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名無しの手紙  作者: 山本良磨
第4話 ロウェナ編
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ハイネとメール

「……それじゃ、準備はいいですかー?」

「ああ、いいぞ」

「こっちもオーケーよ」

 返事を聞いたメールは右手を大きく上げる。

 場所は変わって、ロウェナの町中にある円い広場。中心地から離れているため、人通りは少ない。

 メールはその広場の端に立っていた。ハイネとフーリエはそのちょうど正反対の端に立ち、横並びになっていた。

「位置について。よーい——」

 上げていた手を掛け声とともに全力で振り下ろす。

「ドン!」

 直後、ハイネとフーリエは全力でメールの立つゴールラインへと走りこんできた。遠くからでもハイネの雄叫びが耳に届いてくる。

 そして、速くゴールを切ったのは、

「ゴール! お姉ちゃんの勝ち!」

「ふん、当然の結果よ。まだまだハイネごときには負けませんて」

 一方、数秒遅れてゴールしたハイネは荒い息をしながら心底悔しそうに地団太を踏む。

「くっそー! なんで勝てないんだよ! ずっと体鍛えているのに!」

「ふふん。ハイネ。あんたとは体の出来が違うのよ、出来が!」

 ハイネにとって、フーリエは同じ手紙屋としての仕事仲間であるのと同時に、追い越したいライバルでもあるようで、しょっちゅう勝負を持ちかけているらしい。今回の短距離走も、ハイネがフーリエに挑戦状を叩きつけたのだった。

 そして戦績はフーリエの全勝だという。

 フーリエは満足した表情でハイネを見下ろす。その表情からは勝者の余裕が感じられる。

「あんたがあたしに勝つなんて、あと十年早いわね」

「……あと一年で追い越してやる。行くぞメール」

 ハイネはメールの手を握り歩き出した。メールはされるがままについて行く。フーリエが驚いたように二人を引きとめる。

「ちょ、ちょっと! どうしてあんたがメールを連れていくのよ?」

「どうしてって、名無しはメールの世話を俺に頼んだんだ。だから俺と一緒に手紙を配達して回るんだが?」

 それとも、とハイネはメールの顔を見た。

「メールは宿屋で一人待っていた方がいいか? それでもいいんだが」

 答えのわかりきった質問だ。メールは首を横に振る。

「ううん。私、一緒に行きたいです」

「だそうだ。じゃあ行くぞ」

「いや、別にあんたじゃなきゃダメってことはないでしょうが。せっかく姉妹また会えたんだし、少しは気を使いなさいよ」

「お姉ちゃん」

 メールがやんわりと発言して、フーリエが黙り込んだ。

「私、大丈夫だよ。ハイネさんが一緒だし。だからお姉ちゃんも、たまにはちゃんと手紙を配ってね」

「『たまには』って何よう! それ、エルレ・ガーデンでだけよ! あたしだっていつもはちゃんと手紙配ってるんだからね!」

 ギャーギャー喚くフーリエを残して、ハイネとメールは一緒に仕事に向かった。


          *     *     *


 ハイネはメールと年も対して違わないというのに、メールとは雲泥の差といってもいいくらいしっかりしていた。

 手紙の宛先を見てはその場所に行き、てきぱきと配っていく。

 メールはその後ろについて行きながらも不安そうにキョロキョロと周りを見回す。それに気づいたハイネが力強く告げた。

「俺と一緒にいれば大丈夫だ。人さらいもさすがに二人組は襲わないからな」

「二人って言っても私たち、まだ子どもですし……」

「もし子どもだからって甘く見ている奴がいたら、返り討ちにしてやるだけだ。そうだろ?」

 確かに昨日のハイネの戦いぶりはすごかった。とても同じくらいの年齢とは思えない動きだった。

(いつか。いつか私もあんな風になれるのかな)

 そんな夢をぼんやりと考えていたメールは、ハイネの「ほら、さっさと次いくぞ?」という呟きで我に返った。

 気を取り直してハイネの後を追う。


          *     *     *


 ロウェナは、とにかく建造物が高くつくられていた。

 狭いエリアの中で、大きな発展を遂げた結果だろう。故郷のリリアーヌや、エルレ・ガーデンでも二階建てがせいぜいだった。シルメリアの病院と聖堂がやっと五階くらいになる程度だった。

