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文字数:3143字
翌日、アミルとアネラスは行動の示し合わせを互いに行ったのち。
チェックアウトのために部屋のある二階へと続く階段を下りていると、受付カウンターの近くから話し声が聞こえてきた。
「……だろ、ご主人? 悪い話じゃねぇと思うんだがよ」
「まぁ……確かにそうだがなぁ……」
昨日転がるようにして入ってきたアミルたちのチェックインを受けてくれたここの宿主と誰かが立ち話をしているようだ。
一階に客は見られないので迷惑になっているという程ではないが、少なくとも宿主の人間族の男性は被害を被っている。
階段を下り切ると、判明しなかったもう片方の人物の姿が目に入った。
煤けた灰色の上着を肩から乱暴に羽織り、身なりはあまりよくないと見える。種族はアミルと同じ人間族のようで、ほぼ黒に近いその上着の上から腰に巾着袋のようなものを複数ぶら下げている。
宿主を説得するように伸びる瞳は黒。身長は成人男性くらいはあるだろうか。奇しくも、アミルが目覚めたあの時、魔法によって傍観した世界でエルフ族と人間族の夫婦らしき男女を襲っていた者たちと似通っていた。
しかしあれが起きていたのは路地裏で、ターゲットはエルフ族の女性に見えた。こんな真昼間から宿の受付で堂々と同じことが出来るような人間でもなさそうであった。
世界を傍観した魔法、【視覚魔法】ワールド・アイの不便なのは、音声までは捉えることが出来ないというところだ。声が判別できれば今回の疑問もすぐに晴れる。ただし魔法は当人の努力次第で変化するので、アミルがやる気を出してワールド・アイの研究に望めば、いつかは音声も拾うことが出来るようになるだろう。
とは言え、当然とでも言うべきであろうか、少年にそんなことをする気力は残されていない。
「おっと……アンタたちか。昨日はすまんな、部屋が一つしか空いていなくて」
「いえ、どうかお気になさらないでください。お陰さまで……」
こちらの存在に気付いた宿主の謝罪に、アネラスはうっかり口を滑らせかける。
昨晩あったことはぜんぶ、彼女の中だけで解決したのだ。今更誰かに話したところで恥をかくだけだ。
「お陰さまで? 何かあったのか?」
「な、何でもありませんわっ」
慌てて取り繕う彼女に、宿主は首をうーんと傾げた。
アネラスは、宿主の男性が鈍くて助かったと、思わず胸をなでおろす。
「それで……そちらの方は?」
話題転換のためか、アネラスは話の矛先を宿主に対面していた男に向けた。
男は宿主よりも早くこちらに気付いている。そんな彼の視線のせいもあって、宿主がアミルたちに振り返ることとなったのだ。
「ああ、すまねぇ。お宅らチェックアウトか? 邪魔したな。……じゃあご主人、しばらくしたらまた来るぜ」
「今度は売り込みだけじゃなくてウチの宿も利用してくれると有難いんだがな」
「はははっ、そりゃ耳の痛ぇ話だ。生憎俺らの会社は専用の宿舎があってな。……まぁ、その内利用させてもらうぜ」
「嘘じゃないことを祈ってるよ」
宿主の男性の言葉に苦い笑みを浮かべながら、煤けた上着の男は宿を出ていった。
バタン、と扉の閉まる音を聞き届けてから、アミルたちは受付へと足を進める。
「えっと……さっきの方は?」
「外交販売みたいなもんだ。何やら『ジオネイル換金社』つって、どんなもんでも買い取ってくれるらしい」
当然その買い取った物の販売もしている、宿主の男性はそうも言った。
「……どんなものでも買い取る、ですか」
「にわかには信じ難い話だがな。このご時世、換金ってならギルドが受け持ってくれるが、それでも限度がある」
「確か、ギルドは換金リストを公表していますわ」
「そうだ。つっても、ギルドの換金システムだし殆ど魔物が落とすもんだったりするけどな」
しかし話によれば、その『ジオネイル換金社』というのは本当にすべての物を買い取り、販売しているらしい。
