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翡翠の色とは程遠い。生臭く水中には得たいの知れない物が浮いていおり、それを肌で感じ取ってしまい余計に気持ちが悪い。
微かに目を開けるが小さいゴミが目に入り、すぐに閉じてしまった。
どんどん沈む。
どこまで沈むのだろうか?
重力に抗う事無く底へ底へと身を投じる。
と、急に何かに掴まれる。
力は優しく、私の手をゆっくり包み込む。
くぃっと引っ張られ、私は拒む事なく身を任す。
真っ逆様に落ちていた体はその手に導かれ横へと移動し始めた。
不思議と心地よさを感じる。人間の手の温かさ。久方ぶりの感覚。
潜り始めて軽く1分は経ったであろう。
未だに水中なわけだが私は息を止めるのが苦手ではないし得意でもない。ただ、水圧による負担で体が圧迫され、溜め込んだ酸素も後少しというところであり、つまり限界が近いという事である。
自由な右手を口元に持っていき抑える。少しでも酸素の放出を止める。
足をさらにバタつかせスピードを上げる。
頭皮に海藻のような物がヌメリと当たったが無心になり泳ぐ。
目を閉じていていたので暗闇だが前から大きな光が指してくるのがわかった。
光の方へと近づいて行くと急激な水流が起こり、何が何だがわからないまま水外へと放り出された。
空気の匂いが鼻孔にツンと当たってきたのに反応し、目を開ける。
周りに木々が生い茂り、中央には私達が出てきた水溜り。地面には深緑の草草が生えて、手入れもされていないのに美しい自然が広がっている。
濡れた衣服が重く、水中から飛び出たのはいいが地に行く事ができない。懸命に手を付き、上がろうとするが力が入らない。
「ほら。」
目の前にいた男性が手を差し出す。
「ありがとう。」
手を渡すと軽々と引き寄せられ、さっきの苦労が嘘のように思えた。
「助けてくれてありがとうございます。古川舞子って言います。」
自己紹介している場合か?と発言した後に気づいた。
「俺は相沢沖介。好きなように呼んでくれ。」
「相沢さんですね?はい。宜しくお願いします。」
簡単な挨拶をしたが、さっきから相沢は視線があっちへこっちへと移動している。こちらに視線をやるのを背けているようだ。
「どうかしましたか?」
「あ、あのさ・・・。服・・・。」
「え?服?」
服という単語に反応し自分の姿を確認する。
衣服がずぶ濡れというのはわかっていたが、服が透けているなんてことは一切自覚しておらず、それを知った今。猛烈に恥ずかしくなり、透けていた部分を隠すようにその場に座り込んだ。
「きゃぁぁ。」
響かない悲鳴をその場であげて、顔を赤面させる。恥らうという感情がまだ自分にあったのかと驚きも含みつつ。
「わ、悪い。」
こちらに背を向け、何回も謝罪をしてくる。逆に申し訳なくなってきたので「もういいです。」と声を掛けて、現状の事を聞こうと問う。
「ここはどこなんですか?」
「ここは・・・。と、その前に立ち話もあれだから、隠れ家まで案内するよ。すぐそこにあるから。」
「はい。」
「それとさ・・・。お、俺。前だけ向いて歩くから、しっかり付いてきてな。何かあったら声出して。」
「わかりました。」
そう言うと相沢は歩き出し、その後ろを私が歩く。
空まで届きそうな木々が立ち並ぶ中、その隙間を縫うように通る。木々のあちこちから飛び出している枝が服に刺さり、行動しにくい。
「ん?」
ベチャリと柔らかい何かを盛大に踏んづける。ぶちまけた液体が足の指の間にも侵入し、叫ばずにはいられなくなった。
「ぎゃぁぁぁぁぁ。」
「きゃぁ。」ではなく「ぎゃぁ。」を選んだ自分に後悔が生まれる。律義に優雅に生きてきた私だがこの短期間で野生心が育ちつつあるのかもしれない。野蛮な人間へはこうやってなるのであろう。
目の前にあった肉体をひょぃと抱き締め、助けを求める。
引き締まった肉体に男性独特の匂いが新鮮であった。
「ど、どうした!?」
何事かと当然の様にこっちへ視線を向ける。
「な、な、何か変な物踏んづけちゃいました・・・。助けてください。お願いします。お願いします。」
「ちょっと待って。」
相沢が目線を下に送るのを確認し、自分も恐る恐る見ると、トマトの様な赤い果肉が付着していた。
「ああー。これこの辺りの木々に育つ果物だよ。安心して。」
「そうなんですか。よかった~。」
肩を撫で下ろし安堵する。
「一体何と間違えたんだよ。」
爆笑とは言えないが口を押さえ大いに笑われた。これは屈辱である。
「生き物でも踏んづけたのかと焦りました。というか・・・笑いすぎです。」
「はははは。悪い悪い。」
「それはそれで・・・。こっち見ないでくださいよ!!」
「ごめん。」
我に帰ったのか背をこちらへ向けて、元の体制に戻る。
さっきの寸劇が嘘かのように沈黙が続き、気づけば出口までやって来ていた。
「到着ー。」
口を開いた相沢を他所に目の前の光景を凝視する。
一面野原。その真ん中に一本木が立っていてその隣に簡素な木小屋が一軒。周辺にはそれと言って何かがあるという訳でもないのだが安心感が溢れ上がる。
「あ、おかえりなさい。」
「ほのか、ただいまー。」
黒髪の毛を後ろで結び上品なポニーテイルに仕立てて、オレンジ色の服が何とも可愛らしく。皆から愛されそうな子だ。
「あれ!その人はどなたですか!?」
こちらを視認するなり凄い勢いで食いついてくる。
「さっき街の近くで会った人だよ。」
「えっと・・・。ほのかちゃんだったかな?初めまして、古川舞子です。舞子でいいよ。」
笑顔で微笑み、その愛らしい顔の持ち主であるほのかの頭を優しく撫でる。まるで妹ができたような嬉しさだ。
「相沢ほのかです!お姉ちゃんって呼んでいいですか!?」
「ええ。いいわよ。」
聞き覚えのある姓名であった。
「あれ・・・?相沢って・・・。」
「ほのかは俺の妹だよ。」
なるほどと手を叩き二人を見る。
交互に顔を見比べると1つ決定的な事に気づいてします。
「顔が似ていない。」