第二章 王グヴァン
第七節 奇襲
風が強い日は真っ白な高波が港を襲っては自ら砕け散っていく。
「海のそばは楽しいのかね」
ジョルノが言う。
「波音がうるさいだろうな」
ヴァイが答える。
二人はそれぞれに色の違うウーヴのマントを羽織り、並んで埠頭の柵に腰かけていた。
「車は作れんな」
「錆びるからな」
ざっくざっくと砂利を踏む音がして二人の上に影が差す。
「お前らカナリアか」
と悪態をついたのはグヴァンだった。
「カナリアは黄色いぞ」
とジョルノが言う。
「知ってるわ」
忘れずグヴァンは反論してから、
「ヴァイの里のやつが来たぞ」
と言った。その声に促されるように砂利を踏む音がもう一つ、のろのろと近づいてきたかと思うとかなり遠いところで止まった。ヴァイは依然沖を見つめていたが、ジョルノは振り返る。そして、
「イチか」
と言った。グヴァンの後ろに立ち尽くす大柄な男は茶髪に碧眼で、その相貌は三十には達していよう。眉間に深い皺を刻み、決して心安らかではない様子で、
「ご無沙汰しております」
開口一番、掠れた声でそう言った。
「無事で何より」
ヴァイは沖合を見つめたまま呟く。
「他は?」
とジョルノが聞く。
「まだ合流しておりません」
「イチ」
ヴァイが名を呼んだ。
「……はい」
「全部覚えましたか」
「はい」
「じゃあ後は頼みます」
「……いや、それは、」
ヴァイはやっと振り返る。青い瞳は意外そうに見開かれていた。
「戦になる。できないでは困る」
「……はい」
「継ぐのが嫌ならニイかサンに継承を。二人はゴルヴァの隠者殿のところにいる」
「……はい」
消え入るような声で答えると、彼は後ずさり、そのまま来た道を頭を垂れて戻っていく。足を引きずるように館へと去っていくその後ろ姿を眺めやりながら、
「イチなのか?」
とグヴァンが聞いた。ゴートの隠者は子供を数字で呼ぶ、とジョルノが言っていたのを思い出したのである。
「イチはお前じゃないのか?」
継承順に番号がついているならヴァイを継いだ者がイチと呼ばれていたはずだった。
「俺はゼロですよ」
再び沖合に視線を戻してヴァイが言った。
「もともと番外だった。でも、誰も先代を継げなかった」
「ああ、なるほど」
グヴァンは先ほどの神経質そうなイチの顔を思い出す。
「確かにお前みたいな狡猾さはなさそうだな」
「ひどいな」
ヴァイは苦笑した。そして、
「よし、来た」
ヴァイは声をあげた。白い波頭の彼方、霞む沖合に微かに帆影が見えていた。
「では行こう」
ジョルノが言ったかと思うと二人の姿はすうっと消えて灰色のウーヴと白いウーヴが疾風の如く走り去っていった。
その日の晩、ガハラには大篝火が上がった。異民族の駐屯地が襲われたのである。
激しい爆発はテントの明かりが消えて三時間後、誰もが眠りを貪る頃に起こった。
泥のように眠っていたディクスンは天地を揺るがす大爆音と怒号とに叩き起こされた。全身を貫く恐怖に突き動かされ、手近にあった短刀でテントを切り裂くと外へと飛び出す。そこには轟音を上げながら真っ赤な炎が吹きあがり真っ暗な天を舐めている。見る間に炎のもっとも明るいところにあった車が地響きとともに吹き飛んだ。
火薬だ。
ディクスンは思った。発条で動く木の車があれだけ派手に吹き飛ぶはずがない。誰かが車に火薬を仕掛けたに違いなかった。テントの周囲をぐるりと囲んだ車は連鎖して次々と吹き飛んでいく。それはまるで仕掛け花火だった。
地響きを立てながらなおも止まらぬ爆音はディクスンの体を恐怖で竦ませる。どれだけの火薬を仕込んだのか、誘爆が止まらない。逃げなければ。しかしどこへ?車はない。そうだ。船だ。萎縮した思考がようやく答えを引きずり出す。目の前を大勢の人間が左から右へと雪崩を打って駆けていく。桟橋を目指しているのだ。考えることは誰も同じだった。流れに加わり懸命に走る。桟橋はそう遠くない。ようやく見えてきた。と思った一瞬、周囲が一気に明るくなった。そして次の瞬間、船は大音響とともに吹き飛んだ。天高く破片を噴き上げ、周囲に雹の如くバラバラとばらまきながら船は火薬の餌食となったのだった。
揺らめく川面を炎が走る。油か何かを巻いているに違いなかった。水の上を火が走り、おかげで川に飛び込んで逃げることもできない。文字通り、それは火の海だった。
まるで地獄のような火の海を激しく波立たせて下流より遡ってくるものがある。それは真っ黒な船。赤々と篝火を焚き、船首には炎に輝く金髪を無造作に伸ばした男が立っている。
「地獄の底より迎えにきたぞ、異民族の諸君」
男はそう呼ばわると、船べりに片足をかけ、岸辺に集まる異民族達の顔を覗き込むように身を屈め、
「お初にお目にかかる。蓬髪のグヴァンだ」
名乗りを上げると岸辺からは恐怖の叫び声が上がった。噂は彼らの耳にも届いていた。異民族が撃ち漏らした領主。王になる男。蓬髪のグヴァン。悲鳴鳴りやまぬうちに王の背後の闇より現れたのは首に繊月刀の真っ赤な鞘をめぐらせた男。船べりより飛び降りるや否や、その姿は真っ白なウーヴに変化し、異民族めがけて襲い掛かった。悲鳴はさらに大きく上がる。それを待っていたかのように四方の闇よりウーヴが次から次へと姿を現し、次々に飛びかかった。
「聞こえているか!」
グヴァンはさらに声を張り、叫んだ。
「車の発条の音を!」
闇に響く機械の音。
「お前らの発条じゃない。ゴルヴァの発条だ」
そんなはずはない。ディクスンは驚愕する。ゴルヴァには工房はなかった。だが彼は耳を澄ます。背後から近づいてくる発条の音。そんなはずはない。俺はゴルヴァまで行ったのだ。誰も車なんて作っていなかった。里を捨てた後に作ったのか?いつのまに?そんなに早くできやしない。できるはずがない。だが、そんな思いを裏切るように背後には大量の発条の音が迫っていた。
異民族は完全にパニックに陥った。
(つづく)
ようやく第二章後半です…遅いよ;;
更新ペースが遅くなってますが、とりあえず書き切ることを目指します。
もうちょっとお付き合いください。




