紅き色を持つ者2
「どうやらあの男は、人身売買をする為に子供を探していたみたいだね。そしてこのスフィラの者ではなかったみたい」
「……人身売買。もし、シャルルが連れていかれていたら」
どうなっていたのだろうか。
そう、考えるのも怖い。
身の毛がよだつ様な、物騒な事件にでも巻き込まれなくてよかったが……。
「人身売買? ……何なの」
シャルルがそう質問してきて、二人はドキッとした。
何も知らないシャルルに本当の事を言うか、それとも話しを逸らすか。
ルドガーの顔をチラッとみると、苦笑いしていた。
これはちゃんと本当の事を言った方がいいということなのか。
そう思うと、俊弥は息を吸い込み口を開いた。
「あのなーー」
「もしかして……こう、人がいなくなっちゃうこと?」
シャルルは俊弥の言葉を遮る。
人がいなくなるという事はあながち間違っていない様な気がするが、何故そう思ったのか。
「なんでシャルルはそう思うの?」
ルドガーがそう問いかける。
「……昔、本で読んだ事があるの。取引により人が連れて行かれちゃうとか」
シャルルはあの屋敷にいる時、ずっとかなりの本を読んでいたのだろうか。
もしそうなのであれば、下手に隠すのはよくないのでは。
「……そうだね、ある意味合ってるよ」
合っているよじゃなくて、ある意味と付け足したのは何かしらシャルルに気を使ったのだろうか。
「じゃあ、レドは? レドも連れて行かれちゃうの?」
双眸に涙を浮かべ、ルドガーの服の裾を引っ張る。
そして、ぽろりぽろりと涙で頬を濡らしていった。
「……シャルル」
俊弥はシャルルはレドの事を大事に想ってるんだという気持ちと、なんで記憶がないというのにそこまでシャルルはそんなにも想ってられるんだという気持ちが心の中で渦巻く。
どんなに想っても二度と会えない人もいるというのに、シャルルはなんでそこまで一直線な想いを貫き通す事が出来るんだろうか。
ふと脳裏に浮かぶのは、あの世界での一番大切な人だ。
……どんなに想っても、あいつには二度と会うこと出来ないんだよな。
もう一度心に刻む。
二度と会えない苦しさと、二度と失いたくないその想いを。
現在、俊弥達は家に向かってる最中だ。
あの後、男は兵士により連れていかれ、その兵士達に色々と事情聴取された。
何故男が軽い怪我してるのか、一体この男が何をしたのかと……。
シャルルは問われても口を開かなかった為、ルドガーが代わりに答えていた。
そしてあれから一時間から二時間程経っている。
一人、先に帰ったレドの事が気がかりなのは三人共同じだ。
『………帰る…』
そう言ったレドの表情が、頭から離れなかった。
あの時レドの腕を掴もうとしたのに、何故手が動かなかったんだろう。
もし、動いていたら何か変わってたのだろうか。
そう、もしもという考えが浮かんでは消えていく。
「……レドは私の為にしてくれたの。
だから、どこにも連れていかれないよね」
シャルルは確認するように、ルドガー尋ねる。
「うん、そうだとは思うよ。
相手は犯罪を犯している者だった。
そしてまた犯罪を犯そうとしていた所を、手段はどうであれ止めたから罪には問われない筈だよ。それに、殺害していないからね」
「そっか……そうだよね」
心做しかだろうか……。
だとしても、シャルルの表情は安心したかのように明るくなっていた。
俊弥はほっと胸をなでおろし、空を見上げた。
少しずつ、空は青から橙へと変わっていく。
日が沈むまで、そう時間はかからないだろう。
俊弥は早く、空が明るくなって欲しいと切に願った。
空が再びあの青色を、青空になれば何もかもが元通りになるのではないかと不意に感じたからだ。
もちろんそんな確証はないし、なる可能性なんて無いに等しい。
だとしても、何かに縋りたい思いがどこかにあるのかも知れない。
そんな思いを抱えながらも、家へと着く。
中に入り扉を開けると、電気はついておらず、少し薄暗かった。
明かりを点け、部屋を見回すと黒いシャツ一枚のレドがソファーの上で横になっていた。
顔を覗きこむと、どうやら寝ているようだ。
「寝てるの?」
「みたいだね。……俊弥、念の為レドの近くにいてね。さて、僕は晩御飯の下準備しようかな。シャルル、手伝ってくれる?」
「え? うん!」
ルドガーはシャルルの気分転換の為なのか、シャルルと手を繋ぎ奥のキッチンの方へと姿を消した。
残された俊弥はする事がないので床に座り、テレビを付ける。
ルドガーに側にいて言われたので、ソファーの斜め右前へと座っている。
床といってもカーペットが敷いてある為、冷たくなく、そして固くはないので普通に寛いでいるのだが……。
でも、何でルドガーは念の為レドの近くにいてと言ったのだろうか。
あんなに人見知り……というか、人嫌いしているレドの側に。
側にいない方がいいのではないのかと、心の奥でそう思っていた。
リモコンを操作するが、テレビの内容は昨日と大して変わっておらず、俊弥は暇していた。
そんな時、なんとなく後ろのソファーで横向きで寝てるレドの寝顔を見る。
顔立ちはやはり幼く、寝顔はいつもの不機嫌そうな表情とは大違いで、カッコイイというより綺麗な顔立ちである。
睫毛も長く、女の子であり普通より長めだと思われるシャルルと同じ位の長さではないのだろうか。
これなら、髪型と服装を少し弄れば女性と間違われる可能性も否定は出来ない。
そう思ってる時、決して耳に届くほどの大きさではない小さな呻き声が聞こえる。
それは、少し掠れたような呻き声で、俊弥は咄嗟にレドを見た。
俊弥の視線の先には、眉間に皺を寄せ、顔色が少し悪いレドがうなされていた。
「レド……?」
◇
気が付けば、一面暗闇の中にぽつんと独り。
ここが何処なのかは分からない。
だが甚だしい程に不安な気持ちになる。
「……夢?」
夢なのかは分からないが、自分の意思で体を動かすことが出来る。
