参実 ~沈殿されるコーヒーカップ~
あと三話程です
夢を見た直後に目覚めて
其れがもし現実ではなく、夢の続きだとしたら、
君はどうするのかな。
僕なら、どうするだろうね……。
もしかしたら、又、その夢の続きで、眠るかもしれないな。
なんだ、そんなことって、貴方が想っている事でも。
私にとっては、なんだでもそんなことでもない。
なんだ以上にワンダーでそんなことよりあんなことなんだ。
意味はわからないかもしれない、けどでもね。
わかってくれないなら、もう…どうでもいいの。
チリチリ…どこからともなく換気扇か、何かが回る音が宙を飛び交っている。
とある場所に在る、とある工場で、僕と僕の祖母はいた。
工場はとてつもない冷たさに満たされていて、何を触ってもヒンヤリと後を残す。
そんな中、祖母に付いて最奥部まで歩いた僕は、祖母に思いのほか
気持ちが先行して、歓喜の声を轟かせてしまった。
「婆さん……これが、アルド?」
普段関係を持たない、祖母と積極的に関わりを持とうと思った理由は
今まさに僕が出くわしてしまった人類の英知、倫理を超越した存在を
祖母の運営している会社で密かに開発されていると知ったからだ。
藁でもダンボールでも、金属製でもない、謎の素材で創り上げられている
謎の、人と等身を同じくしている人形『アルド』全体の色は茶色を帯びている。
茶色、そのものと表現するよりは藁と似通っていると言った方が伝わりやすいだろう。
アルドは、謎の素材でありながら、見かけは藁人形そのもの。
実際、僕がアルドを初めて直視するのはこれが初めてだ。
なぜ、このアルドと僕が巡り遭ってしまったのか。
其れは、僕の愛の所為だとしか、今は言えない。
「そうじゃよ、これが、循血環マリオネット『アルド』じゃよ」
一つ咳払いしてから、祖母は厳かに答える。
祖母の反応を見てから、改めて周りを見渡すと社員は一人もいなかった。
ここは、会社の工場のはずなのに、なぜ…?
と僕は感じたけれど、其れを聞けば、唯でさえ腰の重い祖母が
更に腰を重くなって僕を二度と連れてきてはくれなくなるような
予感がしたから、黙っていることにした。
「これで、僕の要望が、叶うの?」
祖母へ猜疑感を向けるよりも、まずは今日連れてきてもらった
目的を果そうと思ったので、僕は耳の遠い祖母の為に
工場の轟音よりも大きな声を発そうと息を吸い込んでから、聞いた。
祖母は、一つ咳払いを残して、再び僕に返事をする。
「ふぅむ…儂としては、願ってもない事じゃが…お前はそれで、本当にいいのじゃな?」
ケホケホケホと、又咳をして、若干重々しい声音を響かせる。
普段も奇奇怪怪な雰囲気を醸し出している祖母が一層、纏う空気を濃くした
気がして、僕の手足からヒンヤリと冷たい冷や汗が滲み出てくる。
エアコンの所為かな…誰に誤魔化すでもなく、ポケットからハンカチを取り出して
一粒一粒、まとめて拭いながら祖母の言葉を吟味。
本当に良い? この場所に入らせてもらう前も、祖母に何度も聞かれたセリフを
なぜこの場所に来てまでもいうのか…。
祖母が僕の何を心配しているのか、いまいち掴めなかった。
まぁ…祖母の考えていることはいつもわからないから
それほど今も気にしなくていいのかもしれない。
けど、なぜか、今の僕と祖母は、どこか見解の相違がありそうな気がして
どこかを見誤っている様な気がして、いつもよりは、今だけは…
この瞬間だけはいつもより僕は自分を潔癖にさせないといけなければいけない様な…。
考えているうちにも、時間は流れていく。
祖母はせっかちだから、必ず五分までには反応を示さなければ
大体の約束が反故されるという暗黙の掟があるので、
経過時間三分程を過ぎた今、僕は残り二分に全神経を注がないといけない。
「勿論だよ、婆さん、僕は望みが、彼女との希が叶うのなら、なんだっていいんだ」
ここまでの頭の中での逡巡、脳内リレーを行動に起こすことが出来ていれば
どれだけ僕の人生はもう少し楽なものとなっていただろう。
何時だって、考え通りには事は運ばれない。
言葉を先行させてしまう、気持ちが先走ってしまう。
焦燥が疾走する、其れが僕だ。
喩、全て自己完結、自己満足だったとしても、そうなってしまっている。
祖母は、僕の暗黙の制限時間際限迄ギリギリの返事を聞いて、
細々と小さい、咳払いを又一つ…今度は小刻みに複数零して、
くすくすと擦れしゃがれたどの器官から出しているのかわからない程の
微細な声を反響させて、僕に解答を示す。
「そうかい、それで、いいのかい、じゃがな、あと一つだけ聞いてもよいかい?」
微細な声を繋げた様だけど、芯は通っている聞き取りやすい声で
三度祖母は僕に疑問を投げかける。
次はなんだろう…?
