第二章 王グヴァン
第十一話 王グヴァン
ゴートの領主は子供には長らく恵まれなかった。
多くの側近が案じて側室を見つけた頃にようやく授かったのが長子グヴァンである。
しかし、子沢山が当たり前の時代にグヴァンは兄弟を持つことなく、物心つく頃には父親の醜聞を見聞きするようになっていた。
領主として跡継ぎを絶やさぬようにとの思いがあったのかもしれないが、父親は婚姻関係を結ぶことなく、様々な女性と浮名を流していた。だが、それでも二人目の子を授かることはなく、たった一人の我が子を不貞の証として正妻を切り殺すという愚行に及んだ。我が子の血も疑った彼は長子を殺そうと刃を振りかざして転倒し、自らの体を刺し貫いて死んだ。グヴァンが十五の時のことである。
グヴァンは身体こそ小さかったが、当時から気性が激しく、父親が自分に斬りかかった際に手をこまねいて見ていた側近をことごとく切り殺し、父に代わってゴートを治めるようになる。若き領主の剛腕はすぐに近在に聞こえるようになったが、同時にその傲慢ぶりでも知られ、大陸の統一を公言し、叶うまでは髪を櫛削らないとの誓を立てた。伸ばしっぱなし髪を振り乱した風貌から”蓬髪のグヴァン”の二つ名で呼ばれるようになったのは周知の通りである。
広大な大陸の統一を壮大な夢物語と誰もが笑ったが、この四年の間、グヴァンは蓬髪を貫き、変わり者の若き領主として大陸に広くその名を知られるようになっていた。
ガリアスの財力、ジョルノの魔力の助けを借りて、異民族討伐軍を率いる今、統一は決して夢物語ではなくなっていた。大陸を蹂躙する異民族を討ち破る者こそが大陸の王となるであろうことは明白であった。
再び相まみえたガハラの戦いではグヴァン軍は優勢に戦いを進めていたが、その勢いは味方の裏切りによって逆転されることとなる。ゴートのイチは裏切り者としてその名を歴史に長く留めることとなった。
紅蓮の炎に包まれた船へと駆けていく白いウーヴの後ろ姿はたちまち乱闘の男達の彼方へと消え、見えなくなってしまった。グヴァンはこれを追うべきであったが、今やそれは適わない。目の前に立ちはだかる大男が大刀を振りかざし、王の首級を上げようとしたからである。太刀風がグヴァンの髪を薙いだが、すんでのところで踏み止まる。
「蓬髪の若造、貴様がグヴァンか」
言ったのは大男ではない。その背後より進み出てきた男だった。大きな目玉。詰るような低い声。
「貴様、ゴグルか」
風聞に違わぬ風貌にグヴァンが問えば、大きな目を更に大きく見開いて、
「お初にお目にかかる小僧っ、」
異民族の頭がひときわ甲高く呼ばわった。それが合図であるように大男は再び大刀を振りかざす。が、グヴァンの方が一拍早く見上げる喉元に直刀を突き立てるや否や力任せに引き抜いた。噴水のような鮮血を全身に浴びながら返す刀でゴグルを襲う。直刀を眉間で受けてゴグルは小柄な王を力任せに突き飛ばした。
体格的にゴグルの方に分があったが、それでもグヴァンは負ける気はしなかった。しかし時の運は既に彼の元を去っていた。ゴグルの大太刀がグヴァンの刃を受け損なったのを見逃さず、大陸の王は剣を大きく振りかぶる。その瞬間がら空きとなった脇腹にゴグルが素早く短刀を突き立てた。
「王様っ!」
どこからともなく悲鳴にも似た甲高い声が響いた。あれは確か波の巫女だ。
叢を踏み散らして駆け寄る足音にどよめきの声が上がる。殺せ、と叫ぶ声が漣のように広がる。激痛の中でグヴァンはもう一度、王様、と叫ぶ声を聞いた。
「波の巫女」
