幼馴染みと学院長
ティナは容姿端麗だ。水色の髪は滝のように流れており、同色の瞳は宝石のように輝いている。細くすらりと伸びた肢体は女性の目から見ても魅力的なものだ。そして華奢な体に似つかわしくない膨大な魔力を有する彼女は学院の中で随一の実力者でもあった。
故にティナ・エリアスを知る学徒達は尊敬を込めて彼女のことを「ティナ様」と呼んでいる。
本来なら群れを作ってでもティナを塞き止めて声をかける学徒達だが、今に限っては誰もティナに声を掛けようとはしない。
(ティナ様……なんかめちゃくちゃ怖くない?)
(ティナ様、怒った顔も素敵だ……でもなんで怒ってるんだろう?)
そう、ティナは昼休みを終えてからずっと不機嫌だった。柳眉を吊り上げ、怒りのオーラを身に纏う姿は鬼のような迫力があり、彼女と親しい仲の友人さえ声を掛けるのを躊躇ってしまうほどだ。
現在は魔術の講義を聞いている最中。しかしティナの耳には講義の内容は殆ど入っていなかった。
「えー……魔法は精神と肉体に干渉することによって効果や威力が変化することもありますが、厳密には術者の心に反応して魔法は発現するのであり、特に願望や欲望と言った感情は魔導書を扱う上で必須とも言われて……」
一応筆は動かして講義の内容を紙に記してはいるものの、ティナはその意味を正確に解釈することが不可能なほど心は別のことに向いていた。
それは昼休みでのこと。
タクティスと一緒に昼食を取ろうと図書室まで探しに来たティナはその場所でとある人物に遭遇した。
すっかり色が抜けてしまった髪に、この学院の教官クラスであることを表す白いローブを着込んだ偉丈夫。それはこの学院の最高指導者、学院長ゼニスだった。
ゼニスはティナの存在に気付くと、表情を全く変えずに近付いてきた。
「……ティナ・エリアスか。何故ここに?」
「学院長こそ、どうしてここに?」
アストラル魔法学院の敷地は広い。学生が講義を受ける為の学棟は一番棟から三番棟まであり、他にも大校庭や魔法を駆使した戦闘技術を磨く訓練場、また数多い学徒を全て収容できる巨大な学生寮や食堂などを完備している。教官棟を中心に円環状に建てられたこの魔法学院は他の国に比べてもやはり大きい。
一番棟は主に魔法に関する知識や魔法の実施訓練を行っている。何かの行事を行う時に学徒を集める講堂があるのもこの一番棟だ。二番棟は主に魔具の構造や原理を学び、己の手で魔具を開発する研究室がある。この二つの棟は学徒達が多く使うので何度も改修され新しい建物になっているが、ティナ達が現在いる三番棟だけは別だ。
魔術師は魔力が切れればただの人間。それも魔力が尽きると体力も著しく衰えて、戦いの最中逃げることもままならなくなる。そうなった時の為の一応の護身術として剣術や格闘術などを学ぶ場所が三番棟である。しかし最近では魔力を回復する薬などが普及しているおかげでこの護身術を受講する者はかなり激減している。その為三番棟だけは改修が一度しか行われておらず、他の学棟よりも老朽化しているのだ。
そうなると更に人気が無くなり、用も無くこの三番棟に来る人物はたった一人に絞られる。そしてなんの講義も行われていない昼休みにここに来る者はその人物に用がある者だけなのだ。
「学院長がわざわざ……タクティスに会いに来るなんてどういう風の吹き回しですか?」
「ふむ。私は君に睨まれる様なことは何もしていないのだがね」
「何もしていないからこそですよ。どうしてタクティスの周囲に何も言ってやらないんですか」
「君は……そんなことを聞きにここへ来たのか?」
「そんなことって……!」
「一度起きた波を鎮めても、再び波は訪れる。ただの一時凌ぎほど無意味なものはない。それに、彼はそんなことを望んでいない。彼は誰よりも自分というものを理解し、受け入れている」
「――――ッッ!」
「どうやらタクティスはここにいないようだ。私は教官棟に戻ることにしよう」
ティナは通り過ぎるゼニスに対し何も言えずに立ち尽くした。そして、完全に一人になった図書室の中で静かに拳を握り締めた。
それ以来ティナの機嫌はずっと最低値を大きく下回り、悪い意味で限界を超えつつあった。
(あのジジイ……タクティスのことを知った風に語るんじゃないわよ。私の方が百倍はタクティスのこと分かってるんだから!)
いくら心の内で愚痴を吐いても気分は一向に晴れない。ティナの胸中にはゼニスが去り際に言った言葉が引っ掛かっていた。
タクティスが現状を受け入れている。それはティナの目から見ても正しい意見だと思われた。
タクティスは周りからの理不尽な評価を甘んじて受け止め、他の学徒に気を遣って普段は人が来ない三番棟に籠り、相手を見返そうと意気込むことも努力をすることもない。それはまさに自分自身を見限っていることに、そして諦めていることに他ならなかった。
ティナはそれを認めたくなかった。自分が大切に想っている友人のそんな姿を認めるわけにはいかなかった。なのにあの時ゼニスに対して言い返すことが出来なかった。それがティナに後悔をもたらし、言い知れぬ怒りを覚えさせていた。
(大体おかしいじゃない。タクティスに用があるなら学内放送でも使って呼び出した方が早いのに、どうして学院長は自分からタクティスの所に訪れたの?)