 しかしロウェナでは、五階、六階建ての建物が当たり前なのだ。中には、魔物の侵入を阻む町周囲の壁すらも軽々超える高さの建物もあった。

 そのため、町の中からの風景は、どの方角も建物に遮られてよく見えず、どこか閉鎖的だった。

 ハイネとの手紙配達も、そのほとんどが建物の階段の昇り降り。階段、階段、ただひらすら階段。彼女にとっては広い町を歩き回るよりも、体力的にも精神的にも辛く感じた。

 そうやっていくつもの階段を昇っては降り、次の配達先へと到着した。高層共同住宅の一室だ。

 メールはドアの前で膝に手をつき、はあはあと荒い息を吐いていたが、ハイネは何食わぬ顔で直立している。

「大丈夫か? 今からでも宿に戻るか?」

「平気……です。大丈夫です……」

「まあ。どっちにしろ、そろそろ日が沈む。今日はここで最後にしよう」

 ハイネの視線の先には、赤く輝く夕日があった。その一部分はすでに地平線に沈み見えなくなっている。

 ハイネはドアをノックした。その数秒後、中から三十代くらいの、ほっそりした男性が出てきた。

 ハイネは彼に向かって、一礼する。

「どうも、手紙屋です。手紙を届けにきました」

「手紙? ……僕たちに? 誰からだろう」

 顔をしかめながら、男はハイネが差し出した手紙を受け取る。男性は中身を見ると徐々に笑顔に変わり、部屋の奥を振り向き、大声で叫んだ。

「セラ! お義父さんとお義母さんからだ!」

 その呼びかけに応じてゆっくりと一人の女性が出てきた。メールは目を丸くする。

(お腹……赤ちゃんがいる!)

 セラと呼ばれた女性のお腹ははっきりと膨らんでいて誰が見ても妊婦とわかった。セラは夫に支えられながら、廊下に置かれた折りたたみ式の椅子に腰掛けた。

 セラはハイネとメールを見ると優しく微笑みかけてきた。

「あら素敵。可愛らしい小さな手紙屋さんね」

「あの、そのお腹……」

 言われたセラは自分の膨らんだお腹を見下ろし、優しくさする。

「そうよ。もうすぐ生まれるわ」

 わあ、いいなあ。メールが感嘆の声を漏らすと、セラはメールに小さく手招きしてきた。

「お腹触ってみる?」

「え、いいんですか?」

 もちろん、と快い返事をされて、メールはその好意に甘えることにした。セラに近づき、おそるおそるといった感じで手をお腹に近づけていく。

(うう、緊張する……)

 そしてガチガチに固まった手でお腹に優しく触れた。人の肌のあたたかさが手から伝わってくる。

 直後、ピクンとお腹が揺れた。メールの顔がぱあっと明るくなる。

「すごーい。ピクピク動いてる!」

「きっと『お姉ちゃん初めまして』って言ってるのね」

「ハイネさんも触らせてもらったらどうですか?」

 話を振られると、ハイネは顔を真っ赤にしながらそっぽを向いた。

「俺はいい!」

「でもこんな経験滅多にないですよ?」

「だからいいって言ってんだろ!」

 その姿に共感できるのか、セラの夫が腕を組みながらうんうんうなずいていた。その二人を交互に見たセラがクスクス笑う。

「……しかし、なんでお義父さんとお義母さんはわざわざ手紙を? 同じ町にいるんだから、手紙を送るよりも直接会いに来たらいいのに」

 男の人——ヒースクリフ・ターナーと名乗った——、が不思議そうに首を傾けた。

「あらあら。ダメよ、ヒース。手紙屋さんの前でそんなこと言っちゃ。多分、一度手紙を使ってみたかったんじゃないのかしら? ——それに私は、手紙だからこそ、伝わるものもあると思うわ」

 その夫婦の会話は、とても微笑ましく、手紙屋にとってこれ以上ない誉れだった。

「お前は手紙屋じゃない。何威張ってんだ」

 ハイネのツッコミ。直後に四人の大笑い。

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