FALCHION
メールとハイネが、セラの出産の無事を祈っているとき。
フーリエは手紙屋殺しによる殺害現場にたどり着いていた。
そこは建物と建物の間にある小さな路地で人目にもつかない。まさに人殺しをするにはうってつけな場所だった。
死体は奥に転がっているのだろう。辺りが夜の闇に包まれていてよく見えないので、はっきりとは分からない。月の光も奥までは届かない。
しかし逆によく見えなくてよかったとも思う。そんな凄惨な光景、何度も見たいとは思わない。
フーリエが路地の入り口でしばらく茫然と立ち尽くしていると、
「お前はそこで何をしてる」
フーリエにとって、聞き慣れた男の声が聞こえた。
「誰かと思ったら、あんたか」
面白くもなさそうにフーリエが返答した。声だけで名無しだと分かったのか、こちらを振り返るそぶりさえしない。
「随分と早いご帰還ね。てっきりもっとかかるものかと思っていたわ」
「たかが手紙一通届けるだけだ。そんなに時間かけてられるかよ」
そう、とだけ返事をしたきりフーリエは黙り込む。
名無しが手にしていたランタンを掲げた。暗闇に隠されていた殺人の跡が一気に露わになった。
死体は路地のつきあたりで地面に倒れていた。果たしてこいつの生前は本当に人だったのかと思ってしまうほど、その体は原型をとどめていなかった。顎から上は斬り落とされ、体には無数の切り傷があった。この中の二、三個だけでも十分致命傷となりうるはずだが、よほどの恨みがあったのだろうか。本体から離れた場所に点々と切断された部位が転がっている。名無しのすぐ足元には右手があった。あたりはまさに血の海という表現がしっくりとくるほどに赤く染まっていた。
しかし何よりも目を引いたのは,奥の壁に大きく書かれた血文字だった。ぶちまけられた大量の血とかぶらないように、大きく『FALCHION』と書かれていた。
「ファルシオン……」
名無しがその言葉を口にする。フーリエも小さく頷いた。
「あんたはもちろんファルシオンって知ってるわよね」
ファルシオンはかつてアールザード王国に属していた街だった。
「ちょっと前まで、機械を開発し、栄華を極めた都市。——そして、そのあまりにも速すぎる発展を恐れたアールザード王国によって滅ぼされた、哀れな街よ」
再三に渡るアールザード側の警告にさえ聞く耳をもたず、国のさらなる進化を謳い、機械の開発を続けた。
「そして、アールザードを実際に滅ぼしたのは、王国に仕える軍と——戦闘のエリート集団である『手紙屋』」
フーリエが淡々と話す説明は、名無しはけだるそうに聞いていた。
「お前は俺に歴史の勉強を教えてくれているのか?」
「あらごめんなさい、そんなつもりはなかったんだけど。さて、それじゃあたしは宿に戻ろうかしら。あんたもせいぜい殺されないよう気をつけることね」
「…………」
フーリエは一度大きく伸びをした。無言の名無しの横を通り過ぎる。彼は何も言ってこなかった。
フーリエが街の角を曲がるときも、さっきいた位置から動かず、じっと死体を見続けていた。そして、彼女が宿屋に帰ってから寝て、次の日起きるまで、とうとう宿屋に帰ってこなかった。




