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文字数:7199字
【視覚魔法】ピボット・マップ。発動者を主軸にして、そこから円形に約五百Kの範囲の地図を瞬時に作成・表示する魔法だ。まずは千年経ったこの世界の地理を少しでも知る必要がある。
魔法の効果範囲内に入った国はぜんぶで四つだった。
「うぅ~ん」
地図を一通り眺めてみたが、どうやらアミルの知る場所は一つもないようだった。各国の名前自体は小屋で使ったワールド・アイによって既に把握済みだったが、国と国を結ぶ道の先にそれぞれ関所が設置されていることはアミルも驚いた。
千年前なら国同士の親交は極めて良好で、関所などを設けなくともそもそも悪人が極端に少なかった。やはりこれも、世界が乱れていることによるものなのだろうか。
それからアミルが眠っていたこの森――リッセンウィグ大森林は、見る限りでは地図内の国々に囲まれているという不思議な状況でもあった。
だが、これが世界の全てではない。この魔法はあくまでも発動者から円形に五百Kの範囲を地図にするもの。アミルの記憶では確か、この世界の土地の規模はそんなものではないはずだ。
現に魔王が居住していた城は、このリッセンウィグ大森林から北東に三千K以上あったと記憶している。まあ、そんな途方もない距離も大英雄たちに掛かれば高位の【転移魔法】によって一瞬だったが。
「ここから一番近いのは……、ランゼルグ大公国か」
ランゼルグ大公国。アミルがワールド・アイにて世界の乱れを知ることになってしまった国。
しかし、いずれは全ての国を周り、世界の調律を取っていかなくてはならない。出来れば最初くらいは具体的な乱れを把握する前に行き当たりばったりで処理したかった。理由は、一度具体的なものを知ってしまうとそれに対してある程度の準備を施さなくてはいけなくなってしまうからである。つまりはその準備をするのが面倒臭いのだ。
「まあ、行くとするか。……面倒臭いなぁ」
そうぼやきながら、アミルは【転移魔法】マップ・ワープの発動を始めた。
マップ・ワープとは、ピボット・マップに始まる各種地図表示の効力を持つ魔法とセットで使用する魔法だ。
その効力は、表示された地図に記された場所を指定することでその指定場所にワープする、といったもの。
ここから一番近い国といっても、距離的に言えば到底徒歩で行く気など起きないレベルで距離がある。
ただでさえ面倒臭がり屋のアミルがそんな面倒臭いことをわざわざするはずがない。よって、このマップ・ワープを使って楽に移動するのだ。
さて、そろそろ発動が完了する。魔法というのは発動にまばらな時間が必要であり、それは一般的に詠唱時間と呼ばれる。
しかし詠唱とは名ばかりで、別に何か呪文を唱えるわけではない。ただ体内の魔力を使って様々な事象を起こすだけに過ぎない。たまに魔力を使うのに集中するため敢えて言葉を発する者もいるが。本質的に言えば詠唱に言葉は必要ない。
詠唱時は身体の周囲に光が舞うものの、言ってしまえばそれだけ。どちらかといえば、魔力を使って特定の物体に術式を刻み込む必要がある魔術の方がそれっぽいのかもしれない。
――そんな時、環境音のみが支配するこの森の中に"人の声"が響いた。
「さ……さぁっ、掛かってきなさい! ルレリック王国の第一王女……この、アネラス・フォン・レムクルーゼがお相手させてい……頂きますわ!」
アミルから見て右手奥。生え渡る木々の隙間から見えたのは――七体の小型ウルフに囲まれた少女だった。
胸辺りまで伸びた金髪に少し軽めのカールを掛けた髪型で、自身を包囲するウルフたちに対して向けられている碧の双眸は果敢さと臆病さを同時に秘めているような眼差し。見てくれはとても立派な銀鎧は少女の華奢な身体にはどうも似合っているように見えず、不格好感が否めない。片手剣を震えた両腕で持ち、まるでその震えを誤魔化すかのようにぐっと両腕に力を込めている。
腰は完璧に引け、このままでは誰が見てもお相手させて頂くなどと言える立場でないことが一目瞭然であった。
(装備はしっかりしてるみたいだけど……)
