第一章 巫女イズミ
ハイファンタジーです。
ちょっと重くてちょっと残酷かもしれません。
第一節 異民族襲来
時とともに世界は開け、時とともに命は廻る。
すべては時の思し召すまま、湧いては枯れてやがて消えゆく。
波打つ調べを逃すなかれ。
降りそそぐ花を逃すなかれ。
掌に留まりてやがてその身を巡りゆく。
子供の頃より繰り返し聞いた歌を今も領主は覚えていた。
「そのわらべ歌がどうしたというんだ」
「何でもそれは」
側近は言った。
「祈りの言葉で波の巫女を歌ったものだと言います」
「巫女?」
「はい。波の里におります巫女は今もまじないで里を守っているそうです」
「ふうん」
領主グヴァンは椅子の背もたれに体を預けてしばし考えた。
領主といっても年は二十歳にも満たない。小柄で幼い顔立ちばかりが目立つが、五年前に父が亡くなり、以来、その遺志を継いで領地を治めていた。伸ばしっぱなしでくしゃくしゃになった金色の髪は領主らしからぬ風貌であるが、彼は古代の王に倣い、この国の王となるまで髪を切らないと決めているのだった。
目下の難題は、北から襲来する異民族といかに対峙するかである。
蝗のように集落を襲っては根絶やしにしながら大陸を移動する異民族が、今やグヴァンの領地に迫っていた。彼は領主としてこれに対抗しなければならない。
まだ統一国家が存在しないこの大陸を誰が王となって治めるか、野心を持たない領主は生き延びることはできないだろう。そういう時代であった。
「時の思し召すままに」
側近は言ったが、
「俺は時の思し召しには従わない。俺は王にならなくてはならぬ」
「立派な心がけではございますが」
側近もこの勝ち気な主の扱いには慣れている。
「誰一人、時の定めには逆らえません」
「それは結果だ」
グヴァンは頑迷だった。
「何もせずに時に委ねて国など手に入るものか」
「仰せの通りでございます」
側近は二度は逆らわなかった。
「俺は呪術を信じるわけではないが」
傲慢な若き領主は右眉だけを大きく引き上げる。灰色の瞳を更に大きく見開いて、
「この際、使えるものは何でも使おう。呪術に詳しい者はいるか」
「隠者に尋ねてみましょう」
隠者とは祖父の代より何十年と領主によって保護されてきた呪術者である。俗世を離れ、祭祀を司る隠者はヴァイという名で呼ばれていたが、グヴァンはまだ会ったことがなかった。
「いいだろう。隠者ヴァイを呼べ。俺が直接尋ねる」
「そのように手配します」
側近は慌ただしく出て行った。
グヴァンの領地は砂地が多く、緑の少ない土地柄である。父の代に行った灌漑工事のおかげで、ようやく作物が取れるようになっていたが、豊かになれば奪いに来る者が現れるのは世の常であった。
車を駆って砂漠を越えてきた異民族はオアシスにあった集落をあっというまに蹂躙し、その噂は庶民にも知れ渡っていた。
異民族の駆る車は発条仕掛けで、燃料を補充する必要がなく、時には捕虜を馬代わりにして馬車のように走らせた。おかげで彼らの移動は昼夜を問わず、恐ろしいスピードで大陸にその脅威を拡散していた。ちなみに発条仕掛けの車はレオナルド・ダ・ヴィンチの設計図が発見されており、一定の速度で走ることが証明されている。
「お連れしました」
側近に連れられて一人の男が現れる。背の高い黒髪の男だった。
「隠者は?」
グヴァンが問う。
「ここに」
黒髪の男が頭を下げた。グヴァンは眉を顰める。
「年はいくつだ?爺の代から仕えていると聞いたが、お前は三十手前に見える」
黒髪の男は青い瞳を三日月にして微笑むと、
「隠者は世襲制なのです。代々、名を継ぎ、今は私が隠者ヴァイです」
何度も同じことを聞かれてきたのだろう、慣れた様子で彼は答えた。
「ああ、なるほど」
グヴァンは素直に頷いた。
「波の巫女を知っているか」
「話だけは聞いております」
「捕まえに行きたい」
ヴァイは笑った。
「捕まえる必要はないでしょう。巫女はこの地の者です。この地のために働くのが務めです。わけを話して召喚なされば事足ります」
「波の巫女だろう?ここには海はないぞ」
「波は海の波ではありません。音です」
「音?」
「巫女は常人には聞こえない音の波を捉える。捉え、操り、物の質を変える」
「質を変える?」
「波の振動で変質させるのです。門外不出の秘術ともなれば、命を宿すこともできると聞きます」
「どうやって?」
隠者はもう一度笑った。
「門外不出ですから」
「知らんのか」
「あいにく」
「なんだつまらん」
グヴァンは眉間に皺を寄せて不機嫌を露わにした。が、若い領主はくるくると表情を変えると、
「よし、わかった、巫女の里に行こう」
椅子より立ち上がって歩き出す。
「使いを出します」
側近が追いすがるように言ったが、
「いい」
グヴァンは却下した。
「俺が行く。ヴァイ、供をしろ」
側近は慌てて、
「お供は私が、」
「いい」
またグヴァンは却下する。
「いつもお前じゃつまらん」
言いながら若き領主は足早に立ち去ってしまった。
「隠者殿」
「はい」
隠者は領主の後を追った。
これが館の見納めとなった。
これ以降、領主が館に戻ることはなかったのである。
(つづく)
お気づきの方もいるかもしれませんが、グヴァンの名前はヴァイキングのヴァグンの名前をひっくり返したものです。
王になるまで髪を切らないというエピソードは、ノルウェーの統一王ハーラル一世から借用しました。「蓬髪のハーラル」ですね。統一後、髪を整え、「美髪王」と呼ばれるようになりました。
ヴァイキングのサガのようなお話を書きたいと思ったのですが、馬にも船にも詳しくないので…苦渋の策で発条仕掛けの車で移動する異民族にしました。
実現可能なのかなと思って調べたらダ・ヴィンチの設計図がヒットして、よし使おうとw
そんなに長くならない予定です。よかったらお付き合いください。