少しだけ身構えてしまう、僕はやっぱり臆病だ。
《ふわぁあ…≫
刹那、ちらりを横を見ると、黒光りしたアイツが一匹
工場を蔓延っているのが見え、素っ頓狂な声を出してしまう。
どれだけ臆しているんだ…抜けきった声を出してしまった後で
激しい後悔の念を頭上に募らせて自分を責める。
「あと一つも…? …其れで終わりなんだよね? 聞くよ」
倦怠した脳内をなんとか上昇志向へと上げながら
祖母にファイナルアンサーの問いを一応目線でしておき、了解の意を示す。
「あぁ当然、これで終わりじゃよ」
祖母は、長い溜息をほう…と句読点一つ分伸ばし吐いてから
どこかクドい返事を返してくる。
やけに溜めるな…留意の意図を探ろうとはするが、僕は祖母の目を見ても
どうせ理解することは出来ないので諦める。
僕の、心の焦燥感を表すように、工場の駆動音が増す。
無数にプロペラの旋回数が施行し、地面に這いつくばっている節足生物は盛んになる。
赤いランプが煌々、絢爛に明滅点滅しサイレンが同時に木霊する。
そんなけたたましい室内の中で、またも心の鼓動音が増し緊迫感を僕に堪能させる。
返事を僕は祖母に返さない、何故なら既に僕は祖母に了解の意を示しているからだ。
唾を大きく、飲み込む音がして、後に音が続く。
「そうすれば、今のおぬしは決定的にいなくなる事になるのじゃが、粘っこくてすまないねぇ」
祖母は依然変わらぬ重厚な空気を纏わせながら、僕に意味深な言葉を投げ掛けてくる。
その遠まわしの言葉を聞いただけで祖母が何を言いたいかを察する。
それにしても、今日の今回の祖母はやけに本当にしつこい。
いつも祖母にお願い事をすると、瞬きをした次の瞬間には、其れが叶えられているというのに。
今回は、その瞬きに二日は掛かっている。
七光りが何か言ってるよ、こんなことを言えば僕への大衆からのレッテルはそう貼られるに
決まっているが、小さい頃から言われなれている僕からすればもう気にならない。
もう、とうに大学二回生だしね……。
「うん、わかっているよ、それで、僕は構わない」
どこか安直な安易な言葉に聞こえる言葉。
けど、この言葉を僕は祖母に伝える為に、幾度の感情の反抗期を越えたかわからない。
あらゆる氾濫、うねりを翻してきたかはわからない。
ふと、視界に靄が罹る様な幻覚が映る。
目にゴミでも入ったのかな、と思い擦ってはみるけど一向に濾しれない。
「そうかい、そうだね、ならちょいと右腕を貸してはくれないかね」
強いフィルターが罹り、陥っている僕の最中、祖母は知ってか知らずか
いや知らずか、話を進める。
断腸の想いで、半ば自棄に両手で世界を払うと視界の靄は消え去った。
僕の心の迷いが生みだしたのかもしれない。
ほっ、と一息溜息を吐いている中でも、祖母にとっては何が何だかわからず
唯、時間を泥棒されただけの話なので、若干形相が豹変しつつある。
目が、険しく為り得る一歩手前の寸で僕は右腕を早急に差し出した。
右腕を差しださなければいけない理由は分かっている。
