魔術師の少女
身体中に目玉を宿す熊。ガッと見開かれジロジロ、はたまたキョロキョロと辺りを見るさまは異様である。仁王立ちとなれば四メートルにも達する体格は、鉢合った者を震撼させるに足る迫力だ。
「ウウ!!」
(駄目だ……殺される)
強く意気がってはみたものの、その迫力に圧されてしまい震えるハル。声を荒く上げられるたびに身体はピクリと怯え、持っていた短剣を落としてしまった。
落ちた短剣の音に反応した熊は、その音に対して殺気立つ。鋭く鋭利な爪を、その巨体をもって振りかざしてきた。蛇に見込まれた蛙状態のハルを殺すには充分である。たとえハルが動けたとしても、熊の身体の無数の視界からは逃れられないだろう。
(くっ!!)
「ブレイズ!」
「ウウ!?」
「今のうち! さっさと逃げる!」
熊がもがいているのを尻目に、言われるがままに逃げる。落とした短剣をそのままにしたことを悔やみながら。あれだけ動けなかったのに動けることに苦笑いを浮かべながら。
※ ※ ※
「ここまで来れば安心でしょう。そうでなければ殺してやる!」
「こりゃあおっかねえ。あの熊に同情するわぁ」
「何言ってるの? 殺す相手はキミよ、キミ。キミのせいで余計な体力を使ったから」
「え!?」
「短剣一本で挑むだなんてバカ。アホかしら。どっちにしても普通じゃない。そんな篭を背負ってるところを見るに農民ね。ファルイン辺りかしら」
「しょーがねえだろう!? 俺だって、こんな森に来たくなんかなかったさ! いいようにコキにされてよぉ」
「キミの用件なんて訊いてないわよ。興味も関心もないし。用が済んだのなら帰りなさい。じゃないとまた、あの熊に追われるかしらね」
「俺の家じゃないんだよ」
「まさか反抗期なの? それで死にかけてれば世話ないわね」
「反抗期じゃねえし! 本当に俺の家じゃねえんだ! 俺は一度死んだんだ。下半身も不随だった。それなのに生きてるし、こうして歩けてる。皆には俺との記憶があるが、俺には皆との記憶がない。多分、俺は」
「「転生者」」
ハルは、自分の声と少女の声が重なったことに驚いた。銀色短髪で、よく見るとオッドアイの少女を凝視する。してしまう。
「変態。それともロリコンなわけ? ワタシより歳が上ならロリコン確定ね」
「だれがロリコンだ! 俺は十六だぞ!」
「なーんだ残念かしら。ワタシも十六よ。じゃあ一体、キミは何の変態かしら?」
「変態確定で進めんなよ! 助けてくれたのは恩に着るが、好き放題に言われる謂れはねえぞ!」
「ふううん?」
前屈みに上目遣いに、面白可笑しそうに疑いの目を向けてくる少女。左右の異なる瞳の色は宝石のように綺麗である。そんな瞳に見つめられれば、大抵の男子はドキッとしてしまう。それはハルも例外ではなく、思わず顔を背けてしまった。
「キミも背けるんだ。ワタシを避けるんだ」
「え?」
「キミとなら……転生者のキミならと思っていたけれど。世界は変わっても変われないものね。そういう運命なのかしら」
「俺、祭囃子ハル! お前は?」
「訊いてどうするのかしら? こんなワタシの名前なんか。どうせ大した意味なんてないの。無意味なだけ」
「無意味なもんか! 俺は只、命の恩人の名前を知りたいだけだ!」
「だから無意味よ。名前を知って感謝して終わり。どうせキミも変わらない。他の人と同じよ。ワタシを否定するに決まってる。ワタシという存在に無関心になるだけ。そんな人から感謝されても嬉しくないし、ワタシがワタシで苦しむだけ」
「何言って?」
「ブレイズ」
「うっ!? 眩しっ!!」
突然の強い光に目を瞑る。次に目を開いた時には少女の姿は消えていた。結局、名前を訊くことは出来なかったが、本来の目的であった枝集めは果たすことが出来たハルは、スッキリしないまま家に戻っていく。
(あの光は何なんだ? 魔法なのか? 異世界ならば有り得るなあ……。ということは彼女、魔法使い……いや、ここはカッコよく魔術師と言ったほうがいいか。なんにせよ名前を訊きたいよなあ。明日、短剣を拾いに行くんだ。会えたらいいがよ……)
ハルの脳裏に浮かぶのは、あの熊の姿。思い出すだけでも身体は震えてしまう。
(夢にでてくるなよ。出てきたら洒落にならん!)