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文字数:4639字
「――ボードネスさん、遅いですわよ! ほら急いで!」
「そんなに急がなくても馬車は逃げないよー……」
「ふふ。アネラス、やけに張り切っているな?」
明朝、都市の住民たちが目を覚ますよりも少し前の時間。
まだ陽も登りきらないこの時間帯に、アミルはアネラスに手を引かれながら気怠げなその足を懸命に走らせていた。
走りゆく先にあるのは一台の屋根付き荷馬車。そこには既にクラネが乗っている。
昨晩に行われた会食の後、用事から戻って来たアミルを含めた三人で話し合った結果、ランゼルグから北西に三百七十Kほどのところに位置する『ロイフェーリト帝国』が次の目的地となった。
ロイフェーリトはベルファ皇帝という人物の統制の下、非常に厳格で堅牢な国づくりを目指している国だ。
その特徴は国だけでなく国民にも浸透している。
住む人々はみな高いプライドを持ち、自分に厳しく他人に厳しくが常。故に他国から訪れる旅行客などは総じて『息苦しい国』と評する。
しかしそれは逆に言えば、どんなことに対しても一切手を抜かないということであり、現に帝国の内情はかなり安定していて安全面においてはトップレベルとのこと。
そんな話を歩きながらアネラスに聞かされたアミルは、それを半ば零しながら頭の片隅に置いてクラネの待つ馬車へと乗り込んだ。
「当然ですわ! 世紀の面倒臭がり屋であるボードネスさんが自ら行き先を指定したのです。これはお気が変わらないうちにさっさと動いてしまうというのがベストです」
「ふ、違いない」
「君たちさ、僕に対する態度少し前からキツくなってない? たぶん気のせいなんかじゃないとおも――」
「気のせいですわ。さぁ、ボードネスさんはそちら側に腰をお掛けになってください」
「ハハッ、随分と楽しそうなお客さんたちだ。行き先は帝国だって? あそこは確かに平和だが、びっくりするぐらいお堅い国だ。あんたたちの賑やかさが向こうでも無くならないことを祈るよ」
軽快に笑い飛ばしアミルたちの乗り込んだ荷台に御者台から顔を覗かせたのは、今回この馬車を操るグレラッハという男性だ。
この馬車は昨晩リンザッドが手配してくれたもので、会食後の夜遅くだったにも関わらず手早く手続きを済ませてくれていた。
彼はどうやら式典などの催し物の際によくリンザッドを含めた大公一家を乗せることがあるそうで、個人的な友人でもあるという。
種族はドワーフであり、その種族柄から力には自信があるようで、一人で三頭の馬の手綱を取り安定させる凄い人物だとリンザッドが朗々と語っていたのは記憶に新しい。
グレラッハは向かい合うようにして着席したアミルたちを確認すると、長く輪っか状になった太い手綱を三本まとめて握り締め腕を縦に振った。
「そんじゃ、結構な長旅になるから頑張れよ! もちろん最速で飛ばすが、恐らく二日は掛かるだろう」
「二日……思ったより掛かるんですのね」
「まぁな、一応魔物との遭遇も避けなきゃならねぇし」
「もし遭遇した時は私たちの出番だな」
「ハハッ、そりゃ心強い」
もう一度、今度は大きく腕を振りバシン、といい音が響いて、馬車はゆっくりと動き出した。
◇◆◇
ランゼルグを出て一日が経過しようとしていた。
馬車という乗り物は千年前にも存在し利用する機会も数回あったが、アミルはどうもそれが苦手だった。
その理由は、あまり整備されていない道を通るがゆえ起こる激しい揺れによって乗り物酔いを起こしてしまうからだ。
しかし、今回の馬車はびっくりするほど快適だった。
千年経って流石に国外の道路が綺麗になったということもあるのだが、それ以上にグレラッハの操縦技術が非常に優秀であるのだろう。国のトップをよく乗せるというその腕はやはり伊達ではないらしい。
だからこそ、こんな夜中に何でもなく目が覚めてしまったことは偶然なのだと思う。
そして、彼女が同じく起きていたのもまた、偶然なのだろう。
「――眠れないのか? アミル」