今回この宿にあの男性が赴いていたのも、宿の中で買い取りに値するようなものは無いか、そしてあればそれを破格の値段で買い取らせて欲しい、とのことだった。
「『ジオネイル換金社』っていやぁ、ここ最近急に出てきた会社なんだがよ、もう知名度はランゼルグじゅうに広まってるって話だ。実際にウチに来た客の何人かも、それは嬉しそうにその話をしやがる」
「怪しさ満点なのにな」宿主の男性は、どこか悔しそうにその眉根を潜めた。彼も一人の商売人として、目の敵にしているのかもしれない。
「会社と経営形態は怪しいが……モノの保証はしっかりしてやがる。ま、アンタらももしあそこを利用するなら、一応気を付けるこった」
「ご忠告、感謝ですわ」
「……話が長くなっちまったな、チェックアウトだったか?」
「はい、お願いします」
アミルの頷きに、宿主の男性は手早く手続きを済ませた。
持っていた部屋の鍵を返し、代金を払う。
「んじゃ、またウチを利用してくれると助かるぜ、お二人さんよ!」
「ええ、いずれまたお世話になりますわ!」
快活なアネラスの返事に、話の中でずっとしかめっ面だった男性の相好が崩れた。
◇◆◇
建物と建物の隙間に伸びる暗闇から声を掛けられたのは、宿を出てすぐのことだった。
アネラスの身体に合わない鎧を新調するために、目星を付けた武具屋へ足を運ぼうとしていたところで、路地裏から呼び止められる。
「誰……ですの?」
突然の声に彼女が恐る恐る暗闇に向かって聞き返すと、ぬっと一人の男性が姿を現した。
「いやぁ、すまねぇ。驚かせちまったみたいだな」
「あ、貴方は……!」
先も見通せない路地裏の奥から歩み出てきたのは、つい先ほど、アミルたちの泊まった宿屋にて宿主と話していた男性だった。
煤けた上着はよく見ると所々に縫い付けたような跡があり、また彼の地毛らしき赤く燃えるような髪もボサボサで手入れがあまり行き届いていないように思える。
しかし姿を現した男を間近で見た感想と言えば、隙がない。この一言に尽きた。
巡らせる視線はまず目の前のアネラスの腰に携えられた片手剣、次に足元に瞳を這わせる。
同様に、アミルの姿も捉える。アネラスは男の視線に気付いていない様子だったが、どうも敵意があるようには思えないので、アミルもとりあえずは黙っておくことにした。
「貴方は、先ほど宿にいらっしゃった……」
「流石に覚えててくれたか。っても、自己紹介もしてねぇや。俺はミクス。ミクス・ロッドマンだ」
「あ、私は――」
「――彼女はアネラス。僕はアミルって言います」
アネラスの口から恐らく放たれそうになった彼女の本名を、アミルが自らの紹介を織り交ぜてかっさらうように遮った。
……確かに目の前の男からは敵意らしき敵意は感じられない。
ただ、宿主の話を聞く限り、怪しまざるを得ないと言うのが本音だ。忠告もある。
それに『アネラス』という名前は"偽名"ではない。れっきとした彼女の氏名だ。
横から送られる視線を感じるが……それは後で説得しよう。
「それで、僕たちに何か用ですか?」
「いやなぁ、お宅ら、ギルド加入者だろ?」
そう言って、ミクスはアネラスの剣に再び視線を落とした。
それからこちらの反応を待たずに、「実は俺、こういうもんをやっててな」とガサゴソと上着のポケットを漁る。
取り出したのは、一枚の名刺だった。
「多分あの宿主のおっさんならお宅らに話してるとは思うんだが」
「『ジオネイル換金社』……」
少し固めの材質の紙製カードには、『ジオネイル換金社 営業部長 ミクス・ロッドマン』と確かにそう記されていた。
目の前のお茶らけた喋り方の男性が、ジオネイル換金という会社の関係者である動かぬ証拠である。
「さて、自己紹介も済んだことだし、早速本題に移らせてもらうぜ」
ミクスはその黒の瞳をキラン、と輝かせた。
次話もよろしくお願いします
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