ペテン師
アナスタシアは大きく息を吐き、そっとロウソクに灯をともした。赤い火が小さく燃える。
「終わりです」
「え……?」
「アルバさんのお母さんの魂は天に戻りました。お話はできましたか?」
「…………」
アルバはもう、何も言えないようだった。
その様子にアナスタシアは何かを察したように目を伏せる。
「そうですか……。お話、できなかったのですね。他人の魂に体を貸している間、私自身の魂は眠っている状態にあるので、何があったのかは正確には分かりません。しかし、あくまで私の考えになりますが——」
その瞬間、バン、と大きな音が鳴った。霊媒師は言葉を止めた。
メールが立ち上がっていた。一同の目の前にある机を両手で思いきり叩いたのだった。
「ちょっと待ってください! 今の本当にアルバ君のお母さんが来ていたんですか? あなたがアルバ君を騙そうと、お母さんの振りをしていたんじゃないですか? あなたは本当に本物の霊媒師さんなんですか?」
「……言いたいことは分かります。私のやっている霊媒術が、見ただけでは変化が分かりにくいために、そのような疑いをもたれやすいことは承知しています。信じる信じないはあなた方の自由です」
メールの怒ったような口調に対しても、アナスタシアは冷静に返す。
「しかし私には、自分の行っている霊媒術が本物なのだと、あなた方に証明する方法はありません。そして同時に、あなた方も私の行っている霊媒術が本物か偽物かを証明する方法はないでしょう? 私は信じてくださいとしか言えないのです。」
「証明する方法ならありますよ」
メールは高らかに宣言した。今やメールの言動に部屋の中の誰もが聞き入っていた。
「霊媒師さん。私も霊媒をお願いしてもいいですか?」
「……それは構いませんが……。いったい誰を?」
「お父さんとお母さんを」
そのとき、名無しが目を剥いて驚いていたことに、名無しが初めて無表情以外の感情を露にしていたことに、メールは気づかなかった。
「私の名前はメール・イアハート! お父さんの名前はアランヤ・イアハート、お母さんの名前はシゼル・イアハートです!」
メールはアナスタシアへ挑戦的な視線を向けた。当のアナスタシアはそれを聞き、
「分かりました。では呼びかけましょう……」
淡々とそう告げた。
再び、部屋の中から明かりがなくなった。アナスタシアは目を閉じ、動かなくなった。天国にある魂に呼びかけているのだろう。
ロウソクに、青い火がともった。メールはそれを確認し、
「お父さん? お母さん?」
それだけ言った。
「アナスタシアの目はきょろきょろと周りを見回していたが、目の前の少女を見るなり、驚きの声を上げた。もちろんアナスタシアの声色で。
「メール! そこにいるのはメールなの!? ああ、嘘みたい! もう会えないと思っていたのに……!」
「メール。あれ、お前の——」
そう言いかけたアルバの顔が恐怖で歪んだ。部屋の隅で壁にもたれていた名無しも思わず壁から離れ、メールの近くに来た。
メールの肩が怒りで震えた。きっと顔も、誰も見たことのないような形相をしていたのだろう。彼女本人には当然分からないが。
笑顔で喜ぶアナスタシアに目もくれず、メールは拳を振り上げ、力任せに机に叩き付けた。その拍子に青く燃えるロウソクが倒れた。
「メー……、る?」
メールは次に、近くに置かれていた棒状のものを手に掴む。これが一体何に使うものなのか、どれほど高価なものなのか、メールにはさっぱり分からなかった。しかし、そんなことはどうでも良く、その棒状のものを振り回し、無茶苦茶に暴れ回った。
「っ……、あああああああああああああああああああああっ!」
机を叩き、棚のものを落とし、ぶち壊し。そんな暴動を一分ほど続けたときだった。
「おい、その辺にしとけ」
メールの振り回していた棒を片手で受け止めて、名無しが静かに言った。彼の後ろではアルバがおそるおそるこちらを見ていた。どうやら名無しがアルバをメールの隣から避難させたようだ。
そしてアナスタシアは、座っていた椅子から転げ落ち、呆然としていた。
「な、何を……?」
「私のお父さんとお母さんは生きていますよ。今名無しさんと捜してる最中なのですから」
口から出た言葉は、どこまでも冷たかった。まるで事務的な報告をするかのような、心のこもらない言葉。
「死んでもいない人間を、どうして呼び寄せられるのですか?」
メールが彼女の術中に暴れて、強制的に覚醒されたせいか、霊媒師はまだどこかぼんやりとしていた。目の焦点が定まっていない。
しかし今のメールにとってはそんなことどうでも良かった。
「あなたは……!」
唇をわなわなと震わせる。
「あなたは! ペテン師です! 最低の! 人間です! アルバ君みたいに、一度で言いから死んでしまった人と話したい。そんな人をおちょくって! 嘘の演技をして! お金を騙し取って! 最っ低です!」
まさに怒髪天を衝く勢いで、メールは畳み掛けた。
「行こう、アルバ君! もうこんなところにいる必要なんてない!」
「え……。ちょ——」
未だに身動きが取れないでいる霊媒師を放って、メールは同じく唖然としていたアルバの手を強引に引き、館をあとにした。その途中、棚から落ちた備品を踏みつけたかもしれないが、メールは気にしなかった。
* * *
ぐちゃぐちゃになった部屋の中で、名無しとアナスタシアだけが残された。
名無しはしばらくその場にたたずんでいたが,やがて凹んだ机の上に、メールの霊媒代と、部屋や道具の修繕費・弁償代として、かなりの額のお金を置いた。
「……すまないな」
名無しはそれだけ言うと、踵を返し部屋から出て行こうとした。
「待って!」
しかし霊媒師が、それを声で引き止めた。
「お願いです。聞いてください」
* * *
名無しが屋敷の外に出ると、メールとアルバがすぐそばでしゃがみ込んでいた。
「大丈夫ですよ。あの人はペテン師なんです。アルバ君のお母さんなんて嘘なんですよ。気にしなくていいです」
「……………」
メールが必死にアルバを宥めていたが、当の本人はどこかうつろな目をしていた。
「名無しさん。もう帰りましょう。ハルモニアに戻りましょう。これ以上アルバ君がここにいるのはよくない気がするんです」
メールの意見に、名無しはもちろん、うつむいたアルバも反論しなかった。
* * *
早朝に山を登ってラ・クリマに行き、その日の内にハルモニアに帰還するという、あまりに急すぎる旅を終えたメールは、へとへとになっていた。あの名無しでさえ、どこか疲れた表情が見え隠れしている。
「アルバ君。家に帰れる? もしよかったら一緒に晩ご飯食べない? 私料理するから、ね?」
「……いい。一人でいい」
今彼を一人にするのはよくないと思い、この提案をしたが、アルバには届かなかった。アルバはメールたちと無言で離れ、一人とぼとぼと家に帰っていった。
その後ろ姿を見ているのがいたたまれず、しかし不安で目を離す訳にもいかなくて、メールは鬱蒼とした感情を抱え込む。
名無しはというと、ラ・クリマのある大山脈を見上げて一言、
「……雨が降りそうだな」