アルド…アルドには、人体血液万化千変挿管
という部分があり、そこに人体の血液を流せば
人間の血液に含まれているDNAを感知し、アルド自ら自分自身の様相を
DNAの人物そのものと為る事が可能となる。
だが、これには、デメリットがあり
その血液の量は、アルドに自分自身の様相を呈したい者、自身の血液の
半分を必ず流さなければいけない。
今祖母が僕にやろうとしている事は、其れだ。
心中で解説をしていると、祖母が一般の医療用より多少大きい注射針を取り出し
素直に眼前に在る、僕の右腕、獲物に刺す。
「痛くても、ちと我慢してくれると有り難い、なにせ一度挿すと抜き終わる迄抜きにくくてのう」
申し訳なさそうに言う割には、微塵も心根ではそう思っていない
そんな年齢不相応なはっきりとした言葉を零しながら
僕の右腕に針を刺す。
刺された後で、痛いと言える筈がない。
痛いと言う暇もない程に、連弾に痛みが連なり合ってくるのだから。
一に痛覚を感じれば、其れに緩急を付けず、次に二の痛覚が襲撃を開始してくる。
痛みが絶頂に変貌する間に、意識はどんどんと曖昧になっていく。
世界から色彩が失われ、黒と白が存在を主張する。
臨んだ積りが、目安だったと思い知らされるほどに
今の僕は、逃避を叫べるのなら叫びたい、希薄な空間。
「産まれるよ…新たなブロラッゲンが…」
僕が、一拍一拍喪失させていくたびに、母の目の色は潤う。
潤い…潤っていき、やがて宛ての違う所までをも満たさんとなった所まで
行けば、後光が差して、迸る何かが見える。
その光に、僕は手を伸ばした。
何度も何度も掴もうとしたけれど、一向に届かない。
其れはまるで、お祭りの間で交わした約束のように。
所詮、その場凌ぎの跡光り。
「すまないねぇ…血液は貰ったのだけど、もう一つ…あってね…ごめんねぇ」
意識朦朧、水中の中で浮かんでいる様な感覚を味わっている最中
祖母の声が頭に流れ込んでくる。
それと追随する様に、恒常に挿入される工場の騒音。
なにやら耳を劈く程の音が周囲からしている。
なんなのだろう、考える暇もない。
思考の水槽の中に居る僕にはそんな事を考えている暇なんてないのだ。
まぁ、唯血液を採取されて気絶しているだけ、なんていうのは気付いているのだけど。
為す術もなく、祖母の曖昧なセリフに目を瞑って、僕はこれからを考え
気持ちの良い深い浅い眠りに就く。
眠りに就く前に、僕は小声で聞こえないように祖母に囁いた。
《きっと僕はもういなくなるんだよね、次は新しい…僕、かな、じゃあおやすみ》
祖母は、小刻みのお伽噺に出てくる悪者役が演ずる不気味な笑いを
気持ち知らずに、ずっと、ずっと反響させている。
今も…密かに、緻密に…計算し尽された、笑い声を……。
その笑い声を疑似子守唄として受け取り、
僕は二回目の気持ちの良い深い浅い眠りに、……三度就いた。
―僕の考えなんて、祖母には御見落とし御見通しで、
―所謂僕の微微たる反抗等はスズメの涙でしか、…なかった。
次話もよろしくお願いします。