明晰夢だろうか。
頬をつねってはみるが、覚めることが出来ない。
普通の夢ならば何もしなくても覚めるというのに、こういう時は覚めないのかと、ムッとしながら周りを見る。
しかし、いくら見回したとしても辺りは千古不易の闇。
そんな中、恐る恐る足を一歩踏み出した。
ーーその時
目の前を、一人の人影が走って行った。
いや、何かから逃げていたのだろうか。
その人影が走って行った方向へと向いた時、耳をつん裂くような金属音が鳴り響く。
まるで耳の近くで、鋭い速さで剣戟をしてる様な音だ。
その音に不快感を抱き、目を瞑り耳を手で塞いだ。
そして、何かが噴き出すような音が、剣戟の音が鳴り止んだ時に聞こえた。
その音に反応し、耳を塞いでた手を離し、目を開く。
「……っ!!」
目の前を通り過ぎ過ぎたとされる人影が倒れており、その体から血が溢れかえっていた。
周りをよく見れば、見知らぬ大人達が同じく倒れている。
中には、血によって紅く染まったのか、それとも元からなのか目を引く“紅い髪”の女性。
その一帯だけは、血の海と化してた。
次々と血が溢れ、気が付けば自分の足元まで血が及ぶ。
釘を打たれたかのように動かなくなった自身の体を何とか動かし、少しずつ後退りをする。
……吐き気がする。
レドは顔を真っ青にしながら、手で口を覆った。
叫びたい……誰かにこの悪夢から救い出して欲しい。
その思いだけが、頭の中でこだまし続ける。
そんな時、不意に涙が頬を濡らした。
「……は?」
自分が涙を流している事に驚いた時、景色が突然変化した。
あの暗闇から何処か別の空間へと景色が変わった途端、突如手が震えだした。
手だけではない、気づけば足もすくんでいた。
……ここにいてはいけない、本能がそう警告してくる。
だが、記憶には無い景色。
もしかしたら記憶を無くす前に見たことある景色だろうか。
顔を上げると鉄格子が見える。
……そういえば、何故だが昔から苦手だったな。
今は恐ろしい程冷静だが、思い返せば異常に恐怖感を感じ、ルドガーを困らせていた。
けれど、まだ昔と比べれば大丈夫になったと思われる。
が、それでも謎の恐怖感が襲いかかってくる。
「この景色は、お気に召さないか?」
気配さえも感じられなかった者が、突如体を包み込むようにして背後に現れた。
長い血の様な髪の毛、それから三つ編みの“紅い”髪の毛が視界に映り込む。
「……どうせ“壊れる”なら、その体やはり要らないよな」
「……お前、はっ……誰だ」
男の質問を無視し逆に問いかけると、男は鼻で笑った。
「分からない? ……まあ、分からねぇよな。
俺だって最初はそうだった。
あんな事になるなんて思いもしなかった」
そう呟くとレドの視界を手で覆い隠す。
突然の事に体が強張る。
男を振り払おうとしても、何しても身体に力が全く入らない。
男は“紅い眼”を細め、レドの耳元で呟くように言葉を零していく。
「今はまだ“期限”あるから執行猶予が存在している。だが、お前自身の真実を知った時にはお前という存在は壊れると言うことをよく覚えてろよ」
……殺意、怨念……まるでその二つが混ざったような声に、身震いする。
そんな時身体に力が戻り、男を振り払おうとする。
しかし男はそれを許すまいと、レドの腰に回していた手に力を入れる。
「……っ!! 離……っせ」
「……絶対……つ……き…には邪魔させない。また繰り返されてたまるか。
必ず……×××を救う、助けるから……。約束を叶えに行くから……。だからーー」
何のことかは分からない。
だが突然雰囲気が変わった男の声を聞き、恐怖感を覚える。
「……っ!! 俺にーー!!」
◇
「ん?ゴミか……これ」
俊弥が木の葉とされるゴミらしきものを見つけ、手を伸ばすと
「ーー俺に触るなっ!!」
「なっ!!」
レドがいきなり起き上がり、そして俊弥の手を払いのけた。
突然の事により固まる俊弥。
レドも同じく固まっているが、顔色が悪く額には汗が滲んでいる。
「レド、さん。どっ、どうしたんだ、じゃなくてどうしたのですか?」
俊弥は行き場のない両手を前に出しながら、レドにそう尋ねる。
「………たい」
「……え?」
俯いていたレドが、ゆっくりと口を開き始める。
「……痛い痛い痛いっ」
瞳には涙が湛え、まるでうずくまる様にして、胸を抑えてただ痛いとだけ連呼していた。
その痛みは、刃物で深く切りつけられた切創や刺創の様だ。
だが、体にはそのような真新しい傷というものは存在はしない。
だというのに、今さっき負わされた様な痛み。
レドはただ、この不可解な痛みに耐えるしかなかった。
そんな中も俊弥が驚きながら、何かしようとはするが声は出ず、体も動かなかった。
まだ動くといえばわたわたとさせていた手、くらいだろう。
「ま、まず落ち着こうな! それに横になろうな!!」
やっと声を出す事が出来た俊弥は、何も言わなくなったレドをソファーに寝かせる。
と、ひょこりとシャルルが扉から顔を覗かせた。
「俊弥、どうしたの? 何を触るなって言ってたの?」
きょとんとした様子で、シャルルは俊弥に尋ねた。
シャルルが尋ねてきたその瞬間、俊弥の頭の中はパニック状態だ。
今のこの状況をどう言うか、シャルルになんて説明するかと。
「え!? ……いやその、そうだっ! じゃなくて、虫が腕にいてそれで触るなって咄嗟に言ってしまったんだ」
頭の中が真っ白になった俊弥は、咄嗟に嘘をついてしまった。
シャルルにレドの事を言うのもよかったかもしれないが、ただえさえシャルルは落ち込んでいた。
流石これ以上、不安な思いをしてほしくない。
それにシャルルが来たという事は、ルドガーは今手を離せないだろうし、もしかしたらルドガーが側にいてと言っていたのはこの事を予想してたのだろうか。
「……そうなの?」
「うっ、うん!! そうだよ!」
