善人にもなれば、悪人にもなる
メールは夜通し歩いていたので、体が限界だった。なので帰路はフーリエに負ぶってもらった。
三人がリリアーヌに帰ってきたとき、日は既に昇りきっていた。
「メールちゃんだ! フーリエたちと一緒に帰ってきたぞ!」
メールたちに気付いた男の人が、村中に呼びかけるように大声を上げた。たちまち三人の周りに若い男たちが集まりはじめた。
「みんな、メールを捜していたのよ」
フーリエの説明に、おぶられてたメールは身が縮こまる思いだった。逃げられるものなら逃げたかったが、足をがっちりと固定されているので、それもできない。
(いや、逃げたらダメだ。きちんと受け止めないと、私がやってしまったことを)
メールは首を振って、自分で考えを改めた。
男たちを代表して駐屯兵のおじさんから、説教と軽いゲンコツを喰らった。メールはただうつむいて謝るしかできなかった。ごめんなさい、ごめんなさい。
しかし、説教のあとは、誰もがメールの無事に安心して笑顔になっていた。メールは頭が下がる思いでいっぱいになった。
一人、またひとりと、安心した人たちが家に帰っていった。みんなに別れを告げてからメールたちも家に帰ろうとしたときだった。
「メールちゃん! 無事だったんだね! よかった……」
遠くから声がかけられた。声だけで近所のおばさんだとわかった。
「もう、二度とこんな無茶はしないでよ? あんたがいなくなったことを聞いてから、私はずっと眠れなかったよ」
「その……、ごめんなさい」
「まあ、無事で何よりだね。まずは帰ってゆっくり休むことだね」
「マクブラインさん、ですね」
突然フーリエが話に割りこんできた。
「ん、どうしたんだいフーリエちゃん。そんな改まって」
「あなた宛てに手紙が届いています。……どうぞ」
フーリエはカバンの中から一通の手紙を取り出し、それをおばさんに手渡した。
「ありがとうよ。……おっと、これは息子がいる軍からだね、ようやく返事がきたのかい」
おばさんが手紙の中を確認している傍ら、メールは姉に対して違和感を感じていた。おばさんに言葉をかけるときに、あの姉が一度姿勢を正したのだ。そして手紙を渡すときから今もずっと、心無しか悲しい表情をしている。
「(ねえ、名無しさん、名無しさん)」
メールのささやきに、名無しは顔の向きを変えずに反応した「なんだ」
「(お姉ちゃん、なんか様子がおかしくないですか? 何かあったんですか?)」
「……軍から届く手紙ってのは、ほぼ内容が決まってる」
「(? どういう――)」
「どういうことだい、これは!」
メールの質問は、大きな叫び声で遮られた。
「フーリエちゃん。これは……これはどういうことなんだい」
おばさんは血相を変えてフーリエに掴みかかっていた。その目はうっすらと涙でにじんでいる。
「私は中身を見ていませんが。何が書いてあったんですか?」
「息子が……、魔物に喰われて……、殉職したって」
「え」
メールは目を剥いた。
フーリエは表情を変えることなく淡々と答える。「そうですか、それはお気の毒です」
「嘘、だろ? あ、あぁ……」
おばさんはその場に泣き崩れた。フーリエは膝を折ってしゃがみこみ、そっと夫人の背中に手を置いて慰めた。
メールもすぐおばさんのもとへ行こうとした。しかし、その途中で、
「これが手紙屋の仕事なんだよ」
名無しにそう言われて、メールは振り向いた。
「手紙屋の仕事?」
「手紙屋の仕事は『手紙を届けること』だ。それ以上でも以下でもない。それに対して何の感情も持ってはいけない」
おばさんの泣く声が耳に突き刺さる。辺りから何事かと人が集まり始めていた。
「お前は昨日言っていたな。手紙屋ってのは村の外に出られない人に、他の人からの思いのこもった手紙を届ける、素敵な仕事だと」
メールは何も言わなかった。名無しは淡々と続けた。
「俺たち手紙屋は、手紙の内容次第で善人にもなれば、悪人にもなる。どちらになるかはわからない。どちらにもなる覚悟がない奴は手紙屋にはなれない」
メールがずっと無口だったのに疑問を感じたのか、名無しが怪訝な顔を向けてきた。そして呆れたようにため息をつく。
「……なんでお前が泣くんだ」
メールはおばさんの方を見ながら、静かに涙を落としていた。声だけは出さないように唇をきつく噛みしめている。
「なんでなのか自分でもよくわからないです。いつの間にか……止まらなくて」
違うのに。今悲しいのはおばさんで私じゃないのに。どうして私に関係ないことでこんなに涙が出てくるんだろう。
「この程度で泣くようじゃ、手紙屋は無理だな」
「はい、すみません……」
透き通るような青空の下、一人の女性の慟哭だけがこだましていた。