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文字数:7230字
刻は正午。地上を照りつける太陽が真上に昇る時刻。
ランゼルグ大公国の中心都市、公都アリマールの西部に位置する古い商店が軒を連ねるこのスペース。
技術の進歩で多く立ち並ぶことになった高階層の建造物が影になり日当たりも悪く、この辺りにわざわざ店を建てようなんていう奇特な者はいまさら滅多にいない。
そんなスペースに一軒、比較的新しめな店舗が目に入る。
それが、雑貨屋コルボだ。
外観が他の古い店舗と比べて少しばかり綺麗なだけで、客を引こうとか、目立とうとかいう商売に対する心意気はその外観からは感じられない。
まったく手の施されていない木造の店内は、取り付けられた窓ガラスの奥に暗闇を保有していた。人の気はまったくと言っていいほど無く、この西部に身を置く者に訪ねてみても、いつこの雑貨屋コルボが建てられたのかすら定かでないそうだ。
それだけ周囲の人々に感知されなかった雑貨屋は、入口のドアに掛けられた『COLBO』という店名の記された看板だけが虚しく店を守っているようだった。
「西部は基本的にギルドへ依頼する者が少なくてな、あまり目立ちたくないような者たちが住まうことで有名なんだ」
そう言っていたクラネの通り、彼女でも雑貨屋コルボのことについてはまったく認識していないようだった。
西部に住まう住人も知らず、恐らくギルドの依頼でランゼルグの各街を飛び回っていたであろうクラネでさえも話すら聞いたことがない、そんな雑貨屋コルボ。
怪しい。あまりにも怪しすぎる。アミルたちの胸中に浮かんだ疑念は確かめずとも一致していた。
「話によれば、このお店の裏……ということでしたわよね?」
「うん。嘘を掴まされていなければ、だけどね」
店舗の横を通ってみると、その奥に僅かばかりの空間があることに気がついた。手に入れた情報だけではこの裏に何があるかまでは分からないが、そもそも西部の中でも端の方に構えるコルボの裏にできたそのスペースは、こうして意図を持って細道を通らなければ決して気付かないであろうレベルで息を殺していた。
店と壁の間の細道を抜けると、そこは一辺十Mほどの正方形の空間だった。
特に何か怪しいものがあるわけでもなく、ぽっかりとまるで何かがすっぽ抜けてしまったように空いたその空間には、上空からじりじりと照りつける日差しが真四角に形取られるばかりだった。
「……なにも無いな」
「……なにも無いですわね」
クラネとアネラスは二人して同じ感想を述べた。恐らく世界中の人々にこのスペースを見せても、二人と全く同じ感想を抱くことだろう。
コルボは両端を壁に囲まれる立地になっているためこのぽつんと空いた四角空間は微妙な異質感を放つが、それは普通の人間には気付かないレベルだった。
ただ一人、この場にいた少年を除いて。
「ボ、ボードネスさんっ!? 何をしてらっしゃるんですの!?」
突然、アネラスが足元を驚愕の眼差しでみやった。
それもその筈。何も言わないアミルがいきなり地面に向かってへばりつくように右耳を押し当て始めたからだ。
クラネも同様の表情でアミルを見下ろす。そんな二人に向かって、アミルは人差し指を唇の前まで持ってきた。
「……この下に、"もう一つ空間がある"」
「へっ?」
アネラスは素っ頓狂な声を上げる。この硬い地面のさらに下に、別の空間があると、アミルはそう言ってみせたのだ。
なおも真剣な表情で体ごと地面に耳を押し当てるアミルに、今度はクラネが口を開いた。
「まさか、魔法の類か?」
「だと思う。ちょっと待って、今"解析してみる"から――」
そう言った直後、クラネには僅かながら分かった。アミルの身体を流れる規格外の魔力が、まるで不審な家に家宅捜査を行うようにして、この四方形の地面を調べる動きをしていることに。
そして一分としないうちに、アミルはすっくと地べたに這ったその身体を持ち上げて結論を出す。
「間違いない。この下に、どこか別の場所に通じている転移魔法が敷かれているみたいだ」
「魔法が敷かれている……ですの?」
アミルの言葉遣いに、アネラスは怪訝な表情をした。
「正確に言えば、この下に小さな空間がある――つまり僕たちが今立っているこの地面そのものが、カモフラージュなんだ。たぶん【召喚魔法】か【隠蔽魔法】……いや、【幻視魔法】だね。あるいはまた別のオリジナルの魔法という可能性もあるけど、とにかくそれで周囲と似た地面を作り出して、あたかもここには何もないように見せかけているんだと思う」
