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混沌世界の面倒臭がり調律師  作者: 天柳啓介
一章 英雄の目覚め
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文字数:4304字

 クラネが受けた依頼の討伐対象は『デビル・オーク』と呼ばれる通常のオークよりも何倍も強いオークだった。

 まるで悪魔のような出で立ちをたたえるデビル・オークは、右手に真っ黒な巨大こんぼうを握り締め、青く揺らめくその双眸で獲物を捉え、口の端から牙をちらつかせて威嚇する。

 "デビル"と名前の頭に付く亜種は千年前にもいた。だからアミルは、当然デビル・オークとも戦ったことがある。アミルにとっては赤子も同然のような強さだが、一般的な剣士や騎士、魔法師魔術師が相手にした場合十人単位で掛からなければ勝算はない。

 クラネは本来これを一人で受けようとしていたことから、デビル・オークには彼女なりの勝算があったのだろう。クラネと一戦交えたアミルの見立てによれば、確かに彼女の実力であればそう苦戦することなく倒せてしまうだろうと思えた。


「ず……随分と大きいのですね」

「ゴブリンの七倍はあるからね」


 街道の外れをゆっくりと闊歩するデビル・オークを見て、木の陰に隠れていたアネラスが呟いた。

 ゴブリンの約二倍の体躯を持つのがオークで、それのさらに五倍から十倍がデビル・オーク。

 デビル系の亜種魔物は"原因不明の突然変異"で生まれるらしい。そのため対処のしようがなく、現れてしまった暁には一目散で討伐する必要が出てくると、千年前に何かの文献で読んだ記憶がある。


「よし、準備はいいか。アネラス、私が先ほど説明した作戦で行くぞ。今回はあくまでも、互いの連携を確認するための戦闘だ」

「……了解しましたわ」


 アネラスはやけに神妙な面持ちで頷いた。真っ直ぐにデビル・オークを見据え、飛び出すタイミングを図る。

 アミルは今回、もしもの時のサブとして戦闘を見守る役目になっていた。そもそも連携と言われても、言ってしまえばアミル一人でどうにかできてしまうだろうが。

 だから、もっと言えばクラネと手を組むことだって必要ない。しかし現にこうして手を組んでいるのにはちゃんとした理由があって――


「行くぞ!」

「はいっ」


 アミルの思考を遮るように、クラネの鋭い合図が飛んだ。条件反射のようにアネラスも木の陰から飛び出す。

 飛び出した二人の軌道は半円を描くようで、デビル・オークを前後から責め立てるつもりのようだ。それが、クラネの立てた作戦である。

 作戦と銘打ってはいるが、こんなことをしなくてもクラネは勝てる。ただ彼女も言った通り、今回の戦闘はあくまでも互いの連携を確認するため。

 前後から襲いかかるのは、前衛であるクラネとアネラスが互いの動きをチェックしやすいようにだ。だから、横へと跳ねたりする立ち回りを今回は多く採用していた。


「せぁっ!」


 合図で出した声とはまた一味違う鋭さを持ったクラネの声が、剣と共に空気を震わす。

 デビル・オークにヒットし、身体を大きくよろめかせた。

 続いて、流れるように横へのステップ移動の準備をしていく。アネラスに位置を伝えるため、そしてこれから来るであろうデビル・オークの反撃を避けるための行動だ。


「てぇぇぇい!」


 デビル・オークが先に攻撃したクラネを標的にし、黒曜のこんぼうを振りかざすと同時に、これまた大きい叫び声にも似たアネラスの掛け声が響いた。

 次いで、デビル・オークの背中に鋭利なものが突き刺さる音。ザシュ、という刺突音がデビル・オークの命をさらに削る。

 そしてクラネの手はずによれば、このタイミングでアネラスも横へステップする。互いが自分の位置を伝えながら、交互に攻撃し続けることで敵を翻弄、圧倒する。

 ――はずだったのだが。


「ぬ……抜けないっ!?」


 再びアネラスの叫び声が響く。しかしそれは武器を振るう時の掛け声が勢い余ってしまったものではなく、本来の意味を持った叫び声だった。

 デビル・オークに突き刺したアネラスの剣。それは深々と突き刺さり、"相当勢いよく抜かなければ抜けない"ような、そんな状態だった。

 アネラスは剣を降るのに必死だったあまり、力の加減ができなかったようだ。本来魔物に対して振るう剣は、ある程度力の加減をしないと身体から抜けなくなってしまう、ということが起こり得る。

 それは、魔物の筋肉が人間よりもはるかに固く凝縮されているためだ。突き刺すときは勢いを付けられるため刺さっても、抜くときは刺す時ほど勢いを付けられない。だから剣を使う者はみな、繊細な力加減で剣を振るうのだ。

 必死に剣を抜こうとするアネラスの頭上に、大きな陰りができる。


「ひっ……!?」


 デビル・オークが、自分の懐にいたアネラスを憤怒の目で見下ろした。

 本来であれば、アネラスはすでに脇へと避けているはずだった。

 しかし今は、デビル・オークの真下にいる。

 避けていれば反撃が飛んでくるまでの時間は伸びたが、この状況下ではたとえ今から動いても反撃を避けられるか怪しい。


「屈め、アネラスッ!」


 反対側からクラネが叫ぶ。アネラスが指示に従って咄嗟に身を屈めると、デビル・オークの腹部から背中にかけて強い衝撃が走った。

 まるで巨大な空気砲が放たれたかのような衝撃が空気を震わせる。屈んだアネラスの背中を何かが掠め、暴風とともに後方へと吹き飛んでいく。

 そして後に残ったのは、デビル・オークの下半身だけだった。


「あ……あああ…………!」


 クラネは無残にも残されたデビル・オークの死骸を乱雑にどけると、放心状態でへたりこむアネラスの下へと歩み寄った。


「――治癒の女神よ、かの者の乱れし心を静めよ」


 クラネの右手に小さな光が宿る。それをアネラスの鼻先に押しやると、途端に意識を取り戻したかのようにはっとした。

 ……どうやら、クラネは精神治癒の魔法も習得しているようだ。デビル・オークを一撃で仕留めた剣技もさることながら、難度の高い魔法まで使える。これは、ギルドで羨望と畏怖の入り混じった視線を向けられても仕方ないかもな、とアミルは思った。