荷台の側面に二つ取り付けられた乗り口から夜空を見上げるクラネが、彼の気配に気付いたのか、そのまま顔をこちらへ向けずに言った。
ドアの様相を呈している両開きの木の板に肩肘を付きながら夜の風景を眺めるそのさまには、普段の毅然とした彼女からは見られない儚さがある。
アミルは気持ちよさそうに寝息を立てるアネラスを視界に入れながら、背もたれに預けていた身体を起こしクラネの横に移動した。
「まさか。こんな静かな馬車で寝られないわけないよ。ただ何となく起きちゃっただけ」
「そうか。なら、私と同じだな」
彼女は未だ顔を動かさない。
夜空には散りばめられた星々が輝いている。今夜は三日月らしい。月と星が織り成すその光景は、どこか幻想的でもあった。
「ねぇ、クラネ。……本当に、良かったの?」
ともに星空を見上げながら、アミルは横の少女に確かめるように問うた。
クラネは昨晩、次の行き先を決める前に、アミルたちに同行する旨を打ち明けた。
彼女は彼女で自分の国であるランゼルグを愛していたように思えたから、話を聞いたときは非常に驚いたものだ。
しかし、彼女なりの同行の理由はあるらしく、それで今回同行の決意をしたらしい。
「まぁ、私がいなくなることでギルドは少しばかり忙しくなるだろうな。だが、あの都市には優秀なギルド加入者がたくさんいる。そこまでの心配はいらないだろう」
「クラネ……」
「それよりも怖いのはエルムのヤツだな。次に帰った時が恐ろしい」
クスクスと肩を揺らす彼女は、『鉄道』に勤務するエルフ族の親友に何も言わず出てきたという。
曰く、「話せば間違いなく止められるから」だそうだ。
一度ではあるが二人のやり取りを見たことがあるアミルにとっても、彼女の親友がそう言うことは容易に想像できた。
が、
「そうじゃなくて。僕は君自身のことを言ってるの」
言葉の真意を敢えてはぐらかされたアミルは少しムッとして語気を強める。
そんな彼に、クラネはようやく顔を向けた。彼女にしては珍しい、少し驚いたような顔。
しかしすぐその表情を引っ込めると、柔らかい、それでいてどこか寂しそうな笑みを落とし、どこまでも続きそうな平原と夜空を再び眺め始めた。
「――少し、昔の話をしていいか?」
横顔に憂いを残した少女の問いに、アミルは内心で膨れ上がっていた怒りを忘れ、首を縦に振ることしかできなかった。
「私には昔、五つ上の兄がいたんだ」
現在彼女の年齢は十七。そこから五つ上ということは、兄の年齢は二十二となる。
クラネに兄弟がいたなんていう話は初耳だったので少しだけ驚いた。
「え……でも、いたって……」
「ああ。今から三年前、兄は私の前を去った。……祖父が死ぬ、二年ほど前だな」
事件が解決に向かった後、彼女の事情は彼女本人の口から聞いていた。
クラネがガーフという騎士団長の孫であるということ。ガーフは祖父でありながら同時に剣の師でもあり、早くに両親を亡くしたクラネの親代わりでもあったと。
そんなかけがえのない家族が、今回の事件にも関わっていた銀煌の首領シグナイトに殺されたということも。
「兄は私と同じで祖父から剣の教えを受けていた。だが、兄には剣士として生きるための大切なものが欠如していた。それを見抜いた祖父は、兄に剣の道から外れるようにと言った」
それはもはや破門だった。それなりに剣を触り、剣を好きになっていた彼にとって、突然言い渡される破門の言葉は深く心を抉った。
加えて、剣の鍛錬だけで言えばクラネよりも熱心に打ち込んでいたという。彼女が以前夜に剣の素振りをしていたのは、兄が日課にしていたものだそうだ。
だからこそ、師であるガーフの言葉はより彼に刺さった。もうすぐ二十になるクラネの兄は、祖父の影響もあって、騎士になることを夢見ていた。
けれど、そんな彼の夢は打ち砕かれた。他でもない、目指すべき頂点に。
「でも……剣の道って、そこまで険しいものなの?」
アミルは素直な疑問を抱いた。
そこまで熱心になっていたのならば、何も諦めさせることはなかったんじゃないかと。
もしかすればその『剣士として生きるための大切なもの』を途中で見つけられたかも知れないし、そうじゃなくとも、本当に無理なら自分で気付くだろう。
