アランヤとシゼル
次の日の夕方。仕事中のハイネとメールが町中でヒースクリフに会ったのは全くの偶然だった。
「やあ、ハイネくんとメールちゃんじゃないか!」
メールが振り向くと、そこには厚手のコートに身を包み、中がいっぱい詰まった買い物袋を抱えているヒースクリフがいた。
「ヒースクリフさん! また会えましたね」
「君たちは今日も手紙を配っているのかい?」
ヒースクリフの質問にはハイネが答えた。
「そうです。ちょうどロウェナ宛ての手紙を配り終えたところで。ヒースクリフさんは買い物ですか?」
見ての通りさ。ヒースクリフはそう呟きながら、細い右手で抱えた荷物を少し持ち上げた。
(あれ……左腕……?)
メールには今のヒースクリフの姿が奇妙だと感じた。左手はブランと垂れ下がり、右手だけで荷物のバランスをとっている。昨日はなんの違和感も感じなかったが、今日は荷物を持っており、その姿が、メールにはいささか不自然に映った。
「荷物……持ちましょうか?」
左腕、どうかしたんですか。そう聞きたかったが、すんでのところで言葉を飲み込んだ。
「いやいや、心配には及ばないよ。セラがもうすぐ出産するんだ。僕たちの子どもが生まれるんだ。僕もこうやって頑張っていかないとね!」
そこでヒースクリフは何か閃いたかのように口を開いた。
「そうだ、君たちこれから暇かい? よければ家でお茶でもどうかな?」
どうでしょう? メールはハイネへ視線で質問した。
「まあ、俺は別に構わないぞ。もう手紙も配り終わったし、後は宿に戻るだけだからな。メールがいいんだったら、少し寄り道しても構わないよ」
「私は……」
メールは顔を俯かせる。未だに親の行方は掴めていない。
手紙屋という職業の特殊性から、捜し当てるのは簡単ではないことはわかっていた。しかし、エルレ・ガーデン、シルメリア、そしてロウェナと町を転々としていく度に、彼女の中の焦燥感が大きくなっていた。
不意にぽんと肩に手が乗った。ハイネの手だ。名無しほど大きくはないが、また違う安心感がある。
「あまり根を詰めすぎるな。休憩や気分転換も必要だ」
「ハイネさん……ありがとうございます」
話がまとまったのを悟ったのか、「よし!」とヒースクリフが笑顔で呼びかけた。
「決まりだね。それじゃあウチにおいでよ」
* * *
昨日と同じ共同住宅の前に来ると、ヒースクリフが中へ迎え入れてくれた。メールたちは招かれるままに部屋へと入った。
「外は海風も吹いて、コート着てても寒かったけど、家に帰ると途端に暑く感じるなあ。階段を嫌ほど上がったせいか」
外套のを脱ぎながら、ヒースクリフがぼそりと呟いた。その光景をなんとなく眺めていたメールは、
(え……?)
顔色がサッと青ざめた。
「ヒースクリフさん……。その左腕——」
少し前にこらえた言葉をつい口に出してしまった。しかし今のメールはそれしか言葉にできなかった。
外套を脱いだ拍子に、ヒースクリフの左腕がブラブラと揺れたのだ。人の腕としてありえない方向に。まるでマリオネットのように。
「え。ああ、申し訳ない。びっくりさせちゃったね」
ヒースクリフはそれだけ言って、左腕の動きを右手で止めた。
「初めて会う人たちには、気持ち悪がられちゃうから、バレないように心がけているんだけどね。メールちゃんたちは初対面じゃないから、つい気が緩んじゃった。本当にごめん」
驚きで二の句が継げないでいるメールの代わりに、ハイネが、
「へえ。それ、義手なのか」
「そう。だいぶ前に、ちょっとね」
セラと結婚するよりも前だよ。ヒースクリフはそう付け加えた。
彼の義手は木製で、腕の部分に当たる棒と関節の球体、拳の木塊で構成された簡素なものだった。手の部分も指は小さな球体を連ねただけのもので、人が一目見ただけでは気づかない程度には本物の腕を再現している。しかし、限度もあるため、ヒースクリフはさらに針金で手の動きを固定し、手袋を被せることでより気づきにくくしているようだ。
「夏は湿るし、冬は蒸れるしで手入れが大変なんだ。十年以上前なら、機械性の義手があったのにね」
「き、機械?」
メールは瞬時に、エルレ・ガーデンで名無しが持っていたアレを思い出した。
「そうそう。機械の義手って便利らしいよ! なんたって、自分の意志で動かせるらしいんだよ。まるで両腕があるかのように感じられるんだ」
(アレが、腕の形になるの?)
