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隠者ヴァイ  作者: 周詞エッダ
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第二章 王グヴァン

第五節 悪名


窓の外には晴れ渡った青空が広がっていた。

好天を受けて、港には帆を大きく膨らませた船が停泊している。これほど大きな船をグヴァンはこれまで見たことがなかった。港には太鼓の音とともに男達の野太い声が響き渡っている。

「歌っているのか」

とグヴァンが問う。

「船乗りの歌だな」

とガリアスが答えた。

「櫓を漕ぐ時に歌う歌だ」

「なるほど。テンポを合わせるためか」

「まあ、チャントだな。働く男どもの詠唱だ」

「詠唱は魔術のためだけかと思ったが」

「他人と息を合わせるのも魔術のようなものさ」

きぃ、と蝶番ちょうつがいが音を立てて木の扉が開く。灰色のマントを翻して入ってきたのはゴルヴァの隠者ジョルノだった。ヴァイとイズミの招きに応じてガリアス入りしたゴルヴァの隠者達はこの隠れ家で領主ガリアスと合流を果たしていた。

「工房は落ち着いたか」

とガリアスが声をかけた。

「お心遣い感謝する」

ジョルノは礼を述べた。

「ゴルヴァは」

グヴァンが挨拶代わりに素朴な疑問を口にした。

「隠者の長の名前ではないんだな」

「村の名前だ」

とジョルノ。

「ゴートの隠者はヴァイの名を襲名するがゴルヴァは違う」

「隠者もいろいろあるのだな。襲名する前はなんて呼ぶ?」

「ゴートの隠者は子供を数字で呼ぶ」

「数字?」

「直接ヴァイに聞け。俺の口から言うのは憚られる」

「好奇心旺盛な子供だな」

とガリアスは笑った。

「だが世間話は晩餐の席まで取っておけ。日があるうちに手配を終わらせたい」

グヴァンに異論はない。承知と言って口を噤めば、いい子だ、とガリアスが戯言を言った。

「しかし、」

とジョルノが言う。

「こんなところにいてよく見つからなかったものだ」

「異民族の船は外洋には出られんからな。海に面したここが一番見つかりにくい」

「港が近いのは有難い。資材が手に入りやすい」

「何が必要だ?雨季が来る前に手配したい」

「材木がほしい。頼めるか」

「お安い御用だ。巫女探しはどうなっている?」

「まだイズミだけだな。巫女に頼らぬ方がよいかもしれぬ」

「頼らず戦えるか?」

「これまで異民族が自由にできたのは拠点を持たなかったからだ」

異民族が移動している以上、襲うのは常に彼らで定住民は防戦するしかなかった。いつ来るかわからぬ襲撃に備えようと思えば、相手の居場所を波で捉えることができる巫女が必要になる。

「だから考え方は逆だ」

とジョルノは言った。

「相手が拠点を持てば巫女は必要なくなる。そして、もうじき雨季が来る」

「雨が降れば身動きは取れないか」

とガリアス。ジョルノは頷いた。大河が氾濫すれば、外洋に出られない以上、異民族は大陸に閉じ込められる。船と車を捨てる気がなければ入り江が近く平坦な道が続く平原で雨をやり過ごすしかないはずだった。

「ガハラから出さぬことだ」

とジョルノ。

「さすれば巫女がいなくとも戦える」


大規模な襲撃が起こったのはそれからすぐのことだった。

大河の下流に近い複数の橋が一斉に落とされたのである。

真夜中に松明を持った集団が橋に火を放ち、橋守の一族を皆殺しにした。

くるくると手首で剣を回しながら襲撃の指揮を執ったのは異民族の主ゴグルだった。

激しく燃え上がる業火は風に煽られ、狂ったように火炎を噴き上げては天を舐める。熱気に浮かされたようにゴグルは抵抗する男の頭を鷲掴みにし、その首に刃を当ててはくるりと回す。ごとりと首が落ちれば血飛沫が上がり、あたりは絶叫に包まれた。

「もう少し」

とゴグルは言った。

「上だったな」

さすれば血飛沫はもっと高く上がっただろう。

「ディクスンっ」

抑揚のない声が部下の名を呼ぶ。

「はいっ、」

ディクスンは縮み上がりながら駆け寄ると、主は無言で手を伸ばし、彼の首筋に手を這わせた。どっと汗が噴き出す。

「頸動脈はここか」

主は瞬きもせずに部下の白い首筋を確かめると、その首で手の血を拭っては燃え盛る家の方へと駆けて行った。生きた心地がしなかった。触られた首筋に手をやる。まだ繋がっている。まだ生きている。

「主自ら出かけずとも」

襲撃に先立って異民族はみなゴグル自らの出陣を諫めた。誰も彼に戦場に来てほしくなかったのである。時にゴグルは後ろから味方に矢を射かけることがあったからだ。自分の進路を遮る者は味方といえども容赦なかった。ディクスンは主の前には立たないよう背後を気にしながら戦わなければならなかった。

