語りの森
ハルの先頭を歩くルキ。ハルに映るルキの後ろ姿。肩ほどの長さに切られた銀髪は、ルキが歩くたびにゆらゆら揺れる。そんな綺麗な髪の上に乗る不届き者を見つけたハルは、親切心から手で払い除ける。その時ほのかに香った匂いを嗅いだからか、一瞬だけだが思わず気が抜けてしまう。安心するというのか何なのかは分からない。そんなこんななハルを振り向いて見ているルキの眉間には皺が出来ていた。胸の前で腕を組む姿はお冠であった。
「ご希望に応えているのだけれど。ワタシの話を聞いていて?」
「何だっけ?」
「やっぱりキミは変態かしら。ワタシの頭に触ったけれど、何かの合図かと思ったから許したのよ? でもその様子じゃ違うようね。只の好奇心とか出来心と言うのなら容赦しないわ」
「いや、だってよぉ……居たんだって……」
「何が? 適当なことを言っているのなら許さない」
「……ゴ、キブリ……。真っ黒いゴキが居たんだよ……そこに」
「へっ!?」
ハルの言葉を聞いて、慌てふためく。冷静で上から目線な姿はどこへやら。眉間の皺を作ることも忘れてパニック。頭を振って落ち着こうとする。そのせいで髪型は崩れ、宝石のような瞳が潤んでしまった。
「嘘は言ってないぞ!?」
「変態。世の中には、吐いてもいい嘘もあるのに! そういう心遣いの出来ない人、ワタシは嫌よ」
「正直に言ったんだぞ!?」
「女子は繊細で臆病で脆いものなの。だから男子に助けを求めるのよ。ワタシには無いのかしら? 繊細さも臆病さも脆さも。ワタシ、キミに嫉妬しているのかしら」
「からかってるのかよ?」
「単なるお返しよ! ワタシの話を聞いてなかったし、ワタシを驚かせてくれたからね。これで、おあいこにしてあげるわよ。追い払ってくれたのは確かなんでしょう?」
「正直者ですからねぇ、俺」
「そのことについてはお礼を言うわ。ありがとう!」
初めて見せてきた笑顔。銀髪に負けないくらいの、いや、それ以上の眩しさを見せたのだ。そのギャップに衝撃を受けるハル。心臓が高鳴るのを自覚する。
(可愛いじゃんかあ!)
「……って聞いてたわけ? ボーッとしちゃってさ。聞きたくないの? 聞きたいの? ハッキリしない男は嫌よ!」
「聞くって聞くって! ささっ、お話くださいましまし!」
再び歩き出す二人。どんどんと道幅は広くなっていく。次第に並んで歩ける程に。ルキの歩幅に合わせて歩くハルの意識は、ルキの一挙手一投足に意識を集中する。
「どこから話せばいいのかしら。どこまで話さなければならないのかしら。こういうのってキリがないもの」
「さっきも話してたんじゃ?」
「今言ったことを言ったのよ。そしたら、それに対する返事がないんだから!」
「そっかそっかそうだったのか! そりゃごめんだ。すまん!」
「いいからどうなのかしら? どこからどこまでなの?」
「この世界のピンキリ!」
「……何にも知らないのね……ある意味尊敬するわよ。じゃあ、まずは転移者から」
「そうそう! その転移って何だ? 俺は死んで転生したみたいだけど」
「生きたまま来た人のことよ。どうして来れたのか、どうやって来れるのかは分からないわ。ワタシは道を歩いていたら、いつの間にかって感じだけれど」
「どんくらい前だ?」
「一年前。ワタシも最初は戸惑ったわよ。キミとは違って、誰にも理解されないもの」
「ここが異世界ってことは、いつ気付いたんだ?」
「すぐに気付いたわ。あんな光景を見たんだからね」
「何を見たんだ?」
「魔術師よ。自在に空を飛んでいたの。そんなのって普通、有り得ないじゃない」
「ん? 他に転移者はいないのか?」
「さあ? この一年、ワタシは会ったことないわね。転移も転生も、ワタシが勝手に便宜上言ってるだけ。転生者もキミが初めてだもの」
