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文字数:7158字
アミルたちが請けた依頼は全部で五つ。その内四つは同じ種類の薬草の採取、残りの一つはゴブリンと呼ばれる低級魔物の討伐依頼だった。
これらを提示した際受付のエルフ族の女性は『いきなり魔物討伐をされるんですか?』と驚いていた。まあ、アネラスが王女であるがゆえに戦闘経験など少ないだろうということと、アミルが周囲に居るような屈強な男ではないことから、彼女なりの心配だったのだろう。
ただゴブリンは低級魔物と称されるだけあって初心者には推奨される魔物の一体だ。だから身の程を弁えない無謀な挑戦ではないため、アミルは受付の言葉に「大丈夫です」とだけ返し、依頼を受領した。
今回この数の依頼を同時に受けたのには二つの理由がある。一つは、五つの依頼の条件にある場所が一致していたから。公都アリマールから西に七百メートルほど進んだ先にあるアルヴァイダ森林。そこに、今回採取すべき薬草と討伐対象のゴブリンがいるのだ。
二つ目は、初期の段階で一気に依頼を達成することで知名度を上げるため。どうやら依頼達成の暁には、別の掲示板『依頼達成リスト』に名前とランク、そして達成日時が載るのだという。アミルにとってそれは好都合だった。知名度を上げれば"乱れ"によって困っている者から直接名指しで依頼をされるかもしれないし、何ならアミル自身が"乱れ"に巻き込まれる可能性だってある。
それに、堂々と本名を公開しているアネラスの存在も大きかった。言い方は悪いが、彼女の存在が知れ渡ることで、"乱れ"を引き起こしている当人をおびき出すことができるかもしれないのだ。正直彼女の気持ちを逆手に取ってしまうようであまり気持ちのいいものではないが、アミルにとって世界の"乱れ"を正すことは現時点における最優先事項だった。
「…………申し訳ありませんわ」
目的地であるアルヴァイダ森林へと向かう途中、ギルドを出てからずっと顔を俯かせていたアネラスが急に謝ってきた。
驚いて振り返ると、しおれたようにこうべを垂れたアネラスの姿が目に入った。
「ど、どうしたの?」
「いえ……私の先ほどの行為が、あまり褒められたものではなかったと思い直しているのですわ……」
アネラスはしぼんだ風船のようにしゅんとしていた。先ほどの行為、とは当然ながらギルドで取った言動のことだろう。でもアミルは、彼女の考えも尊重すべきだと考えていた。もちろん受付の女性が言っていたことは正しいしアミルだってその意見側の人間だ。しかしアネラスの言い分も一理あったのだ。偽名を使うことは、自分を信頼してくれている人に対して失礼だ。彼女はそう言った。迷いなど一切ない、鋭い口調で。
アミルはその考えに少し感心した。アネラス・フォン・レムクルーゼという少女は、普段の言動に反して根ではしっかりと論理的な思考を持っている。今回の件で、そんな彼女の内側が少しだけ見えた気がした。ゆえにアミルは、彼女の意見を尊重したいと考えていた。
「別にそんなことはなかったと思うけど……」
「いえ。国全体を、民全てを見渡さなければいけない立場の私にとっては、あのような自分勝手な態度を取るべきではないのですわ。……って、こんなことをアミルさんにぶつけてもしょうがありませんわよね。ごめんなさい、聞かなかったことにして頂けますか?」
アネラスのそんな頼みに、アミルは少しの怒りを覚えた。アミルには、一国の王女である自分の気持ちなど分からないだろう、暗にそう言われた気がしたのだ。だから少し、語気を強くして言ってしまう。
「なんでそんな、難しくて堅苦しい考えしかできないのさ。将来一国を支えることになるかもしれない王女だからって、今からそんなに自分を責めてたんじゃ……」
「ボ、ボードネスさん……?」
「あ……」
思わず口が走っていたことに気付き、それを隠すように手で押さえた。誰か特定の人物に覚えた怒りなんていつぶりだろうか、そんなことがアミルの脳裏に過ぎる。
「ご、ごめん……。別にレムクルーゼさんを責めたいわけじゃ……」
「大丈夫です。分かっていますわ」
アネラスは柔らかな笑みでそう言ってみせた。そんな顔を向けられてしまっては、まるでアミルが悪いみたいで…………いや、悪いんだけれども。
アミルは久々に感情的になってしまった恥ずかしさから目を背けるようにして、まっすぐ前を見る。
