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文字数:2928字
「やっと来たのね、アネラス」
「あ、はい……。申し訳ありません、私だけこんな時間まで……」
「気にしなくていいわ、事情は聞いているし。でも……」
一瞬、ミシェルの目元に暗い影が差した。
彼女のよく編みこまれた茶髪は額の辺りから二つに分かれて垂れており、それらが若干ながらその目元を隠す。
そして、アネラスの耳元に口を寄せた。
「(……代わりに少し、時間をもらえるかしら。いろいろお話があるの)」
「え?」
突然耳打ちされたアネラスは驚いて顔をミシェルに向かせるが、当の彼女は意味ありげに微笑み返すだけで何も答えなかった。
それから顔を上げると、アミルたちの方へと言い渡す。
「――それじゃ、少しの間彼女、借りていくわね」
「うむ、ただしお手柔らかにな」
「ウチらにも聞かせられないような話とは非常に気にもなるが……まあよい、アネラス、そやつに言いたくないことがあったら無理に言わなくていいのじゃからな」
「んもう、アナタたち、そんな言い方しなくてもいいじゃない?」
拝借の了承とともに投げられたいくつかの嫌味をむすっとした表情で返したミシェルはすぐに微笑を顔に落とすと、呆然とその場に立ったままのアネラスの肩をポン、と叩いて歩き出した。
「あ、あの……!」
「ついてらっしゃい。奥に私の個人部屋があるから、そこでお話しましょう」
言うなり、ギルドカウンターの奥をくぐって歩いていくミシェル。
アネラスは一度ぐったりと椅子にもたれかかったアミルを振り返り、すぐにミシェルの後を追った。
カウンターの奥は一つ扉があった。どうやら鍵が閉められているようである。
アネラスが到着するのを待ってから扉の鍵を開けたミシェルに続き中へと入ると、そこには"書斎"という表現が一番正しい小さな部屋が存在していた。
大人五、六人が入ればすぐいっぱいになってしまうような本当に小さな部屋だが、所々工夫が凝らされ、大量に敷き詰められた厚さ様々な本たちが本棚にぴっちりと収納されている。
部屋の角には机と椅子が一つずつあり、机の上には明かりを灯す小さなランタンが置かれていた。
ミシェルは部屋に入るなり予備の椅子を一つ取り出すと、自分は机の下にある椅子に腰をかけ、アネラスにはその予備の椅子に座るよう促した。
「ごめんなさいね、こんな小さな部屋に招いてしまって。……ルレリック王国第一王女様」
「……!」
部屋に入っての彼女の第一声がそんな言葉だったことに対して、アネラスは強い嫌悪感を抱いた。
別に自分が王族であることを隠しているつもりはない。むしろ相手との親交を深めるためだったり、多少の危険があるとわかっていながらも自ら早々に正体を明かすこともあるくらいだ。
それで相手が最初からこちらに対して一線を引く態度を取るならそれはいいのだが、ミシェルの場合は、違った。
彼女は既にアネラスの正体を知っている。最初にギルドを訪れた時に自己紹介をしたからだ。
その時からミシェルという人物はアネラスの素性に一切の興味を示さなかっのだ。
だからそういうことを気にしない人物だと思っていたのに、二人きりになった今、まるで王女であることを強調するように言った。
突然今までの態度を変えるような言いぶりをしたミシェルに、アネラスの表情は自然と険しくなる。
「……ああ、やっぱりアナタはそういうの、嫌いなタイプなのね」
「え……?」
するとそんなアネラスの表情を見たミシェルは、真面目そうな顔からにこやかに笑った。
唐突な表情の変化に呆気にとられた様子のアネラスに対し、ミシェルは変わらず笑みを絶やさない。
「ごめんなさい、試すような真似をして。でも、アタシは今のでますますアナタを気に入ったわ。アミルちゃんの捻れに捻れた性格もからかい甲斐があって好みだけど、アナタみたいなどこまでもまっすぐな瞳を持つ子も嫌いじゃないわ」
「ええっと……話がまったく見えてこないのですが……」
次々とまくし立てられるミシェルの好みの話に、アネラスはさらに困惑するばかりだった。
まさかあそこまで意味ありげに自分をこの部屋まで招いておきながら、いざする話とは己の趣味の話だったというのか?
しかし、そんな疑いを胸の内に段々と芽生え始めさせていたアネラスに、ミシェルは「つまり、アタシはアナタたちを手放したくないってことよ」と言いながら、立て掛けられたいくつもの本棚のうちから一冊ばかり本を抜き出し、適当にページを捲った。
ページを捲る手を途中で止めると、そこに挟まれていた一通の封書を取り出しアネラスに差し出す。
「これは?」
「うちのギルド宛に送られてきた、軍からの伝書よ。開けてみなさい」
「あ、開けていいのですか?」
「ええ。アナタのことについて書かれているからね」
「私のこと……?」
言われるまま、アネラスはその白封筒を開けた。
中には確かに一通の手紙が折りたたまれて入っている。
広げて内容を見ると、以下のことが記されていた。
『エレシュメルン支部ギルド長、ミシェル・クリンスキー。突然の通達失礼する。
現在そちらにルレリック王国の第一王女殿下、アネラス・フォン・レムクルーゼが籍を置いてはいないだろうか?
見当違いであれば非礼を詫びるつもりだが、もし在籍されているのであれば、至急王女殿下を私の元へ送り届けて欲しい。
こちらとしてもそちらが忙しい身であることは重々承知しているが、何卒宜しく頼みたい。
帝国正規軍軍団長 レルス・ウィンボウト』
「……」
手紙を読み終えたアネラスは、しばしの間固まるように動かなかった。
帝国正規軍軍団長、レルス・ウィンボウト。アネラスは、その名前に聞き覚えがあった。
若くして圧倒的カリスマを持ち、天才的な軍指揮術であっという間に軍団長という座に登りつめた男。
実質国のトップの一人と言われても過言ではない人物に、アネラスは王女として、名指しで指名を受けたのだ。
「軍団長が何を思ってアナタを呼び出しているのか分からないけど、文面からするとアナタが王女であることを知った上で、その立場の人間として、彼はアナタとの接触を望んでいるわ」
「王女として……」
正直、名を名乗っていればいずれはこうなることは十分に覚悟していた。仮にも次期女王となる権利を正統に持っている自分が、こうして他国でほっつき歩いているのだから。
けれど、今、どうしてこのタイミングで。
あまりにも出来すぎていると、アネラスは思った。……いや、思えてしまった。
まるで誰かが仕組んでこの手紙をこのタイミングで送るように仕向けたように。でも、アネラスは彼と直接会ったことは一度もない。
何かがある。アネラスの心の奥は、警鐘を鳴らしていた。
「最終的に決めるのはアタシじゃない。会うも会わないもアナタの自由だと思うわ。別にここで断るなら、後のことはアタシが何とかしてあげる。でもね……」
ミシェルは一旦言葉を区切りひと呼吸置くと、封書を仕舞っていた本を本棚に戻し、改めてアネラスに向き直る。
そして座った状態のまま前屈みで膝に両肘を置き、顔をぐっとアネラスに近づけて、こう言った。
「もし会うなら、彼じゃなく、彼の周りに警戒すること。あまりにも堅苦しい思想が集まったあの正規軍ってところでは、善も悪もどちらも存在するわ」
次話もよろしくお願いします。
TwitterID:@K_Amayanagi




