涙の過去
気が付けば夜であった。折り紙に夢中になっていたからか、そんなに長時間も折っていた自覚はない。どれだけの数を折ったのかも把握しておらず、襲ってきた目の疲れに驚いた。向かいに座っていたラルロアは、いつの間にか寝てしまっている。風邪を引かれては困ると思い、そーっとベッドに運んでいく。グイッと伸びをしてから、ルキが居る部屋へと向かっていった。
「あら。随分と長い子守りだったわね」
「ついついな」
「ラルロアは?」
「心配すんなよ御曹司。疲れて寝ちまってるだけだ」
「付き合わせて悪かったよねん」
「俺が提案したんだ。感謝をされるならまだしも、謝られる覚えはないぞ」
「そうよ。彼に謝るなんて損なだけ。リルリッドの謝罪だなんて勿体ないわよ」
「おいおい。なんだか馬鹿にしてないか!?」
「なんだかじゃないわよ。確実にしてるのよ」
涼しい顔で答えながら紙を見つめるルキ。見つめるというよりは、読んでいるという方が正しい。リーリッドの机に積まれた紙をペラペラと捲り読む。
「何してんだ?」
「今度リーさん、パーティーでスピーチをするんですって。その為の台本作りを手伝っていたの。リーさんは活字が苦手だから、ワタシが文を抜粋してあげているのよ」
「果てしなそうだな」
「心配無用よ。大体終わったから」
「「えっ」」
「あくまでも読むのはリーさん自身。ここから付け加えるのもよし、更に減らすもよし。頑張ってくださいね」
「そ、そんな~」
「最後まで手伝ってやればいいんじゃないか」
「駄目よ。リーさんは次期社長になる人。あれもこれも手伝ってしまったら、いざというときにリーダーシップを発揮出来ないじゃない」
「それもそうか」
「ハルハルまで!?」
「リーさん。ワタシ達は帰ります。では」
リーリッドに後ろ髪を引かれつつ、扉を閉めるルキ。二人が去った部屋に残されたリーリッドは、積まれた紙を寂しく読むのだった。
※ ※ ※
アロポリアはネオン街に変わっていた。街行く人々の服装も派手になっている。すれ違いざまに鼻を突く酒の臭いにハルは眉をひそめた。
「お酒は苦手かしら」
「苦手じゃねえ……嫌いだ。絡み酒なんか最悪だ」
「両親は飲まないのかしら」
「冠婚葬祭で飲む程度だ。普段は飲まん」
「そう」
「それにしても凄い賑わいだな。普段からか?」
「普段からよ。アロポリアは首都だもの」
「ファルインとはエライ差だな」
「どこもかしこもこんな具合じゃ堪らないわよ」
「人混みは苦手か?」
「少なくとも得意じゃないわね。〝人〟に慣れてないからかしら」
「……俺のことを話したけどさぁ、お前のことを訊いてなかったよな? 訊いていいか?」
「駄目……っていうのはフェアじゃないわね。どこを話そうかしら」
「言える分だけでいいぞ。俺だって全部じゃないし」
歩く速度を落としていく。それと同時に口を開く。右腕を左手で押さえながら、ゆっくりと語り出した。
「ワタシね、苛められていたのよ」
「意外だな」
「小学生の頃から始まったわ。最初は物を盗まれたりする程度だったわ。けど次第にエスカレートしていったの。あることないこと言われたり、罪を着せられたり。それでも耐えられたわ。守ってくれる親友が傍にいてくれたから」
「カードのか」
「でもそれは甘えだった。中学三年の、桜が咲き誇っている頃、ワタシを庇っていた為に矛先が親友に変わってしまったの。制服を引き千切られ、私物を燃やされて……挙げ句!」
「もういい! よく分かったから!」
身体をブルブル震わせるルキを見かねたハルは止めに入るが、当のルキは止めなかった。
「不良グループに乱暴されそうになったワタシを庇ったせいで、親友は……美空はワタシの代わりに……!」
「もういい!!」
震えるルキを思わず抱き寄せるハル。自分から振った責任を感じての行動だった。
それでも話を止めることをしないルキ。ハルの胸に顔を埋めながら続ける。
「それから美空が学校に来ることはなかったわ。ワタシは再びターゲットにされた。伸ばしていた髪を切られたわ。生まれつきの目を狙われたことも。なんとか逃げていたある日、ワタシは美空の家に行ったの。ケータイにも出なかったから心配で。美空のお母さんが出迎えてくれて、ワタシは美空の部屋の扉をノックしたわ。けれど返事はなかったの」
ルキの手がハルのワイシャツを強く掴む。涙でハルのワイシャツを濡らしているのを自覚しつつも離れないでいる。
「仕方なく鍵を壊して入ったわ。花瓶に手首を入れた美空がいたわ。その花瓶の水は血で染まっていたわよ。急いで病院に搬送されたけど、既に手遅れだったわ。それはもう、桜が散っていた頃ね」
「お前のせいじゃない」
「ワタシが強くあればよかったのよ」
「そうやって責めるな」
「ワタシは美空の遺品を受け取ったわ。それが魔法のカード。カードを受け取って数日後、ワタシは転移したのよ」
「……辛かったんだな」
「今も辛いわよ。思い出すたびに涙を流すもの」
話を終えたルキは離れる。ハルのワイシャツを濡らしてしまったことを謝りながらハンカチを取り出すと、ハンカチをハルに手渡した。
「これで拭いて」
「しょうがないな」
ハンカチを受け取ったハルは、そっとルキの目に溜まる涙を拭っていく。思わず驚いてしまうルキ。涙を吸ったハンカチを自分のポケットに仕舞うと、ルキの頭に手を置いて撫でた。
「ワイシャツを拭くために渡したのに」
「ワイシャツは乾けばいいけどよ、女の子を泣かしたままにはいかないだろう。涙は女の武器なんだろう? そんな武器を垂れ流したままだなんて勿体ない」
「キミには似合わない行為よ」
「柄にもないのは承知だ。承知のうえでやったんだ」
再び歩き出すハルの裾を掴むルキ。キョトンとするハルを上目遣いで見つめるルキの瞳は潤んでいる。涙ではなく、街を照らす光で潤んでいる。
「もう少し……一緒にいたいのだけれど」
「どっか行きたいとこでもあるのか?」
「が、柄にもないのは承知のうえだわ。特に行きたい場所はないけれど、一緒にいたいのよ」
「そっか。じゃあなんか食べないか? 腹が減っちまってよ」
「分かったわ。オススメのお店があるの」
二人並んで歩いていく。ハルの裾を掴んだままのルキと、そんなルキに戸惑いつつも照れるハル。二人はもう暫く、夜のアロポリアを楽しんだのだった。