アルヴァイダ森林。森林特有の長閑さと神秘さを兼ね備えた木の軍勢が、すぐ目の前まで来ていた。
◇◆◇
森林の内部はそろそろ夕暮れも近いとあってか、やけにおどろおどろしさが前面に出ていた。外から見れば長閑そうな森だというのに、一度中に入ってみればこれだ。何本も生えた木から伸びる枝や葉のせいで陽の差しは悪く、さらに時刻も相まって視界も悪かった。森へ来るのは明日でも良かったかも知れないとふと頭では考えたが、どうせ今は無一文。まさか年頃の少女を野宿させるわけにはいかない。アミルの使える【召喚魔法】には自分勝手な理由から習得を怠ったせいもあり立派な小屋を生み出す魔法は無かった。
森を歩き始めて少し経った頃、朽ちた木の幹がやけに綺麗な四角形に置かれている場所を見つけた。よく見ると、その中央には焚き火の後があり、さらに目を走らせれば、横たわる木の幹を背もたれ替わりにして眠りこけている三体のゴブリンの姿があった。食後の休憩中なのだろう、焚き火のそばにはイノシシなどの獣の肉が刺さっていたと思われる木の串が四本も散乱していた。
毛など一切ないつるつるとした緑色の皮膚から二本のツノが生えていて、腰にはボロボロの布を巻き、手には棍棒を握り締めている。口の左右端からは小さな牙が見え隠れし、気持ちよさそうに眠るゴブリンの見た目に多少の凶暴さを垣間見えさせる。
ツノの本数で強さが決まっているわけではないが、通常のゴブリンよりも少し強いボスゴブリンは総じてツノが一本だけ生えている。と言っても見分け自体は身体の大きさがまるで違うので一瞬でつく。どうやら目の前のゴブリンたちの中にボスゴブリンは見当たらないようだった。
「あれがゴブリン……ですの?」
アネラスが恐る恐る聞いてくる。ずっと城で生活していた彼女にとって、魔物は縁遠い存在だろう。多少は見たことがあっても、本当に多少だろうと思う。彼女に関しては、最初ウルフと相まみえていたから初めての魔物ではないが、ウルフとゴブリンでは天と地ほどの違いがある。
まず、ウルフは四足歩行の魔物なため動きは素早いが、攻撃方法は牙による噛み付きと前足による引っ掻きだけなので比較的対処がしやすい。
対しゴブリンは二足歩行でウルフより多少動きは鈍いものの、早いことには変わりない。それに、ゴブリンが一番厄介なのは、知性を持っていることだった。罠を仕掛けたり、フェイントを掛けたり、何より増援で自分たちよりワンランク上のボスゴブリンを呼ぶことだってある。
リッセンウィグ大森林でウルフと戦った際、本能のままに行動するはずのウルフが詠唱中のアミルを優先的に狙ってきた。ということは、目の前のゴブリンたちの知性も上昇している可能性がある。一体くらいであれば戦闘初心者のアネラスに少しでも経験値を積ませるためにゴブリンと戦わせたいところだが、この数では少々危ない気もする。魔法で一気に焼き払ってしまった方が早いだろう。
「レムクルーゼさんはここにいて。絶対に物音を立てないように。ゴブリンに気付かれると増援を呼ばれる可能性がある」
「で、でも……!」
アネラスがアミルの服の裾を掴んだ。自分も戦わせてほしい。そう言いたいのだろう。"強くなりたい"という願いを持つ彼女ならば、十分に考えられることだ。彼女の大きな碧眼が陽炎のように揺らめく。
「相手は一体じゃない。戦闘経験の浅いレムクルーゼさんが戦って、もしものことがあったら……」
アミルは別に、アネラスを援護する自信がないわけではない。ただ、戦いというのはいつ何が起こるかわからないのだ。アミルでもカバーしきれないような出来事が起きるかも知れないし、何より、援護のために撃った魔法でアネラスを巻き込む可能性だってある。
そんなことをするくらいなら、ここはアミル一人でゴブリン全員を相手にし、アネラスの経験値はその後で手頃な魔物を見つけて積ませるという方法が一番だ。
しかし、アミルがその提案をしようとした、その時。
「あ!」
今まで眼前のアミルを見ていたアネラスが、何かに気付いたように彼よりも奥に瞳を向かせ、声を上げた。一瞬その声でゴブリンたちに勘付かれたかとも思ったが、どうやら大丈夫なようだ。彼女はそのゴブリンたちの方を見ている。アミルもそちらに目をやった。
「あそこにあるのって、依頼になっている薬草ですわよね……?」
アネラスが見ていた方向。ゴブリンたちが一時的な休息を求めて作った四角形の木のバリケードの角に、十Cほどの山になって積まれている薬草が見えた。
