頼ることと貸しを作ることは違う
教官棟を出たタクティスは一度三番棟の図書室に籠ってゼニスから受け取った書類を確認した。それには一番上に『極秘事項』と赤い文字で大きく書かれていた。どうやら国の方から直々にゼニスへ託した依頼書のようだ。国に頼りにされるとは流石『大賢者の相棒』である。
依頼書には数日前に禁書庫の方で奇妙な魔力の流れを察知したところから始まり、管理人の報告で『白の本』が紛失したという情報が書かれていた。その後に書かれているのは恐らくゼニスが書き足したものだろう。『白の本』についての考察が幾つか記されている。タクティスは使えないと判断した国の情報は全て無視して、ゼニスの考察にだけ目を走らせた。
【『白の本』は他の魔導書と違って何かの魔法を宿しているわけではない。むしろ、所有者に魔法を宿すのが『白の本』の力であり、存在理由である。
故に今回の紛失事件は何者かが『白の本』に触れ、魔法を宿した結果起こったものだと推測できる。禁書庫内は魔法の効力を弱める結界石で作られている為、何者かが使用した魔法の効果も弱体化している筈。もし転移系の魔法だったとしてもこの広い都市から離れられるとは思えない。すでに時間が経過していることもあり外に逃げられた可能性もあるが、恐らく所有者となった者は魔力枯渇現象を引き起こしている。まともに動けるとは考えにくい。そしてなによりも、あの本は誰にも所有することはできない。どんな強力な魔法を宿していたとしても、二度と使われることはないだろう】
タクティスは考察を読み終えて、思わず舌打ちした。
「要は盗まれたってことかよ……。まぁ、普通に考えたらそうだけどよ」
考察の中には多少理解に苦しむ部分が含まれているが、どうやらゼニスは盗んだ相手が現在動けない状態にあると考えているようだ。だからと言ってよくあんな悠長な態度を取っていられたものだ。タクティスはゼニスの適当さに頭痛がする思いだった。これでは面倒事を押し付けられたようなものである。
「とりあえずはまだアストラルに潜伏している可能性を考慮して、都市の外を調べ回るしかねーよな……」
再び溜息を吐いて、タクティスはすぐに行動に移り始める。ティナに気付かれないように一旦家に戻り、剣と回復薬を持って都市の外に出た。
アストラルの周りはモンスターの侵入を許さない堅牢な高層壁に囲まれていて、外からでは無駄に大きな城しか見る事ができない。そんな光景を見るたびに偉い人は何故こうも大きな建物に住みたがるのかとタクティスは首を傾げてしまう。
タクティスは一度動く前に考える。もしも自分がこの国から逃げるとするならどのような行動を取るか。
(北はモンスターの巣窟だ。少なくとも上級魔術師くらいじゃないと突破できない。相手の実力は不明だからこの案は否定できない。南に行けばすぐ近くに小さいながらも港町がある。もし他国の間者だったとしたら国外へ逃げる為に間違いなくこちらへ行くだろう。俺的にもその可能性が大きいと思う。東と西は……北よりはマシだけど未開地だから何が起こるか分からないな。だが禁書を盗んだ相手は国家犯罪者だ。逃げるならこの大陸に留まる可能性は低いよな)
アストラルが主要都市となるこのスプリング大陸は南側に港町が点在している。そこでタクティスは注意を光らせるならその辺りだと思った。
しかしゼニスの考えを信じるなら犯人はまだアストラルの中にいる可能性が高い。昼間は都市門から出入りする者を警戒して、夜になったら都市の中を見回りすることになるだろう。
「はぁ……勢いで厄介なことに足突っ込んじまったな。今日から寝不足は避けられないじゃねぇか」
タクティスは己の行動方針を纏めた後、今日一番の深い溜息を吐いた。
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――ここ最近タクティスの様子がおかしい。
桃色が美しいチェリムの花が艶やかに咲き乱れる日々。ティナはいつものようにタクティスを起こす為、彼の部屋に押しかけていた。
ティナの両親は現在タクティスの父親と共に海外で仕事をしているので、実質ティナとタクティスは一人暮らしをしていることになる。その為、朝が弱いタクティスは放っておくと平気で学院をサボる。それを防ぐ為にティナは毎朝こうしてタクティスを起こすことが日課になっているのだ。
しかし本音はタクティスの無防備な寝顔を拝む為という、善意を隠れ蓑にした劣情が五割とはいかずとも九割九分くらいは含まれているのだが。
「…………」
ベッドの上には繭のように布団に包まっているタクティスが眠っている。布団から僅かにはみ出しているタクティスの頭をティナはなんの躊躇いもなく優しく撫でた。赤みが混じった茶色の髪がふわふわと揺れる。
タクティスは驚くほどに警戒心が強い。普段なら部屋に入った時点で起きていても不思議ではない。しかし、今は部屋の侵入どころかこうして体の接触も許すほどに爆睡している。ティナはいつもと違うタクティスを怪しんでいた。
「タ、タクティス! 起きて! もう朝だよ!」
「ふえ~~い」
髪の毛の感触を思う存分堪能したティナはようやくタクティスの体を揺さぶる。それでも中々起きないのでベッドから無理矢理引き摺り下ろした。勢いよく床に激突したことでタクティスもようやく覚醒しだす。
「……痛い。なぁ、この起こし方やめないか? 毎度頭とか肩とか色んなとこが痛むんですけど」
「ま、魔法を使わないだけ優しいでしょ!?」
「……何動揺してんの?」
「してないよ!」