それに、ランゼルグだけでも騎士として勤める人は数千にも及んでいて、さらにそこへギルドの加入者も加わる。そんな数の人々全員がガーフの言う『剣士として生きるための大切なもの』を持っているとは限らない。
しかしクラネは首を縦に振った。
「私は決して兄に剣のセンスが無いと思っているわけじゃない。むしろそこいらの一般騎士よりは遥かに技量を持っているだろう。けれど、たぶん、決意が足りなかったんだ」
「決意……?」
「ああ。……騎士になろうとすれば、少なからず身内の煽りは受ける」
ガーフが懸念したのは、彼の"心の弱さ"だった。
そもそもクラネの兄が剣を始めたのはいじめられっ子だったからであり、自分をいじめたやつらを見返そうと祖父に剣の教えを乞うたのだという。
結果として彼は剣の腕は上達したが、肝心の心は強くならなかった。
いや、強くならなかった、というのは些か語弊がある。
彼の心は確かに強くなった。今まで自分を馬鹿にしてきた者らを見返せるほどには。
けれど、それだけじゃ足りないのだ。
歴代最強の騎士団長であるガーフ・アイセンスの孫が騎士学校、及び騎士団に入ったとなれば、それなりの羨望の眼差しと同時に、嫉妬の眼差しも向けられる。
とくにそれは、騎士団に入団してからより顕著になる。ただでさえ学校で競い合いをして入団したというのに、入団後はそこから騎士団長という座に上り詰める殺伐とした競争が始まるからだ。
ガーフの時もそれはあった。熾烈極まりない嫌がらせや、常に理不尽な決闘。時には自尊心を穢されるようなこともされたという。
しかし彼の場合はそのすべてを真っ向から打ちのめした。それをするだけの才能と実力を兼ね備えていたのだ。けれど、クラネの兄は違った。いくら何でもそこまでの才能は持ち合わせていなかった。
加えて、"ガーフの孫"という肩書きが付いて回る。
自分の名前で苦しむ孫の姿を見たくなかったのだろう。血の繋がった可愛い弟子に辛い思いをさせたくなかったのだろう。
だからガーフは、クラネの兄に破門を言い渡した。
「そんなことが……」
「本当はもうずっと誰にも話すつもりはなかったんだがな。キミたちと色んな国を回れば、いつしか会えるんじゃないかと思って……」
「ってことは、クラネの旅の理由は、お兄さんを探すこと?」
「そうだ」
クラネは力強く頷く。
「私はあの人が死んだとは思いたくない。いや、間違いなくどこかで生きている。探し出して、今何をしているのかを知りたいんだ」
それが、クラネの旅の理由だった。
兄に関する情報は、まるでもみ消されてしまったかのように何も残っていないそうだが、それでもアミルは、心のどこかで彼女が無事兄と会えるんじゃないかと感じていた。
それは単なる憶測でしかないが、彼女はその不確かなものを確かなものに変えようと今こうして行動している。
『努力は裏切らない。頑張っただけ嬉しいことがある』
アミルはいつしか誰かに言ったその言葉を頭に思い浮かべた。
「大丈夫だよ、きっとお兄さんは見つかる」
「ふふっ、キミは優しいな」
それから二人でもう一度、夜の更けた黒天を見上げる。
世界を繋ぐ夜空には、満点の星々がまるでどこまでも続く道のように流れていた。
どうも、天柳啓介です。
今回この第52話をもって『一章 英雄の目覚め』は完結となります。
如何でしたでしょうか?一章ではメインキャラの一人であるクラネ・アイセンスという人物に焦点を当てつつ、ランゼルグで巻き起こる事件の解決までをご覧頂きました。
まだ主人公格である二人の話にはそこまで触れておりません。ですが物語が進むにつれ、それは徐々に明かされていくことでしょう。
さて、次回更新からは二章の幕開けとなります。
濃い新キャラの登場や新しい舞台での様々な出来事、そして、アミルたちの活躍で指向性が見え始めた謎の組織等々……。
彼らの物語はまだ始まったばかりです。これから先本当にいろんなことが待ち受けていますが、どうか末永くご愛読頂ければ幸いです。
ではまた、次話更新でお会いしましょう。
TwitterID:@K_Amayanagi




