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隠者ヴァイ  作者: 周詞エッダ
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第二章 王グヴァン

第四節 左手と右手


ヴァイがイズミを連れてゴルヴァの町を訪れたのは、ディクスンが訪れる前日のことであった。

異民族が車を必要とするならゴルヴァが狙われることは確実である。隠者達の保護のためにも異民族の勢力を削ぐためにも、ゴルヴァを味方に引き入れる必要があった。ゴルヴァの民も異民族の侵略を歓迎するはずはなく、話はすんなりまとまった。


「ゴルヴァが異民族に協力しない以上、彼らが車を駆って戦うのは難しいだろう」

灰色のウーヴのマントを羽織った隠者の長ジョルノは言った。そして、

「波の巫女が戦いを有利にするのならば」

と、ちりぢりになった巫女探しにも協力しようと申し出てくれた。

「波の里は世襲制か?」

いえ、とイズミが答える。

「巫女は血統を問いません」

「では巫女の見た目はイズミと同じとは限らぬのだな」

「はい。同じ者もいましたが、それはおそらく同じ村かと」

「村はどこだ」

「それが……物心つく前に預けられたもので」

と答えると、

「物心つく前?」

不思議そうにヴァイが聞いた。イズミは困ったように眉根を寄せて、はい、と頷く。

では、とジョルノ。

「イズミと同じ村の者をまず探そう」

ゴルヴァの隠者達もこれに異論はなかった。

「いずれ波の里は再建されねばならぬ」

「それはゴルヴァも同じこと」

「春の民は実りを食い尽くすいなごとなってしまった」

「人の命すら食い尽くす」

「時はこれを許さぬだろう」

隠者は口々に呟く。言葉はさざなみのように広がり、そして一斉に静かになった。静寂の中、一人また一人と姿をウーヴに変えて走り去る。

最後にジョルノとヴァイ、イズミの三人だけが残った。

「ガリアスに移動したら、我々は巫女を探す」

とジョルノ。

「手がかりになることは他にあるか」

イズミは考え込む。

「物心つく前に預けられたと言ったが」

ヴァイが問う。イズミは求められるままに自分の身の上を語って聞かせた。日照りの年に生き延びた子供達が大人達の諍いを収めるため里に預けられた話である。

「一緒に預けられたのは何人?」

「八人です」

「八人か」

今度はヴァイが考え込んだ。

「波の里は大河の下流にあった」

「はい」

「生まれたばかりの乳飲み子を八人抱えて歩いたとは考えにくい。舟で大河を下ったんじゃないだろうか」

「あ」

イズミは声を上げた。

「大河の上流にはいくつか村があるが」

とジョルノが言った。

「バルドイの村人は黄色い肌に黒髪と聞いたことがある」

「それじゃあ、」

「明日、バルドイに行ってみるといい。それに、」

とジョルノは改めてイズミを見ると、

「信じるかどうかわからんが、俺の占いではイズミが村を訪れる機会があるのは明日だけだ」

え、とイズミは怯んだ。ジョルノは頷く。

「北上するのは明日だけだ。後はずっと南下すると出ている」

川は北から南へと流れている。南下するばかりなら上流のバルドイに行く機会は確かにないだろう。

「当たるのか」

ヴァイが失礼なことを聞き、ジョルノは苦笑した。

「お前だって占いくらいするだろう」

「あいにく俺のは当たらない」

「お前も信じるかどうかはわからぬが」

再びジョルノは前置きすると、

「お前は命日の後も生きるようだな」

ヴァイは乾いた声で笑った。

「それは祝着至極だな」

「信じろよ」

「信じてるよ。それでよい」

ヴァイは愉快そうにそう言った。


ガサガサガサと車は立ち枯れた黄色い叢をひた走る。

異民族の男の登場は予想外だったが、ジョルノ達はガリアスへと無事旅立ち、大した支障とならなかったのは幸いであった。

「バルドイまではどのくらいですか」

イズミが問う。

「そう遠くはないはずです」

車を走らせながらヴァイが応えた。

ゴルヴァの隠者が作った車には座席が設けてあり、ヴァイは左に、イズミは右に座っていた。

異民族の車には座席はない。箱型の荷台に乗れるだけ乗り込んで走らせるのである。長距離を移動する異民族にとって車は人以外のものを乗せる機会も多いからだろう。ゴルヴァの車は人の移動に特化した道具といってよかった。

川沿いの一本道を走らせると、ほどなく道の先に高い三角屋根が見えてくる。人里が近づいてきた証拠だった。

ヴァイがハンドルを右に倒すと、ガリガリガリと小石を噛んで発条ゼンマイが止まる。車の最後の身震いが止む前にイズミは車から飛び降りた。当たりを見回してみたが、何も記憶に蘇るものはなかった。

背の高い三角屋根の家は道なりに立ち並び、どの家も玄関は開け放たれたままになっている。人が慌ただしく出入りしては荷造りした荷物を運び出していた。みな黄色い肌に黒髪で、ジョルノの言った通り、イズミと同じ民族のようであった。和やかに談笑しているところを見ると異民族の襲撃を恐れてのことではないのだろう。おそらく人去りの時期がこの村にも訪れているのである。雨季になれば大河は氾濫する。そのため村を去り、山へと避難するのである。