残念ながら、アミルには関係のないことだ。そしてアミルは自分に関係ないと判断したことに関して、何があっても干渉しないと心に誓っている。無論、面倒臭いからである。
とは言え人並みには悲しむ気持ちを持ち合わせているアミルは、これからあの少女に降りかかる悲劇を想像し、ゆっくりと目瞑――しようとした瞬間、視界の端で少女の顔が揺れた。その気品あふれる碧瞳がアミルの存在を捉えた瞬間、喜々として見開かれる。
――ここで、アミルの天運が尽きた。
アミルは少女の表情の変化が視界に入ったことで、一瞬瞑りかけた眼を開き、顔を向けてしまった。
そして……視線が確かに交差した。互いが互いの存在を認めてしまった。
少女は段々と身体ごとこちらに向けてくる。その瞳には希望の光が満ち溢れ、羨望の眼差しでアミルを捉えそして――――
「そ、そこの貴方! どうか私のことを助」
「やだ、面倒臭い」
「ちょっ、何もそこまで即答しなくてもいいんじゃないんですの!?」
この少女を助けることに、アミルにとって利益もなければ自己欲求を満たす要素もない。
それはつまり、アミルが動く理由がないということだ。
だが、そのうち少女を取り囲んでいたウルフの一体が、アミルの目の前へと移動してきた。
気が付けば、残りのウルフたちもいつの間にかアミルの方へと意識を向けている。
獣特有の低い唸り声を上げて、獰猛に息を吐きながら、口の端から鋭い牙を二本見せつけてくる。
「へぇ……詠唱中から狙うなんて、随分と知能が発達したんだね」
アミルは発動寸前だったマップ・ワープを一旦辞めると、すかさず今度は別の魔法の発動に入る。
【光魔法】サン・アロー。アミルの傍らに光が集まり、それはやがて一本の矢の姿を成した。
「はぁ……。面倒臭いけど、詠唱の邪魔をするなら、相手するしかないかな」
一人で呟くアミルをよそに、眼前に迫ったウルフが勢い良く飛び掛かってきた。
しかしアミルはそれを冷たい視線で一瞥すると、前に腕を掲げる。傍らに浮遊していた光の矢が、風を切るように突撃してきたウルフに向かって発射される。
光の矢は一ミリたりともズレることなく見事ウルフに直撃した。顔から尻尾まで、まるで串刺しのように貫通している。宙を飛んだウルフは失速し、力なき牙をアミルに届かせる前に地面に落下した。
(魔物が少し弱くなってる……? まあどうでもいいか)
千年越しの攻撃魔法だったが、どうやら問題なく発動できるようだ。魔力の使い方は細かく言えばそれぞれの魔法によって異なるが、特に攻撃を主な用途とする魔法を発動する場合、巡回する魔力をより躍動的に、そしてより爆発的に使う必要がある。
今回はサン・アローという初級中の初級魔法を使ったが、これがもっと魔力消費の大きいものだと考えると、もう少し強い魔法を試してみる必要はある。
幸い、今回はすぐ近くにそれを試す対象がいた。残り六匹の、少女の下から既にアミルの前に移動してきた小型ウルフである。
これは決して少女を助けるためではない。あくまでもアミル自身の利益のため、ひいては必ず今後のためになるであろうと鑑みた結果、矛先を少女からアミルに変えたウルフたちを倒す必要が出てきただけだ。
襲われていた少女が未だ慄然とした表情でこちらを見ているのが視界の端でちらついた。それを視界に入れたまま、アミルは落ち着いた様子で魔法の発動に入る。
【水魔法】スプラッシュ・ニードル。発生させた水のしぶきを鋭利な棘に変質させ、一斉に打ち込む魔法。攻撃範囲が水しぶきなおかげで広く、魔物の一斉殲滅に使える魔法だ。
アミルの詠唱開始を合図に、ウルフたちが一斉に飛び掛かってきた。やはり、アミルの詠唱タイミングを見計らって攻撃してきているのだろう。千年前にいた魔物にはここまでの知能はなかったはずだが。そんなことをぼんやりと考える。
目の前に自分の命を刈り取らんとする六匹ものウルフがいるにも関わらず、アミルの顔に焦りは一切ない。
何故なら、こちらの詠唱の方がはるかに早いからだ。
ウルフが自らとアミルの位置を半分ほど過ぎた辺りでスプラッシュ・ニードルの詠唱は終了する。
背後から弾けるようにして現れた水しぶきは一瞬でその性質を液体から金属に変化させると――――
ズドッ! ズドドドドッ!!
