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混沌世界の面倒臭がり調律師  作者: 天柳啓介
一章 英雄の目覚め
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文字数:2459字

「はぁッ!!」


 低空。上体を極限まで地面と水平にし、空気抵抗を大きく失くす。

 その姿はもはや弾丸のようで、鍛えられた足腰から繰り出される疾駆は風を切り刻む。


『グルゥッ!』


 シグナイトは突っ込んできたクラネを両手の爪で迎え撃つ。

 左右から挟み撃ちにしてくるように襲い掛かってきた狼爪は、当たれば勿論ひとたまりもない。

 過去にいくつの命を奪ったとも知れない死爪。歴代最強と謳われた公国騎士団長だったガーフをも陥れた凶爪。

 クラネは、寸前で上に跳躍した。


「ふっ!」


 短く息を吐きながら、丸太のような腕に着地。間髪入れずに身体を一回転させる。

 遠心力を伴った回転切りはシグナイトの首を正確に狙う。


『グルッッ!!』


 さすがは獣の反応速度といったところか。

 回転切りが首筋に届くまで一秒とも無かったにも関わらず、シグナイトは向けられた銀閃から、腕はそのままに首と肩だけを縮めて回避に成功した。

 手応えのない剣が虚空を襲う。


「あぁっ!」


 しかしクラネは止まらない。

 空振りに終わった一撃から、その速度を生かした回転蹴りを繰り出す。

 これにはいくら超反応のウェアウルフとは言え、即座に反応できなかったようで。

 クラネの蹴りを縮めた顔面に受けたシグナイトは、大きく後方に仰け反った。


「せっ!」


 仰け反った隙をクラネは見過ごさない。よろめいた反動で足場としていた腕から離脱した彼女は、草原に降りて体勢を簡単に整えた後、鋭い刺突を放った。

 シグナイトは今や、生物の弱点でもある腹部を曝け出している。強靭な筋肉に遮られてはいるが、腹部に高速の突きを喰らえばタダでは済まない。

 しかし、クラネの剣は硬い感触を掌に返した。


『グルルルル……』


 両手先から伸びた爪を隙間なくくっつけ、クラネの流れるような刺突を綺麗に受け止めていた。

 その様子はまさに鎧そのもの。ウェアウルフ特有の灰色の爪がより金属感を出している。

 鋼鉄のように硬い爪によって防いだシグナイトは、理性を保っていないはずなのに、不敵な笑みのようなものを浮かべた。


(楽しんでいる……のか?)


 彼は恐らく、ジオネイル換金社の誰かか、もしくはその後ろに構える組織によって、【精神魔法】で操られていると見える。

 ただでさえ高度な魔法だが、掛けた者の技量も計り知れないと、魔法をかじっているクラネは何となく察しを付かせることが出来ていた。

 しかし、そんな強力な魔法をもってしても、シグナイトの核に根付く強い『戦』の心までは操ることが出来なかったようだ。

 彼もまた、角度は違えど、戦いの道に身を投じた者。少なからず、クラネとのこの戦いに、高揚を抱いている。


「ふっ……」


 クラネの顔にも、自然と笑みが浮かぶ。

 時の流れもどこかに追いやって、ずっとこの戦いを続けていたい。

 斬り、返され、狩られ、返し……。まるでこの応酬で二人は語り合っているようでもあった。

 戦いを通して得られる想い。同じ時を共有するということが、こんなにも気持ちいいなんて。

 鳴り響く剣戟の音が、はるか青空に吸い込まれていく。


「せぁっ!」

『グルッ!』


 同時に得物を突き出す。互いに擦れ合い、顔が間近に迫る。

 操られているはずのシグナイトの顔には、純粋に戦いを楽しむウェアウルフの表情が映っていた。


「ふぅっ……」


 しかし、戦いというものには、必ず決着が付き纏う。

 ガーフがシグナイトとの決闘に敗れ、命を落としたように。

 戦いの道は、ひどく険しい。

 だからこそ、格別の高揚感を得ることが出来る。


『グルゥ……』


 シグナイトもまた、それを分かっていた。

 この戦いが、もう終幕に向かっているということを。


 互いに構えを取る。

 二人は何も語らない。話さない。

 すべては、戦いが決めてくれる。

 だから、これから起こることに全力を注ぐのだ。


「あああああああああああああッ!!!」

『グルオアアアアアアアアアアッ!!!』


 瞬時に縮まる距離。

 暴風を伴った二つの突進は草原を蹴散らし、空気を渦巻かせる。


 シグナイトが、一撃。

 五指より伸びる狼爪が急襲し、クラネの眼前へと向かい来る。


 対し、クラネも腰から一閃。

 迫り来た五本の剛爪に、その刀身を滑らせる。



 ――決着は。



『グルヴゥッ!』


 貰った、と言わんばかりにシグナイトの目が歓喜に見開かれる。口角を獰猛に釣り上げ、自身の腕の先をしかと確認する。

 右腕より繰り出した彼の爪は、しっかりと迎え撃とうとしたクラネの剣閃を受け止めていた。

 そして、爪は、もう五本(・・・・)ある。

 空いていた左腕を大きく振りかぶり、少女の息の根を止めに掛かった。



 ――しかし。



「甘い」

『グヴッ!?』


 ザンッ、と何かが"斬れる"音。

 次いで、ボトッ、と何かが"落ちる"音。

 二つの不明な音が、二人の間に投下された。


『グヴゥ……アァッ……!?』


 ボタボタ、と滴り落ちる赤い液体。

 新緑の絨毯を濡らすそれは、紛れもなく()だった。

 先の無くなったシグナイトの左腕から、とめどなく溢れ続けている。


『グヴ……ッ!?』


 シグナイトは瞳目した。

 片方の爪の攻撃を受け止めた彼女にもう剣は残されていないはずだったのに――――彼女の手には、しっかりと、本物の剣(・・・・)が握り締められている。

 その傍らには、身に五つの切り裂かれた後を残した、模擬剣が転がっていた。


「ふふ――まさかこんな形で役立つとはな」


 クラネが拾い上げたその剣は、木で作られた、特訓時に使うような剣。

 いつぞやの――ドワーフの女性から受け取った物。

 アネラスとの剣の修練で使用した、あの模擬剣だった。

 彼女はこの剣でシグナイトの最初の一撃をいなしてみせ、勝利を確信した彼のもう一撃に対して、本物の剣を閃かせたのだ。

 跪き、切断された腕を押さえながらこちらを見上げるシグナイトに、クラネは、剣の先をゆっくりとした動作で突き出して言う。


「……私は、お前という"壁"を乗り越えて、次の高みへと行く。復讐の時間は終わりだ。だから、」


 そこで一旦言葉を区切ると、地面に膝をつける姿勢のシグナイトの瞳を覗き込む。


「またいつか、剣を交わそう(かたりあおう)


 シグナイトの身体を速風が通り過ぎ、彼女は"壁"を越えてみせた。

次話もよろしくお願いします


twitterID:@K_Amayanagi

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