緑色の茎に黄色い丸型の実がいくつも付いている、依頼で採取する予定の薬草で間違いない。
(まさか、ゴブリンたちが持っているなんて……)
ボスゴブリンの一部には、簡単な薬草の使い道なら知っているタイプがいる。しかしそれを通常のゴブリンたちが集めているとなると、やはり知性が上がっている可能性があった。もしボスゴブリンが手下のゴブリンに集めるよう命令したとしても、それはそれでボスゴブリンの知性が上がっている証拠になる。
「……ボードネスさん、やっぱり私にも戦わせてくださいませ。私ならゴブリンたちの気を引きつつ薬草が採取できますわ」
その自信は一体どこから湧いてくるんだ、と問いただしたくもなったが、ゴブリンたちのすぐ近くに採取するべき薬草が置かれていることで話が変わってきた。
ここでアミルが範囲の広い魔法を眠るゴブリンたちに放てば、間違いなく薬草も巻き添えになる。一度大きな音を出した後であまりこの森に長居はしたくないと思っていたので、ゴブリンたちを倒してからまた薬草探しに出るのは些か効率が悪かった。
ならばここでアネラスを前に出し、一瞬でも気を引いて薬草から離れさせてくれれば、その隙に魔法が放てる。
「……分かったよ」
アミルは少し考えたあとで、首を縦に振った。「ありがとうございます!」とアネラスの顔が元気に綻んだ。
「でも一つだけ約束して。絶対に無茶だけはしないこと。あと、一人で倒そうとしないこと。今回の君の役割はあくまでも気を引くことだ。ゴブリンを倒すのは僕がやる」
「しょ、承知しましたわ」
「それじゃあ、僕の合図したタイミングで、バリケードの外から剣で大きな音を鳴らして。ゴブリンたちは一斉に君のことを見ると思うけど、怯えたらダメだ。すぐに僕の方に走ってくるように」
アネラスは以降、こくりとだけ頷いた。それから一旦アミルの下を離れ、ゴブリンたちを誘導できる場所まで足を運ぶ。アミルはそれを確認したのち【雷魔法】ショック・ランスの詠唱を始める。いつでも発動できる状態になってから、ずっとこちらをうかがうアネラスに合図を出した。
「――さぁ、ゴブリンさんたち! お昼寝の時間はおしまいですわよー!」
ガンガンガン、と合図を確認したアネラスは引き抜いた剣と鞘で大きな金属音を奏でた。突然近くで鳴り出した大きな音に、気持ちよく眠っていたゴブリンたちが目を覚ます。素早く音の方を見、アネラスを視界に収めると、寝ている時もずっと握り締めていた棍棒を振り上げて襲いかかる。
「ひぃっ……!」
「レムクルーゼさん! 走って!」
ゴブリン三体が同時に棍棒を振り上げ、眠りを妨げられた怒りから襲いかかってくる姿を目の当たりにし、アネラスはやはりひるんだ。いくら事前に注意したとしても、こればっかりは致し方ない。それを分かっていたため、アミルは大声を張り上げる。この程度の声じゃ、まだ注意はアネラスに注がれたままだ。
アネラスが適当な方向へ一目散に走り出す。それを追いかけるゴブリンたち。無事四角形の木のバリケードから三体のゴブリンが出てきたことを確認したアネラスは、そのまま進路を変えてアミルの方へと突っ走る。
アミルはアネラスに魔法が当たらないよう考慮して、発動準備が完了した魔法の槍をゴブリン一体ずつに放つ。電撃を帯びた槍は見事向かってくるゴブリンの頭部に全て命中し、絶命させた。
「はぁ……っ、はぁ…………はぁ……」
地面に倒れ込み、肩で息をするアネラス。アミルはその横を通り、絶命したゴブリン三体の身体の一部を回収して懐に入れた。
背後で誰かの走り去る音が聞こえた。振り返ると、さっきまで尻餅を付いて息を荒くしていたアネラスの姿がない。また、彼女にはショッキングなものを見せてしまったと後悔した。しかし今回ばかりは依頼なので仕方ない。どうやらアネラスには、魔法や戦闘の他にも魔獣に対する免疫力も鍛えなければならないようだ。
それからすぐにアネラスは戻ってきた。リッセンウィグ大森林でもしたように【水魔法】ウォルで出現させた水で口をゆすがせる。
「申し訳……ありませんわ……」
「いいよ。多分、最初は君くらいの反応が普通だから」
「でも、克服しないと……ダメですわよね……」
アネラスは未だ肩で息をしていた。ゴブリンから逃げることで乱れた息を整えぬまま、身体の内で熱く煮えたぎるものを吐き出すために再び走ったのだから仕方がない。彼女が落ち着くのを待ってから、改めて薬草の回収に向かった。