手に未だ残っているタクティスの頭を撫でた感触を楽しみつつ、ティナは極めて冷静になろうとしていた。しかし自分の感情を抑え付けようとするあまり表情まで気が回らなかった。口元がにやけ、挙動不審になりつつある。タクティスを怪しんでいた筈の彼女が逆に怪しい人物に成り果てていた。
故にタクティスからは「何をしでかすか分からないヤバイ奴」にしか見えていなかった、というのは知りもしないだろう。
「着替えるから先に下で待っててくれ」
「あいあいさー!」
ティナはタクティスの言葉に敬礼して答え、軽快な歩調で階段を駆け下りた。そしてタクティスが着替えている間に台所でスープを温めておく。野菜のたくさん入ったスープはタクティスの得意料理なのか、それとも好物なのか、どちらかは定かではないが作り置きしている頻度が高く、味は格別だ。ティナ自身も料理はできるのだがタクティスの作ったものに比べるとやや劣る。
いくら魔力がないと言っても、料理人にはなれる筈。料理の才能ならタクティスは誰にも負けないとティナは本気で思っていた。だがタクティス曰く「必要だったから覚えた」ということらしい。確かにタクティスは家で一人の時が多い。彼の父親は仕事で世界中を飛び回っているからだ。でも料理ならいつでも自分が作ってあげるのに。それくらい頼ってくれてもいいと思う。いつだって一人で問題を抱え込むタクティスにティナは少しだけ寂しさを覚えていた。
ティナが力をつけたのは、小さな頃から自身を守ってくれた大切な幼馴染みに恩を返したかったからだ。なのにその相手は決して弱みを見せない。絶対に助けを求めない。まるで最初から一人で生きてきたかのように、誰かに頼ることを知らないのだ。ティナはそれが悲しかった。
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色々と調査を始めてすでに一週間経ったが、それらしい人物を見つけることはできなかった。しかしゼニスによると確実にまだアストラルの中かその付近に潜んでいるらしい。何故そんなことが言い切れるのか分からなかったが、他に手掛かりもなく、魔法が使えない身としてはそのような情報でも無視はできなかった。
だからと言ってアストラルの中をうろうろするのは得策ではない。無能の人間がいなくなることには皆放っておいてくれるが、目に届くところでうろちょろされることには多大な注意を引いてしまうからだ。そしてなによりも、ティナにまで怪しまれている。今はまだ疑ってる段階だが、少しでも確信に近付かれると恐ろしいまでの絶対的尾行能力を発揮されかねない。
はっきり言ってアストラルの中を探し回るのは愚策にしかならないのだ。
「……どうした? 全然食ってねーじゃんか。体調でも悪いのかよ?」
「ん? あー、いや、ちょっと考え事してた」
「ふーん? ティナちゃんと何かあったのか?」
「いや、あいつは全くもって関係ないから」
食堂で悩んでいると、隣でアルファランチを完食していたグレイが不思議そうに問い掛けてきた。いつもなら同じ時間で完食している筈のタクティスがまだ半分も食事に手をつけていないことを心配してくれたのだろう。それに対してタクティスは肩を竦めながら適当に答える。しかしふと思いついたように、タクティスはグレイに一つ質問をした。
「お前さ、この都市から離れずに都市からいなくなるとしたらどうすれば良いと思う?」
「はぁ? 何お前。頭にカビでも生えたのか? 大丈夫? だから頭には適度に油を差せって言っておいただろ?」
「俺はブリキの玩具かよ! ……あのな、一応真面目に聞いてんだ。だからお前にもそれなりの対応を要求する」
「いやいや、タクティスさんよ。真面目にそんな意味不明なこと聞かれても分かんねーって。なぞなぞにしては難易度高すぎるぞ」
「やっぱお前にも分からねーよな。……はあ」
タクティスの深い溜息にグレイは金色の瞳を何度か瞬かせ、天井を見上げながら小さく呟いた。
「そのなぞなぞにも答えられそうな頭いい奴なら一人知ってるぜ」
「……?」
グレイの突然の発言にタクティスは眉を顰めた。しかしそんなタクティスを無視してグレイは続ける。まるでそれは他人に言い聞かせているというより独り言に近いものだった。
「二番棟で魔具の研究をしている奴らの中に、この都市をやたら詳しく網羅した学徒が一人いるんだ。おまけにアイツは実直で真面目な奴だから、くだらない肩書きなんて気にしない。そいつの名前はクーリス・ブライト」
「……グレイ」
グレイとは一年と少しの付き合いだが、その間にお互いの性格や考え方などはある程度把握している。だからこそタクティスはグレイの意図に気付いてしまった。
誰かに頼るのが死ぬほど嫌いな自分の為に、グレイが気を利かせてくれている事実に。依頼書のことやゼニスの懸念を除いても、素直に力を貸してくれと頼めないタクティスを案じて、グレイは敢えて独り言という形で知恵を貸してくれたのだ。
「悪い。今度小遣いが入ったら必ずベータランチをご馳走すっから」
「俺は何もしてないぜ? ただ歌を歌いたかっただけだ」
「歌のつもりだったの!?」
一人苦悩する自分に気付き、尚且つ誰にも頼らないと決めた自分の意思を尊重してくれた親友に感謝しながら、タクティスは残りの料理を全て口に含んだ。そして借りはいつか絶対返すと心に誓い、昼休みが終わらない内にと二番棟へ急いだ。
そしてグレイの方は何処か子供を見守る父親のような心境で、走り去っていくタクティスの背中を微笑みながら見送っていた。