地獄の底
森を歩くこと十数分。眩しい光に目を瞑る。数秒の瞑りを解いて映ったのは、畑だらけのファルインとは一線を画す街だった。森から見るとその街を見下ろす形となる。
「下りるわよ。歩かないと着かないわよ」
「ああ……なぁ? まさかとは思うがよ、この道を行ったり来たりしていたのか?」
「そんなわけないでしょう。ワタシだけなら〝飛んでる〟わよ」
「飛べるのか!」
「光だけじゃないのよ。水とか闇とかも扱えるわね。飛ぶのに使うのは風だわ」
「二人は無理なのか」
「試したことないから分からないわね。行動を共にする人なんていなかったものだから」
「なんなら俺で試してみろよ」
「正気の言葉とは思えないわね」
「転生者の俺は不死なんだ。少なくとも死にはしない」
「……生きていくことが辛くなる程の怪我を負っても、よ」
「大袈裟だって」
「これでもオブラートに包んだ表現なのだけれど」
「どうしても駄目かよ?」
「今は我慢して。帰るときにも同じことを言っていたなら考えてあげるわよ」
足場の悪い道を歩くこと十数分。やっとの思いで辿り着いた街は賑やかであった。高い建物が肩を並べて聳え、車やバイクなどの乗り物も走っていた。
「なんだか賑やかな街だなあ。渋谷とか秋葉原みたいな感じだ」
「ここはアロポリア。キミの言う通り、比較的この街は似ているわね。ファルインと行き来していたら錯覚を起こすかも」
「で、俺を連れて行きたいとこって?」
「もう少し堪能するのを押しとくわ。それだけの落差を味わうでしょうから」
「あとで満喫するよ」
「そう、分かったわ。付いてきて」
人通りの激しい表から、ビルの影が犇めく裏道を更に奥へ。次第に強烈な臭いが鼻をつく。ビルの影すら届かない場所を通り過ぎていくと、表の賑やかさとは裏腹な、まるで別の集落に着いた。
「ここは?」
「スラムよ。表の賑やかさを堪能することも、裏道に伸びる影を踏むことも許されない人達のね」
ゴミの溜まり場に群がるカラス。異世界でも黒い姿を現し漁る。漁られていく溜まり場の中から人体が現れたのに驚いたのか、黒い羽根を残して去っていく。
「おいおい!?」
人体を引っ張るが、ハルが力を込めてもビクともしない。その人体から発せられる臭いに鼻をつまむ。爪も伸び放題で、身体も大分汚れているようである。
「やめてあげなさい」
「なんでだよ? ちゃんと寝かせてやろうぜ?」
「やめてあげなさい!」
「……どうしたんだよ? 怒鳴りあげて」
「分からないのかしら、 その人はもう!」
ハルは再度見る。よく見れば、身体のあちらこちらが腐蝕しており、目をずっと閉じたままだ。
「身体を動かすことが出来ないんだわ。大分痩せ細ってもいる。目を閉じるのもやっとの筈よ」
「そんな!?」
「普通ならば餓死でしょうね。でもここは違う。この世界の人間は不死だから。どんなに苦しくとも死ねないのよ」
「死火が来るまで、か」
無念に手を離すハル。手を差し出したところで何も出来ないことに憤りを感じる。悔しさで、伸ばしていた腕を震わせる。
「行くわよ」
「分かった」
更に広い場所に移動する。平屋のような家が建っており、その周辺に住民が集う。そこで生きる人々に生気はなく、俯いたまま動かない者もいる。
「何だこれ!? こんなのって!?」
ハルは困惑した。腕を失っている者、足を失っている者。腐蝕した片目をボロボロの布で隠している者。骨と皮だけの肉付きな幼い子供もいる。元気であれば今頃、広場で元気に駆け回っている筈だ。ハルの脳裏に浮かぶのは、公園で遊んでいた子供の姿。今の自分でなら遊び相手になれるだろう。そんな思いがふうふつ湧いてくる。
「これが現実よ。これだけの病気や怪我を負っても、自分達の意思では死ねないのよ」
「治らないのか? 治せないのか!」
「医術はそれほど高くはないの。死火で医師の数が減っているのもあるし、死火という呪いに進歩を諦めてしまっているのよ」
「んだよそれ! 諦めちまっていいのかよ!」
「キミ。ワタシにさっき言ったこと覚えてる? 『少なくとも死にはしない』と言ったのよね。ワタシの返答に対して、『大袈裟』とも。どうかしら? この現実を目の当たりにしても尚、そういう言葉を言えるのかしら」
「くっ!」
「キミの死は軽率だったのよ。この世界に生まれた以上、不死というものに甘えず行動しなさい。死を選択出来ないのだから」
この時ハルは、自分の愚かさを思い知った。車椅子があれば動けていたことがどれだけ恵まれていたのかを思い知った。死ねない現実にぶち当たって初めて、〝当たり前に生きていけること〟の大きさに気付いた。
(地獄から抜け出せたと思っていた。けど違った! 地獄にはまだ、底があった! ……生き地獄という底が!)
「戻りましょう。ワタシ達には何も出来ないのよ」
ハルの手を引いて歩くルキの手は震えていた。ハルに解らせる為に連れてきたとはいえ、自身も無力なことに悔しさを募らせる。そんな二人を、アロポリアの賑やかさは出迎えるのだった。