「すごいな……。ゴブリン三体だけでこんなに集めたんだ」
バリケードの角に集められていた薬草は、依頼されていた分の倍以上はあった。改めて依頼書と比較してみるが、やはりこれで間違いは無いようだった。
「では、これは私が回収してもよろしいでしょうか?」
「うん。いいよ」
この薬草はアネラスが最初に見つけてくれたものだし、彼女に持たせてあげるのは当然だろう。アネラスは律儀にも「ありがとうございます」とアミルに一言お礼を言ってから、薬草を回収するために腰を屈めた。
確認したゴブリンは全て倒した。増援を呼ばれた記憶もなければ気配もない。あとは薬草を回収して、戦闘音に気付いた他の魔獣がやってくる前にここを去るだけだ。
「回収できたみたいだね」
「はい。もうパンパンですわ」
鎧の腰付近を手で叩いて満面の笑みを浮かべるアネラス。
――その背後に、近寄る影があった。
右手に棍棒を振りかぶり、毛の一切生えていない特徴的な頭部をゆるりとこちらに見せびらかしてきたそれは――ゴブリンだった。
「――っ! レムクルーゼさ……ッ!!」
バリケードになっている木の裏に、ゴブリンがまだ一体潜んでいた。
まだいたのかという疑問の前に、身体が動く。しかし魔法は撃てない。アミルは咄嗟の判断で右手で拳を作り、アネラスに襲いかかろうとしているゴブリンの顔面めがけて腕を突き出した。
「うぐっ――!?」
瞬間、右肩に凄まじい激痛が走った。痛みに顔が歪む。【強化魔法】で少しでも身体を強くしておくべきだったと後悔した。
しかしその後悔と同時に、突き出した右拳には確かな感触があった。ゴブリンの顔に生えた尖った鼻をへし折った感触。
アミルはそのまま、右肩の痛みを無視して腕を振り切る。衝撃で肩がどうにかなってしまいそうになるが、そんなことを気にしている場合ではない。すぐさま魔法を発動する。
渾身の右ストレートによって少し吹き飛ばされたゴブリンに、【闇魔法】ブラック・ウォードが炸裂する。得体の知れない漆黒の球体が吹き飛んでいったゴブリンを包み込み、そのまま消滅した。
「はぁ……はぁ……――っ!」
「ボ……ボードネスさんッ!?」
ゴブリンを異空間へと消した瞬間、アミルは痛みに膝をついた。横にかなり焦った様子のアネラスの顔が映る。アミルはそれに「大丈夫」とだけ返して、すぐさま【治癒魔法】ヒールで負傷した右肩を癒す。
「はぁ……ふぅ……」
【治癒魔法】ヒールにより、肩の痛みはすぐに治まった。初級に近い魔法だが、この程度の傷を治すくらいならアミルにも使える。恐らく陥没していたと思われる骨も修正が完了した。大きく深呼吸をして、心を落ち着ける。
「ボードネスさん……その……」
横で今度は心配に身を屈めるアネラスが、何かを言い淀んでいた。しかしアミルはそれを笑みで返し、君のせいじゃない、と表情だけで伝えた。
「僕が確認を怠ったせいだ。……あそこを見て。ほら、ゴブリンたちが食べたと思われる肉の刺さっていた串があるでしょ? 一、二、三、四……四本ある。僕たちが見つけたゴブリンは三体。四本目を食べたゴブリンがいると疑うべきだった。それは僕の役目だ」
「そ、そんなことはありませんわ! そもそも私が薬草を採取した程度で喜んで気を抜いてしまったからであって……!」
「誰だって最初は嬉しいものだよ。それが例え、ゴブリンを倒した後に回収した薬草でもね。でも僕は初めてじゃない。だから、僕が気付くべきで――」
「――ボードネスさんっ!!」
突如アネラスが発した大声に、アミルはびくりとした。
「そんなに自分を責めてはいけません……っ! この森に入る前、ボードネスさんが私に仰ってくれたことでしょう……?」
「それは……」
アネラスの瞳に、涙の膜が張る。それはいつしか一粒の雫となって、彼女の頬を流れ落ちた。
「……ゴブリンが最後潜んでいたのに気付くべきは私です。これはボードネスさんがなんと言おうとも譲りません……!」
涙に震えた彼女の声が鼓膜を揺らす。目の前で泣きじゃくる彼女の姿は、自分を責め続けたアミルが黙るほどの威力だった。
彼女の立派な鎧が、カシャンカシャンと悲しげに音を立てる。
「……ごめん」
そしてアミルが喉から絞り出せたのは、そんな短い謝罪の言葉だけだった。
次話もよろしくお願いします
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