名無しのアレ以外に機械を見たことのないメールには、ヒースクリフの想像しているものが、まったく理解できなかった。
メールの頭がくるくる混乱しはじめたとき、ハイネが口を開いた。それは強く咎める口調だった。
「……まさか、本当に機械の義手が欲しいだなんて思ってないだろうな? あれは——」
「もちろん、そう思っているだけさ。使いたいなんてこれっぽっちも考えてないよ。セラや子どもまで危険にさらしちゃうからね。絶対に手は出さないよ」
元々、もう出す手はないんだけどねー。ヒースクリフは左腕の義手をカラカラ鳴らしながら笑ったが、メールは笑えなかった。笑ったら悪い気がした。
「ところで……、セラがいないね」
ヒースクリフは周りをきょろきょろと見回しているが、セラの姿は見えない。
「セラを呼んでこようか。昼寝でもしてるのかな」
もう夕方で、昼寝っていう時間でもないけど。苦笑しながらヒースクリフは奥の寝室へと向かった。
「なんか、どっと疲れが……」
メールの全身から汗がぶわっと吹き出した。硬直していた体が一気に動く。
「ずっと仕事で連れ回しておいて今更なんだが、平気か?」
「いや、それについては今までの旅で慣れていますからいいんですけど……。」
「まあ、人にはいろいろ事情がある。俺だって今までの旅で、決して多くはないにせよ、義手の人は何人か見てきた。むしろ、腕がないことをギャグにできるって時点でヒースクリフは立派だよ。自分のコンプレックスを乗り越えてる。だからメールが気にするな。この場合、気にする方がヒースクリフに悪い」
メールはモヤモヤした頭を切り替えるために、一旦目を閉じて息を整える。
そして、両手で自分の頬をバチンと叩いた。
「よし、スッキリ! もう大丈夫! そうですよね。私が気にしたら、かえってヒースクリフさんとセラさんに悪いですよね。ありがとうございます。ハイネさん」
そんなメールを見て、ハイネはケラケラ笑う。
「そういうとこ、シゼルさんにそっくりだわ」
「お母さんに?」
「そう。豪快な人だよな、あの人」
そうだ。メールは閃き、ハイネに尋ねる。
「ハイネさん、もしよかったら聞かせてもらえませんか? お父さんとお母さんのことを」
「そんなの、お前の両親だろ。お前が一番知ってるよ」
「でも私は手紙屋としてのお父さんとお母さんのことは知らないんです。名無しさんとお姉ちゃんはあまり教えてくれませんし」
「そうは言ってもなあ……」
ハイネは頭をポリポリ掻き、顔をしかめた。
「俺も実際あったことは一回しかないし、それもほんの少しだけだ。ほとんどは噂で耳にしたものでしかないよ。だからメールが知っている以上のことは知らない。やっぱりそれはフー姉か名無しに聞いたほうがいいと思う」
それよりも。とハイネはメールに笑いかけながら話を続ける。
「俺が逆に聞いてみたいもんだよ。手紙屋じゃなくて、親としてのアランさんとシゼルさんがどんなふうなのか」
訊かれたメールは居心地が悪そうに肩をすくめる。
「親子だっていっても、どっちも手紙屋の仕事で普段は家にいないですから。リリアーヌに近い場所で手紙を配達していたときについでに顔を見に来るんだ、ってお母さんが言ってました」
「まるで正月か盆に挨拶にくる親戚みたいだな」
苦笑するハイネにつられてメールも笑う。
「うん、そう。ちょうどそんな感じです」
「シゼルさんならそう言いそうだ。あの人ちょっと話しただけでもわかるくらい豪快な人だからなあ」
「そうなんですよ。いつも後先構わず行動しちゃって」
「娘に言われるなんてよっぽどだな」ハイネがにやっと笑う。
話していくうちに母親のことを思いだしてだんだんと顔がほころんでくる。
「でもそんなお母さんが私は大好きです。あの豪快な笑い声が、すごく心強いって思えます」
「それに比べて、アランさんはおとなしい感じだよな。いつもシゼルさんの一歩後ろに下がっているって聞くし」
「はい、それは家でも変わらないです」
「もしかして……、尻に敷かれてるってヤツ?」
