白紙閃光(イレイザー)
魔法は大きく分けて、誰でも一通り学べる『公式魔法』と、使い手を選ぶ『固有魔法』の二種類がある。
例えば炎、雷といった属性系や回復魔法などは『公式魔法』に分類され、学院に通っている者なら誰でも習得する事が可能だ。しかし結界や転移などの空間系や『オリジナル』と呼ばれる類の魔法は『固有魔法』である為、それらを行使する為の適正がなければ習得する事はできない。
そして一般的には『公式魔法』よりも『固有魔法』の方が強力な魔法だと言われている。
特に、『固有魔法』に分類される『オリジナル』はまさしく才能の権化であり、力の象徴であった。
己の最も望む形になるように知っている魔法を融合させたり、出力の調整などをして自ずと新たな魔法へと昇華したものが『オリジナル』と呼ばれる。故に『オリジナル』は最も術者との相性が良く、その威力は他の魔法とは一線を画すものとなるのだ。
「――『白の本』が持つ魔力の捕食能力は確かに強力だ。持ち主であるお前を殺そうと思えば多少の苦労を強いられるだろう。しかし、お前を動けなくするだけならばむしろその力は好都合だ。なにせこちらは手加減をする必要がないのだからな」
「~~~~~~~~~~~~ッッ!?」
タクティスは何が起こったのか分からなかった。ゼニスは一歩も動いていない。だと言うのに、何故かタクティスの手前で空気が爆ぜた。
突然の衝撃波に吹き飛ばされたタクティスは受身を取るのも間に合わず、もろに背中から地面に叩きつけられる。痛みのあまり声が出てこない。
タクティスは歯を食いしばってその場を無理矢理離れる。一旦距離を取ってゼニスの位置を確認した。
しかしゼニスは既にタクティスの背後へと移っており――。
「嵐よ、吹き荒れろ」
――声に気付いて振り返ったタクティスの顔に掌底を打ち付けた。
直後、タクティスは地面に叩きつけられて吹っ飛んだ。
首がもげたような錯覚、次に気が付けば石造りの床を砕きながら地面をどこまでも滑っていた。タクティスは咄嗟に杖を地面に突き刺して体を急停止させる。それは半ば無意識の行動だった。タクティスの意識は辛うじて残ったが、気を抜けばすぐにでも倒れそうなくらいに消耗している。
たった二回の攻撃で、タクティスの体は悲鳴をあげていた。
(くそっ……! これが、『オリジナル』の力……!)
まるで話にならない。これでは象がアリを踏み潰すようなものだ。ゼニスの力は明らかにタクティスとは次元が違う。
理不尽、その一言が見事に体言されていた。
だがそれではタクティスを止めるには至らない。心は決して折れない。何故ならタクティスにとって理不尽とはすでに当たり前となっているからだ。
タクティスは首が体と繋がっていることに安堵しながら、先程の攻撃の正体を考察する。
(術式兵装……実際に見るのはこれが初めてだが、なんとなく分かってきたぞ)
魔法を身に纏う。それは身体強化という認識で間違ってはいないのだろうが、恐らくは魔法の特性を限界まで引き上げることが術式兵装の真骨頂なのだ。
ゼニスが宿したのは風魔法。風魔法と言えば大気の流れを操る特性を持っている魔法だ。ゼニスはその特性を活かし、空気の衝撃波を作り出しているのだろう。さっきの超速移動も、自分の足下に衝撃波を生み出すことで可能にしたに違いない。
タクティスは杖を構えて、ゼニスを真っ直ぐと見据える。正直もう我慢の限界だ。せめて口元だけでも笑っておかないと怒りで頭の中がおかしくなる。
なぜこうまでムカついているのか。答えは明白だ。
(……その目が、気に入らねぇんだよ!)
