55
文字数:2830字
『どけぇ! 邪魔だおらぁ!』
『捕まえてぇーっ! その人泥棒ですー!』
気品ある人々が歩く街中、明らかにこの場に不釣合いな怒声が響き渡った。
ロイフェーリト帝国、帝都エレシュメルン。国の入口である関所も設置されたこの帝都において、特に犯罪まがいのことは起こらないはずである。
だが、所詮は人。一時の気の迷いや止むにやまれぬ事情で、罰されるに値する行為をしでかす輩は現れてくるものだ。
本来国内で事件が起これば、帝国所属の警備兵団が迅速に対応する。けれど、それには少なからず到着まで時間がかかる。
今回メインストリートから少し外れたところで起きたこの事件は、警備兵団が到着するまでの僅かな時間の間で、偶然アミルたちが出くわしてしまったのである。
「……! ボードネスさんっ、あれ!」
アミルの手を引いてギルドに向かっていたアネラスが、突然足を止めて前方を指さした。
するとそこには、こちらに走って向かってくる人間族の男の姿が見えた。何かやたらと急いでいる様子で、最初は綺麗に着慣らしていたであろう正装も今では乱れに乱れている。
一方向に進む人々の波を掻き分け……いや押し退けながら、猛然と逆走してくる。
その腕には男性が普段持たなさそうなお洒落な小カバンがぶら下げられており、加えてその後ろからは必死の形相で男を追いかける女性の姿があった。
「盗難事件……のようだな」
「! そうじゃ、ここはウチに任せろ!」
「メ、メメちゃん!?」
盗難犯を視界に入れるやいなや、長大な杖を構えてメメが一歩前に出る。
慌てて止めに入ろうとするアネラスをよそにして、少女はくるくると杖を自在に操った。
まるで踊るような身のこなしに、周囲の人々も釘付けになり始める。
「『さぁさぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 捕えるは罪人、いざ呼ぶは太古の憤怒! 稀代の天才魔術師メメちゃんのスーパーでウルトラな魔術をとくとご覧あれ、じゃ!』」
バァン、と地面に杖を突き立てた。杖の先端で円を描いた八つの宝石の内、蒼い宝石に文字の羅列が現れていく。
何かの文様にも見えるそれは、魔術発動における"術式"であった。魔術とは、特定の媒体に魔力による術式を刻み込むことで魔法と同じ効力を実現する手段だ。
発動の度に媒体を必要とするため魔術の使い手はそこまで多くないものの、故にその効力は殆どが絶大。
「『いでよ我が下僕、烈火の地竜』!」
瞬間、白い大理石で造られた道に黄色い紋章が出現する。
街を歩いていた人々は脇に避け、それによってストリートの中腹辺りにぽかんと空白が出来上がった。
空いた空間を埋めるように紋章が光を発する。
そして、まるで地面から這い出るようにして、剛強な竜爪が地上に顔を出した。
『グゴオオオオオオオオオ――――』
前足、頭、首、胴と、順を追って地竜の姿が顕わになっていく。
そのすべてが神に匹敵するほどの圧を散らし、咆哮を轟かせ、世界に向けて産声を上げた。
偉大なる伝記にも記されているような超常的存在が今、メメの魔術によって呼び出されていた。
「な、なんじゃぁぁぁっ!?」
突如として眼前に出現した地竜を前に、盗難犯の男は悲鳴を上げながら足を止めた。
地竜は周囲の建物にギリギリ届かないくらいの両翼を拡げ威嚇し、黄金色に輝く瞳をぎょろりと下ろして口元を僅かに釣り上げる。
効果は覿面だった。
「ひぃぃぃぃっ!」
尻餅を付き、すっかり怯えた様子の男は身体を引き摺るようにして徐々に後退を始める。
腕に吊るしていたカバンもそっちのけ、もはや彼の第一目標は自分の身を守ること。
男の目的は既に『目の前の地竜から逃げ延びる』ということにシフトチェンジをしていた。
「どうじゃ、これがウチのとっておき魔術の一つ、【伝記召喚】じゃ!」
「きゃーっ! 凄いですわー! でももう少しだけ周りの方々のことも考えてあげて欲しいですわーっ!」
地竜の出現により紋章こそ避けるだけだった周囲の人々は、男のように悲鳴を上げながらこの場を逃げ出していく。
アネラスが興奮しながらも的確にツッコミを入れる横で、アミルはメメの使用した魔術について思考を巡らせていた。
「……確かに凄いな。媒体を介するから魔法よりも召喚系を得意とする魔術だけど、こんな高レベルな地竜を呼び出すなんて」
「そんなに凄いのか?」
「うん。僕は魔術を使えるわけじゃないけど……これまで何回も規格外の魔術を見てきた僕が思うんだ、間違いない」
クラネの問いに答えながらも、アミルは休めることなく推論を重ねていく。
魔術が一般的に使い手の枯渇に悩む理由として、媒体が必要不可欠ということの他に、安定しづらいというものがある。
と言うのも魔術は、魔力を通す特殊な物体に術式を刻み込む必要があるために、魔法と比べて発動までの過程が数段階多いのだ。
段階が多いということはすなわち、それだけ発動にも時間が掛かるということである。
加えて術式を刻むのには相当な集中力を必要とし、さらに魔力を流し込むことにも集中力を必要とする魔術は、使用者の精神を大幅に削り取るのだ。
しかし彼の少女は発動までの時間の短さは当然、刻み込む術式の無駄のなさ、そして魔力注入のスムーズさにおいてまで明らかに規格外だった。まるで無尽蔵の集中力を内包しているといっても過言ではないほどに。
【伝記召喚】という名称は彼女独自のものだろう。魔術や魔法は、同じような効力を発揮するものでもその方法や手段の違いで千差万別。工夫次第でいくらでも変化を遂げる。
発動までの時間を短縮したり、威力を高めたり、魔力の消費を抑えたり……だからこそ、今日まで日夜研究がされているのだ。
そんな中でも彼女の魔術はトップレベルのものであると、かつての仲間【心霊体現者】の異名を持つユリファ・アイダナッハの魔術を見てきたアミルはそう確信していた。
「キミにそこまで言わせるとは……彼女、一体何者だ?」
「分からない。彼女の魔力を調べてはみたけど、どうも怪しい要素は見つからなかった。だから……信じられないけど、あの歳まで普通に過ごしてきた普通の女の子なんだと思う」
それでも、メメが自分の魔力に何らかの細工をしている可能性は否めない。
真意を問いただすなら本人に直接口で聞くのが一番だが……アミルにそこまでする理由は無かった。
それに、ただでさえ個人にあまり興味のない彼がそんなことをするのは少しおかしな話だというものだろう。
いずれ謎の少女のすべてを暴いてくれる適任者が現れてくれることを信じ、今は共に行動するだけだ。
「メメちゃん、そろそろそのドラゴンさんを片付けてくださいーっ!? このままでは私たちが捕まってしまいますわー!」
「すまんのじゃアネラス! この地竜は一度呼び出されると格納までしばらくの時間を要してな――」
「ひええええっ、どうすれば――!?」
――そんな騒がしいメインストリートの外れの一角に、通報を受けた国の警備兵団が到着したのは数刻後のことだった。
次話もよろしくお願いします
twitterID:@K_Amayanagi