◇◆◇



「さて、アネラス」

「は、はい……」


 デビル・オークの死骸から採取を行ったあと、クラネとアネラスは向かい合っていた。

 ただ、向かい合ってと言ってもクラネは見下ろすように、アネラスは肩をすぼめてしゅんとしている。

 アミルはそんな二人の傍らで、次にクラネから紡がれるであろう言葉を見守っていた。


「…………すまなかった。キミを試すようなマネをして」

「……え?」


 アネラスは、来る言葉が予想と大幅に違ったのか、素っ頓狂な声を上げてクラネを見上げた。下げられた彼女の頭部がアネラスの眼前に迫っている。


「キミが戦いに慣れていないこと、私は気付いていた。気付いていてなお、私はキミと二人で前線に立つ作戦を立てた」

「ど、どうして……」


 アネラスはさらに、わけがわからないといったふうに眉をひそめた。

 クラネは続ける。


「本当に慣れていないのか、それをこの目で確かめたかったのもある。だが……」


 クラネはそこで言葉を一旦区切る。そして視線を外し、アミルの方を見やった。


「もし本当に戦闘慣れしていないのなら――どうして、アミルはそんな人間と手を組んでいるのか、それが知りたかった」


 疑問を表した灰の双眸が今度はアミルを射抜く。


「僕が、レムクルーゼさんと手を組んでいる理由?」


 わざとらしく答えてみせた。

 さて、どう答えたものかとアミルは考える。

 アネラスと手を組んでいるのは、彼女の魔力をアミルをもってしても読めない理由を明らかにするためだ。

 ただ、これを言ってもクラネには理解してもらえないだろう。何故なら、クラネ"程度"の人間では他人の魔力を完璧に把握することはできないからだ。

 だから、別の理由を提示する必要がある。嘘を言っても、クラネには簡単に見抜かれてしまうだろうから、本当のことを織り交ぜつつ言うしかない。

 と、なると……。


「レムクルーゼさんが……気になってる、からかな」


 視界の端で、アネラスの顔が爆発するように赤くなったのが見えた。


「な……なななっ、何を言っているんですのっ!?」

「あ、あれ……。何かおかしかった?」

「お、おかしっ……くはありませんけれど……それは、ちょっと……」

「?」


 アミルは首をかしげ、アネラスは顔を赤く染めたまま恥ずかしそうに俯く。

 するとそんな二人を見て、


「……ふふふ」

「ク、クラネさんまで? 二人とも、どうしたっていうのさ」


 クラネはこらえるように笑っていた。アミルの首はさらにかしげられる。


「ふふっ……。いや、なに。こんな無粋なことを聞いてしまった私が悪かった、と思ってな」

「ちょっとクラネさんっ!? 何かとんでもない勘違いをされてしまっているのではなくて!?」


 アネラスが顔をさらに赤くしてクラネに食いついた。

 アミルは未だに二人の考えていることが読めていなくて、話からおいてけぼりにされている。

 なので、アミルはクラネに"あるお願い"をしてみることにした。


「ねぇ、クラネ」

「どうした?」


 クラネはわーきゃーと一人でうるさい桃髪の少女をあしらいながら、アミルの言葉に耳を傾けた。

 これからアミルが言おうとしているのは、この三人の中での彼女の"役割"について。

 正直、明らかに実力主義の雰囲気を出す彼女なら、戦闘初心者のアネラスを多少ぞんざいに扱うかと思っていたのだが。

 あろうことか、最初からアネラスの実力を見抜いていたというのだ。それならば、アミルが彼女に求める"役割"も、受けてもらえる可能性が非常に高かった。


「クラネには、レムクルーゼさんの武術指導をしてもらいたいんだ」


 アネラスに対する武術指導。それが、アミルの望むクラネの"役割"だった。

 魔法に関してはアミル自身が教えられるとしても、近接戦闘がメインではないアミルに武術を教えるのは実質不可能だ。

 とくに、身近にそういったことが得意な人物がいれば、なおさらアミルの出番ではなくなる。

 クラネ・アイセンスという優秀な剣士は、これ以上とないくらいの人材だった。


「いいだろう」


 クラネはあっさりと、そして快く引き受けてくれた。

 そしていまだ騒いでいるアネラスの方に向いて言う。


「……と、いうわけだ、アネラス。今日から私はキミの武術指導員となるらしい」

「クラネさんっ! さっきから人の話を聞いて――って、あれ? いつの間にそんなことが決まって?」


 一人でずっと騒いでいたアネラスが正気に戻った。

 それからクラネとアミルを交互に見て、何が起きたのか、という文字を表情に写している。


彼女(クラネ)に、レムクルーゼさんの武術指導をお願いしたんだよ」


 言うと、今度はそれを確かめるようにクラネの方を見やる。


「よろしく頼むぞ」


 ニッと、年相応な少女のはにかみを見せるクラネ。

 アミルはその横顔を見ながら、彼女が『氷の魔剣士』などと呼ばれている理由が、分からなくなってきていた。

次話もよろしくお願いします


twitterID:@K_Amayanagi

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