復讐
静かだった。聞こえるのは洞窟の天井から地面へと滴る水の音だけ。
意識はどこかもうろうとして、体が妙に生暖かかった。
(私……死んだのかな?)
次第に涙でぼやけた視界が晴れていく。最初に目に入ったのは岩の壁についた松明のあかり。そして次に見えたのは、
メールの前に名無しが立ち塞がっている、どこかで見たことのある光景だった。
「名無しさん!」「名無し!」
メールと満身創痍のハイネが同時に声を上げた。
大斧は地面深くまでめり込んでいる。名無しはメールを抱いて回避させたのだ。
「怪我はないな、メール」
「え、あ、はい……」
「ハイネも生きているな」
「まあ、な……」
ハイネは途切れ途切れに声を発する。その掠れた声が、彼の命の危険をそのまま表現していた。
「メール、ハイネのところへ移動できるか」
名無しは唇をほとんど動かさずに、メールにしか聞こえないような声で呟いた。
「あ、はい。行けます」
メールは腕と下半身に力を込め、冷えきった地面から立ち上がった。腰が抜けて動けないかもしれないと思ったが、割と容易に動けた。直前まで死と隣り合わせだったというのに、自分は案外タフなのかもしれない。
そしてメールがハイネのもとへ向かおうと名無しの脇を通り過ぎたとき、彼はするりと淀みない動きで銃を奪い取った。
「あ……」
「二度とするな」
「……ごめんなさい」
止まるな、早く行け。彼の声に後押しされて、メールはハイネが伏せている場所にたどり着いた。彼の体と辺り一帯が血まみれだったが、メールはそんなことお構いなしにすぐそばで膝を立てて、顔の血を拭った。
名無しがフーリエに一歩近づく。小石が動く小さな音でさえ、洞窟内では反響して大きな音になって耳に届く。
「……ようやく本性を出したか」
「『ようやく』ってことは知っていたのね、私が手紙屋殺しだってこと。いつから知ってたの?」
「さあな。それを今お前が知る必要があるか?」
フーリエが突如、大斧を名無しめがけて振り下ろす。その力は凄まじく、衝撃とともに吹き飛んだ石の欠片が、離れているはずのメールのもとにまで届いた。
「んー、ないわね。どっちみちここで殺すんだから」
松明の明かりでちらりと見えたフーリエの形相に、メールはぞくりと背筋が凍りついた。先ほどまではメールに対してあの視線を向けていたのだ。未だに慣れることはない。
抜けているところも厳しいところもあるが、優しい姉。
今知った、仲間や親、妹すらも殺すことをためらわない、殺人鬼の姉。
あまりに大きすぎる二つの姿のギャップに、メールの心は揺らぐ。
名無しはフーリエに対して銃で応戦する。といっても弾数の制限もあり、基本は足や腕を使った体術での戦いとなる。そしてここぞというときに銃弾を撃ち込む、これが、メールが何度も見てきた名無しの戦い方だった。
一進一退の攻防が続く。メールはそれに視線を奪われながらも、地面に横たわるハイネの応急措置にあたる。彼の手元にあったブーメランでスカートの裾を少しずつ削り、止血や包帯に使用する。
やがて、名無しとフーリエの均衡が崩れた。名無しが一瞬の隙をついて、フーリエの右足に銃弾を撃ち込む。銃声の残響が洞窟中に広がった。
「当たった……」
ハイネが声を上げた。
「ふんっ!」
しかしフーリエはひるまなかった。撃たれたはずの足で思い切り踏み込み、斧を振り回す。名無しはバックステップで避け、距離をおく。
「な、なんで……」
「なんで足を撃たれたのに動けるのかって?」
フーリエがハイネの言葉を引き継いだ。
「答えは、コレ」
フーリエは大斧の先端を器用に操り、自らのズボンを引き裂いた。
「なんだよ、それ……」
「お姉ちゃん……?」
あらわになったのは機械仕掛けの両足だった。暗い洞窟の中でも松明の光を反射するそれは、嫌でも目に入る。右足の脛の部分が、先ほど撃ち込まれた名無しの銃弾でわずかにへこんでいた。
「言っとくけどこれ、見かけ倒しじゃないわよ? 膝から足首、指の関節まで自由自在に動かせるんだから」
「…………」
「…………」
「って感じに普通はびっくりすると思うんだけど、あんたはリアクションなし、か……」
絶句しているメールとハイネとは対照的に、無言を貫いていた名無しを見て、フーリエは眉をひそめる。
「ホント、いったいあんたはどこまで知ってるのかしら? 気味が悪いわね」
「なんだあの機械の足……。メール、お前は知って——?」
「知らない。知らなかった。お姉ちゃんは暑いリリアーヌでもずっとズボンだったし、お風呂も一緒に入ろうとしなかった。……どういうこと、お姉ちゃん!」
後半の言葉はハイネではなく、フーリエに向けて発せられた。
「はいはい教えてあげるからそんな大声を出さない」
声を荒げるメールを、フーリエはやる気なさそうに諌める。
「あたしはファルシオンの出身よ。……そう言ったら大体わかるんじゃないの?」
「ファルシオン?」
メールには聞き覚えのない言葉だった。しかし、隣のハイネは、
「ファルシオン、だと? ……なんてこった」
明らかに狼狽している。フーリエの発言の意味を理解しているようだ。
「ハイネ君。ファルシオンって?」
「今から約十年前にはあった街の名前だ。今は滅びているけど。かつて機械文明で栄えた国だよ」
「機械……」