【幻視魔法】とは名の通り、"幻を視せる魔法"である。
いわゆる万人に発症の可能性がある幻覚を、人為的に見せてしまう魔法だ。
使う者や使う意図次第では非常に厄介な魔法とされ、その対策を知っていないと痛い目を見ることになったりする。
「でも、なぜそんな魔法がこんなところに……」
「それは、これから分かると思うよ」
アミルは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ目を瞑った。すると淡い光の粒子がアミルの周囲で瞬いて、弾けた。それは魔法発動の合図だ。
瞬間、視界がぐにゃりと歪む。三半規管を存分に揺さぶり平衡感覚を失わせるような事態にアネラスは足を覚束せるが、それもまた一瞬。
次には歪んだ世界は元に戻り、視界を埋め尽くすのは四方の壁一面に文字の羅列がミミズのように這う、歪む前の空間よりも縦にも横にも、そして上にも下にも大きい石造りの空間だった。
「こ、これは……っ!?」
今まで自分たちがいたコルボの裏の狭い空間から突如見覚えのない空間へと半ば飛ばされたアネラスはひどく動揺した。
「なるほど。これは、魔法の中に魔法を忍ばせていた……そう考えていいのか?」
「そうだね、そう考えてもらって構わないと思う。ある程度は予想していたけど、この魔法の層を構築した人は結構な魔法師みたいだ」
「お、お二人だけで納得していないで、私にも説明してください!」
アミルは分かりやすく、且つ端的に説明した。
つまるところ、まずアミルたちが見ていたコルボの裏の空間は【幻視魔法】によって生み出された偽りの空間。
ただその空間の"中"に、さらに【空間魔法】でこの石造りの部屋を作り上げている……とアミルは話した。
「それじゃあ、本当のコルボの裏の空間はどうなっているんだってなると思うけど、それは、僕たちが最初に見た【幻視魔法】で生み出された空間、あれが本来のコルボの裏の空間になる。元々あったその空間にまず【空間魔法】でこの石造りの部屋を構築して、そのあとで上から【幻視魔法】で元々の空間の幻を視せている……そんなところじゃないかな」
「…………」
話を聞き終えたアネラスは口をぱくぱくとさせていた。聞いてはいたが、理解するには一朝一夕の時間が途方もなく必要であるとその表情が語っていた。
「まあ、とりあえず今はあまり気にしなくてもいいと思うよ。それよりも……」
「それよりも……?」
アミルはこの石の空間、前方に目をやった。そこには同じく石で造られた祭壇があり、その上には何かを嵌め込むためのような凹みがある。
「この魔法の層を構築した人がたぶん用意したんだろうね。この凹みに特定の魔力を流し込むと【転移魔法】が発動する仕組みになってるみたいだ」
「ふむ。つまりその転移先が――」
「ジオネイル換金の関係者……エルフ族誘拐事件の実行犯たちが拠点にしている場所、だと思う」
周囲に這う文字の羅列は、その【転移魔法】を特定の場所に特定の魔力を流し込むことで発動するように、仕掛けた人物が独自に構築したものだろう、アミルはそうとも語った。
しかしアミルに掛かれば、その独自に構築したもはや暗号化されたといっても過言でないこの文字の羅列を解読するのは無理難題などではない。
とうとう見つけた、敵の本拠地。ランゼルグに静かに蔓延る薄暗い闇を照らし出す作戦が、今始まろうとしていた。
◇◆◇
時は二時間と少し前に遡る。
「ガハハハハッ! いやぁ愉快愉快! まさかこんなに早くエルフの女共が集まるとはなぁ!」
「ジオネイルさん、アンタの采配術あってこそだ。もしかして、俺らが手を貸さずとも、アンタ一人でやってのけちまったんじゃねぇか?」
「ククク、そう謙遜すんな…………いや、待てよ? 確かにお前の言うとおりかもなぁ! どうやら俺は天職を見つけちまったようだぜぇ!?」
周囲の壁はまるで金箔が貼り付けられたように煌びやかな金色が目に痛く、もはや"豪華"や"上品"などといった感想を超えてむしろそれらとは真逆の感想を持つに至りそうなこの部屋で。
耳障りになるほどうるさく、そして下品な笑い声を上げる大男の周りには、何人もの誘拐してきたエルフ族の女性が侍っていた。
