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文字数:3104字
「――クラネ! クラネ・アイセンス!」
アミルは、少し強めに出した自身の声に、"魔力を乗せた"。
心を落ち着ける波長を持った魔力が、少女の身体で暴れ狂う魔力とかち合う。……いや、溶け合う。
魔力が魔力を包み込んでいく。
「……ッッ!?」
感情に支配されていたクラネの足取りが、アミルの声に無理やり引き止められた。
直立したままそれでも顔はまだこちらを向かない。だからアミルは、再び声に魔力を乗せて言う。
「君がどんな過去を背負ってるかは分からないし、聞くつもりもない。その狼男とどんな関係なのか何てもっと興味ない。だから、君が復讐に身を染めようが、怒りに心を狂わせようが自由だ。……でもね」
「……っ!」
クラネの魔力が段々と元の色を取り戻していく。
「今の目的だけは、忘れて欲しくないな」
「……!!!」
暴れ、理性を失っていた彼女の中に僅かに残った心へと語りかける。
アミルにはこんな言い方しかできない。もっとふさわしい言い方や優しい方だってあるだろうに、言葉を選べないのはアミルの根底にある怠惰な性格が理由か。
時間がないから、と言い訳もできる。そもそもアミルは他人を諭すことが出来るような崇高な人間ではないと抗弁もできる。
実際に事件は恐らく終盤に向かっているだろうし、アミルの性格は他人に自慢できるほど素晴らしいものとはまるで正反対の位置に住処を築いている。
だからアミルは得意の魔法を使って、少女の感情を塞いでいた蓋をこじ開けるまでしか出来ない。その権利しかない。
そこから手を伸ばすのは、ひたすらに真っ直ぐで愚直で、呆れてしまうほどに素直な、もっといい桃髪の少女が担ってくれる。
「わ、たしは……」
クラネの喉が、久方ぶりに言葉を紡いだ。永きに渡って誰とも話さずいた者が出したような、掠れた声音。草原に落とされたそれは、草木の奏でる葉擦れ音にかき消されてしまう。
その時。
「クラネさんッ!!」
まるでかき消されかけた声を掬い上げるかのように、強く、真の通った少女の声が空気をを震わした。
両手で拳を作り身体の脇でぴんっと腕を伸ばした少女は、目尻に涙を溜めんばかりの勢いでクラネに言葉をぶつける。
「私にも、クラネさんの過去のことは分かりません……! それにボードネスさんはどうせ、面倒臭いから過去のことは聞き出そうとしないんだと思います!」
頑張って隠しに隠していた本当の心を呆気なく見透かされさらに報告までされたことにアミルは一瞬目を見開くが、アネラスは当然そのことに気が付くことなく――いや、むしろ敢えて無視しているのか――矢継ぎ早に言葉を並べていく。
「でも! それでもっ!! 私なんかでよければ、いくらだって相談に乗りますわ! 朝から晩まで、その先の明け方になっても! いつまでだって耳を傾けて差し上げますわ! だから……どうか……っ」
「そんなに悲しい顔をしないで」僅かその言葉だけがつっかえる。息継ぎなんてしていないだろう彼女の肺は空気を渇望していた。それでも思いを伝えたいという彼女自身の本音が、無理にでも喉をこじ開けようとしてうまく喋れないでいる。
歩みを既に止めたクラネは、背中こそこちらに向けているが、その意識自体は、自分の事を大事に思ってくれている少女をしかと感じていた。
固く狭まっていた肩から力が抜ける。暗化し始めていた視界がくっきりと鮮明になる。いつしかどこかに置き去りにしてしまっていた自分という存在を、再び思い出す。
小さく、呟きが落ちる。
「……ありがとう」
それは、誰にも聞こえていなかった。届いていなかった。しかし彼女はもとよりその言葉を伝える気などなかった。自分の胸にしっかりと刻み込んで、伝えてしまえば、それが相手に対して安易な助けを求めることになるのだと分かっていたから。
少女の優しさに心が震える。でも、自分が今対峙している名も知らない祖父の敵からは逃げられない。逃げたくない。それが、クラネの本心だった。
誰にも譲れない、過去との決別。
狂気に満ちたその心は今や清々しく晴れ、落ち着きを取り戻していた。
止めていた足を動かす。
「クラネさ――っ」
「レムクルーゼさん」
すぐ横まで来ていたアミルが今にも飛び出しそうな体勢だったアネラスの肩を掴む。
振り向き悔しさに顔を滲ませていた彼女だったが、次第、少年の瞳を見て落ち着くことに決めた。
そして少年の瞳は――遥か上空に注がれていた。
「……君ほどの魔の使い手なら、少しは遠慮すると思っていたんだけどね」
「え……?」
アネラスが疑問に声を上げるのと、歩み出したクラネが何かに気付いた様子で静止するのはほぼ同時だった。
『――やはり、バレてしまいましたか』
天空から降ったのは先ほど仲間を連れて消えていったはずの、抑揚無き少女の声音。無機質な中にも色はある。ただそれは、魔法によって完全に消したはずの気配を看破されていたことに対しての驚愕ではなく、イタズラがバレてしまった時の大人のような茶目っ気だった。
声だけでは恐らく少女であろうと予想される声の主は、姿を完璧に空気に溶けさせ、世界と一体化していた。
「……どういうつもりだ」
クラネが低い声を上げる。彼女も盗み見の犯人を暴き出すに至っていた。
『どういうつもりも何も、貴方たちの言動を見定めていたんですよ』
「見定める……ですの?」
『はい。その結果、どうやら面白いものが見れたような気がします。……人と人、生き物と生き物同士のいざこざ、因縁、怨嗟。非常にくだらない』
感情の感じられないその声は確かに、言葉の最後に強い侮蔑を孕ませていた。
『失礼。貴方だけは、こちら側の人間のようですね』
「……」
ほぼ名指しで意識を向けられた少年はただ黙する。蒼穹を睨みつけるように仰ぎ、何も語らない。少女の言葉が、心底癇に触ったとでも言うように。
アミルの周囲で、黒の粒子が弾け飛んだ。
視界に入れていた空の一部に大きく禍々しい黒穴が穿たれる。
『そんなことをしても無駄だと、貴方ともあろう人間なら分かっているのでしょう。私の本体はここには――』
「消えてくれないかな」
遮るように、再び光の粒がぶつかり合う。今度は空が燃えた。
爆炎が空気を焦がし、蛇のようにその身をうねらせる。
『そんなに同じにされるのが嫌ですか。……なら貴方は、私たちとは違う方法でこの世界を是正するつもりですか?』
「そのつもりだよ」
言葉遣いは優しげに、しかし起こしている事はまさに悪魔。
十六歳の少年というキャパシティに本来なら合っていない量の魔力が惜しみなく天空に舞い、炎獄と死穴に加えて凍吹と雷霆が青空を彩っていた。
罪のない空は悲鳴を上げることもなく、半ばとばっちりな冷狂な魔法師の一撃一撃を受け続けている。
爆音が世界に轟いていく中、少女の声が鮮明に響く。
『まあ、いいでしょう。それなら見せてもらいたいものですね。貴方のやり方というものを』
『私たちはこれから最後の仕上げに入ります。もしそれを邪魔するのであれば、国と接触を試みるのが一番ですよ』
息もつかぜず言葉を口にしていった少女は、それから動きを止めた狼男を回収するようにして、今度こそ完全に世界から存在を消した。
次話もよろしくお願いします。
TwitterID:@K_Amayanagi