「あの」

突然、背後から声をかける者があり、振り返るとそこには黒髪に白いものが混じった初老の女性が立っていた。

「そのお召し物はもしかして波の巫女様?」

イズミは頷く。これは好都合だった。

「同じ格好の巫女がこちらに来ましたか?」

いえ、と彼女は首を振る。

「もう何年もお見かけしていないわ」

イズミは、おや、と思った。それではなぜ波の巫女の装束を知っているのだろうか。

「ずっと昔、」

彼女は溜息交じりに呟いた。

「波の里でお見かけしたきりで」

「それはいつ、」

「日照りの年に」

ああ。イズミは感嘆する。ジョルノの占いは当たっていた。

「ご存じ?子供達を預けに行ったのよ」

問われることもなく、まるで懺悔のように彼女は語る。

「とても可哀想で……でも、かえってよかったかもしれない」

「……どうしてですか?」

「その後、流行り病で多くの人が亡くなったの。子供達の親は一人残らず亡くなってしまった。子供だけでも助かってよかったかもしれない」

「……みんなですか?」

老婆は頷いた。そして深い溜息を再びつくと、

「日照りに流行り病、次から次に災厄が襲って、櫛の歯が欠けるように次々と死んでしまった。産後すぐに子供と引き離されたばかりか、病気にも見舞われて」

思い出したのか声を詰まらせる。

「子供達を追い出した人達は次の子に恵まれて今でも村で暮らしているのにね。私は船に乗って里へと行ったけれど、とても罪深いことをした気がして」

今でも思い出すたびに気持ちが沈むのだと彼女は懺悔のようにこうべを垂れた。おかげでイズミは自分がその子供だと言いそびれてしまった。その告白は彼女の罪悪感を深くするだけに違いなかった。

「あの時の子供達にあなたは会ったことはあるかしら」

「あ、……いえ、」

「そうね、どこの村の出かなんてわからないわよね」

引き留めてごめんなさいね、と老女が詫びる。

「……あの、墓所はどこにありますか」

森の中だと教わって、イズミは老女に別れを告げる。イズミに告白したせいか幾分晴れ晴れとした表情で彼女は別れ際、イズミの旅の無事を祈ってくれた。

笑顔で答えながらも、イズミは暗澹たる気持ちになった。

期待していなかったといえば嘘になる。両親に会えるかもしれないという思いと、顔も知らないのにどうやって探せばいいのかという二つの思いに揺れていたのは確かだった。思いの一つは叶い、一つは叶わなかった。

どうしよう。

イズミは途方に暮れる。

こんなことなら知らない方がよかったのではないか。

そんな思いも胸をよぎる。

いや、知ることができてよかったのだ。イズミは打ち消す。知らないままなら、きっとずっと引きずっただろう。どういう結果であれ、本当のことがわかってよかったのだ。頭ではそう思いつつも、それとは裏腹に飲み込めない思いがあった。

どうしよう。

沈んでいく思いを持て余し、どうしていいかわからない。

ふと人の気配に気づく。すぐ側には同行者のヴァイが立っていた。

「あの、……」

言いかけてイズミは戸惑う。なんと言えばいいのだろう。

「巫女は、いないみたいで、」

「墓に行きますか」

とヴァイが聞いた。

「あ、はい、」

と彼女は頷いた。

二人は老女に教わった通り、森の中の墓所へと向かう。少し開けたところに石がいくつか並んでいるのが見えて、イズミはその前でこうべを垂れた。自分がなんという家のなんという親から生まれたのか知らない。石には名前が掘ってあったが、どれが自分の両親のものか知りようがなかった。ともに里で育った七人の顔が思い浮かぶ。うち二人は幼いうちに亡くなってしまった。三人は異民族に殺されてしまった。残る二人は自分のように生き延びていてくれればよいが、果たしてバルドイにたどり着く幸運はあるだろうか。いや、それは幸運なのだろうか。

イズミは長いことそこに佇んでいた。だが日が傾いてきて、さすがに去らなければならない。

「お待たせしました、」

つとめて明るく同行者を振り返る。何か言わなければと思ったが言葉が続かない。思いつくまま、

「会えるかなあと思ったんですけどね、」

困ったように少し笑う。

「そううまくはいかないですねえ」

自嘲のつもりで言った言葉が自分で痛いところを突いてしまった。そう気づいた時にはもう手遅れだった。

急に重たくなった右の瞼からぽろりと涙が零れ落ちる。何の涙なのか。自分でもわからない。恋しいとか悲しいとか、そういう思いではない。どれにも至らない形にならない思いだった。長らく押し殺してきた思いが積み重なって溜まっていたのかもしれなかった。

これじゃあ、私、悲しいみたいだ。

イズミは戸惑う。悲しんで当然の状況で、悲しんでいる自分を実感できなかった。彼女は目を閉じる。涙に堰を作りたかった。

「亡くなった人達は、」

ふいにヴァイが言った。

「本当に子供を愛していたのでしょう。だから病魔に付け込まれてしまったのかもしれない」

「そういう経験がなくても」

イズミは問う。

「子供は親に抱きしめられたいと思うものでしょうか」

「望むと望まぬとに関わらず、」

ヴァイは自分の掌を見る。イズミもつられて自分の掌を見る。

「この体は親から分け与えられたものです。だとすれば、ここに親はいるかもしれない」

それは問いの答えにはなっていなかったが、イズミには十分だった。

自分の両の掌は大人の手の大きさだった。きっとそれは両親の手に似ているに違いなかった。右手が父。左手が母だ。なんとなくそう決めて、イズミは両手で自分の体を抱きしめる。

風が吹いてくる。

「行きましょうか」

ヴァイが声をかける。目を閉じたまま、はい、とイズミは小さく応えた。


時は理不尽に人からあらゆるものを奪う。それでも人は生きていかなければならない。愛情を握り込んだ両の手はやがて会う人と握手を交わす手となるだろう。この手で人を助けたい。イズミはこの時強くそう思った。


(つづく)

年度末が思いがけず多忙で更新遅くなってしまいました;;

とりあえず完結させるのを目標に頑張りたいです…;;


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