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隠者ヴァイ  作者: 周詞エッダ
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第二章 王グヴァン

第一節 殴打


宵闇が迫り、三人は河原で火を焚き、夜を明かす。

人去りの時期だけあって、いつ雨に見舞われても不思議はなかったが、

「今夜は雨は来ないです」

とイズミは予想した。

「大気の動きも読めるのか」

とグヴァンが問う。

「大気も動けば波が起こりますから」

なるほどな、とグヴァンは素直に感心した。

雨季が訪れれば川は必ず氾濫する。氾濫は豊かな土壌をもたらしてもくれる。人が堤防をもうけずに山へと移住して雨季をやり過ごすのはそのためである。

雨季が近づいたおかげで川沿いの町はどこも人影はなく、野宿をしても見咎められないのは幸いだった。もっとも雨季でなくとも異民族が襲来した以上、結果は同じだっただろう。


翌朝、三人は日の出とともに再び川に沿って下っていった。

ほどなく船着き場が見えてくるはずである。

「船でガリアスに渡ります」

ガリアスはグヴァンの領地ゴートと友好関係にあり、領主の名もガリアスだった。

「実にわかりにくい」

とグヴァンは文句を言ったが、

「新興都市ですからね」

とヴァイが取りなすように言った。開拓した者の名が都市名となること自体、そう珍しいことではない。グヴァンの領地ゴートも曽祖父の名前から来ていた。

三人は変わらぬ風景の中、枯草を掻き分けてひたすら下る。

「船の音はわかりますか」

ヴァイがイズミに聞く。はい、とイズミ。

「船底を叩く波の音が聞こえます。でも、」

発条ゼンマイの音もする?」

はい、とイズミは暗い表情で頷いた。


やがて船着き場が見えてくる。

材木で作った簡単な桟橋に乗り合いの船が停泊しているのが見えた。雨季には船に乗って港町へと逃れる者も少なくない。人去りの時期には河口の町へと領民を運ぶべく、乗り合いの船が運航していた。

「普通は船はここ止まりなんだがな」

異民族の底の浅い船を思い出してグヴァンが言った。

ここまで下ってようやく川底は深くなり、船を乗り入れることができるようになる。これまでは確かにそうだった。一度に大量が移動するすべはこれまでなかったし、徒歩で移動するしかなかった。だからこそ、上流域の町は外敵の脅威に晒されずにすんだのである。

