ばかやろう
メールは村長の家で待ち続けていた。ベッドに腰掛け、両手を組み、ただ、三人の無事を願っていた。
村についたあと、がむしゃらに大声で叫び、人を呼び寄せ、ハイネをすぐに村の医者のところへ連れていった。村長もハイネと一緒に医者のところへ行ってくれた。
メールにできる精一杯のことはやった。あとは信じるしかない。
部屋の扉が開いた。メールは俯いていた顔を上げる。
「…………」
「……名無しさん」
扉の前には名無し一人が立っていた。服のあちこちが泥で汚れ、左の袖にいたっては切り裂かれていたが、まずは名無しの無事にほっとする。
しかし、そこにいるのは名無しだけ、彼の後ろには誰もいない。
「……お姉ちゃんは」
名無しは何も言わずに目を伏せた。悲しい表情をしていた。
「そうですか……」
メールは悟った。上げた視線を、再び下に戻す。
名無しを責めるつもりはない。彼は殺されそうになったメールを救い、そして父と母をはじめとした、フーリエに殺された多くの手紙屋の無念を晴らしたのだ。何より彼が帰ってきてくれたことが嬉しかった。
しかし、
「……ばか」
ぽたりと大粒の涙がこぼれ落ちる。ベッドのシーツを両手でぎゅっと握りしめた。
「お姉ちゃんのばか、大ばかやろう……!」
メールはこの村で何回目かわからない涙を流した。
目の前が真っ暗になる。周りには何も見えない。
昔は父がいた。母がいた。その二人が拾ってきた義理の姉がいた。
いつか夢で見た風景には優しくて、明るくて、暖かかった。
もう、そんな場所はどこにもない。ただ真っ暗で、誰もいなくて、冷たい、悲しい場所しか残っていなかった。
いつから壊れてしまったのだろう? あるいは最初から狂っていたのだろうか?
もう、どうしようもないのだ。
名無しは待ってくれた。メールが泣き止み、落ち着くまでずっと待ってくれていた。
やがて名無しは、コートのポケットに手を突っ込み、中から何かを取り出した。
「メール、お前宛ての手紙だ。……受け取れ」
「え」
メールは濡れた顔を拭って再び名無しの顔を見た。自分宛ての手紙があること自体驚きだったが、その差し出してきたものも意外だった。
「これ、エルレ・ガーデンのときの……!」
名無しが差し出したのは、以前メールに見せてくれた機械、録音機だった。
メールは両手を籠の形にして、それを受け取る。名無しがそっと録音機の一カ所を指差した。以前名無しに言われた再生ボタンだった。
メールが目で名無しに確認すると、名無しは首肯で返した。
おそるおそる人差し指で再生ボタンを押す。
わずかなノイズとともに、それは聞こえてきた。
『……る? ……ェル? ほ、ほんとにこれで録音できてるの?』
聞こえてきた声は、メールが幼い頃からずっと聞いていた懐かしい声。
そして、メールがずっと聞きたかった声だった。
「……お母さん」