「頭じゃ分かってるつもりだったけど。こうして改めて思うと、なんだか実感湧かないよな。俺、本当に死んだのか?」
「知らないわよ。少なくとも転移者じゃないわね。この世界の人から〝家族〟と認識されているのだから」
「やっぱり死んだよなあ」
「ワタシ、気になっていたのだけど。キミ、どうして死んでしまったのかしら?」
「そこ訊くのか!? 意外とデリケートなとこ!」
「過ぎたことなのでしょう? ならばいいじゃないかしら」
「やれやれ。自分で死んだんだよ、自分で。俗に言う……自殺ってやつだ。俺は十歳で車椅子生活になった。最悪なドライバーのミスだ。それからの日々は最悪だったよ。遂には、近所の公園で駆け回っている子供に嫉妬する始末でな」
「どうやって死んだのかしら?」
「車道に車椅子で突っ込んで、無理矢理に身体を転がして、タイミングよく車に轢かれたんだ。意識はそこで切れたよ」
「……勝手なものね、キミ。キミの自殺動機は浅はかよ。まだキミには、動く為の車椅子があったのに。思いのままに動かせる車椅子に乗っていたのに」
「歩けなくなった奴の気持ちが分かるか? それまで歩けたのに歩けなくなった俺の気持ちが分かるのか!」
「キミを轢いた罪悪感で苦しむドライバーの気持ちが分かって? キミは死んだら終わりよ。けど、キミが死んだことで人生を急転させられた人達のことは!? キミは、沢山の人を不幸にしたかもしれないわよ!」
「……」
「困ったら黙りなのね。そうやって目を背けて、何もかもを捨てていくの? この世界も、そんな甘い世界じゃないわよ?」
「今は歩ける」
「車椅子から徒歩に変わっただけだわ。そんなの些細なことよ」
「何が分かる!」
「キミが甘ちゃんだってこと! ……さっき話した魔術師けれど、その人は死んだのよ。この世界での死は抗えないのよ」
「飛び過ぎでか?」
「その方が幸せだったわね。魔術師は突然変異でなるの。その能力は様々。ただひとつ共通しているのは、この世界では嫌われているということ」
「凄い力じゃないかよ」
「〝突然〟という共通があるからよ。この世界の人も病気になる。だけどね、病気が治る前にそれは来るのよ」
「何がだよ?」
「死よ。赤ん坊から老人まで平等に訪れる結末」
「そんなの当たり前じゃないか。誰だって死ぬもんだ」
「当たり前? 随分とお気楽なことが言えるわね!」
声を張り上げるルキ。拳を作りながら震えている。それまでの彼女が見せなかった姿だった。
「俺、何か間違ったかよ」
「この世界の人間は、死の瞬間を選べないのよ。突然、身体を燃やす火が付いて、あっという間に灰になるのよ」
「なんだそれ。そんな馬鹿な!?」
「病気で苦しんでいても、ワタシ達の世界なら選択肢があるでしょう? 治療を受ける。患者の意思を尊重した安楽死。けれど、この世界の人間はそうはいかないの。死にたくても死ねない身体……不死に近い身体なのよ」
「不死!?」
「そうよ。〈死火〉以外に死ぬことはない。死ねないのよ。同時にそれは、死にたくないのに死んでしまうということ」
「お前は!?」
「ワタシは転移者だから平気。死火に燃やされることはないわ」
「それはよかった。う~ん……さっきのカードは?」
「これはワタシの私物よ。親友の形見。いつ頃からか、このカードで魔法が使えるようになったの。使えば疲れるのだけれど」
「なんか悪いこと訊いたな」
「構わないわよ。それよりも危ないのはキミ。転生者とすれば、キミもこの世界の人間。魔術師の可能性も、死火が付く確率も高いわ」
「なんですと!?」
「キミ、このままワタシと来て! ……現実を見せてあげる」
「どういうことだよ!」
訳が分からずも付いていくしかないハル。それでも、ルキの話を聞いたからか、その表情はとても不安に満ちていた。