馬鹿げている。

それはわかっていた。だが、もはや誰も主を止めることはできなかった。止めるつもりなら頭目の地位を襲うくらいの覚悟は必要だった。

移動が長くなるにつれ、配下の不満は高まっていた。それを察してか、ゴグルの仕打ちも次第に狂ったものになっていた。

経験を問わず、手当たり次第に襲撃の指揮を任せ、その日の晩には大篝火が焚かれ、夜を徹して指揮した者の弔いが行われた。それは奇妙なことだった。戦死した者のむくろは打ち捨てられ、生還したはずの指揮者が荼毘に付されるのである。

ディクスンには長らくその理由がわからなかった。五体無事で帰還した者がなぜその日の晩の葬儀に間に合うように息絶えるのか。だが、答えは簡単だった。ゴグルが殺していたからである。

成功してもしなくても、襲撃を率いた者は殺された。その理由を問う者も当然いたが、

「役目が終わったからだ」

とだけゴグルは答え、問うた者も同様の運命をたどった。そして誰も何も言わなくなった。

悪名は無名に勝る。

ゴグルはそう思っている。

みな命が惜しいのである。恐怖は支配に好都合だった。

もっとも進路を遮る味方を射殺すのは戦略ではない。単に邪魔なだけである。

邪魔な者を殺す権利が俺にはある。

彼は本気でそう考えていた節がある。時が自分を選ぶと思っていたわけではない。そこには何の根拠もない。ただ傲慢なだけだった。

天を舐めていた炎は勢いを失い、先ほどまで響いていた叫び声も次第に聞こえなくなっていた。

「首を晒せ」

ゴグルはそう命じると橋守の一族の首を橋桁に並べさせた。諫めた者もいないではなかったが橋守と同じ目に遭っただけだった。

「ディクスン」

ゴグルが再び呼ぶ。

「はいっ」

裏返った声で答えて再び駆け寄る。主は返り血で革のようになった黒い袖に首を抱え、ぼんやりと考え事をしているようだった。そして、

「首が足りないな」

と呟いた。ディクスンの全身を恐怖が駆け抜けた。

主の何も映さない大きな目玉と小さな瞳がぐるりと巡ってこちらを見ると、

「首を大通りに移しておけ。できるだけ人目に触れるところがいい」

「……大通りに」

「そうだ。我々が来ていることを天下に知らしめよ」

ディクスンに選択肢はない。はい、と答えて彼は渋々首を拾い集めた。主は自らの支配を広めるのに恐怖を煽ることが好都合だと考えているのだ。怯む者は恭順する。戦う意欲をなくさせてしまえば、敵の数は自然と減らせる。

「悪名こそが俺の援軍なのだ」

主は抑揚のない声でそう言った。

だが、とディクスンは思う。

暴挙が煽るのは恐怖だけだろうか。

怒りを煽ることにもなるのではないだろうか。

手負いの狼は一番厄介ではないのか。


誰が好き好んで幼子の細首まで切り落としたいと思うだろうか。

阿鼻叫喚の地獄図の中で助けを乞う声に一切耳を貸さず、黙々と、むしろ嬉嬉として首を切り落とす主の姿に誰が忠誠を誓うというのか。

恐怖は抵抗を奪うだろうが、同時に離反も促すはずだった。


だが、おそらくゴグルもそれはわかっているはずだ。

だから、彼は奇襲以外行わない。

配下を殺す時もいきなり襲う。

恐怖により恭順した者は敵ではなくなるが、味方になるわけではない。

身内同士の理不尽な殺戮は自らの勢力を減らしていくだけのはずだった。

その先に待っているのは自滅ではないのか。


夜が明ける頃には別の橋を落としてきた者達が続々とガハラへ引き上げてきた。

「最近の主はどうしたことだ」

戻ってきたばかりのジュスが血の皮衣を脱ぎもせずに不満を口にした。

「無抵抗の者まで殺し首を晒せば、敵に援軍を送るようなものだ」

考えていることはディクスンと同じようだった。

「離反するか」

とディクスンが問う。怒りとも笑いともつかない表情を浮かべてジュスは、

「お前がやるなら協力してやるぞ」

と言ったが、まだだ、とディクスンは思った。

翌朝、ジュスの首は橋桁に並ぶことになった。ディクスンがゴグルに告げ口したからである。

ディクスンは我が身の安泰をジュスの首で買うことにしたのである。


とりあえず車を作ろう。

ディクスンは思った。

隠者ゴルヴァに逃げられた以上、車を扱えるのは今のところディクスンだけだ。

これでしばらくはゴグルの気紛れの生贄になることは避けられるはずだ。

車を扱える者はまた現れるかもしれないが、その時はまた殺せばよいことだ。

車で恐怖の支配から逃げよう。

でも、どこに?

ディクスンの考えはいつもここで行き止まりになる。

だが、異民族の間にも不穏な火種が燻り始めているのは確かだった。


(つづく)


なかなか終わらなくてスミマセン。

もう少しさっくり終わりたかったのですが、ラストに繋がっていかず、ちょっとぐるぐる回ってます。

もう少しお付き合いください。

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