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名無しの手紙  作者: 山本良磨
第4話 ロウェナ編
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 暗い夜の道を、メールは一人で走っていた。

 夜。日が落ちたロウェナの町は、真っ暗闇だった。シルメリアのような大都市であれば、夜でも外灯が灯り、道を歩くくらいの明るさはある。しかし、大陸の端に位置するロウェナは、リリアーヌほどではないにせよ十分田舎で、外灯はほとんどない。

 足下が見えなくてこけてしまうくらいならまだいい。一歩踏み外せば海へ真っ逆さまの危険もあるのだ。歩くならまだしも、走るなんて論外だ。

 しかしメールはただ走った。『医者』と『ハイネくん』、その二言だけを頭に焼き付けて。

 突然、暗闇から手が伸びて、メールの右腕がつかまれた。ぐんと体が引っ張られてバランスを崩し、そのままメールは地面に倒れ込んだ。

「おいおい、お嬢ちゃんこんな夜に一人で出歩いてちゃ危ないよ。こっちへおいで。おじさんが安全なところへ連れていってあげるから」

「離してください……!」

 右腕はつかまれたままだった。メールはその片腕を思いきり引っ張る。しかし大人の力には適わない。

「よく見たら怪我もしてるじゃないか。早く手当をしないと」

(暗くてろくに見えないくせに、よくもそんなことを!)

 そう思ったが、メールの口から声は出なかった。唇がどうしようもなく震える。

「さあさ、こっちへおいで。コッチヘオイデ」

 メールは鋭い目つきで男の影を睨む。恐怖がないわけではなかったが、それ以上の意志がメールを動かす。

(絶対に諦めない! 絶対にハイネくんを見つける! 絶対に医者をセラさんのところに連れていく!)

 意を決して、めいっぱいの力で影から離れようとしたとき、

「なに俺の連れに手ェだしてんだよこの野郎!」

 突然響いた怒声と共に男が吹き飛ばされた。そのまま男は気絶して動かなくなった。

「ったく。ほんっとにこの町は治安が悪いなあ!」

「ハイネ……、くん?」

「おう。——どうした亡霊でも見たような顔して」

 カチャンとブーメランを拾い上げる音がした。耳に届く声は落ち着いてて、優しくて。そしてメールが少し前に聞いたハイネの声そのものだった。

 メールはぼんやりと見える影に、思いっきり飛びついた。

「よかっだ! やっぱり生きでたー! 生きてて良がっだー!」

「ひ、人を勝手に殺すな! 離れろ!」

 言われて両手を離したメールは、足の力が抜け、ぺたんと石畳に座り込んだ。その瞳からは涙がにじみ出てくる。

「なんだ、安心して腰が抜けたのか? 待ってればいいのに一人で外に出てきやがって」

 だって、あの手紙屋殺しが手紙屋を殺したかもしれないんだよ?

 だって、ハイネくんが殺されていたかもしれないんだよ?

 言いたいことはたくさんあるのに、どれものどの奥に突っかかって言葉にできなかった。

 そんなメールを見て、ばつが悪そうに視線を逸らしぼそりと呟く。

「悪かった。心配かけたな。人ごみがアホみたいにできるわ、道行く人みんなパニックだわで、医者のところに行くのに時間がかかったんだ。でもちゃんと医者は連れてきた」

 メールはハイネの隣に、大きな大人の人影があることに、今になって気づいた。

 メールの中にたまっていたもやもやが、ため息とともになくなっていくのを感じた。

「そっか。よかった……。ホントに」

「安心するのはまだ早い。急いでセラさんの家に帰るぞ、ちょっと危ないけど走れるか?」

「……うん。いけるよ!」

 合流した二人は医者を連れて、来た道を戻り始めた。

 暗闇に包まれた町はどこを見ても景色が変わらず、自分が今どこにいるのか、あとどれだけ走ればいいのか、そういった距離感や方向感覚を狂わせる。所々に点在するわずかな外灯と記憶が数少ない道しるべだった。

「メール」夜の町を走りながらハイネが口を開いた。

「な、何?」息を切らしながらメールは訊き返す。

「もし、万が一、この先手紙屋殺しに出くわしたら俺が囮になる。お前は医者と一緒にヒースクリフさんの家へ行くんだ」

「嫌」

 あまりの即答ぶりにハイネも驚きを隠せなかったようだが、メールは気にしない。

「ハイネくんを置いていけって言うの? そんなの嫌だよ! 一緒に逃げようよ」

「セラさんと子どもの命がかかってるんだ! つべこべ言ってる場合じゃねえ。二人がどうなってもいいのか?」

「いいわけない!」

「だったら——」

「でも、ハイネくんがその代わりに襲われるなんてやだよ! 私、怖かったよ……。とにかく、絶対嫌だ!」

「! ……っ! 言うことを——」

 聞け、とでも言いたかったのだろうが、その口は途中で止まった。三人の前に人影が見えたからだ。このくらい夜の町の中、道のど真ん中で仁王立ちしている。

 そんなことをしているのは変質者かホームレスか、もしくは——。

「くっ!」

 ハイネが反射的に武器を構える——が、メールがその彼の手を抑え込む。

「ダメ、ハイネくん!」

「放すんだメール、お前は医者を連れていくんだ!」

「こんな時間に何してるのメール!」

 二人の取っ組み合いは、聞き覚えのある女性の声で止まった。

「お姉ちゃん?」「フー姉!」

 目の前にあった人影は二人に近づき、やがて見覚えのあるシルエットがくっきりと双眸に映った。手には武器の大斧を引っさげている。

「ハイネもいたの!? どうして?」

「ちょっといろいろあってな。フー姉はどうしてここに?」

「なんか外が騒がしかったからね。今来たばかりよ。でもまあ、だいたいの状況は掴めているわ。あなたたちも分かってるんでしょう?」

「うん」「ああ」

 メールとハイネが同時に肯定した。

「なら早く行きなさい! ここにいたら危ないわ」

「お姉ちゃんは? 一緒に行こうよ!」

「私は平気よ! あなたの安全が優先!」

「でも——」

 それ以上何か言おうとするメールの口をハイネが抑え、走り出した。

「ハイネくん!?」

「フー姉なら絶対大丈夫だ! 俺たちは行くぞ!」

「お姉ちゃん!」

 暗闇に消えていく姉を見ながら、ハイネに引きずられるようにメールは連れられていった。


          *     *     *


「ヒースクリフさん! 医者を連れてきました!」

「メールちゃん! ……ハイネくんも無事だったのか! よかった」

「セラさんは?」

「まだなんとか大丈夫だ。ワルターさんも手伝ってくれている。お医者さん、よろしくお願いします!」

「急ぎましょう。事態は一刻を争います!」

 そう言いながら、白衣をまとった医者はセラのいる寝室へと消えていった。ヒースクリフもそれに続いた。

 家の廊下に、メールとハイネだけが残された。

「お前は行かないのか? メール」

 ハイネがそう問いかけたが、

「……私が行っても、何もできないよ」

 弱々しく首を横に振った。

「ハイネくんこそ行かないの?」

「俺もお前と同じ理由。つか、俺の性別考えろ。俺が行っちまったら、メールが行く以上に、ヒースクリフさんにもセラさんにも悪い」

 ハイネはそう言うと、廊下の壁にもたれ、腕を組み、下を向いて瞳を閉じた。

 メールもハイネとは反対側の壁にもたれ、するすると力が抜けたように座り込む。

 そして、

「お願い……。どうか無事に——」

 メールは両手を組み、ただ祈った。

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