シャルルはジトーーと、俊弥の顔を見ると静かに扉を閉めた。
俊弥はホッとため息をつく。
そしてソファーに身を沈め、苦しそうにしているレドに視線を移す。
ただ服についていた木の葉に触れようとしただけなのに、なんでこのような状態になったのか。
そんなに夢見が酷かったのか。
「大丈夫……か? 何か俺に出来ることは……」
そう、レドに言葉をかける。
ルドガーに伝えた方がいいのかもしれないが、今伝えに行くとシャルルの耳にも入ってしまう可能性がある。
だとしても、レドの体が心配だ。
シャルルがまた落ち込んでしまうとしても、ここはルドガーに伝えに行くべきなのかもしれない。
そう結論を出した時。
「……寒い」
「……え?」
突然レドが寒いと言い出した。
部屋の中は暖かく、寒いとは感じないのだが。
だが、レドは自らの体から徐々に体温が下がっていくのを感じていた。
それは、体内から体外へと血が流れ出すかのように、サァ……っと。
「なん…っで、こんなにも寒い……っんだ」
レドの体は震えて、手根により隠された瞳からは涙が零れ落ちる。
俊弥は咄嗟に自分の上着を着させようと服に手をかけたが、よくよく考えれば上着なんてなかった。
今の服装はワイシャツのままであり、制服の上着なんてこの世界には存在していない。
二階の部屋の方から掛け布団持ってこようかと思ったが、あの魔法袋に毛布が入ってる事を思い出し、魔法袋から毛布を取り出す。
そして、レドにかけた。
「ほら、これでいいか?」
「……」
レドはかけてもらった毛布を顔の近くまで引っ張った。
こんなにもレドに弱々しい一面もある事に俊弥は内心驚いていた。
あんなに冷淡な態度で、他人というより人間とはあまり話さないから。
だが、レドも一人の人間。
人間には必ずしも弱い部分はある。
「喉、乾くか? なんなら今すぐ水持ってくるからな」
そうレドに伝え、奥の方ではなく、すぐ近くにあるキッチンの方へ行こうとした時
突然に服の裾を引っ張られた。
「レドさん?」
どうかしたんだろうかと、俊弥はレドの方を見る。
その時気付いた、レドの腕が震えている事を。
「……に」
「え?」
「側に……いてくれないか」
顔を少し赤らめながら、そうレドは言う。
その様子を見た俊弥は笑みを浮かべ、レドの手を掴んだ。
「レドさんがそういうなら、側にいるよ」
そう声をかけると、レドは安心したかの様に瞼を閉じた。
◇
「レド、ご飯は?」
「んなの、食欲がねぇから要らねえよ!」
ルドガーが食事を運んでる時、レドはソファーから起き上がり何処かへ行こうとしてた。
ルドガーは何度か引き止めたが、レドは聞かなかった。
……先程のレドは、俺の妄想? それとも幻想だったのかと、俊弥は一人迷走していた。
そんな事を思っていた時、突然毛布を俊弥の顔の前に突き出してきた。
その事に対し俊弥が驚いていると、歯ぎれ悪そうにほんのりと顔を赤らめていた。
「っぁ……ありが、とう………。と、まあ礼だけは言って……おいてやる、からな!!」
ぼそりと呟いた後、大音声を出し乱暴に毛布を俊弥の顔にめがけて投げ飛ばしてきた。
案の定、その毛布は俊弥の顔に命中。
俊弥にもルドガーにもシャルルにも目をくれずに、レドはその場を後にした。
「……あれは、どう見ても照れ隠しだね」
バタンッと大きな音を立て閉められた扉を見て、ルドガーはそう言った。
「照れ隠し? あれが!?」
顔に命中した後、床に落ちた毛布を拾い、俊弥は疑問を口にした。
どう考えても照れ隠しというより、ただ機嫌が悪いだけではないのかと思う。
だが、もしレドの態度が“ツンデレ”というものであれば納得はできる様な気がする。
そう俊弥は心の奥で、感じたのであった。
◇
「……レド」
聞こえない程の小さな声で、シャルルはぼそりと言葉を漏らす。
少しながら元気になったと思ってはいたが、まだ気にしているらしく、表情からにして落ち込んでいるようだ。
一方のルドガーも、レドの様子がおかしいのはもうとっくに気付いているだろう。
その事について考え事しているようで、眉間に皺がよっている。
「もしかして……あの男の言葉を引きずっているのかな」
ルドガーは持っていた箸を置いて、そう言葉を吐く。
「言葉……なの?」
「うん。やっぱり傷付いたんだと思うよ」
ルドガーが言っているのは、あの“化け物”と言われた事についてだろう。
シャルルの話によると、その言葉を聞いた後レドの様子が変わったようだ。
「僕と会った時もそんな事言われていたからね……。本人はあまり感情的にならないし、顔にも出さないけど、傷付いていると思うな」
昔からその言葉を投げられていたとすれば、相当心の中では痛みが蓄積されていく。
もし、自分が日常的に言われていたとすれば、きっと耐えきれずにおかしくなるだろう。
いや、“なっていた”。
だから、“ああなった”のだ。
その後の食事も暗い雰囲気で、甘い物か大好きであるシャルルも食べずにうつむいていた。
それは風呂に入った後も同じで、すぐシャルルは与えられた一人部屋へと姿を消した。
「……シャルル」
「俊弥、そんなに考える事じゃないよ。きっと時間が経てば、いつも通りに戻るよ」
「……そうだな、きっと」
明日になればまた、シャルルの笑顔を見れるのだろうか。
そして俊弥は“あの事”を思い出し、「あ!」と声を上げた。
「あの、ルドガー。実はレドがーー」
「あぁ、心配しなくていいよ。大丈夫だから」
俊弥は、レドが痛いと言葉を漏らしていた事を伝えようとしたのだが、ルドガーにより遮られた。
まるであの一件を、知っているかのような口振りだ。
俊弥が唖然としていると、こちらの方を向いてまたニコッと笑みを浮かべて
「大丈夫だよ。俊弥は“気にしなくていい”んだよ」
と、言葉を発した。
俊弥は違和感を感じながらも「あぁ、そ…そっ、かぁ」としか言えなかった。
