」
やけに明瞭な声音で尋ねた。
傍らの男が大きく息を吸うのが聞こえたが、何も言わない。何を言うべきか思いつかなかったのである。だがゴグルはそれも気に入らない。
「偉くなったものだな。俺を無視するか」
「いえ、そのような、ただ、私は今追いついたばかりで、」
「口答えするか」
「あ、いえ、……」
「ディクスン」
「……はい」
「弔いをしよう」
「えっ、」
「領主の首が二つ足りない」
「……」
「ガリアスの片足とゴートの餓鬼だ。逃がしたのは誰だ?」
「……ガリアスの責任者はガシャで、」
「ガシャの弔いは済んだ」
「ゴートは、あの、ムージクです」
「ムージクは?」
ディクスンは目を伏せた。
「見ないよなあ?」
「……それが、逃げたみたいで、」
「ははははは」
ゴグルが笑った。と、いきなり立ち上がる。驚く暇もなく、ディクスンの体は吹き飛んだ。ゴグルが力まかせにその左頬を殴ったのである。
「よくそんな寝言が言えるな」
まだ血の乾かない靴で転がるディクスンの脇腹を蹴り上げる。
「見つけて首を持ってこい」
それは無理だ。
蹴り飛ばされながらディクスンは思った。
なぜならムージクはディクスンが殺したからだ。
死体は大河に流してしまった。とっくに大海に運ばれたか、魚の餌になっているだろう。
早まったことをしたと思った。
ゴグルがムージクを殺すなら、俺が手を下す必要などなかったのだ。
蹴られた脇腹が激しく痛む。
「ディクスン」
「……はい」
「車の手入れをしておけ」
「……はい」
「噂を聞いたか」
「……噂?」
「蓬髪のグヴァンがガハラに侵攻するんだとよ」
「ガハラ……」
ガハラはここである。
蓬髪のグヴァンが異民族を襲撃するという噂は瞬く間に広まった。
噂の出どころはガリアスである。
「早く決着つけた方がいいだろ」
とガリアスはこともなげに言った。
「勝手に進めるなよ」
グヴァンは呆れたが、
「兵は貸してやるよ。魔法使いもいるか?」
「準備は整っているってことか」
「俺が出ていけないだけだからな。お前は飛んで火にいる夏の虫だ。俺の代わりに戦え。破れたら弔いは出してやる」
「後ろから襲うなよ」
「安心しろ。俺たちは利害が一致している間は共闘できるだろう?」
グヴァンは乾いた声で笑った。
「利害が対立するのはいつだ?」
「異民族を討つまでは待ってやるよ、王様」
ガリアスは食えない男に違いなかったが、彼のこの約束は確かに守られた。
彼はいかに旗色が悪くなっても、グヴァンを裏切ることはなかったのである。
(つづく)
繊月刀はオリジナルです。そんな刀はない(笑)。
でも、我ながら気に入っているネーミングです。
繊月という言葉を見つけた時はちょっとうれしかったです。
最初にクレッシェント刀というのを思いついたのですが、どうせなら日本語にしたいなと。
似た響きの言葉があってよかったです。
ウーヴは狼みたいな動物だと思ってください。ウルフ→ウーヴ、実に単純。
オリジナルの生き物にしたのは、狼の棲息地と大陸の環境が違うと思ったからです。
狼だと異民族の故郷の森林地帯の方がたぶん棲息地ですよね。
渇いた大地に狼はいないだろうなあと。
毛皮でウーヴになるのは、ご存知の通り、オリジナルじゃなく、よくある伝承です。