その汚らしく異様な臭いまでしそうな大男の身体に綺麗ですらっとした森の香りがする肢体をぴたりと寄せ付け、時にはお酌をし、褒めちぎり、挙句の果てには男の機嫌を取るため女性たちはその身体さえも差し出す。
全てはこの地獄から這い出て、地上に登り朝日を拝むため。この中には既に自分の思い人と結ばれ幸せな生活を送ることが確約されていたはずの者さえおり、こんな下卑た男にすべてを曝け出してしまった自分はもうその思い人のもとには戻れないと心の中では分かっていながらも、やはりこの監獄じみた状況から一刻でも早く抜け出したいと思うのがこの場にいるエルフ族の女性たち――ひいてはまた別の部屋でこうして下劣な行為をさせられているすべてのエルフ族の心境であった。
(チッ……胸糞悪いったらありゃしねぇ)
男のことを『ジオネイルさん』と呼んだ若い男は心の中で盛大に舌打ちをかます。
無駄に豪奢に作られたこの部屋にあるのは十人以上も座れそうな大型のソファと台に乗った食べ物や飲み物の数々。
男に侍ることとなってしまった見目麗しいエルフ族の女性は未だぎこちない笑みを作りながら、台から酒やら何やらを取っては男に差し出していた。
若い男の目にもまた、この光景は地獄と見えた。いや、たぶん、目の前の大男以外なら誰が見ても地獄以外の何物でもないのだろう。
それでも大男は非常に機嫌がいい。まるで善と悪の区別が付かなくなってしまったかのように。そりゃこんな上玉な女性に囲まれたら男であれば誰だって機嫌も良くなるだろうが、大男の場合、それに拍車をかける理由があった。
「おい、レクター。お前が最初に差し出してきた提案……もう一度だけ最後に聞くが、本当なんだろうな?」
「まったく、アンタも心配性だな。最初から言ってるだろ、ランゼルグじゅうのエルフ族の女を集めたら、アンタのとこの会社の外国進出を全面的に後押しするって」
大男はソファにふんぞり返りながら大手を広げて堂々と座り、目の前で立ってこちらを見ている若い男を疑いの目で睨んだ。
名を呼ばれた若い男……レクターは、赤く染めたさらりと流れる前髪の奥で半ば呆れ顔を披露しつつも、通算何度目かわからないその問いに対して今までとまったく同じ回答をした。
大男、ジオネイル・ギュンターの名を冠し運営される『ジオネイル換金社』は、ぽっと出のなんてことない換金システムを構築した新参会社だ。
換金だけなら各地にあるギルドでも当然行えるが、ジオネイル換金はその特徴として、『どんなモノでも買い取る』をモットーにしている。
ギルドでさえ成し得てないそんなことが果たして可能なのかとも思うが、それを可能にしたのが、このレクターという飄々とした若者だった。
ジオネイルはある日偶然レクターと邂逅し、何となくで立ち上げたため経営方針やどういった手段でどんなものでも買い取るとした諸々のことを一切決めていなかったジオネイル換金社のことを話す運びになった。
するとレクターは即座に、『アンタの会社、俺がでかくしてやるよ』と豪語してみせた。
最初こそ疑いがその気持ちを十割占めていたジオネイルだったが、試しに彼の言うとおりにしてみたところ、あれよあれよという間に他の老舗大企業とも肩を並べるほど大きくなったのだった。
これに気を良くしたジオネイルは、もはや初期に散々疑っていた"レクターの正体"など微塵も気にすることなく、まるで自分がレクターというやり手と互角に話し合い、そして共同作業という形でジオネイル換金社に貢献したと、そう錯覚して《・》いる。
「クク……そうか、それならいい。悪かったな、何度も同じ話をさせて」
「まあ、構わんさ。契約内容が互いで食い違ってたりすると、後々面倒だからな。……それじゃ、俺はそろそろ戻るぜ」
「クク、お前がもし何かしら組織に属しているならそのボスにも伝えといてくれ。――"今度は会社絡みで色々と話をしよう"ってな、ガハハハハッ!」
レクターはそんな道化の言葉を背中で聞きながら、部屋を出た。
するとすぐ、こちらに意思を向ける浮遊端子の存在に気が付く。
「お疲れ様です、レクター」
「おう、フェルトか。そっちも魔法の最終構築、お疲れさん」
ふわふわと宙に浮かぶ指の第一関節サイズの楕円形の物体は、魔法によってまるで自分の身体のように動き回る端子だ。
これを操っている少女特有の薄紫の粒子が、常人には目に見えないサイズで周囲に振りまかれている。いわばコウモリが超音波の反射で物体の大きさや障害物の位置などを感知するのと同じ効力がこの粒子にはある。
