第二章 王グヴァン
第九節 時の目
ガリアスの港が見える小高い丘には盛りを迎えた木々が立ち並んでいた。
柳のように細い枝には小さな白い花々が身を寄せるように咲き誇り、風に揺れては真っ白な花弁を散らしていた。
降りしきる花吹雪の中、木の根元には瞑目して座す隠者ヴァイの姿があった。
花は短い命を隠者へと降り注ぎ、時折、その姿は霞んで見えなくなる。まるで花に攫われそうで、そんなはずはないと思いつつもイズミは思わず駆け足になった。
息を弾ませ、丘に着くと、
「ヴァイさん?」
そっと声をかけた。
「今、話しかけても大丈夫ですか」
隠者は頷いて、青い瞳がゆっくりと現れた。
「胆力を得ておられるのですか」
返事の代わりにヴァイは口角を上げた。
「あの、私も、」
とイズミは声を弾ませ、
「石を振動させられるようになりました」
青い瞳が三日月になった。
「それはすごい」
素直な賛辞を贈られて、イズミは嬉しくも恥ずかしくなる。さらに相好を崩しながら、
「石に命を宿すところまではいかないのですが」
「簡単にできることではないでしょう」
「ええ、でも体内の拍動を伝えることができればきっと」
「体内に取り込むことができれば命を与えられる?」
「おそらく。取り込むことは難しいですが、血を分ければ怪我を癒すことができます」
「巫女は医術も操りますか」
イズミは頷くと、
「ようやく習得できました。ジニーと二人ともできるようになったのです」
声を弾ませてそう言った。ジニーとはもう一人の波の巫女である。ガリアスの港へと命からがら逃げ延びたジニーと再会し、二人して再び修行を始めたことはヴァイも話に聞いていた。
「従軍させてください」
イズミは希う。
「きっとお役に立つと思います」
だが、ヴァイは懸念する。
「ガハラは見渡す限りの平原で隠れるところがない。安全とはいえないが」
「王様は戦場で音の波をとらえさせるために波の巫女を所望したと聞きました」
ヴァイは首肯する。確かにその通りだった。
「王様にお伝えしましょう」
と彼は約束する。
「有難うございます」
イズミは礼を言うと、
「最近王様はお忙しくておそばに近づくことが難しくなりました」
と笑った。
「戦が終われば」
とヴァイは言う。ざあっと一陣の風が吹く。白い花弁が雪のように舞い上がり、二人の姿は見えなくなった。
グヴァン率いる軍勢がガハラで異民族と衝突した噂は瞬く間に広がり、異民族によって家や家族を奪われた者達がガリアスの港に集まるようになっていた。中でも血気盛んな男達は異民族の討伐に加わることを望み、グヴァンの軍勢は日々その数を増やしていた。
「だから明日にしろと言っただろう」
ジョルノは眉間に深い皺を刻んだままそう言った。新月の夜の襲撃にこだわったグヴァンへの苦言であった。
「ああ、悪かった」
グヴァンは素直に非を認める。彼は新月という好機を逃す気になれなかったが、結果として異民族の主を討ち漏らすという失態を演じることとなった。
「だが、勢力は半分にできた」
とガリアスが口を挟む。
「全くの失敗でもあるまい。火薬を首尾よく手に入れられたのは大きかったな。次で決着はつくだろう」
「実に不吉だ」
とジョルノ。
「二度目がか?」
「決着は三度目まで待て」
「なぜ?」
「時の意志には逆らえん。例え抗ってもどうせそうなる」
「また占いか」
「その占い通りになっているだろうが。我々は勝機を失った。次は最大の犠牲を覚悟しろ」
だが、グヴァンは納得がいかない。
「なぜ時は悪徳の限りを尽くす異民族に加勢する?」
「時には目がない」
「目?」
「目がないゆえに善悪が見えない」
「善悪判断ができぬ者が運命を支配するかよ」
「我々とて異民族を血祭りにあげている。彼らからすれば我々こそが悪だ」
「侵略する方が悪に決まっている」
「実りを追って移り住む民に住処はない。もとより理屈が違う。我々が善だと思うならお前が時に合わせろ。悪なる者は時を読まない。故にいずれ破滅する。奢れば墓穴を掘るだけだ」
ジョルノは警告したが、グヴァンはどこまでも傲慢だった。
「時は目が見えないのだろう?どうやって奢った者の墓穴を掘る?」
ジョルノの眉間の皺は更に深くなった。
「ゆえに無関係の者を巻き添えにする」
グヴァンは険しい顔をしたがついに何も言い返さなかった。
ガハラの草原では襲撃で命を落とした者を荼毘に付すための大篝火が焚かれていた。
天も焦がさんばかりに燃え上がり、天を嘗め尽くす業火をその大きな瞳に映して、
「ジュゾ」
と異民族の主は配下の者の名を呼んだ。
「はい」
小一時間ほど傍らに立ちつくしていた坊主頭の若い男が小さな声で応える。
「火薬を手に入れてこい」
「…火薬、ですか」
ジュゾは途方に暮れる。火薬などどこで手に入るのか皆目見当もつかない。
「そうだ火薬だ」
亡骸が炎の中へと投じられるのを眺めたままゴグルはぼんやりと答える。
「襲撃で車が爆発したのを見ただろう。あの火薬だ」
ゴグルは今一度言う。
「あれを手に入れてこい」
「…はい」
ジュゾは答えた。他の答えが許されるとは思えなかった。
「ディクスン」
「…はい」
ジュゾの傍らに立つディクスンもまた同じだった。
「車を作れ」
「…はい」
また次の亡骸が炎へと投げ入れられる。
「何日かかる?」
ひときわ明るく散った火の粉が天へと舞い上がっていく。
「一カ月ほどで、」
「二週間で作れ」
それは無理だ。
車は全て火薬の餌食となっていた。
作り直そうにも再利用できるものなど微塵も残ってはいない。
「…あの、材料が、」
「ディクスン」
「……はい、」
「荼毘にはまだ間に合うぞ」
「二週間で一台ならっ、」
「五台だ。行け」
ゴグルに返事は必要ない。必要なのは命じることだけだった。
さてどうしたものか。
赤い炎に照らされて二人の異民族は途方に暮れた。
(つづく)
えらく間が空いてしまいました…
第二章の終わりがようやく見えてきました。
もうちょっとお付き合いください。




