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名無しの手紙  作者: 山本良磨
第5話 ハルモニア & ラ・クリマ編
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天国への手紙

 アールザード王国の町には、基本的に町の外と中を分ける壁がある。

 それは森林や海、崖などの自然的なものもあれば、柵や壁といった人工的な防壁もある。

 もちろんそれらは、魔物の侵入を防ぐためである。

 しかしハルモニアは、街の外と中を隔てる壁がない唯一の街だった。

 その理由はハルモニアの通り名でもある「花」に秘密がある。

 ハルモニアには自然的な条件が奇跡的に重なり合い、アールザード全土で咲くほぼすべての花を、この限られた区域で見ることができる。それに加えてハルモニアでしか咲かない花もある。そして、そのハルモニアでしか咲かない花が、魔物が嫌がる香りを発しているのだ。その香りは風に乗り、ハルモニアを中心とした一帯に広がる。

 そのためハルモニアは、魔物の脅威については、アールザード王国内で、最も安全な町の一つと言われている。

 街の外の花はもちろん素晴らしかったが、街の中も見事なものだった。見た目はエルレ・ガーデンのように石畳とレンガ造りの建物が建ち並ぶが、花の都よろしく、至る所に花やその他の植物が生えていた。しかし、植物がある一定以上の高さに伸びていないことや、花が咲く場所は区切られていることから、それらは好き勝手に茂っているのではなく、しっかりと手入れをされていることが伺えた。

 メールは、アルバと名無しの後ろについていきながら、花の都の風景を目に焼き付けながら歩いていた。街の風車が風を受けてゆっくりと回っている。

「あの……、アルバくん?」

 アルバの名前に反応して、メールは声の聞こえた前方へ目を向けた。そこには、こちらもメールより少しばかり年下で、アルバと同じくらいの女の子がいた。

「えっと、明日のことなんだけど……」

 少女は控えめな口調でアルバに話していたが、

「…………」

 アルバはその子に見向きもせず、早歩きで通り過ぎていってしまった。

「ちょ、ええっ! アルバくん?」

 むしろ清々しくすら感じるアルバのシカトっぷりに、思わずメールは声を上げてしまった。

 しかし少女も負けなかった。同じく早足で追いかけ、アルバの隣に並ぶ。

「明日、アルバくんの誕生日でしょ? あのね。わたし、アルバ君に渡したい物が——」

「悪い、今忙しい」

 きっぱりとそれだけ告げると、アルバはよりいっそう早歩きで、もはや走っているとしか思えないくらいの速度で、少女から離れていった。

 メールが口をぽかんと開けて惚けている中、少女はとうとう足を止め、顔を俯けて立ち尽くしていた。

「アイリ。ほっときなって」

 一部始終を街路の塀から眺めていた女の子のグループが、泣きそうな少女に声をかけながら近づいてきた。少女よりはだいぶ年上のようで、十五、六はありそうな集団だった。その中の一人がため息をつきながら、肩を叩いて優しく語りかける。

「アルバのことは、今はそっとしておこうって、大人たちと一緒に話し合って決めたでしょ? ウチらだけでも話し合ったし。アルバがいつか立ち直るまで、見守ろうって話になったじゃん」

 その言葉に、アイリと呼ばれた少女は弱々しく応える。

「うん。そうだよね。……ごめん」

 メールは迷った。彼女のためにアルバを呼び止めるか、否か。

 しかし、今彼を少女と引き合わせて何が変わるのか。先ほどと同じやりとりが繰り返されるだけなのではないか。

「メール」

 呼びかけに振り向くと、名無しが立ち止まってこちらを見つめていた。その瞳にはなんの感情も宿さず、文字通りただ見ているだけだった。

 数秒間、メールは悩み、

「——ああもうっ! 行きましょう名無しさん!」

 結局メールはこの場を諦め、アルバのあとを追うことにした。メールはアイリという少女にまだ自己紹介もしていない。この時点で混み入った話をするのは難しい。


          *     *     *


「……おれの家だよ。どうぞ」

 メールと名無しはアルバの家に招かれた。玄関から家の中に入る。

 廊下から台所を通って、ダイニングルームへと向かったのだが、

(……うわぁ)

 メールは家の散らかり具合に、思わずため息が漏れそうになった。もちろん漏らさなかったが。名無しは無言のままアルバについて行っている。

 廊下から始まり、家中ホコリだらけだった。衣服も洗濯せずにそこら中に脱ぎ散らかしている。物も片付けられていない。場所によっては、足の踏み場すらないほどに床が物で溢れていた。