ゴグルの口から掠れた呟きが漏れる。だが、その目は目前の敵を見据えたままだった。グヴァンも直刀を振りかざしたまま異民族の主から目を逸らさない。ゴグルはいったん短刀を抜くと今一度深々と突き立てる。逃げるべきであったが、もはや身体に力が入らなかった。短刀から手を離した異民族の主が王の蓬髪を鷲掴みにすると、ゆっくりと大太刀を振りかざした。
「来るなっ!」
グヴァンは駆け寄る巫女に鋭く叫んだ。それはゴグルの大太刀が振り下ろされるのとほぼ同時であった。巫女の足は止まらない。激しい怒りにも似た思いが彼女を突き動かし、果敢にもゴグルの前へと身を投げ出すと、その手より王の首を奪い去る。
「邪魔をするなぁッ!」
怒り狂ったゴグルの太刀が巫女の背骨を叩き割る。血飛沫は天高く上がった。だが彼女は今度こそ悲鳴を上げなかった。
終わった、と思った。
よかった、と思った。
勝った。
「王様、よかった」
彼女は涙を流して両の腕で王の首を抱き締めた。背中から滴る鮮血はまるで全身を伝う涙のようであった。彼女は背を丸め、赤子を抱く母のように王の首を抱えこむ。温かい血がしとどに王の首へと降り注ぐ。
「離さんか小娘」
獲物を奪われた熊の如くゴグルは低く唸ると、容赦なくもう一太刀をその背に浴びせる。小さな背中は一たまりもなく砕け、その黒い瞳は完全に光を失った。よかった、ともう一度言いかけたままの形で唇は動かなくなった。
「いいわけあるかっ!」
ゴグルの太刀が空で止まる。
一瞬の静寂が訪れる。
「何のつもりだっ!」
もう一度鋭い罵声が上がる。
ゴグルは動かなくなった巫女の肩に手をかける。ぐらりと体が揺れる。その割れた背中が命尽きる時まで大事に守ろうとしたもの。その懐に抱かれたのは巫女の血で真っ赤に染まった王の首。血濡れた蓬髪の下には爛爛と光を宿した二つの眼。憤怒の表情を浮かべたまま巫女を睨みつけている王の首であった。その目からは血の涙が流れている。
「船に戻れと言っただろうがっ!」
首だけとなってもまだ王は罵り続ける。
「なぜ言いつけを守らんっ!」
「これが時の采配か?ふざけるなっ!」
「時の糞野郎がっ、目が見えないからってこのざまかっ!」
「お前は卑怯者かっ!全員呪われろっ!」
生首の呪いの言葉は強者ぞろいのはずの異民族から正気を奪うのに十分だった。ある者は泣き叫び、ある者は失神し、そして多くが逃げ惑い、それまで勇敢に戦っていた異民族達はたちまちパニックに陥った。
なぜだ。
ゴグルは自分の目に映る光景をどうしても信じることができなかった。
確かに運命は時の采配だ。
誰も時の深意を窺い知ることはできない。
だが、我々は時を騙すことだってできたはずだ。
時が選べるのは生き長らえた者だけだ。
冥府に入ってしまえば、いかに時といえども選ぶことはできまい。
大陸の領主は平らげた。
今こそ時が選ぶのは俺ではないのか。
それでも時はこの男を選ぶというのか?
この世の条理を曲げても時が選ぶのはこの男なのか?
雨があがる。
大河からは二度ほどの爆発音が上がり、船は藻屑となって水底へと消えた。
ゴートの車の秘術と火薬を強奪された挙句、グヴァンの陣営は旗頭を失った。
二度目のガハラの戦いは双方に大きな痛手を残して雨とともに終結した。
そして、この血の争いの中で一つの術が成った。
血の鳴動で命を宿す巫女の術はその命と引き換えにここに成就したのである。
(つづく)
これにて第二章やっと完結です。
次の第三章が最終章です。
もう少しお付き合いください。
そして予約投稿できてなかった…