これ以上何か尋ねたら、どうなるか分からない。
謎の恐怖感が、ルドガーから感じたのだ。
その後、俊弥は自分専用として用意されていたルドガーの右隣の部屋へと入り、不安な気持ちを抱えながら眠りについた。
「……」
ルドガーは俊弥が自室へと入ったのを見届けると、とある一室に足を踏み入れた。
「……なんだよ」
「んー、ちょっと気になってね」
足を踏み入れた場所は、レドの部屋。
相変わらずローテーブルには、本が沢山積まれていた。
レドは布団の上に猫の抱き枕を抱いて座っており、ルドガーは二つある内のベットのすぐ側のソファーへと腰掛けた。
上半身を後ろへ捻るようにし、ルドガーはレドの顔を見る。
「ねえレド。何か、怖い思いしたの?」
尋ねると、レドは驚きの表情を浮かべた。
「……んで、んな事聞くんだ」
「だってレドは、何かあった時は大体腕を組まず左腕だけを掴んでるでしょ? それに顔色悪いからそう思っただけ」
図星を突かれたレドはルドガーを睨みつけてると、ルドガーは一つの瓶を取り出した。
その瓶には数えられる程度の、少ない錠剤の様な物が入っていた。
「……何のつもりだ」
「レド具合悪いんでしょ? それに微熱がありそうだしね。その薬」
ルドガーは、受け取ろうとしないレドを見て溜息をついた。
カタン、と薬をローテーブルの上へ置く。
「まあ、飲む気じゃないなら飲まなくてもいいよ。置いていくから好きな時に飲んでね」
ルドガーはそう言い残し、レドの部屋から出て行った。
一人となった部屋で、レドはその場にいないルドガーに向けて言葉を発した。
「……お前が言ったんだろう。あまり、薬に頼るなっ……てっ!」
そう吐き捨て、猫の抱き枕を力強く抱きしめた。
◇
「そうだよ。僕は確かにそう言った」
レドの部屋の扉に寄りかかっていたルドガーは、もう一つ、瓶を取り出す。
その瓶のラベルにはロキソニンやアセトアミノフェン等成分が記されていた。
所詮風邪薬だ。
なら先程の薬は、一体何の薬なのか。
「……でも、今は薬に頼ってもらわないと壊れてしまうからね。
……君は壊れてはいけないんだ」
手の中の瓶を強く握りしめた。
◇
スフィラから少し離れた森の奥。
そこに数人の人影が存在していた。
「くそ、あの化け物の所為で計画が台無しじゃないか」
ばちばちと音を立てる焚火の近くにいる人影は、あの男の仲間と思われる人達だった。
「なら、次やる事は分かってるよな」
「……そうだな、他の奴等に後をつかせた。時期に戻ってくるだろう」
すると一人の男がニヤリと笑みを浮かべた。
そして、木に止まっていた小鳥に目掛けてナイフを飛ばす。
小さな鳴き声を上げた小鳥は、ばさりと木から崩れ落ちた。
「仕返しはすぐした方がいいだろう? だから実行は明日だ」
◇
朝。
リビングでは朝食を食べる一同。
しかし、そこにはレドの姿は無い。
ルドガー曰わく「疲れていると思うからから、今日はゆっくりさせてあげて」と。
その事に関しては、俊弥もシャルルも同意見だ。
そしてシャルルはまだ少し落ち込んでいそうだが、昨日より明るさを取り戻していた。
「そういえば……。今日僕は、この後出かけなくちゃいけないから」
「どこに行くの?」
「ちょっと知り合いの所にね。昼過ぎか夕方頃には帰ってくるよ。流石に昼ご飯は今から作る時間が……レドがそれまで降りてくるなら作ってもらうようにメールで送るけど」
そのルドガーの言葉に意外性を感じた。
「レドさんって、料理出来るんだ」
「まあね、僕が教えたんだけど。意外?」
「まあ意外かな」
そもそもあまり食べることをしてないので、それにより意外性がさらに増していた。
皆は言葉を交わしながら食事を進める。
そして食事を終えると、あっという間にルドガーが出かける時間になった。
「もしレドが降りて来なかったら、適当に冷蔵庫にある物でも食べてね」
「分かったの」
「そうそう最近は何かと物騒だから、色々と気をつけてね」
ルドガーはそう言葉を残し出かけ、家には俊弥とシャルル。
後、多分まだ寝ているであろうレドだけである。
特にやる事はない、だからと言って外に行くのは危険であろう。
昨日の一件もあるが、俊弥自身が迷子になったり、シャルルとはぐれてしまう可能性もあるからだ。
仕方なくこの前と同じ様に、テレビをつける。
「あっデザートがいっぱいの」
画面に映しされているのはデザートの特集らしく、シャルルが好きな甘い物が沢山映しだされている。
「そういえば、シャルルって何のデザートが好きなんだ?」
俊弥がそう尋ねると、シャルルはうーーんと考え始めた。
その様子を見ていると、シャルルが少しながら元気になっていると実感する。
「好きなデザート? ……全部なの!!」
「全部!? そっか、食べ過ぎないようにな」
「うん!」
少しぎこちないが、シャルルは笑顔を浮かべた。
それから暫くの間一緒にデザートについて話ていると、チャイムが鳴る音が聞こえた。
「ルドガーなの?」
シャルルは立ち上がりひょこひょこと、玄関の方へ向かう。
「いや、そんな筈は……」
ルドガーなら忘れ物があったらチャイムなんて鳴らさずとも鍵を持っている為、それで入ってくるだろう。
じゃあ一体誰なのか……。
不意にルドガーが言っていた言葉が、頭の中で蘇る。
『そうそう最近何かと物騒だから、気をつけてね』
その言葉と、先日のテレビのニュース。
そして、昨日の一件。
俊弥は本能で危険だと感じ、咄嗟に口を開く。
「っ!! シャルル待て、扉を開けるな!!」
大声を出し、今まさに玄関へと続く扉を開けようとしたシャルルに制止をかける。
「え?」
シャルルはピタリと止まった。
そして何かを感じ取ったのか、足早に俊弥の所へと戻り始めた。
するとその直後、扉が破壊される音が響く。
室内に砂埃が舞い上がり、ガラガラと音を立て何かが崩れさる音が響き渡った。
そして、その崩れた瓦礫が俊弥達の方へと飛んでくる。
