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時刻は15時を回っていた。
私は終了のチャイム音と共にダッシュで靴箱へと向かった。開放されたドアから冷たい風が吹いている。
不審者対策なのか下駄箱から外へ出るための扉は登校時・休憩時・下校時にしか開いていない。そのほかの時間は施錠されている。
勢い良く靴を床に落として、躊躇なく足を殴りこむ。履ききれていない状態だがほかの目線など関係なく走り出す。
外は軽く吹雪いていた。朝から徐々に風が増して、今に至っている。
顔に雪が触れ、とても冷たい。
今日に限ってマフラーを忘れたのは痛かったかもしれない。などと吐露しつつガーデニングエリアを走り抜ける。
生徒に見られたら恥ずかしいところだが、うちの担任の終礼の短さのお陰で他のクラスはまだ下駄箱にすら来ていないのだ。
白息と咳を混じらせながら正門へと向かった。時刻は15時10分といったところだろう。30分前後には到着できる予定だ。ただ、この雪の中を考えると到着が遅れるやもしない。
「むむむ・・・。」
考えるのを止め全力で走る事にした。
その矢先。
「おーーーい。舞子ー!」
どこからか私の名前を大声で叫ぶ者がいた。
その主は車の窓からひょっこり、顔を出して、こちらを笑顔で見ている。
「春さん!」
彼の名前は村田春男。旅館星見荘の板前の一人だ。若いにも関わらず、板前の夢を諦めきれず、家を出て星見荘に弟子入りしに来た。それから数年が立ち、彼はうちの腕の立つ板前の一人へと。
元気が取り柄だが時々、空気を読めない発言をする。
一部では天然ではないだろうかという声も。
「どうしてここに!?」
車に近づき、ほかの生徒に見つからないように急いで乗り込む。
中は暖房が効いており、冷え切った体には心地よかった。
「いやなー。市場に用事があったもんだからさ。俺たちの舞子がこんな雪中走って怪我しちゃ大変だなー。と思って。わざわざ、遠回りしてきてやったのよ。」
「ただ、サボり時間を増やしたかったからじゃないんですか?」
「何をーー!!」とエンジンをかけると同時に声を荒げた。「冗談ですよ。」と笑いながら言うと。「ふん。」といじけてしまった様子を見せる。
「何かの買出しですか?」
車の後ろに3つの大サイズの発泡スチロールが積まれていた。
「ああ。最近、猪肉料理が良く通るからな。冷凍してた肉も切れそうだったから、大将に買って来いと。」
「ええー。パシられてやんのー。」
彼をおちょくるのは私の楽しみの1つであった。
この旅館に勤めてから開花した私の属性なのかもしれない。
「馬鹿言え!下の者が上の者の言うことを聞くのは当たり前や!」
私は「ふーん。」とその荷物を見ながら受け答えした。
「でも、春さんありがとうね!この雪中走っていったら、確実にやばかったよ。」
「お、おう。」
と照れている姿に私は後ろの席でニタニタ笑っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
旅館に到着したのは学校から出て、ほんの数分であった。
車から降りて、春男に感謝のお辞儀をしてから早歩きする。駐車場にはお客さんのだと見られる車が数台停まっていた。
旅館前の階段は雪で少し積もっており、滑らないように駆け上がる。
ガラスが霜で白く濁った自動ドアの前に静止すると、開放音を発し、中へと私を導く。
真っ赤な絨毯にはゴミ1つ落ちておらず、従業員の誠意が良く伝わってくる。
「舞子さん。」
靴を脱いでいた私の背後に気配が漂う。
「すいません。遅くなりました。女将さん。」
後ろに立っている女将は右手に持っていたタオルを私に差し出してきた。
「寒い中ご苦労様です。頭に雪がついてますよ。」
「あ。恐縮です・・・。」
タオルを受け取り、濡れた髪の毛や顔を拭く。洗剤の匂いがほのかに香り、安堵感が訪れる。旅館の中も暖房で暖められており、これも御もてなしに必要な精神なんだろうと改めて思った。
「松村様にさきほど連絡を入れたら、もうすぐ着くとの事なので、お出迎えお願いしますね。
「はい。」と笑顔で答えて、私は靴を持ったまま受付の後ろへ向かった。
事務所には数人の従業員が集まっていた。全員が作務衣か着物をつけて、客入れの用意をしていた。
「おはようございます!」
狭い事務所に響く私の声に気づき、一同がこちらに視線を向ける。険しい顔をして考えていた人も満遍無い笑顔で「おはよう!」と返してくれた。
それに答えるように私も笑顔を作る。
挨拶を終えて、更衣室と言えないカーテンで簡素で作られた着替え場所で作務衣へと着替える。
貴重品を鞄から取り出し、ポケットに収める。貴重品と言っても、携帯ぐらいだが。
最後に手鏡で自分の姿をチェックして、カーテンを解放した。