ゼニスが己に向けてくる哀れみのような視線が気に食わない。そんな目をしているのは自分が優位に立っているから? それとも不遇なタクティスに同情しているから? どちらにしたって気に入らない。
それは偽善だ。自分を正義だと思っている傲慢さがもたらす偽善の塊だ。
「……む!」
「もう、効かねぇよ」
ゼニスが何度か“大気の壁”を放ってきたが、それは全てタクティスに触れる前に掻き消された。遠距離攻撃が効かないと判断したゼニスは超速移動してタクティスとの距離を埋めるが、タクティスに近付いただけで術式兵装が解除される。
ゼニスは驚愕して目を見開いた。そしてタクティスは容赦なくその間抜けな顔に拳を叩き込む。今度はゼニスが地面に叩きつけられる番だった。
「馬鹿な!? まさか……『白の本』の魔力捕食量が上がったというのか!」
「さあな。知るかよ、くそったれ。だけど今度は俺があんたを見下ろす番のようだな」
タクティスは倒れたゼニスを思い切り蹴り飛ばそうとした。しかしゼニスは老人とは思えぬ俊敏さで立ち上がり、タクティスとの距離を空けた。
ぐらぐらと煮え立つ漆黒の瞳と、水銀のように冷徹な銀色の瞳が交差する。先に口を開いたのはゼニスの方だ。
「お前は、『白の本』がどういうものか理解していないだろう。それは所有者であるお前にさえ危害を加える代物なのだ。手放せとは言わん。お前もその方法は分からぬだろうしな。しかし、それを所持したまま我々から離れるのは止めておけ。ティナや友人達とも別れるつもりか? そこまでしてこの国を出て、お前が幸せになれる保障など何処にも無いではないか」
「何度も言うが、あんたは一々回りくどいんだよ。俺に話が通じると思ってんのか? 思ってないから戦ってんだろ。だったらさっさと戦おうぜ。ここに来て、人に理不尽を押し付けておいて、自分が正しいみたいな正義面して言うんじゃねぇよ。鬱陶しい」
「そんなつもりで言っているわけではない。私は全ての安全を考えて」
「安全? 平和? くそったれだ、そんなもん! そりゃそっちの都合だ。そっちの都合はそっちにとって正しいに決まってるよな。だからどうした。そんなもの俺の知ったことか!」
だから苛々するのだ。
どいつもこいつも。自分の行いが正しいと信じて疑わない。皆して自分が正義だという顔をして生きている。
――ビキリ。タクティスの心に呼応するように右腕から何かが罅割れる音がした。見てみると篭手が割れ、白い光が漏れている。タクティスの右腕に刻まれた幾何学な模様が白い光を発していたのだ。
タクティスは自分の腕に注視するが、今もなおゼニスの声が耳朶に届いてくる。
「お前こそ、自分の行いが正しいとでも思っているのか!」
タクティスは、にやりと笑った。自分が正しい? 笑わせる。一体誰がそんなことを思うのか。
(俺はいつだって間違っている。俺だけが異常者だ。それはあんたらが決めたことだろうが――!)
タクティスは右手を開き、その手をゼニスに向けて不敵に笑った。
「あんたらの意見が正しくて、あんたらの行いが正義だって言うんなら――俺は悪者でいい」
ゼニスはタクティスの行動に息を呑み、咄嗟に魔力を体に流し込んだ。だがそれは虚しく『白の本』に相殺される。そしてその間にこちらの準備はすでに完了している。
タクティスは眼前の敵を見据えて咆哮し、その右腕から白き閃光が放たれた。
「『白紙閃光――――!!』」
全てを消し去る極大の閃光が一直線に突き進む。その速度は目にも止まらぬ光の速さ。ゼニスはぎりぎり回避行動を間に合わせるが、その閃光の範囲の広さ故に完全に避ける事はできなかったようだ。
ゼニスの左脚が白い光に呑み込まれ、まるで元から存在していなかったと言わんばかりに綺麗さっぱり掻き消えた。
「うぐぁああああああ!?」
「……はぁ……はぁ……!」
片脚を失いバランスを崩したゼニスはそのまま地面に倒れて苦悶に顔を歪めていた。そんな彼をタクティスは一瞥し、次に『白紙閃光』のもたらした結果をその目で確かめる。
『白紙閃光』の通った後は地面が半球状に抉れていて、その軌跡がはっきりと分かった。しかも白き閃光は直線状にあった門を跡形もなく消し飛ばし、その先の光景もずっと抉れた地面が続いている。もしかしたらその威力は最初に発動させた時よりも上がっているかもしれない。
タクティスは疲労のせいで膝を折り、その場に座り込んで夜空を見上げた。都市の中では大騒ぎになっているというのに、都市の上は何も変わらない。星はいつもと変わらず自分を見下ろしている。
タクティスはそんな夜空に目を向けながらぼんやりと『白紙閃光』について考えていた。
(そうか……“怒り”だ。最初の時も、さっき使った時も、俺は怒っていた。魔力捕食の力も上がってた事から、多分『白の本』とそれがもたらした魔法は、所有者の感情によって左右されるんだ)
そして体力と精神力を多少消費する。タクティスはやけに重く感じる右腕を持ち上げながら苦笑した。
(ああ……重たい筈だ)
高望みしたとは思わないが、これは自分の身の丈に合わない力だとは思うから。
まるでさっきの一撃に全ての力を使い果たしたかのように、タクティスの右腕に刻まれた文字の羅列は光を失っている。それを見て、なんとなく今日『白紙閃光』を撃てるのはあと一発くらいかと判断できた。