「きゃあっ!!」
「シャルル!!」
俊弥は、咄嗟にシャルルを抱きしめるかの様に庇う。
「……なんのっ…ゴホッ…音、だよっ!」
何かが破壊される音に気付いたのだろう。
二階からレドが降りてきた。
だが昨日と同様顔色が悪く、咳をしている。
そして破壊された玄関から、見知らぬ男が3人入って来た。
「……俊弥っ!」
「……っ」
飛んできた瓦礫により、俊弥の体に幾つもの小さな傷が出来る。
多少痛みは生じるが、だからといい痛みで何も出来ないという程ではない。
もしもの事を備え、魔法袋から剣を取り出す。
「……何者だ」
具合を悪そうにしながらも、殺気を放つレド。
それは男共も同じ。
「何者って酷でぇな、昨日俺達の仲間に手を出しておいて」
仲間と聞いて驚愕する一同。
「仲間!? もしかしてお前ら……昨日の」
「そうさ、せっかくの獲物だったのに……お前が手を出したから、こっちまで迷惑なんだよ」
男はちらりとシャルルを見る。
こいつらが言っている獲物とは、きっとシャルルの事だ。
俊弥は恐怖で震えているシャルルを庇う様に、前に立つ。
「……お前らっ…ゲホッ、何言っ…てんだよ」
苦しそうに咳をし、立っているレド。
俊弥はそれが気掛かりだが、それよりもっと気掛かりで大変な事が目の前にある事を再認識する。
この男達は昨日のあの男と仲間だと言う。
ならこの男達は、シャルルを連れて行く為に来たのか……。
だが、それにしては真正面から来ている。
何か策でもあるのだろうか。
そして男達は態度を変えずに、目的を語る。
「本当はそこの娘だけだったが、お前も連れて行くことにしたんだ。紅色なんて今じゃ数が少なく珍しいからな。裏ではかなり高く買い取ってもらえるらしいしな」
シャルルを連れに行くという事は俊弥の推測通りだったが、レドまでも連れて行くとは思わず、俊弥は驚きの表情を隠せなかった。
それから、男のある言葉が気になる。
「数が……少ない?」
今のところ色を持つ者はレドしか見てない。
だが、それは俊弥自身がこの世界に来てまだ日が浅いこともあるからだと思っていたのだが……。
「そうさ、数十年程前に“殺戮兵器”として恐れたとある国が紅髪の者たちを大量虐殺してな。こいつの様に傷物じゃない奴は表にはいないから珍しいんだよ。今じゃ、裏社会に纏まってる奴らばかりだからな。
……それに、他の奴らとは違う色の目をしてるしな」
まるで、歓喜している様な表情をする男達。
この時俊弥はゾワリと背筋が凍った。
……こいつらとまともに戦ってはならないと。
そう、本能的に察知した。
「勝手な事を……ほざいて、いるんじゃねぇ!」
レドは昨日と同じように殴り込みに行く。
男達はそれを待っていたように不敵な笑みを浮かべ武器を取り出す。
ーーそれは斧。
とても素手ではかなうものではない、下手すれば腕だけではなく体まで切断されてしまう。
「っ……レド!!」
シャルルが叫んだ瞬間ーー金属音が響く。
「…………え」
俊弥も男達も驚きの声をあげた。
何故ならあの距離で……そしてどこから出したのか分からない。
だがレドは確かに、武器である双剣で斧を受け止めていたのだから。
「なっ…お前どこからそれを!!」
「んな事、テメェらには関係ない事だろうがっ」
レドは攻撃を繰り出す。
剣に魔術だろうか……何かを纏わせてる。
ゲームでは俗に、魔法剣と呼ばれるものだろうか。
双剣を勢いよく振り下ろすと、ブワッと風が吹くのと同時に、風の刃のようのものが男達に襲いかかる。
男達はひたすら防御をする、防衛戦を余儀なくされた。
それは一同唖然とする程の強さで、男達は手を出せずにいた。
レドが逆手で持っている武器は紺色と灰色で、青色の宝石が付いているもの。
持つ場所には包帯の様なものが巻かれている、滑り止めなのだろうか。
そしてしばらくは防衛戦だった男達の一人が、俊弥とシャルルへと近づいて来る。
俊弥は急いで剣を構える。
……倒せるかは分からない。
でも今ここで食い止める事さえもしなければ俺だけではなく、シャルルさえも危ない目に合わせてしまう。
俊弥は気持ちを落ち着かせる為に、ゆっくりと深呼吸し……“まだ”攻撃が当たる可能性が高いあのスキルを繰り出す。
「風の剣!!」
俊弥はスキルを使い攻撃を繰り出す。
だが効果あったのは最初一撃位だけで、その後男の力により投げ飛ばされた。
「ぐぁっ!!」
勢いよくローテーブルへ頭をぶつけると、意識がだんだんゆっくりと沈むのと同時に、ぐったりと体が動かなくなった。
「俊弥!! っ痛い離して!!」
俊弥の元へ駆け寄ろうとしたシャルルだったが、男に髪の毛を勢いよく引っ張り上げられた。
「ほらどうするんだ、娘が傷付くぞ」
「っ……!!」
シャルルが人質に取られた事により、動き止まるレド。
男はそれを見逃さず、レドに斧を振り下ろす。
一方の俊弥は投げ飛ばされた拍子に、力強く投げ飛ばされ意識が殆ど飛んでいた。
だがゆっくりと意識が再浮上し目を開くと、其処にはレドに迫りくる男の武器の斧。
「レドっーー!!」
堪らず俊弥は叫んだ。
だがシャルルに気を取られていたレドは、突然の事により避けることは出来なかった。
男の斧は肩から横腹にかけてレドの体を斬り飛ばし、まるでスローモーションの様に崩れ落ちた。
黒いワイシャツが赤黒く染まり、鮮血が辺りに飛び散った。
「は……嘘、だろ」
やっとの事、負傷した左手腕を掴みながら立ち上がった俊弥は、絶句した。
「レ、ド……」
シャルルは泣き崩れ、嗚咽を漏らしていた。
傷口からは血を流し、床には幾つもの血溜まりが出来ている。
血は止まることは知らず、今もまだかなりの量の血が流れ出てくる。
誰がどう見ても、このままでは危ない事は確かだ。
気を失い、倒れているレドの代わりに俊弥は立ち上がり、シャルルを人質に取っている男に向かい剣を持ち突進していく。