「うーん……。でも言うときはしっかりと意見を言いますよ。そのときはお母さんも逆らわないです」
「ふーん、寡黙ってやつか。……なんかお前と話してると、二人とも俺の親とあんまり変わらない、どこにでもいる両親のイメージになるな。なのに手紙屋としては偉大。特に戦いに関しては数ある手紙屋の中でもトップレベルの実力だってんだから凄いよな。全手紙屋の憧れの的だぜ」
ハイネは大きく感嘆のため息を漏らし、体を反らして宙を仰いだ。
「もしかしたら手紙屋としての二人じゃなくて、親としての、家族としての二人に何か強くなる秘訣でもあるのかとも思ったけど、収穫なしかー」
「そうですか……。ごめんなさいハイネさん。何かいいこと教えられたらよかったんですけど……」
しゅんと俯くメールに対してハイネは優しく笑いかける。
「気にすんな。俺は俺のやり方で強くなってやるよ」
「あ、そういえばお母さん、いびきが大きいです。お姉ちゃん以上です」
「いや、別にそれは強さと関係ないんじゃねえかなあ。それに仮にそれが強さにつながってたとして、どうやっていびきを大きくするんだよ……。でもフー姉以上かー。聞きたくなかったな……」
というか。とハイネは顔をメールの前へずいと近づける。メールは突然視界いっぱいになった少年の顔に目を白黒させる。
「お前はいつまで俺に敬語を使っているつもりだ。年もそう変わんないだろう」
そう言われてメールは、ハイネに対して無意識に敬語を使っていることに気づいた。そしてそれを気にかけてくれていたことがとても嬉しかった。
「……うん。わかった。ありがとう、ハイネ『くん』」
ハイネが満足げに微笑む。
直後、扉の向こうから男の悲鳴が聞こえてきた。
「セラ! どうしたんだ? おいセラ!」
異変を察知したハイネが飛び跳ねるようにドアへ向かう。メールもやや遅れてそれに続いた。
「何があったんだ!」
「ヒースクリフさん、セラさん、大丈夫ですか!?」
扉をぶち破らんばかりの勢いで飛び込んだメールたちが見たのは、お腹を抱えてうずくまるセラとそれを不安そうに支えるヒースクリフだった。
「ベッドで昼寝をしてたんだ……。起こしてあげたら、急にセラが苦しみだして……、もしかしたらこれは」
ヒースクリフの言葉の後は、息も絶え絶えなセラが引き継いだ。
「う、生まれる……」
「生まれるって、もしかして赤ちゃんがですか?」メールの顔が引きつる。
「完全に油断していた……。予定日までまだあったから……。とにかく早く医者に」
そう言って駆け出そうとしたヒースクリフをハイネが片手で制止した。
「待て待て! そんな状態の奥さんを連れ出すわけには行かないだろ」
「しかし、このままでは!」
「話は最後まで聞きな。俺がひとっ走りして医者を連れてきてやるよ。この町の病院の場所を教えてもらえるか?」
まずは落ち着け、とハイネはヒースクリフに深呼吸を促した。
メールはというと、あまりに突然の事態に茫然としていたが、
(ううん。ぼうっとしてちゃダメ! 私も助けなくちゃ!)
気を取り直す。
「じゃあ私も一緒に——」
「邪魔だ」
ばっさりと切り捨てられてメールは体がこわばる。フーリエならまだわかるが、ハイネにきつい言葉を言われたのは初めてだった。
「事態は一刻を争う。悪いがお前のペースに合わせるのも、お前をかばいながら行くのも合理的じゃない。ここは俺一人で行く」
メールはうなだれる。しかしハイネの言うことももっともだった。メールがついていくと、ロウェナの治安上、ハイネがスピードを合わせなくてはならなくなる。一刻を争う事態の中、それは御法度である。
何もできないのはもどかしいがここはおとなしくしておくべきだった。
ハイネはヒースクリフに医者の場所を教えてもらう。メールも、とりあえず一緒に聞いた。何かせずにはいられなかったのだ。
メールは、出発の準備を整えたハイネの手をぎゅっと握る。
「ハイネくん、気をつけて」
「ああ、任せとけ」