激しく地を穿つ衝撃音が鼓膜を揺らす。アミルは久々に聞く大きな音に渋面を刻んだ。
結果は――
「一撃…………ですわ……」
一撃。驚愕しながらそう漏らした横の少女の言葉通り、ウルフたちは一撃一瞬でその命に終わりを迎えた。
魔法の衝撃から地面は大きく抉られ、絶命したウルフたちの血が辺りに散布している。
ちょっと、やりすぎたかな。
横に自分と同い年くらいの少女がいることを考慮するのを忘れていた。
アミル自身は特に何も思わないが、本来十八歳ともなればまだ多感な時期である。
特に横に居るのは少女なのだ。もしこれがアミルと同じ男子ならともかく、女子には少しキツいものがあったかもしれない。血を出さずに【闇魔法】で亜空間に消し飛ばすほうが衛生上良かったかもと内心で少し後悔した。
「えっと……大丈夫?」
「だ……大丈夫……です……わ……」
アミルの横で肩を震わせながらへたり込む少女の姿は、誰が見ても大丈夫などではなさそうだった。
口元を手で押さえ、嗚咽を我慢しているようだ。無理はない。いくら人型でない生き物だとしても、まごうことなく自分と同じ血の通った生き物なのだ。それが目の前で無残に、それも大量に殺されたとなればこみ上げてくるものがあるのも致し方ない。
それでも彼女は、決してアミルの前で吐くようなことはしなかった。それを察したアミルがそっぽを向くと、一目散に遠くへと駆けていったが。
「はぁ……はぁ……」
「これで口をゆすぐといいよ」
戻ってきた少女にアミルは【水魔法】ウォルで生み出した水を差し出した。少女はそれで気持ち悪い口の中をゆすぐと、大きく溜息を吐いた。
「……大丈夫?」
ウルフたちの死体は、少女が奥へ行っている間に【闇魔法】で散布した血ごと亜空間へ飛ばしておいた。
少女はアミルの問いに対して、無言でゆっくりと頷く。
「えっと……まずは、助けていただいてありがとうございますわ」
「え? ああ、うん」
少女がいきなり腰を折ったことで少し怯んでしまった。アミルは"助けた"という感覚はないが、普通に少女の視点で考えたら助けられたに他ない。
「それから……醜いお姿をお見せして大変申し訳ありませんでした」
醜いお姿……きっと、さっき森の奥で吐いてしまったことを言っているのだろう。見たところ、彼女はアミルとほぼ同い年と見えた。多感な十六歳ならば仕方ない。誰もアミルのように感化されづらいなどと思ってしまうほど彼も鈍感ではない。
「僕はアミル・ボードネスって言うんだけど、君は――」
「私は、ルレリック王国第一王女アネラス・フォン・レムクルーゼと申しますわ」
「――だよね。さっき自分で言っていたし」
彼女を発見するきっかけになった時を思い出す。確か、ウルフたちに向かって堂々と自己紹介しておきながら腰が完全に引けていた。
すると少女――アネラスは、顔を真っ赤に染めて、
「や、やめてください! さっきのは、思い出しただけでも恥ずかしい……! 穴があったら入ってしまいたいくらいですわ」
「そ、そんなになんだ……」
正直、ああして声を張り上げて自己を高めることは決して悪いことではないと思う。アミル自身はしないが、かつて仲間たちの戦いを見ていてそう感じたのである。
……まぁそれも、腰が引けていなかったらの話だが。
「それはそうと、アミル・ボードネスさんでしたわよね? ……あれ、アミル・ボードネス?」
アネラスはアミルのフルネームを口に出すと、はて、と小首をかしげた。
(まさか、僕を知ってる……?)
千年前魔王を倒した八人の大英雄たちは、それぞれに付けられた異名こそ知れ渡っているものの、その本名までは広く知られていないはずだ。【大英雄】の異名を持つルッケンスや、【永華の姫】の異名で知られるライラ辺りは自分から言い回っていそうではあるが。
少なくともアミルは自分の名を広めた覚えはない。千年経った今、異名の【死の調律師】こそ語り継がれてるとしても、流石にほとんど公で口にしたことがない本名までもが広まっているとは考えにくかった。
「……いえ、勘違いのようですわ。どうも城にある文献にボードネスさんと同名を拝見したことがあるような気がしたのですが、どうやら記憶違いのようですわ。大変失礼しました」
「い、いや。気にしてないから大丈夫だよ」
自分が【死の調律師】だとバレてしまっては、新たな目的である"世界の調律を取る"ということが非常に達成しづらくなってしまう恐れがある。
何せアミルは世界中から"最凶"と戒められ、恐れられてきた存在。その名が後世まで語り継がれている可能性があるのなら、正体がバレるのは非常にまずい。
「えっと、そう言えばレムクルーゼさん。さっき何か僕に言いたげなことがあったみたいだけど……」