「くそぉぉぉ!! 風の剣!!」
俊弥は感情に身を任せ、スキルを発動させた。
そのスキルの威力は、いつもとは違い殺傷力が上がっていた。
きっと、殺意という感情の所為であろう。
油断してした男は俊弥の攻撃を喰らい、咄嗟にシャルルから手を離してしまった。
シャルルはすぐ男から離れ、俊弥の後ろへと隠れる。
シャルルが戻ってきても形勢逆転した訳ではない、むしろ不利となった。
シャルルを守りつつ、それからレドのこともある。
これはどう考えても、完膚なきまでにやられてしまう可能性が大だ。
……“あの力”が使えるなら。
けれど、この世界では使えない可能性が高い。
なら、風の剣のスキルを使い続けるしかないのだろうか……。
「このクソガキが、殺す」
完全に怒りを露わにした男達の殺意により、足がすくむ。
「くっ……どうすれば」
もし、このままスキルを酷使したとしよう。
けれど、三対一では確実に自分が力尽きるのが先だということは確定だ。
もうダメかもしれない。
そう諦めかけた時、俊弥の耳に声が届く。
「二階の……俺の……部屋に、行け」
「レド……?」
レドは倒れたまま、途切れ途切れだが言葉を続ける。
「俺の、部屋にっ……携帯がある……そこからルド……ガーに、電話……しろ」
ルドガーに連絡出来る。
外に助けを求める手段があると思ったのと同時に、レドを一人にする事が出来ないと感じた。
シャルルに連絡させる手立てもあるが、二階に続く扉には砕け散ったガラスの破片が落ちている。
自分が男達を食い止めていても、裸足であるシャルルが怪我をさせてしまう。
「でもレドはっ!!」
連絡するのも大事だか、今はレドの怪我の手当ての方が先決だと、そう伝えようとした。
「ーーっ!! 早くっ行け!!」
だが、レドはそんな事を気にするなという様に俊弥を睨みつけた。
「……分かった。絶対に死ぬなよ」
俊弥は後ろ髪を引かれる思いで、その場立ち去った。
シャルルを抱き抱え、自分の足にガラスの破片が突き刺さる痛みに堪える。
レドの怪我と比べればちっぽけな痛みだと、そう自分に言い聞かせて。
「待てっ!!」
「待つ……のは、お前らだ」
ふらりとレドは立ち上がり、その拍子にぼたぼたと血が床にへと落ちる。
自分の血だとしても気持ち悪く吐き気がし、気がおかしくなりそうな気持ちになる。
だけど、今だけはおかしくなる訳にはいかなかった。
「……お前らの……相手は、この俺だ」
◇
もしかしたら男達が追いかけてくるかもしれないと思っていたが、誰一人追っては来なかった。
ガラスの破片が突き刺さった足から血が流れ出し、血の足跡を作っていた。
そして俊弥はシャルルを下ろし、ルドガーの部屋の左側の部屋のドアノブを捻る。
実は俊弥はレドの部屋は知らないが、一昨日ルドガーがこの部屋に用事があると言っていた。
きっとレドに、俊弥達の事を話す為だと思う。
そして扉を開くと思った通り、そこはレドの部屋であった。
部屋の内装は白を基調としていて本棚の数が多い印象。
ベット以外の家具は、ルドガーの部屋と同じ様だ。
「……俊弥、足」
「ん? 気にするなよ。それより携帯は……」
「あれかな?」
不安げに俊弥の顔を見ているシャルルが指差した場所は、ローテーブルに幾つかの本が散乱している場所だ。
俊弥は一体どこに携帯があるのか分からず、本をどける。
するとシャルルが言った通り、そこに携帯があった。
俊弥は急いで電話帳を開き、ルドガーへと電話を掛ける。
『はい、もしもし』
「ルドガー、大変なんだ!!」
『え、俊弥!? どうしたの。いや何でレドの携帯を……』
二コール目で電話に出たルドガーに、今の現状を話す。
「いきなり家に……昨日の男の仲間が、乗り込んできたんだ。俺とシャルルは大してそこまでの怪我はしていないんだが……」
「レドが凄く血を流していて……このままじゃ死んじゃうの!!」
シャルルは叫ぶ様にルドガーに、レドの状態を訴えた。
『分かった。今から直ぐ家に向かうからっ!! ……センリまた今度に、うん、じゃあ。とにかく僕が帰るまでなんとか持ちこたえて!!』
ルドガーはそう言葉を残し、電話を切る。
「持ちこたえる、か……。シャルルはここで隠れていろ」
俊弥の言葉を聞いたシャルルは、目を見開く。
「え……俊弥は……?」
「決まっている、レドの元に向かう。怪我をしているレド一人では、アイツらには勝てっこない!! だから助けに行くんだ」
「でもっ!!」
「っーー! いいからっシャルルはここにいるんだ!!」
俊弥はベルトにかけていた剣を取り、そして一階へと急ぎ足で向かった。
「…………今の私じゃあ、力に……なれないの?」
一人その場に残されたシャルルは、絞り出したような声でそう呟いた。
◇
「レドっ!!」
「……うっ……ぐぅ」
俊弥は勢いよく扉を開けるとそこの光景は、首を絞められ苦しんでいるレドと、一人の男が力いっぱい首を絞めている光景だ。
三人の内一人の男は戦闘不能で、もう一人の男は横腹に怪我を負っている……。
きっとレドがやったのだ。
しかし今のレドは首を絞められている。
しかも床に押さえ付けられ、身動きが出来ずにいた。
そして苦しさのあまりレドの目からは、一筋の涙がこぼれ落ちる。
「くっ……レド!!」
俊弥はレドを助けようと駆け出す。
「おっと、お前の相手は俺な!!」
「ぐっ……!!」
しかしそれは横腹に怪我を負っている男により阻まれた。
そして斧で攻撃を仕掛けてきて、俊弥は咄嗟に剣で受け取る。
なんとか男の攻撃から身を守った俊弥。
だがそれで終わりではない。
振り下ろされるだけではなく、右からや左からも連続攻撃を繰り出される。
俊弥はなんとか攻撃を受け止めていた……が、剣は攻撃に耐えきれず少しずつ罅が入る。
その事に気が付いた時、既に罅は剣身の半分を到達していた。
まずいと感じた時ーー
パキンっ!!