学内でゼニスの姿を見る者は少ない。それほどまでに彼が自室に籠っている時間は長く、学内を歩く姿は珍しいのだ。
(学院長はかつて竜王戦争で活躍した『大賢者』の戦友だって聞いたことあるけど、まさかそんな理由でタクティスと親しい仲ってわけじゃないわよね)
もしタクティスと学院長が親しい仲なら、タクティスの現状はもっと改善されていてもいい筈だ。それにタクティス自身からそんな話は聞いたことが無い。タクティスがティナに隠し事をするということも……多分きっと有り得ない。
自分の知らない所でタクティスが他の誰かと会っている。そう考えると不思議と薄っぺらい胸の中に、黒いもやもやしたものが溜まっていく気がした。
「えーと、感情とイメージを定着させることで魔法が成り立つわけでありますが、暴走しやすい魔力を律する為に詠唱が必要となります……今日の講義はここまでです。皆さん、この範囲は特に大事な部分ですので各自復習を行ってくださいね」
講義が終わるとティナは風を斬るような速さで講義室を飛び出した。その鬼気迫る姿を他の学徒達は頭に疑問符を浮かべながら見送った。
***************
放課後のこと。
午後に一つだけあった剣術の講義を受け終えたタクティスは、読みかけだった本を消化しようと図書室に戻るところだった。
「じゃあなグレイ。俺はちょっと図書室に寄ってくるわ」
「タクティスは本当に本が好きなんだな。じゃあ俺は寮に帰るわ。帰り道は気をつけろよ!」
「ああ、ありがとな」
友人の忠告を有りがたく受け止め、タクティスは一人三番棟の長い廊下を歩き出す。
学棟は広く、迷路のように通路が交じり合っている為にまだ内部構造に詳しくない一年生などはすぐに迷子になってしまう。その中でこの三番棟は他と違って改修工事がなされていないので汚く、どこか陰気なものが漂っていた。こんな所で迷ってしまったら一年生は泣くんじゃないか、などとタクティスは日当たりが悪く暗い廊下を歩きながら他人事のように考えていた。
図書室の前まで来ると、タクティスは部屋の中から人の気配を感じた。一瞬で体が強張る。
(まさか、早速妙な奴らがやってきたのか?)
タクティスは警戒をしながら一気に図書室の扉を開いた。そして先手を打とうと足を踏み出すべく力を込め、ゆっくりと全身から力を抜いた。
「なんだ……ゼニスかよ」
「フッ……なんだとはご挨拶だな。ここでは学院長と呼べ」
「悪かったですよ、学院長。それで、ここに来たってことは課外依頼でもあるんですか?」
課外依頼とは教官が時々学徒達に課す一種の“おつかい”である。
主に『こんなモンスターを倒せ』、『こういう鉱物を入手せよ』など学院の外に行く必要がある頼みごとで、これを達成すると教官達からの評価が上がり、単位取得に繋がる。魔法の実践訓練や魔具研究など、魔力を必要とする講義の殆どにハンデがあるタクティスはこの課外依頼を引き受けることで教官からの評価を少しずつ上げていた。
そしてこの課外依頼をこなすことをタクティスに勧めてきたのが、現在机の上で本を広げているゼニスだった。故に彼から直接課外依頼を受けることはそう珍しいことでもない。
「その考えで間違っていないが……今回は特別依頼だ。断ってもらっても構わない」
「は? 特別?」
だが今回ゼニスがタクティスに持ち掛けてきたものはただの依頼ではなかった。
なんとなく人に聞かれると不味いのではと気を利かせたタクティスは開けたままにしておいた扉を閉め、ゼニスが座っていた席の対面に座った。
ゼニスは開いていた本を何度か捲り、目的の項目を見つけるとそれをタクティスに見せてきた。それを見てタクティスは思わず眉を顰める。
「これは……アストラル図書館……? いや、禁書庫の中にある書物のリストか」
「そうだ。知っているとは思うが、ここに載っているものの多くはかつて竜王戦争で兵器として用いられた魔導書だ」
「ああ。確か処分するのも勿体無いってことから禁書庫行きになったんだよな? そういやアストラル図書館が盗難防止用の魔法を使ってないって本当か? 誰かに盗まれるんじゃないのか?」
「そんなこと誰に聞いた?」
「糞親父」
「はぁ……ローレンスめ……! 余計なことをペラペラと!」
ゼニスは頭を抱えながら鎮痛を堪えるように深い溜息を吐いた。タクティスはそれを見て肩を竦める。
「それで? 結局どうなの?」
「ああ、アストラル図書館そのものにはきちんと盗難防止用の魔法が使われている。ただ禁書庫にあるものは特殊なものが多くてな、少し干渉するだけでも危険なのだ。故に魔法を使っていない。いや、使えない」
そこまで言って、ゼニスはタクティスに見せている本に載せられたリストの中で、とあるものに指を置いた。タクティスは指されたものを黙って見つめ、そして少々困惑したような声で読み上げた。
「……なんだ? この『白の本』って?」