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文字数:3887字
帝都エレシュメルンという都市は、区画ごとがそれぞれ僅かな曲線を描いており、区画を真っ直ぐに歩くことで隣り合う各区画を渡り歩きながら都市をぐるっと一周することができる。
しかしながら曲がり角というものは存在し、それは隣り合わない区画と区画を繋げる近道として役割を持っている。
つまり、エレシュメルンは円形状なのだ。そしてその中心には、たった一つの建物だけが存在する。
――皇城、エイムダル宮。時の皇帝であるベルファ・インダストロ皇帝三世、国を法によって治める行政庁の長官リバリウス・レーグラント、そして武を持って国を制す帝国正規軍軍団長レルス・ウィンボウト。
先祖代々国のトップたちが総じて個人部屋もしくは執務部屋を構えることを許される紅の宮廷。
ロイフェーリトの象徴とも言える最高建造物が、周囲の区画に守られるようにして堂々と建っているのだ。
そして当然のように厳重な警備兵が何人も駐在するエイムダル宮入口にて、一人の少女が単身乗り込もうとしていた。
(あ、ああは言ったものの、やはり緊張しますわ……)
数ある種族の中でも他に類を見ない特徴的な桃色の髪をなびかせ、その服装は鎧に剣と、どう見てもこの高貴なエイムダル宮を前にして招かれた客人の服装とは言えない。
しかし彼女は、名目上、しっかりとこの場に招待されていた。
張り裂けそうな心臓を鎧の上から抑えながら、目を瞑り、一つ深呼吸。彼女にとって命の恩人である少年が教えてくれた呼吸法で空気を取り込んでいく。
身体中に酸素が巡り、体内の魔力が血流に乗って全身へと行き渡る。暴れに暴れていた心臓が平静を取り戻していく。
(……よし)
覚悟を決めて、その碧眼で眼前の宮廷を見上げる。
大丈夫、今までもこのようなことは何度もあった。これほどの規模ではないが、れっきとした由緒ある王室に招待され他国の王と謁見したこともあるのだ。
大丈夫、大丈夫……。
見上げることで再びがなりだした心臓を無理矢理に押さえつけ、手に持った招待されたことを警備兵に示す封書を握り締め、その一歩を踏み出した――
その時だ。
「――私の招待に応じてくれてこれ以上の感謝はありませんよ、レムクルーゼ殿下」
「ッ!?」
エイムダル宮の入口である巨大な正門の下に、一人の男性の姿があった。
背後の宮廷と同色の軍服を身に纏い、駐在していた警備兵を右手のひと振りで下がらせる。
腰に携えた直剣は柄が漆黒に染まっていて、鞘の出来から見ても間違いなく一級品だ。
そして何より――ロイフェーリトの厳格な国色をそのまま映したようなその顔に、少女アネラスは、踏み出そうとした足を音速で戻したくなった。
――この男は何か危険だ。最初に出会った時、脳がそう警鐘を鳴らしていたのを鮮明に思い出す。
しかし、
「まずは先日の数々のご無礼、身を切るような思いで反省しておりますゆえ、どうかお許しいただきたい」
「え……え!?」
突然、なんの前触れもなく、眼前の軍人は頭を下げた。
いきなりの行動に、アネラスはどうしていいか分からず目を泳がせる。
これは、一体どういうことなのだろうか?
目の前で頭を垂れるこの男――アグラザッド・ルーメルは、間違いなく帝国正規軍の人間だ。
今回アネラスが呼ばれたのも帝国正規軍の名を持つ人物からであるため、まったくの無関係とは言えないだろう。
ということはこの男が、軍団長レルス・ウィンボウトの元までの案内役……ということだろうか。
……でも、一つ引っ掛かることがあった。
「えっと……"私の招待"って、どういうことですの……?」
アネラスを招待した手紙の差出人は、帝国正規軍軍団長レルス・ウィンボウトのはずだ。ここに来るまでに何度も確認したのだから間違いあるまい。
けれど今目の前に立つアグラザッドは、『私の正体に応じてくれて』と言い放った。
差出人はレルスの名なのに、まるでアグラザッドがアネラスを呼び出したかのような言い方だ。
するとアグラザッドは下げた頭をそのままにして言う。
「もう一つ、お許しいただきたい。……軍団長レルス・ウィンボウトの名を借り、貴女を呼び出したことを」
「なっ……!?」
予想打にしなかった言葉に、アネラスは驚きに目を見開いた。
軍のトップの名を借りる……いや、この場合は騙った、といった方が正しいのだろう。
そんなことをすれば、どの国にだって重罪に課せられるのはアネラスでも分かる。
それを、この目の前の罪人に鉄槌を下す側の人間が、犯したというのか?
