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混沌世界の面倒臭がり調律師  作者: 天柳啓介
一章 英雄の目覚め
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文字数:2405字

「――いいぞアネラス、その調子だ!」

「は、はいっ!」


 東から昇った太陽が徐々に西に傾き始めてくる昼過ぎ。アリマール北部に位置する一軒の宿屋の裏で、剣と剣が打ち合わされる剣戟……ならぬ、木と木が打ち合わされる木戟(もくげき)が繰り広げられていた。

 カン、カン、と片手剣を模した木材が二つぶつかり合う。片方は向かい来る一撃をまるで見定めるように受け流し、もう片方は決して完璧とまではいかないが剣を持ってから数週間にしては十分な太刀筋で攻め立てる。

 二本の木剣――クラネとアネラスが放つ甲高く乾いた音は、宿屋の壁を越えて北部の一角に響き渡っていた。


「二人ともぉ、そろそろお昼食べに行こうよー」


 クラネとアネラスの試合の様子を魔法で呼び出した机に突っ伏しながら観戦していたアミルは、気だるそうに昼食を懇願した。

 試合は早朝から始まって現在まで、およそ八時間にものぼろうとしている。いつもは怠惰な性格で他人よりも常に面倒臭がりな彼の発言も、今回ばかりは的を射ていると言ってもいいのかもしれない。


「言われてみれば、私たち、お昼を取っていませんでしたわね」

「そう言えばそうだな」


 木製の剣を模した武器で試合をしていた二人は、一旦その手を休め、アミルの声に耳を傾けた。

 それから使っていた剣を特注の鞘に仕舞い込み、机に突っ伏す少年のもとへ足を運ぶ。


「……二人とも、何時間やれば気が済むのさ」

「ふっ、思ったよりも()()が目覚ましいようでな」


 アミルはジトッとした眼で二人を睨む。

 するとクラネはアミルの心中を悟ってか悟らずか、その灰色の瞳を横に居るアネラスに流した。


「い、いえっ、私はそんな」

「謙遜するな。自分の成長に自信を持つのも、剣士としては大事なことだ」


 今までも何度も師匠(クラネ)から剣の指南を受け、さらにはクラネの実際の敵に対する剣捌きをその目に焼き付けてきている。

 アネラスの剣の成長は目覚ましいと、クラネは胸を張るように言っていた。

 真面目で努力家な彼女だからこそ、それが出来るのかもしれない。

 ――と思ってはみたものの、自分の今の気持ちを精一杯込めた眼差しを華麗にシカトされ、これ以上の問い詰めは無駄だと判断した。


「それにしても、宿の人だってこんなに長い間やるとは思っていなかっただろうね……」


 アミルは背後の建物を見上げる。

 彼らが宿泊したこの宿屋は、普通なら多大な迷惑が掛かると思われる早朝からの剣の修練にも快く同意してくれていた。

 と言うのもこの宿、ランゼルグでは珍しいドワーフ同士で結婚した女性の方がオーナーをしているのだが、その夫がどうやらこの近くで武器屋を営んでいるらしい。

 夫婦は結婚する前はともにギルドの加入者で、ギルドの依頼を通して知り合い、今に至るそうだ。そのせいもあってか、"戦い"というものに造詣が深かったりする。それ故、一般の客も勿論歓迎するが、アミルたちのようなギルド加入者(どうぎょうしゃ)には個人的に手厚く歓迎をしているようだった。

 ちなみにクラネとアネラスが使っていた木製の模擬剣と専用の鞘も、実はこの宿から借りている物だったりする。


「しかし、それでも何も言われなかったんだろう? 私たちは随分といい人物に出会えたようだ」

「そうですわ。昨日のうちから話をさせていただいたとは言え、あんな朝早くから美味しい食事まで用意してくださって。『特訓、頑張るんだよ』と言ってくれたオーナーさんのお顔が今でも鮮明に思い出せますわ」

「何も言われなかったからいいってものでもないと思うけど……」


 腕を組みうんうんと頷くクラネと不純物なんて一切混ざっていないような煌めかしい瞳をたたえるアネラスを前に、アミルは面倒臭くなってこれ以上言葉を重ねるのを止めた。

 アミルたちはその後、オーナーのドワーフの女性にお礼の言葉を渡し、一旦外に出た。

 模擬剣に関しては、「あんたたちがまた来てくれるように、その剣はしばらく預けておくよ。好きに使いな」と言い、そのまま持ってくることになった。何とも商売上手である。


「ボードネスさん……そんなにお腹が空いたんですの?」

「もう一歩も歩きたくない」

「それはいつものことだろう」


 クラネに軽く突っ込みを入れられて、アミルは横目で彼女を睨む。


「それじゃあ君たちは、あれだけ身体を動かしてお腹が減ってないっていうの」

「空いてませんわ」

「減ってないな」

「お、おかしい……」


 アミルは頭を抱えて呻いた。

 おかしい。彼女たちは八時間もの間、ほとんど休憩無しで剣を打ち合っていたはずだ。

 最初こそクラネが口でアネラスへの指導を行っていたが、教えるのがもどかしくなってクラネ自らが相手立ったのはそう時間も経っていない頃のことだったと記憶している。

 二人は何か、生き物としての大切なものを失ってしまっているんじゃないだろうか……。


「まあ、私たちが空腹感を味わっていないのは、単に修練による高揚感が原因だろう。脳が空腹信号を出していなくても、身体自体は栄養を欲しがっているはずだ」

「……うぅ、確かに、終わってから少しずつお腹が空いてきたように感じますわ……」


 アネラスが腹部を押さえながら眉間に皺を寄せる。

 どうやら大切なものは失くしてしまってないようだった。


「それよりも、今の私たちが(・・・・・・)昼食を取るなら、ぴったりの場所がこの近くにあるぞ」


 少々脱線してしまった話をクラネが元に戻す。

 彼女によれば、この北部には『アリマールいち』と言っても過言でない料理人が開く人気料理店があるそうだ。

 朝昼夜と、一日に三回平等に訪れる空腹の時間ならば予約しないと入れないそうなのだが、昼と夕方の境にある今の時間帯なら、もしかすれば席を取れるかも知れないとのこと。

 空腹は最高の調味料とも言う。アミルはクラネの言葉に心を躍らせた。


「でも、結構お値段が張るのではないですの?」


 と言うアネラスの懸念も尤もだったが、クラネはそれを制するようにピンと人差し指を立てて顔を近づけ、声を潜める。


「実はな、その店は――――」


 そして彼女の口から零れ出たのは、"料理店"とはかけ離れたような店の実態だった。

次話もよろしくお願いします。


TwitterID:@K_Amayanagi

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