「異民族が奇襲に成功してきたのは車よりも船の力が大きいでしょうね」

とヴァイが言う。

「技術は権力のありかすら変えるな」

そう言ったグヴァンには、車を作ろうとしなかった父の政策への後悔がまだあるに違いなかった。

行こう、と歩き出したグヴァンは、しかし、前に進むことができなかった。ぐっと首が締まる。と、

「貴様、金髪かっ!」

真後ろで銅鑼のような声がした。咄嗟にグヴァンは振り向きざま、短剣で襟を掴んだ手を振り払った。

「うおっ!」

と悲鳴をあげたのは禿頭の大男だった。血だらけの右手を抑えて後ずさり、

「貴様っ、逆らうかっ!」

と金切声をあげた。

「いきなり襟を掴むな」

グヴァンが睨みつける。

「貴様、」

大男は目を見開くと、

「”蓬髪ほうはつのグヴァン”か?」

と呟いた。

「すまん、」

どんっとグヴァンを突飛ばして割って入ったのはヴァイだった。あまりの勢いにグヴァンは地面に転がってしたたかに頭を打った。

「すまん、こいつは親が死んで気が立っている、許してやってくれ、」

ヴァイはグヴァンの襟首を掴んで引っ張り上げながら、そう言った。

「おいっ!」

グヴァンは文句を言ったが、ヴァイは無視してグヴァンの襟を掴んだまま乱暴に揺さぶりながら、

「まだ餓鬼だと思って短剣を握らせていた俺が悪かったんだ、」

と声を張って言った。

へえ、と大男。

手を伸ばすとヴァイの胸倉を掴んで引き寄せ、

「俺らがゴグルの民だってわかっているんだよな?」

顔を近づけて凄んだ。

「ゴグルの民?」

とヴァイは大男の血走った目を見ながら、

「知らないな、」

と言った。大男は不満そうに眉間に深い皺を寄せる。

「蓬髪のグヴァンを探している」

男は言った。

「そいつは金髪の蓬髪だよな?」

「葬儀の間は髪に櫛を入れないのがしきたりなんだ」

ヴァイは目を逸らさない。

「それに金髪の男はここでは珍しくない」

男は怪訝そうに首を傾げる。

「蓬髪のグヴァンはゴートの領主だろ?」

「そうだが」

「領主はこんな華奢な餓鬼じゃない」

「そりゃそうだ」

と大男は大笑いした。

「じゃあ、」

酷薄な笑顔を浮かべると、

「気のふれた餓鬼の始末はてめえがつけろ」

言いしな、血だらけの拳を振り上げると男は思い切りヴァイの横っ面を張り飛ばした。あまりの勢いにヴァイの体は反転したが、かろうじて踏み留まる。船着き場には哄笑が響き渡った。


不幸中の幸いは大男がさほど仕事熱心ではなかったことだろう。

目の前の領主に気づかず、割って入ったヴァイをなぶっただけで、彼は取り巻きとともに車を駆って船着き場を去っていった。

車が去るのを見届けると船に乗ろうとその場に居合わせた領民達は親切にもグヴァンを助け起こし、これ以上の災難に遭わぬようにと、先に船に乗せてくれた。

赤く腫れた左頬を右手で無言で抑えていたヴァイに、イズミは自らの袖を割き、川の水で濡らして手渡した。

「すまない」

小さく言うと彼はそれを受け取り頬に当てる。

居合わせた客がみな乗り込むとすぐに船は岸を離れた。これ以上の面倒に巻き込まれたくなかったのだろう。

船はさほど広くはなかったが、お互いの話が聞こえるほど狭くもなかった。三人は船尾近くに座り込む。

「なんで邪魔した?」

グヴァンは怒りを押し殺したように呟いた。ヴァイは頬を抑えたまま目玉だけをグヴァンに向けると、

「邪魔?」

怒気を含んで聞き返す。

「王になるのでしょう?」

グヴァンは何も言わない。

「数人の男が車でうろついていた。丸腰で勝てる相手じゃない。相手は蓬髪のグヴァンを探している。見つかるわけにはいかなかった」

「それはそうだが、」

グヴァンの言葉をヴァイは遮る。

「そうだと思うなら自重していただきたい。あなたが短気を起こせば全てが徒労に終わる。そんな馬鹿げたことに与したくない。だったら俺は隠遁する」

グヴァンは唇を尖らせ、そのまましばらく押し黙っていた。ずいぶんと長いことそうしていたが、やがて、

「悪かったよ」

辛うじて聞き取れるくらい小さな声でそう呟いた。

「全くだ」

殴られたところが痛むのか、ヴァイは珍しくにべもなかった。


(つづく)

第二章スタートです。

読んでくださっている方、本当に有難うございます!

励みになります。更新頑張ります!


極力固有名詞は排除したかったんですが、地名は避けられなかったです。

気付いている方もいらっしゃるかもですが、固有名詞は全て濁点ついてます。

理由はたまたまです;;最初に決めたヴァイ、グヴァン、イズミ、ゴグル、ディクスンに全員濁点ついてたので、だったら濁点縛りにしようと…大陸の発音がそういう発音なんだと思っていただけるとありがたいです。そして今回出てきたゴートは実在しますね…ゲルマン民族の大移動の当事者がゴート族です。が、響きが好きというだけの理由なので、当然のことながら実在のゴート族とは何の関係もありません。悪しからずご了承ください。

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