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名無しの手紙  作者: 山本良磨
第4話 ロウェナ編
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違う

 何もせずおとなしくしていることが、これほど時間の流れを遅くするものなのか、とメールは思い知った。ハイネが出たときには西の空にあった夕日も沈みきり、夜の帳が下り始めている。

 ヒースクリフとセラも互いに手を握りながら待ち続けていた。苦しそうに息をするセラをヒースクリフが寄り添い、何度も何度も声をかけ続けている。

 何もできない歯がゆさがメールの中で頂点に達しようとしたとき、家の扉が開け放たれた。

「ハイ——」

「ちょっと! ヒースクリフさんとセラちゃんはいるかい?」

 彼ではなかった。三人がいる部屋に入り込んできたのは、小太りの中年女性だった。

「んまっ、セラちゃんどうしたんだい! まさか産まれそうなのかい? 早く医者に連れて行かないと……」

「大丈夫です。もう呼びにいってます。それよりワルターさん、どうかされましたか?」

 ヒースクリフに名前を呼ばれたワルター夫人は、思いだしたかのように話し始めた。

「いやね、いま町が大騒ぎになっているんだよ。もしかしてセラちゃんが病院に行ってて、その途中で人混みに巻き込まれてやいないかと心配になってね。ほら出産が近いと体の調子が不安定でしょう?」

「大騒ぎ……? いったい何が?」


「町で人が殺されたらしいのよ。なんでも被害者は手紙屋だそうで——」


「違う」

 ヒースクリフは反射的にメールの顔を見た。

 彼女の口から咄嗟に出た言葉は、そうであってほしいという願望のあらわれだった。

(違う、違う、そんなわけがない、あるはずがない)

 頭の中で否定しているにも関わらず、頭の奥底からいつか聞いたことのある言葉が沸き上がってくる。


 ——手紙屋殺し


「メールちゃん、大丈夫かい? 顔が真っ青だよ」

 大丈夫じゃないのはメールだけではない。ヒースクリフも今の情報を聞いて、一気に血の気が引いていた。

 しかし、そんな状態のヒースクリフが、メールに言葉をかけずにはいられないほど、彼女の状態が異常だった。唇がわなわなと震えているのがどうしても止められない。

「そんなことよりも今はセラちゃんのことだよ! 医者は、医者は呼んでいるんだね?」

 ワルター夫人の質問には、誰も、何も答えなかった。代わりに歯を食いしばりながら、ヒースクリフが立ち上がった。

「僕が、呼んで——」

 しかし、すぐに体ががくんと止まる。セラが彼の服を握りしめていたのだ。精一杯の力で、息も絶え絶えに。

「いや……。そばにいて、ヒース」

「セラ……? しかし、このままじゃ——」

 ヒースクリフの顔が苦悩に歪む。

「私が……行きます」

 メールのカラカラに乾いた喉から、そう声が出た。足はふらふらで今にももつれそうだったが、今大切なのは自分じゃない。メールは自分の足に喝を入れる。

「行って、きます」

 走っているのか、歩いているのか、もはや自分でも分からなかったが、確実に家の扉へと向かった。背後からヒースクリフの声が聞こえる。

「待つんだメールちゃん! 夜のロウェナの治安は最近かなり悪くなってきている。君くらいの年の子が一人で出歩くのは危険すぎる! ……ワルターさん! あの子を、止めて!」

 しかしメールは夫人が手を伸ばすよりも早くドアノブに手をかけ、夜の町へと飛び出した。

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