メールの視線が、フーリエの両足に動いたのは、ごく自然なことだった。フーリエは自分の機械義足を拳で軽く小突いた。カンカンと金属特有の鋭い音が耳に届く。
「そう。昔つまらないきっかけで足を失ってね。そのときからお世話になっているのよ、これには」
「それで、そのファルシオンって街とお姉ちゃんの——と、何の関係が?」
お姉ちゃんの殺人行為と何の関係が、とは訊けなかった。言いたくなかった。
「ファルシオンは今は滅びているって言ったよな。その、滅ぼしたの、アールザード王国なんだよ」
「え」
「しかも、その殲滅戦に加担したのは、王国の特記戦力でもある『手紙屋』。そこまで言えば分かるんじゃないの? あたしがなんでこんなことしてるのか」
メールの頭の中はぐちゃぐちゃで、もはや自分でも何を考えているのかすら分からない状態だが、そんな中から自然と単語が一つぽろりと降ってきた。
「復、讐?」
「正解。メール。あんたの両親も殲滅戦に参加してたんだよ。あたしが拾われたのもそのとき。街中焼け野原にされて、ファルシオンに住んでた人みんな殺された後にね!」
「…………」
二の句も告げないでいるメールの代わりに、ハイネは反論した。
「だけど! 仕方ないことだったんだよ! ファルシオンの高度な機械文明の代償として、周辺の環境は悪化、砂漠だらけになったじゃないか! あのまま放置してたら、王国全体が大変なことになっていたんだ」
「そんな綺麗事の大義名分なんて、あたしにはどうでもいいのよ」
フーリエはすっぱりと切り捨てた。大斧を持つ手に力が籠る。
「ねえ、ハイネ、あんたにわかる? あたしに足を、生きる希望をくれた、誇りだった故郷が壊されたあたしの気持ちが」
「…………」
「そしてメール、あんたにわかる? 挙げ句の果てに故郷を壊した手紙屋に拾われて、歯を食いしばりながら耐え忍んだあたしの気持ちが!」
「お姉ちゃん……」
メールはぽろぽろと涙をこぼす。
「復讐。……人を殺す理由なんて、そんなもんで十分でしょう」
「待て! たとえ理由がそうだとしても、今の手紙屋で十年前の殲滅戦に出兵したやつなんてほとんどいない。当然名無しや俺も参加してない。だから」
「だから殺す意味なんてないって? そんなの知ってるわよ。だから何? もうどうだっていいわ。ただの八つ当たりかもしれないけど、育ての親を殺したあの日から、あたしはもう止まれないのよ」
「もういいだろ」
名無しが遮った。下ろしていた銃を再びフーリエに突きつける。
「メール、ハイネを連れてここから逃げろ」
「え、でも」
「悪いがお前がここにいても何もできない。むしろ庇いながら戦わないと行けなくなる。それにハイネの治療が最優先だ」
「名無しさんは?」
聞く前からメールには分かっていた。名無しがこれからどうするのかなんて
「俺が逃げたら、誰がフーリエを足止めするんだ?」
名無しはそれからひと呼吸おいて、
「行け!」
大きな声で叫んだ。
それに後押しされるかのように、メールはごつごつした地面から立ち上がり、
「ハイネくん、立てる? 私が支えるから……」
「くっ、悪い……」
ハイネに肩を貸して、ゆっくりと歩き出した。
洞窟の入り口へ向かう二人の背後には、大斧を抱えたフーリエ。
「あのさ、手紙屋殺しのあたしがそれを黙って見逃してあげると思ってるわけ?」
直後、銃声が轟き、フーリエの体が一瞬強張る。名無しが洞窟の天井に向けて威嚇射撃を行った。
「……ま、仕方ないか。あんたに変なスキ見せるわけにも行かないしね」
それ以降の会話は、距離が離れすぎて、メールの耳に全く入ってこなかった。
* * *
ハイネたちは洞窟を抜け、雪の道をひたすら進んだ。彼らの背後には血が道しるべのように傷口から雪に滲んでいる。
ハイネが満身創痍である以上、戦うどころかろくに走ることもできない。もし追いかけられたら瞬く間にアウト。名無しがフーリエの足止めをしっかりしていることを願うしかない。
メールは何も言わない。ただハイネに肩を貸し、一緒に雪をかき分けながら進んでくれている。
「メール……」
ハイネはかける言葉もない。今の彼女にとって唯一の家族と言えたフーリエが、両親を殺した手紙屋殺し。そしてさらに名無しとハイネ、自分自身すら殺そうとしていたのだから。
「ハイネくん……私、銃、撃てなかった」
メールは少しうつむいたままぽつりと呟いた。髪に隠れて表情は見えない。
「馬鹿野郎、お前は撃てなくていいんだよ。……撃たなくてよかったんだよ」
「でも仇なんだよ。お父さんとお母さんを殺して、ハイネくんと名無しさんも殺そうとしてた。私が止めなくちゃ。私が……殺」
「もうそれ以上言うな。家族だからって、お前がそこまで背負う必要はない」
ハイネは手の痛みに構わず、メールの肩を優しくさすった。彼女の肩は小さく震えていた。
「……でもね。お姉ちゃんが憎いのに、親の仇だから憎くて憎くてたまらないはずなのに……、心のどこかでお姉ちゃんを殺したくない、生きててほしいって思ってる私がいるんだよ。自分でもおかしいって思うんだ。もう、どうしたらいいのかわからないよ」
メールは嗚咽を漏らした。
その涙は誰のために流しているのだろうか。両親のため? 義姉のため? あるいは両方?
(……お前は、本当に優しいな)
メールに聞こえないくらい小さな声でそうひとりごちた。
村長の家まで、あと少し。