そんな粒子のせいもあってか、レクターの目の高さくらいの位置に停滞した端子は、僅かばかりの淡い紫の光に包まれているようにも見えた。
「私の方は疲れたなどと言えるほど大したことはしていません。それよりもレクターの方が疲れていると見えます」
「まあそりゃあ、アイツの相手してりゃあなぁ……」
はぁ、と特大の溜め息を吐く。先ほどの部屋での光景を思い出すと、今にも肌が粟立ちそうだ。いくら捨て駒と言えどあの態度には強い不快感を覚える。
(あんな汚物みてぇな男でも美人を侍らせられるなんて、世の中理不尽すぎだぜ。ちょっとくらい俺に回してくれても……)
「レクター、私が傍に居るのに邪な考えを浮かべるとはいい度胸ですね」
「ああいやっ、これはだなっ」
眼など付いていないはずの薄紫の端子から、なぜか極寒の地に吹く猛吹雪のような零度の視線が這わされた気がした。
慌てて弁明しようとするが……ひと一人の心の中を読み取るなど朝飯前の少女を前にしては、そんな稚拙な弁明すらも既に意味を成さないのであった。
「……まあ、いいです。そんなことより、重要なお話があります」
「重要な話?」
凍傷しそうなほどに冷たい視線が少し和らいだことに安堵の色を見せたレクターだが、端子を伝って脳に直接流れ込む少女の淡々とした言葉にすぐに顔を引き締める。
「どうやら、私たちの計画を邪魔する存在が出てきたようです」
レクターの表情がただ引き締められたものから、少女の言葉を訝しむような顔つきになった。
別に少女を疑っているわけではない。こと情報戦においては彼女の右に出るものなどいまい。レクターは常々そう確信している。
なら何故、少女は今のような発言をしたのか。レクターは驚きを隠せなかった。
「まさか、国側のやつらの仕業か?」
「いえ、そちら方面は既に掌握済みです。常に行動を把握していますし、万が一にも私たちに牙を向けるような行動はできません」
「となると……」
必然、的は絞られていく。今回の計画を進めるにおいて、厄介なのは国とそれが保有する騎士団、そしてギルドの三つだ。
うち国と騎士団は既にこちらの言いなりになるよう操作済み、そこから派生してギルドには決して今回の情報が行かないようにはしている。
ただ不審さをいくらか紛らわすために、誘拐対象であるエルフ族の女性にだけは、謹慎命令を出すように指示してある。
実際は担当をその場所に直接転移させるため、屋内にいたとしても誘拐は容易い。
「なにかの手違いで、ギルドに情報が伝わった……ってことか」
「大きく言ってしまえば、そうなるとは思います。ですが……」
「どうした」
「実を言うと、|ギルド自体は動いていない《・・・・・・・・・・・・》んです。私たちの計画の邪魔を出来るだけの力を持った人材はもうギルドにしか残されていないはずなのですが、監視している限りでは特に何も変わっていないんです」
「それは……」
つまり、ギルド自体ではなくギルドの誰かが何処からか情報を仕入れ少人数で動いている。そういうほか、少女の言葉を説明できそうになかった。
少女は更に、「自分と同じレベルの魔法師がいる」とも報告してきた。ここに来て今更彼女の言葉を疑うわけでもないが、それはレクターの目を剥かせるには十分な衝撃を持っていた。組織の中でも上位に食い込むほどの魔法センスと技量を持つ彼女と同レベルの魔法師……それだけで、相当に興味と驚愕を引き寄せる。
しかし、計画もそろそろ最終段階に差し掛かったここに来て、まさか新たに計画を阻害する存在が出てくるとは。
脳内であらゆる可能性、そして策略を張り巡らせたレクターは、次第噤んでいた口を動かした。
「フェルト。その邪魔をしてくるやつらの居場所は割り出せるか? 正体までは分からなくてもいい」
「可能です。二時間もいただければ」
「上出来だ。それと同時に、銀煌の用意も急がせてくれ。準備が出来次第、俺が指定した場所に転移させてくれるとありがたい」
「ふぅ……。相変わらず本気になると人使いが荒いですね、レクターは」
「計画の第一段階とは言え、失敗はできないからな。盟主に怒られちまう」
「ですね」
青年と少女は互いの顔が見えずとも笑みを交わしながら、急いで事に当たった。
次話もよろしくお願いします
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