「ああ、そうですわ!」
アミルが話の軌道を変えようと先ほど言いかけていたことを言うように促すと、アネラスは碧の瞳をらんと輝かせた。
……正直、今すぐこの場を離れてさっさとランゼルグ大公国に行きたい気持ちでいっぱいいっぱいだ。ただでさえ面倒臭がりなのに、今は成り行きでこうしてアネラスと喋らざるを得なくなっている。現時点でアミルの口と身体を動かすのは、自分がアネラスに"嫌悪感"を与えてしまったことからくる罪の意識だった。
「見たところ、ボードネスさんは私とそうご年齢が変わらないにも関わらず卓越した魔法技術をお持ちのようですわ。そんな方がなぜ、こんな何もないような森に一人でいらっしゃるのかと気になりまして……。きっと、ご自分の国で魔法師をされているのでしょう?」
魔法師。千年前は魔法がある程度使える人なら誰でも呼ばれていた。現代はどうなのだろうか? しかしアネラスの話し方からして、現代の魔法師はどうやら国に雇われているのが一般的なようだ。恐らく、国が提示する試験などをを乗り越える必要などがあるのだろう。千年前にももちろんそのような制度はあったが、みな等しく魔法を使える者は総じて魔法師と呼ばれた。
つまり、この場合は千年前と現代とでは解釈が異なっている可能性が十分に高い。ここは否定しておこう。
「いや、別に僕はどこかの国に雇われているわけじゃなくて、この辺りを放浪していただけだよ。地方出身だから土地勘に鈍くて、ちょっと迷っちゃったんだ」
我ながら良い言い訳が出来たと褒めたい。どうやらアネラスもアミルの即興言い訳を不審がる様子もないようで、なるほどと頷いてくれた。
「ちなみに、レムクルーゼさんはどうしてここに?」
ここでアミルが「それじゃ」とか言ってこの場を離れようとしたところで、恐らく彼女はアミルを引き止めるか付いて来てしまうだろう。
それならもう少し話を展開して、無理なく自然に別れを告げたい。
「私は、将来自分の国を他の大国に負けないくらい大きく力強い国にするべく、まずは自分磨きから始めているところですわ」
「自分磨き?」
「はい。国を導く主導者は、国民に"強さ"を示さなくてはなりませんの。それは政治手腕や外交術など内面的な強さももちろんありますけれど、一番わかりやすく、そして現在他の国も力を入れているのが、武力なのですわ」
「へぇ……」
最初に見たへっぴり腰の彼女からは想像できないほど、その言葉の端々から国に対する想いの強さがにじみ出ていて、アミルは素直に驚いた。
「それじゃあ、国民に自分の武力の強さを見せる必要があるから、こうして森まで来て魔物と戦っているの?」
「はい、その通りですわ。……でも実はもう一つ、この森に来た理由がありますの」
「もう一つの理由?」
「……実は私、ここから一番近いランゼルグ大公国の公都アリマールにある世界で一番大きいギルド、アリマール支部に加入しようと考えているのですわ」
「ギ、ギルド?」
「あら、ご存知ないのですか?」
「ご、ごめん。僕の住んでたところ小さい村だったから、そういう都会の世情はあまり良く知らなくて」
「なるほど……。ギルドというのは、基本的には一定以上の戦闘力と最低限の一般常識がある方ならば誰でも加入できる職業施設のことですわ。その支部のある街や都市からの民間の依頼や国から出される魔物の討伐依頼、それから貴族の方たちの中には奇特な方もいらっしゃって、そういった方々が娯楽のために出す様々な種類の依頼もまとめて扱い、支部に加入している人々に斡旋して、無事こなすことができればそれに見合った報酬金を出してくれる……といった所ですわね」
「へぇ、そんなところが」
アネラスが結構ちゃんと説明してくれたので、大まかなことは分かった。ようは、そのギルドという施設で出されている依頼をこなし、報酬金を稼ぐことで一種の職業として成り立たせている……ということなのだろう。
そしてここでアミルは、一つの可能性にたどり着いた。
(レムクルーゼさん、説明の中で『街や都市から民間の依頼も出される』って言っていたよね……。それってつまり……)
その依頼の中に、アミルが調律を取るべき相手が潜んでいる可能性があるということだ。
かと言ってそのギルドに来る依頼だけで周辺の調律を乱す原因が死滅するわけではないだろう。ギルドに依頼として出したくても出せない……そんなような状況下にある人々だって絶対にいるはずだ。
でもそれは、民間の依頼を解決していく中で、偶然接触したりすることがあり得るかも知れない。可能性としてはゼロじゃないはずだ。
そうと決まれば――――
「ねえ、レムクルーゼさん。僕もそのギルドって所に行ってもいいかな」
次話もよろしくお願いします。