勢いよく破片を空気中に散らし、剣は完全に真っ二つに折れた。
武器を失い、丸腰状態。
絶体絶命だ。
その様子を、首を絞めている男がレドに語りかける。
「あの状況なら、お仲間さんが殺られるな。まあ安心してくれ……もう、お前は生かさねえからな。すぐに後を追わしてやるからな」
はっはは!! と笑う男。
その時、レドは覚悟を決めたような表情へと変化した。
「……死ぬのは、お……前と俺の…方…だっ!!」
ブワッ!! と、風が吹く。
まるで下から突き上げているかの様だ。
そして、レドの体から溢れ出た血液が光りだす。
まるで血文字で描かれた魔法陣の様なものが浮かび上がり、赤黒い風の様なものが魔法陣から吹き出す。
「まさか、あれはっ!!」
俊弥は思い出した。
それは本屋で見かけた本に記されてあった、かなりの血の量を糧とする危険な一つの魔術。
「血の魔法っ!!」
俊弥は驚きの声を上げた。
そして、男達もただ唖然としている。
「我が血を糧とし、その身を破壊する。ーー血の魔法!!」
詠唱し終えた途端、爆発音と共に眩しい光が俊弥までも包み込んだ。
何かの破壊音と、爆風。
散らばった瓦礫が風により巻き上げられ、壁に当たり音を立てる。
爆発が起こった辺りでは煙が立ち込めており、二人の姿は見えない。
勿論生存確認も出来ない……今の状況では。
……脳裏に最悪な状況を思い浮かべてしまう。
「ごめん、シャルル。助ける……って、言ったのに……助け、られなかった」
そして男は、はっと思い出したように俊弥へと斧を振り下ろした。
見ての通り俊弥の剣は折れ、攻撃から身を守る手段はない。
覚悟を決め、目を閉じる。
「……しーちゃん、俺は………」
……がいつまでも経っても衝撃はこない。
俊弥は恐る恐る目を開けると……そこには男の腕には何重も鎖が絡まっており、斧を振り下ろせない状態だった。
「遅れてごめんね」
「ルドガー!? それに後ろの人達は」
男の腕に鎖を巻きつけた張本人は、ルドガーであった。
手と腕に力を込め、男の動きを制御していた。
そして後ろにいる者達は、どうやら兵士のようだ。
ルドガーはこの人達を呼びに行っていた事で、遅くなったと言う。
こうして兵士によって男達は取り押さえられた……のはよかったが、家が見るに堪えない状態だ。
「……ルドガーその、なんと言うか」
「家なら大丈夫だよ。特別な魔法結界が貼ってあったから、だから元に戻せるよ。……でも玄関の扉は直ぐに付け変えないと」
ルドガーの言葉を聞き安堵する。
流石に居候の身でありながら、レドに重体を負わせ、同時に家が破滅状態となると途轍もない罪悪感に襲われてしまう。
耳に階段を勢いよく降りてくる音が届くと、扉が開く。
「俊弥ーー!!」
涙を零しながらシャルルは、俊弥に抱きついた。
「おわっ、シャルル!?」
「生きていてよかったのっ……。でも、また…私のせいでレドは…」
ちらりとレドの方へと向く。
その方向には、ルドガーと一緒に来た医療班の人達が応急処置を行っていた。
処置を行っている間もレドはぐったりと力無く横たわって、身体中から血を流している。
顔が青白く、頭を始め身体中には血が滲み始めている包帯が巻かれていた。
その状態はとても痛々しい。
「大丈夫だよ、シャルル。酷い怪我だけどちゃんと治療すれば治るから。……だから泣かなくていいんだよ」
「うっ……うん」
安心させる為に、シャルルの頭を撫でる。
ルドガーがシャルルに話しかけ、シャルルを安心させていた時、俊弥は足に突き刺さっていたガラス片を取り除いてもらう。
ピンセットを使い、取り除いてもらっていたが、ガラス片を取り出す時ズキっと電撃が走る様な痛みが生じた。
呻き声を上げそうになったがなんとか堪え、足の痛みに耐えた。
「さてと。今から病院に行くから、俊弥は一緒に来てね。足痛いでしょ? それに……念のためシャルルも一緒に」
ルドガーは気を失っているレドを両腕で抱きかかえる。
医療班の人達が応急処置をしてくれたお陰で止血は出来ており、後は病院での治療と精密検査だけとなった。
そんな中俊弥は腕と足に怪我の痛みで、今更泣きそうになる。
足に突き刺さっていたガラス片は一応取り除いてもらったが、まだ残っているかもしれない。
だから検査をしなくてはいけなかった。
だけどルドガーの腕に抱きかかえられているレドの怪我の方がより深刻で、その様子を見た俊弥は泣かないと決心した。
……しかしそれは、病院に着くまでであった。
◇
「痛ったい!!」
「……傷も塞いだし包帯も巻いたから、もう痛くないと思いますがね」
「いやそれでも触ると、げっ激痛がっ!!」
現在は病院のとある一室の診察室。
ルドガーは別の場所に行ってしまい、この場所では俊弥とシャルル。
そして、俊弥の事を治療してくれた医師の方のみだ。
「俊弥。痛いの痛いの飛んでけ~なの」
シャルルは渦巻きを描く様に、くるくると手首を動かす。
そのシャルルの行動を見ると、心が和む。
「うう……シャルルありがとう。でもルドガーは一体どこに」
「フィリウス先生なら、きっともうすぐ来ると思いますよ」
言葉を聞いた時、俊弥は頭にハテナマークを浮かべた。
「先生? ……そういえばルドガーは医者だったな」
ギルドカードを見せてもらった時のことを思い出す。
そこには医師と、医学者と書いてあった様な気がする。
「だったな……て、酷いな」
「あっルドガー」
俊弥はルドガーに背を向けていて、話をしようと椅子ごと振り返る。
だが、そこにはいつもの服のルドガーではなかった。
眼鏡に、白衣。
そして、首には聴診器をかけているという、完全に医師と断言できる姿があった。
「……本当に医師だったんだな」
「何、僕が職業を偽装していると思っていたの……?」
俊弥がそう言うと次の瞬間、ルドガーの周りにたちまち黒いオーラが出てきた。
「いっいや……ごめんなさいっ!! そういう意味じゃっ!!」
「別に怒ってはいないけど……?
そうそう、ちょっと別室で話聞きたいんだけど二人借りていっていいかな?」
「どうぞ、フィリウス先生。検査は終わりましたので」
話とはあの惨状の事だろう。
俊弥は診てくれた医師にお礼をいい診察室を後し、ゆっくり歩き始める。
歩く度に足にビリッとまるで電流が流れる様な激痛が走るが、そんなことを気にしている暇なんてないんだ。
しっかりしなくてはいけないんだ。
診察室を後にした一行は、出口側ではなく病院内の奥へ向かった。
その廊下の途中のエレベーターに乗り、上へ上がる。
エレベーター内は案外普通で、ストレッチャーを乗せるためなのか、かなり広い造りとなっている。
その間、ルドガーもシャルルも一切口を開かず、俊弥はこの空気をどうしたらいいのかと目線をあちらこちらと動かしていた。
明らかに挙動不審な俊弥。
そんな中ルドガーがボタンを押した階に着き、エレベーターを降りるとまた廊下を歩く。
ルドガーはエレベーターから五つ目位の、とある部屋の扉を開けた。
「はい、どうぞ」
「ここは?」
ここはどうやら病室ではない様だ。
デスクや本棚、何やら医薬品が入っている棚。
病室というよりも、個人的な部屋に見える。
「ここは、僕個人の部屋だよ。家に帰れない時はここで寝泊まりするし、基本診察以外に病院にいる時はここにいる感じだね」
そしてルドガーは二つあるうちの右端の扉を開けた。
そこには本棚が立ち並ぶ応接間の様な場所に、ソファーとテーブルが存在していた。
「そこに座ってて、今飲み物取ってくるから」
そう言い、ルドガーは一旦席を外す。
残された俊弥とシャルルは、ルドガーに言われた通りソファーに腰を下ろした。
何か声をかけた方がいいのかもしれないが、何を話せばいいのか分からない。
二人の間に気まずい空気と、沈黙が流れる。
「ねえ、俊弥。私……何も出来ないのかな」
「え?」
そんな気まずい空気の中。
シャルルは思いつめたかの様な表情をし、顔を伏せた。
「だって、私がいなければ俊弥とレドが危ない目に遭わなかったし。……私に何か出来ることがあれば、二人を助けることだって出来たはずなの……」
ぐっと小さな手に力が入る。
肩は震え、次第に嗚咽を漏らしはじめた。
「私はっ……ただ……見ているだけしかっ……出来ない、の?」
大きな瞳から、ポロリポロリと大粒の涙が零れ落ちた。
そのことに俊弥は何も言えず、ただ安心させるように抱き寄せる事しか出来なかった。
まだ幼いシャルルが、色々と自分の在り方を考えている。
その事を実感した俊弥は、ある事を心に決めた。
「……さて、どうしようかな」
飲み物と、そのついでにお菓子を持っていこうとトレイに載せて持っているが、今入れる雰囲気ではない。
だといい、いつまでも二人っきりにしておくのも気が進まない。
それに、話がいつまで経っても聞けずじまいだ。
「……でもまあ、少しは……そっとしておこうかな」
ルドガーは扉から離れ、時間が経つのを待った。
◇
「はい、どうぞ」
一体、どれ位時間が経ったのだろうか。
ルドガーから貰った飲み物を口に含むと、乾いていた喉が一瞬にして潤う。
隣に座っているシャルルは、どこか上の空だ。
「じゃあ、分かってると思うけど今日あったこと話してくれる?
