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文字数:2600字
暗闇の奥から、音の正体はとうとう姿を現した。
男性だ。土色の色種を持つ地下牢の風景に相反するかのように、その衣服はやりすぎなほど煌びやか。
しかして"高貴"という言葉が決して似合うわけではなく、言ってしまえば衣服に着られているという印象をこちらに持たせた。
行き過ぎてもはや下品の域に到達しそうな服装が護るのは、ふてぶてしく、そして怠惰という言葉がその腹部に詰まったような、惨めな体型。
筋肉という筋肉はその身体つきから感じられず、余計な脂肪ばかりがまとわりつき、何とも動きにくそうである。
ただ――その瞳だけは、野心に溢れていた。獰猛な狂獣の如き赤眼をたたえたその顔は、力なく肩に担がれた見知らぬ人物に向けられていた。
「……っ!? リンザッド……大公様……っ!?」
担がれたその人物を見た瞬間、今度はクラネの瞳がぐわっと見開かれる。気絶している様子の肩の人物を凝視し、まるで信じられないというような眼差しを向けている。
よく見れば、彼女の傍らにいたアネラスも、彼の人物を驚愕の表情で視界に捉えていた。
「だ、誰だ! どうやってここの場所が……、いや、それに何故女が目を覚まして……っ!」
「嫌だ……来ないで、来ないでぇッ!!」
女性の張り裂けんばかりの悲鳴が洞窟内にこだまする。その場に蹲り、怯えた子犬のように肩をわなわなと震わせる。目と耳を塞ぎ、自らを外界と断する。
現れた男性はアミルたちの存在と女性が起きていたことに驚きを隠せないらしく、傲慢に進めていたその歩みをピタリと止めた。
「――貴方が、"ジオネイル・コーシュさん"ですわね」
「……誰だ、てめぇは」
一歩前に出たアネラスに、男性――ジオネイルは不愉快そうに顔に皺を集めた。
「私は、ルレリック王国の第一王女、アネラス・フォン・レムクルーゼと申します。ジオネイルさん、貴方とお話がしたい」
「王女だぁ……? くく、くはははははっ!」
アネラスの自己紹介を聞いたジオネイルは……突然、壊れたかのように高笑いを始めた。
耳を劈く男の高声。粘りつくような厭悪の情を伴わせるその笑い方に、自然と眉がひそまる。
肩を揺らし、頭も垂らしひとしきり笑ったあと、ジオネイルは黒ずんだ金色の瞳をかっと開いて顔を上げた。
「戯言も大概にしろ、お前みてぇな小娘が第一王女? そんなハッタリ、誰が信じると思ってんだ!」
「貴様……!」
「大丈夫ですわ」
未だ嘲笑を隠さない男に業を煮やしたクラネが前に出ようとするが、アネラスはそれを手で制した。
そして、ジオネイルの姿をしかと捉え、芯の通った声で言う。
「貴方が私の言葉を信用できないのは当然のことかと思いますわ。小娘、というのも非常に的を射ています。その通り、私は未熟者です。ですが、故に貴方とお話がしたい」
「……」
男はさらに面を歪めた。苛立ちも最高潮に達していることだろう。理由は分からないが、どうやら男は急いているようだった。
「……何故、貴方はこのような酷いことを企んだのです。この国は、まがりなりにも栄えている国でしょう? 職ならあまりあるはずです。もし自らに突出した才能が無いとお考えならば、ギルドで細かな仕事を受ければ最低限の生活はできるはず……」
アネラスは、まるで男を諭すように言葉を並べていく。本来ならこんな言い方をすれば、いくら慎重に言葉選びをしているとはいえ、相手に反論の余地を与えてしまいかねない。
……だが、不思議なことに、ジオネイルは黙ったままだった。
ただ苦い顔をし、アネラスの顔を見続けている。彼女の表情は、アミルたちからは分からない。一歩前に出ているから、こちらからはその背中しか伺えない。
でも。背中だけでも、彼女が、アネラスが、目の前の男に負けていないということだけは、分かった。
むしろ圧している。男の苦渋な顔がそれを示していた。
「……俺は…………」
男が、口を開いた。我慢できず、といった感じか、あるいは自分の意志か。
どちらかは定かでないが、ジオネイルは間違いなく、反論を始める。
「俺は、俺のために行動を起こした。働きたかった訳でも、働きたくなかった訳でもねぇ。ただ、"やりたくなったからやった"。そして、行動を起こすためのコネクションも運良く手に入れた。それだけだ」
「……っ、そんな、理由で……!」
こうしてエルフ族を連れ去った。『ジオネイル換金社』という大きな事業を立ち上げたにも関わらず、敢えてこの道を選んだ。
何とも究極的な自分勝手さだろうか。自分の私利私欲を満たすためだけに、手段を選ばず他人を扱う。
もしかすると、彼は、誰かに洗脳されてこんなことに手を染めてしまっているのかもしれない。
最初は、ただ単に『ジオネイル換金社』という企業を立ち上げたかった。けれどその過程で、道を外してしまった。
企業の立ち上げは成功していたように思える。あそこで働く人々は、それなりに活気に満ちていた。商売を楽しんでいた。
……でも、そのトップが道を外した。それはもう、戻れない領域まで。
彼は裁かれるべきだ。法の下で、犯した罪を償わさせるべき存在にまで成り下がった。
後戻りは出来ない。それは彼だって理解しているだろう。
「……話は終わりだ。そこを退け」
「お断りします。貴方をここで逃すわけにはいかない」
アネラスは強く、強く言葉を発する。いつもの彼女じゃない、まるで別人格のようなアネラスが、そこにはいた。
ジオネイルは、にぃ、と口角を釣り上げる。
「なら……、コイツを呼んだら、どうなる?」
「え――」
コツ、コツ、と奥からもう一つの足音がこだまする。
だがそれは男のような乱暴な足取りではなく、まるで女性のような、優雅で静かな足取り。
最初は足元が。次いで腰、腹部、胸……そして最後に顔が光に晒された時、目を疑った。
「――――」
見紛うはずもない。これまで二度もその目で見ているのだから。
妖艶な雰囲気を辺りに撒き散らし、高位な魔力を秘めさせたその身を覆うのは、装飾のない綺麗な紫のローブ。
そして、金箔を降らせたような、美しくも威厳ある金髪。
腰まで流れたそれは、彼女を彼女たらしめるに十分だ。
「そんな……どうして…………」
「くく……さぞかし驚いただろう? さぁ、お前ら如きに、コイツが倒せるか?」
まるで男の下僕のように暗闇から姿を現したのは――魔法師レスティ、その人だった。
次話もよろしくお願いします
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