 キッチンもなかなかに凄まじかった。ここのところ、洗い物がろくにされていないのは一目瞭然で、食事の後の食器はそのまま放置されていた。油汚れが染み付いている。

 家がこんなに汚いのは、アルバが家事をしないためだろう。徐々に散らかっていったのだ。

 では普段、アルバの家の家事をしているのは誰なのか。

 道中の女の子たちの会話も加味して、メールはいよいよ、事の重大さを感じ取った。


 ——俺の母さんに。届けるのは、天国にいる、死んだ母さんにだよ!


 少し一緒にいただけでは事態の大きさに気づけなかったシルメリアのリオナとは違い、こちらは現時点でかなり嫌な予感がした。

 アルバはダイニングルームの中央にあるソファに腰掛ける。名無しのその向かいのソファに、メールは名無しの隣に座った。

「……で? お前の母親は死んでいるのか?」

 開口一番、名無しが核心に切り込んだ。

「……そうだ。死んだ」

 アルバの回答はシンプルだった。

「だから手紙屋に頼みたいんだ! 天国の母さんに手紙を届けてくれ」

「無理だ」

 名無しが冷たい言葉を言い放つ。表情はない。アルバは怒った声で尋ねる。

「なんでだよ! 手紙を届けるのは手紙屋の仕事だろう!」

「お前、本当に天国があると思っているのか?」

「それは……」

 名無しの問いにアルバは一瞬押し黙るが、

「あ、あるさ! 天国は絶対にある! お母さんもそこに絶対いる!」

 頑ななアルバの態度に、名無しはため息をついて黙り込み、椅子の背もたれに深くもたれかかった。

 汚れた部屋に沈黙が下りる。どうやら名無しはこれ以上、何か言うつもりはないようだ。

 この状況を動かせるのはメールしかいなかった。

「えっと、アルバ君?」

「なんだ」

「アルバ君って、今何歳?」

「十歳。もうすぐ十一」

 わお、予想通り。メールは自分の観察眼の良さに、内心ガッツポーズを決める。

 自分よりも幼いのに、母親が他界してしまっているアルバ。

 仕事のため滅多に会えないが、両親が生きているメール自身との温度の違いをまざまざと感じ取ってしまう。

(『天国がない』、なんて言えない。いや、もしかしたらあるかもしれないけど。でも手紙を届けることなんてできないなんて言えないよ。アルバ君こんなに必死なのに……)

 そうやってメールも無言になってしまったとき、

「……どうしても手紙を届けられないのか?」

 アルバがもう一度、念を押すように名無しに問いかけた。名無しは表情を変えず、

「届けられない」

 同じ意味の言葉を繰り返した。

「(……本当に天国があって、手紙が届くのなら、どれだけ良かっただろうな)」

「え?」

 メールは思わず名無しの顔を覗き込んだ。しかし名無しはいつものように無表情でアルバを眺めていた。本当に聞こえるか聞こえないかレベルのものだったこともあり、さっき聞こえたのは空耳だと思うことにした。

 再び部屋の中は静かになった。アルバは黙り込み、名無しも黙り込み、メールも何一つ言えない。誰も顔を動かさない。そんな時間が一分ほど続いたとき、

「……やっぱ手紙屋は頼りにならないか」

 アルバの小さなつぶやきに、名無しの眉が、わずかにぴくりと動いた。

 アルバは勢いよく立ち上がり、今までの雰囲気をぶちこわすように、さながら宴会で出し物を企画した司会者のように、高らかに告げる。

「道は自分で切り開かないとな」

 メールがあっけにとられている中、アルバは挑戦状を突きつけるように名無しを指差した。

「手紙屋! たとえお前たちにできないことでも、おれにはできるってことを教えてやる!」

 ついてこい、と勇ましく語り、床に散乱する衣服を踏まないように避けながら、玄関へと進んでいく。

「アルバ君! どこに行くんですか?」

「おれのじーちゃんの家だ!」

「じ……、おじいさんー?」

 あまりの突拍子のなさに、メールは思わず声を上げてしまった。

「ちょっとちょっと! なんでいきなりおじいさんの家に——」

「別に、お前にとっても悪い話じゃないぜ」

「え? どういう意味ですか」

 メールが問うと、アルバはニカッと笑いかけた。

「知りたいんだろ? 風船のこと」

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