証言として提出しなくちゃいけないから」
「分かった。じゃあ話すよ」
俊弥は今日あったことを全て話す。
どう話していいのか分からず、言葉が上手く纏まらず説明力が皆無だが、それでもルドガーは何も言わずに聞いてくれていた。
「じゃあ、後でこれを提出しなくちゃ」
証言を書いた紙を点検しているルドガーに、俊弥は話しかけた。
「あっ、あのさルドガー」
「ん? なぁに?」
「ちょっと気になっているんだが、なんでレドさんは自ら犠牲に……というか爆発に巻き込まれる様なことを…。レドさんなら何となく自分の身を爆発から守れるような気がしてたんだけど」
そう、俺は気になっていたんだ。
あの時ーー
『……死ぬのは、お……前と俺の…方…だっ!!』
そう言ったレドの言葉が耳から離れない。
これでは、自ら死を選んでいるような気がしてしまう。
ルドガーは少しの間考えているかの様に沈黙した後、口を開いた。
「レドが人見知りで、人嫌いなのは分かるよね」
「ああ」
「でもね、嫌い……だけど憎むことが出来ない。無意識に助けてしまう。レドはそんな子なんだよ。
そして僕が一番気がかりだったのは、誰かを助ける為ならば自分の命を投げ出してしまうこと……自己犠牲してしまうことなんだ」
俊弥はその事に何も言えなかった。
否定したかったのかもしれない、そんな事は間違ってると。
けれど、何も言えなかった。
「だから今回のことも、その自己犠牲なんだろうね。
本当……昔っから変わらないな」
ルドガーは思い出す。
あの日会ったときも、あちこちあの皆で旅をした時もレドは自ら犠牲にしようとしていた事を。
そして、あの時……あの瞬間。
レドが途切れ途切れに言った“あの言葉”。
……けれど、僕はーー。
そして、ルドガーは一言も喋らなかったシャルルを見る。
顔を伏せ、元気がないのは一目瞭然。
シャルルを安心させる為なのだろうか、けれど……どこか寂寥感が漂う笑顔を浮かべたルドガーはシャルルにそっと声をかけた。
「……レドさ、目を覚ましてるけど会う?」
「え?」
シャルルは顔を上げた。
「え……レドさんが!?」
瀕死状態であったレドが目を覚ましたという事実に、俊弥はただ驚く事しかできなかった。
あの状態なら、数日は目を覚まさない筈だが。
しかし、目を覚ましたのなら会いたい。
話せる状態かは分からないが、伝えなくちゃいけない。
答えはもう既に決まっている。
「うん、会うの! 行くの!」
「俺も会いに行く」
伝えたとしてもレドが了承してくれるとは限らない。
けれど、行動を起こさないままではこの先何も変わらない。
ダメ元だとしても、伝えなくては。
「……じゃあ、付いて来て」
俊弥とシャルルはルドガーの後を追うように部屋を後にし、エレベーターで別の階へと向かった。
そして502と書かれている扉へノックする。
「レド入るね。調子は……」
ピシッと、ルドガーは固まる。
それを不思議に思った俊弥とシャルルは、ひょこっと覗く。
俊弥の瞳は大きく開かれた。
何故ならーー
ポタリ……
俊弥の瞳には、赤い液体が落ちる様子が映った。
赤い液体……連想させるのは一つしか思い当たらない。
これは……まさか。
「……レド?」
シャルルはルドガーの白衣の袖を引っ張る。
あの惨劇を見た後だ。
シャルルの表情から不安と恐怖が読み取れる。
「……んな所で突っ立ってないで、何か拭くもん持ってこい」
「え、大丈夫なのか?」
凝視するが、どう見ても口元にベトっと血が付いている。
傷口が開いたわけではなさそうだが、どこかまだ痛むのかと不安と焦りでいっぱいだ。
「……チッ、ただの鼻血だ」
舌打ちし、ルドガーからタオルを貰うと顔を拭き始める。
見た感じ咳も既に止まっていた。
だがそのレドの姿はとても痛々しかった。
服は清潔感がある白色の病院着。
腕には点滴針が刺さっており、いつもより髪のハネが少ない頭や服の間から少し見える肩には包帯が巻かれていて、よく見るとうっすらと血が滲んでいる。
「レド……そのごめんなさい。また私のせいで……」
「何言ってんだ、お前のせいなんかじゃねぇ。油断した俺が悪いんだ」
相変わらず、ぶっきらぼうな口調。
しかし表情は前とは、どこか違うような気がする。
「……でも、私が悪い……の……」
シャルルは何度もレドに謝っている。
だがそれは逆効果で、レドは苛立ちを覚え始めていた。
そんな中で俊弥は話を切り出す事に対し、不安を覚える。
しかしこれは俊弥自身が決めたこと、だから勇気を持ちレドに話しかける。
「あっあのさ、レド……さん。……実は頼みがあるんだ」
緊張しながらも、話を切り出す。
「俊弥?」
「……頼み?」
ルドガーが不思議に思っているが、俊弥は気にせずレドに思いを伝える。
「俺に、剣を教えてほしいんだっ!」
その声は、静まり返った病室に響き渡った。