「な、なぜそんなことを……!?」
「私の目的はただ一つ。――貴女方に、頼みたいことがあるのです」
「頼みたいこと……?」
大罪を犯してなお、この男はさらに求めるというのか。
いやそもそも、軍のトップの名を騙ったにも関わらず、こうして未だ軍服を着ることを許されていることもおかしいのだ。
アネラス本人に打ち明ける以上、名を騙られたレルスも彼の愚行は知っているのだろう。……そして、目を瞑っている。
歪んでいる。間違いなく、歪んでいる。
ミシェルに言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
『もし会うなら、彼じゃなく、彼の周りに警戒すること。あまりにも堅苦しい思想が集まったあの正規軍ってところでは、善も悪もどちらも存在するわ』
彼の周り……つまりそれは、アグラザッドのことだ。
「申し訳ないが、貴女に拒否権は存在しない。もし私の話を無かったことにすれば……貴女は必ず後悔する」
酷く冷たい声だった。心の底から凍りつかせる、個人の生半可な意志など動かなくして無へと返すような、そんな声。
そしてそれはどこか別の、アネラスよりももっと別の対象へと向けられている気もする。
アネラスの足は、既に動かなくなっていた。
(……でも、ここまで来てしまったんですのよね)
最後まで止めてくれた大切な仲間たちの顔を思い浮かべ、前方に立っている冷徹男の顔は頭から排除する。
ここで引き下がっては、その仲間たちへの顔向けができない。
それに、彼が未だ軍に身を置いていられることに一抹以上の疑問を覚えざるを得なかった。
彼の話を聞く中でそれを問いただすことができれば、それだけでも価値はあるだろう。
少女は、固まっていた足を一歩、前へと踏み出した。
「……分かりましたわ。貴方のお話、聞かせていただきます」
「そのご好意に感謝致します」
「好意……そんな風に取らないでいただきたいですわ」
「これは申し訳ない」
混沌抱える紅の宮廷の扉が、そして開かれた。
◇◆◇
「……」
「……」
「……行ったか」
皇城ヘイムダル宮が建てられている区画ギリギリの場所にて。青髪の少女の呟きが落ちる。
まるで『聞き耳を立ててください』と言わんばかりにちょうどいい位置にあった建物の影に、三人の人物の姿があった。
「……ふぅ、何とかバレなかったね」
「こらアミル! さっさと降りんか!」
「あ、ごめん」
深緑のマントを羽織った少年が、魔女姿の少女の上から降りる。
身を隠していた場所は横に狭かったため、こうして乗りかかるように位置を調整しなければならなかった。
……あのアグラザッドという軍人が出てこなければ、こんな急ごしらえな位置調整をしなくても良かったのだが。
「しかしアミル、恐らくあのアグラザッドという男、私たちに気付いていたぞ」
「そうだよね、何だかんだバレちゃいそうな……って、え!?」
「あの男、最後の方完全にウチらの方を見とったぞ」
「そんな……ここまでくれば完璧だと思ったのに……」
アミルたちはアネラスが酒場を出て行った後、相談してこっそりついていこうということになっていた。
追跡は大変だった。なにせ三人の中で誰も追跡に長けた【隠影魔法】を習得していなかったのだから。
おかげで街行く市民には奇異の目で見られる上に、それがきっかけで何度もアネラスが追跡しているアミルたちの方を振り返ってきた。
しかし決死の気合による気配遮断で無事ここまで見つからずにたどり着くことに成功。【音響魔法】によって三人は聴覚を強化し、アネラスとアグラザッドの会話を聞くことも出来た。
「まあ、どうやらあの男は、アネラスにだけ用事があるというわけでもなさそうだ」
顔を上げたクラネの視線の先――エイムダル宮の入口には、先ほどまで駐在していた警備兵の姿が見当たらなかった。
まるで『入ってこい』と行っているかのような無防備ぶりだ。
「ウチらがここにいるということを知っての行動なら……大方、奴の思惑通り、というところじゃろう」
「……」
アミルも紅の城を見つめる。
話は聞いてしまった。相手もこちらに来いと言っている。
メメの言うとおり、恐らくはアグラザッドの手の上で踊っているだけなのだろう。
「どうする、アミル。引き返すか?」
クラネが、アミルの顔も見ずに問いた。
……返答される言葉はもう分かっている。言葉なくしてそう言っている。
「最初から引き返すつもりはないよ」
元より、どうしてもアネラスが心配になったアミルがこの追跡計画を提案したのだ。
酒場ではああ言っていても、やはり心の奥では心配なのだ。
それを分かっているから、クラネもメメも何も言わず付いてくる。
「――行こう。ただし、僕たちは追跡者だ。最低でもレムクルーゼさんにはバレないように行くよ」
アミルは勢いよく走り出した。他に人の気配がない宮殿区画に少年の足音が響く。
急ぎ過ぎ……かもしれないが、これはたぶん、アネラスのことが心配であるがゆえだろう。誰の手によって止められる感情でもない。
だが……。
「……大丈夫かの」
少年には気配を隠す気、というものが見られなかった。
次話もよろしくお願いします
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