そして、その一発を誰に撃つべきなのかもはっきりと分かる。
「……出て来いよ」
タクティスはうんざりしたように風穴が空いた門の先に視線を向けた。地面に横たわっているゼニスにはもう興味がない。今認識するべき相手はその先の人物だからだ。
そしてそいつは現れた。
「はっはっは! いやぁ、気付かれてたか。お前が外に出ようとした瞬間後ろから一撃加える予定だったんだけどな」
「何年の付き合いだと思ってやがるんだ。お前の考えそうなことなんてうんざりするくらいに分かるんだよ」
全く、大賢者という名前の割りに考える事が姑息だ。だけど、らしくない。
門の外から入ってきたのはローレンス・ストレンジ。タクティスの父親にして、世界最強の魔術師。誰もが憧れ、誰もが恐れる『大賢者』の称号を手にした男だ。
ローレンスは腰から紅蓮の剣を引き抜き、タクティスに向けた。タクティスと同じその漆黒の瞳からは強烈な意思が感じ取れる。それが敵意なのか、警戒心なのかは分からないが、少なくともタクティスにとって嬉しくない意思だと思う。
「俺は馬鹿だからよ。お前を引き止める言葉なんて思いつかねぇ。どうせお前のことだから聞かないだろうしな。だから俺は何も言わないし、お前の言葉も否定しない。こうしてこの場にいる以上やることは一つだ」
「へぇ……よく分かってらっしゃる。あんたのこと珍しく父親だと思っちまったぜ」
タクティスは杖を叩き、槍の形状に変えた。この杖には魔魂石が取り付けられており、そこに内包された魔力を通して杖から槍に形状変化させることができるのだ。もしかしたらと思ったがやはり可能だった。『白の本』は大気中の魔力を捕食することはできても、物体に内包してある魔力は吸い取れないのだ。もしそんなことができてたら、さっさと敵の魔力を空にして無力化できた筈だ。
そして、そんなことができたなら目の前の『大賢者』すら戦わずして勝てる筈だったのだ。
しかし、無い物ねだりしても仕方が無いのは分かっている。だからタクティスは荒い呼吸を無理矢理整えて槍を構えた。
タクティスの体力は最早限界だ。恐らく長期決戦はできない。全ては数秒で決まる筈だ。
「なぁ。もしもお前が『白の本』を使い切れなくなった時、世界が滅びるとしたらどうする?」
ローレンスは突然そんなことを聞いてくる。ただの会話だ。その楽しそうに笑っている顔を見れば分かる。だからタクティスは深く考えずに答えた。
「ハッ! 知るかよ。死ね。それくらいで滅びるくらいなら世界なんて勝手に滅びろ。つーか今すぐ消えて無くなれ!」
「ああ、俺もそう思うよ。あくまでも空想の話だったらな。そういえば空想で思い出した。なぁ、タクティス。お前は竜なんて生き物を見たことあるか?」
それは不意打ちの合図だったのだろうか。ローレンスはゼニスの超速移動と同じくらいのスピードでいっきに前へ加速した。タクティスはその変化に付いて行く事ができず、槍を正面に突くことしかできない。当然とばかりにローレンスは槍の下を潜り抜け、緋色の剣を振り抜いた。
紅蓮の剣閃がタクティスの胸板を削り取る。しかもタクティスに付いた切り傷は赤熱し、爆発して火を吹いた。
「ぐはぁ!? ごふっ!?」
爆発のせいで肉が抉れ、そこから大量の出血が始まる。
タクティスはその場で崩れ落ち、口から大量の血が零れ落ちた。斬られた胸は黒く焼け焦げて煙を吐いている。間違いなく重症だった。
「ほう……まだ意識があるのか。やっぱり最後の爆発だけは『白の本』に弱められちまってたみたいだな」
「……っ! て……め……え! ぶっ殺す……!」
「やってみろ。ほれ、俺を倒せばお前は自由の身だぜ?」
自由か。おかしいだろ。そんなもの、生まれた時から誰にでもある権利の筈だろ。
タクティスはうまく働かない頭の中で反応する。
大賢者の息子ってだけで、魔力がないってだけで、そして今度は『白の本』の所有者ってだけで! どうして皆と俺はこんなにも違うんだ!
暗闇に呑み込まれかけた視界が真っ赤に染まる。タクティスの頭に火がついた。
(立てよ! こんなところで、倒れてる場合じゃねーだろ! 俺は、自由になる! その為に得た力をここで使わないでどうするんだ!)
ローレンスはタクティスの気迫がまだ生きていることに警戒して傍を離れようとした。しかし、その前にローレンスは己の魔力がうまく働かないことに気付く。
「んなっ!?」
勢いだけがついてバランスを取れなかったローレンスはゼニスとほぼ同じ場所に倒れこんだ。
どくん。タクティスの心臓が鼓動する。全身の血が沸騰しているように熱い。気を抜けば一瞬で意識を失いそうだ。それでもタクティスは足に力を込め、肩で呼吸しながら立ち上がった。
『白の本』の魔力捕食能力は今までで最大の効力を発揮している。あのローレンスを『無力』に変えてしまうほどに。
タクティスはそんなローレンスに向けて、右腕を前に持ち上げた。体がガクガクと震え、左腕で支えなければならないほど右腕に力が入らないが問題ない。この魔法は相手を狙う必要は無いのだから。視界で捕らえられる程度の距離ならば十分な射程距離だ。その極大の攻撃範囲を持って全てを消し去る光からは逃げられない。
タクティスは呆然としている二人に悪人のような狂気の笑みを作った。
「『白紙閃光――――――――!!』」
夏休みでバイト始まるんで、更新がいつもより進まなくなりそう……。