最果ての村 ワルプルギス
メールと名無しが取っていた宿に、ハイネとフーリエが加わり、四人は部屋に会ったベッド、椅子、ソファにそれぞれ腰掛けた。
誘拐未遂現場から宿屋に戻るまで、フーリエがメールにピッタリと密着してくれていた。あと一歩で売られようとしていたメールへの配慮だろう。メールはその気遣いがとても嬉しかった。
「で、名無しはどうしてロウェナに来たんだ?」
部屋に入って、最初に口を開いたのはハイネだった。
「たまたまだ」
名無しの簡潔な回答。ハイネは次にフーリエの顔を見る。
「フー姉は? なんでここに?」
「たまたまね。そういうあんたは、ハイネ?」
「まあ、たまたまだな」
「……時々思うけど、手紙屋のシステムってもっと根本的に改革したほうがいいんじゃないかしら? 手紙屋が三人も、同じ町に集まるなんて、効率悪すぎ」
「なら、フー姉が、その改善案を文書にまとめて王都に提出したらどうだ? もしよければ採用されるかもな」
「いやよ、書くのめんどくさい」
「お姉ちゃん、デスクワーク苦手だから」
「そういう個人情報を垂れ流すの止めて! いいじゃん! 手紙屋に賢さなんて必要ないわよ。大陸を渡り歩く体力と、魔物に打ち克つ強ささえあればいいのよ!」
三人がとりとめのない話に花を咲かせている中、名無しだけが口を開かず眉間に皺を寄せていた。一緒に旅してきたメールにとっては、いつものことではあるが。
「名無しさん? どうかしましたか?」
「そうよ、さっきからあんたは話の外でずっと黙って。気の利いたギャグくらいかましなさいよ!」
「別にギャグは言わなくていいが……、少しは話に加わってもいいんじゃないのか、名無し?」
三者三様の言葉に対して、名無しは答えず、
「……なんにせよ、メールの知り合いが偶然ここにいたのは、好都合か」
「ん、何よ。あんた今なんか言った?」
「ハイネ」
突然名前を呼ばれて何事かとハイネは目を丸くした。
「しばらくの間、メールを頼めるか?」
「どういう意味だ?」「どういう意味よ?」
メールが何か言う前に、ハイネとフーリエがしっかりと言いたいことを代弁してくれたので、彼女が口を開く必要はなかった。
「ワルプルギス宛ての手紙が一通あるからな。ちょっと行ってくる」
その瞬間、部屋の空気が一気に凍り付いたことにメールは気づいた。
「……あんた、ワルプルギスに行くつもりなの?」
「…………」
ハイネも顔が引きつっている。
しかし、その意味がまったく理解できないメールが、
「あの、すみません。ワルプルギスってなんですか?」
その質問にはハイネが答えた。
「アールザード王国は一つの大陸が丸ごと一つの国ってのは知ってるだろ? 大陸って言っても世界で一番小さい大陸だけどな。でも厳密には大陸だけじゃないんだよ。一つの大陸と一つの小さな島からできているんだ。その小さな島にある村がワルプルギス。『手紙屋いらずの村』って言われたりもする」
その後はフーリエが継ぐ。
「アールザード王国は大陸内に魔物がはびこっているせいで、もともと村同士、町同士のつながりが弱いわ。でもワルプルギスはそれに加えて海で大陸と分断されているから、大陸とのつながりはほとんどない。もうワルプルギスそのものが一つの国と言っていいくらいにね。外界から隔離されて閉鎖してしまっている村よ」
しかし、とハイネは怪訝な顔をする。
「そもそもワルプルギス宛ての手紙なんて初めて聞いたぞ。大陸側からワルプルギスに手紙を送る奴なんているのかよ」
「相当な物好きだとは思うがな。実際ここにあるんだ。届けないわけにはいかない」
「…………。だ、だったら俺がワルプルギスに行く。名無しはワルプルギス行ったことないんだろ? 俺が行った方が——」
「声が震えている奴のセリフじゃないな」
「ぐっ……」
ハイネはそれ以上言い返せず、押し黙った。
「でも!」
メールはハイネと名無しの会話を遮って訊ねた。
「どうして名無しさんだけなんですか? 私も行ったらダメなんですか?」
「とんでもないわ!」と、声を荒げたのはフーリエだ。「ワルプルギスは外から隔離されているから、村人のつながりが異常に強いわ。それこそ病的なレベルでね。村人の誰かが犯罪を犯しても村全体で隠蔽を行うし、外からの来訪者には侮蔑の目を向けて容赦がないわ。暴力行為に走ることもある。でも誰もが見て見ぬ振りをするのよ」
「そんな村があるんですか……」
メールは何も口にできない。つい先程、人の底知れない恐ろしさを体験したばかりだが、今聞いたワルプルギスという村の恐ろしさはもはや想像することすらもできなかった。
名無しはそっとメールの頭に手をぽんと置いた。メールを元気づけようとするいつもの動作だ。
「だからお前をつれていくことはできないんだよ、代わりにハイネに面倒見てもらうんだ」
「でもそれだったら名無しさんも危ないんじゃ……」
「俺の強さ知ってて言ってんのか、それは」
確かに名無しは強い。リリアーヌでも、町と町の間の道中でも、そしてついさっきもその強さははっきりと目にしている。
「それにさっきの誘拐未遂で、怖くて泣いてしまうようなら、来ないほうがいい」
「ちょっとあんた! そんな言い方——」
フーリエが起こって抗議しようとしたが、
「フー姉……」
ハイネが手で制止して、むすっとした顔になり、押し黙った。フーリエ自身も名無しが正しいと分かっているのだろう。
「それは、私じゃ確かに足手まといになっちゃうかもしれませんけど……。でも」
でも、でも、でも。とメールは内からこみ上げてくる不安をかき消すことはできなかった。
それを察したのか、名無しは「大丈夫だ」と言いながら、メールの頭の上に置いた手をぐしゃっと動かし、撫でてくれた。手袋越しのいつも通りの感触だった。
「頼んだぞ、ハイネ」
「わかったよ、任せとけ」
「てゆーか、さっきからどうしてあたしの名前がないのよ!」
「お前よりはハイネの方がしっかりしてそうだからだ」
名無しはこともなげにさらりと告げた。
* * *
次の日の朝、メールはフーリエ、ハイネと一緒に名無しの見送りに来ていた。
「名無しさん、本当に気をつけてくださいね」
「ああ」
ワルプルギス行きの船に乗り込もうとしていた名無しは、何かを思い出したかのように振り返った。
「ハイネ」
なんだよ、とハイネが眉間にしわを寄せる。
「メールから目を離さないようにしろよ。こいつ結構勝手に行動するからな」
「ちょっと! もう、どうしてそういうこと言うんですか!」
「事実だろ」
「それは……、そうですけど。そんな言い方……」
言い返すこともできず、しょんぼりしていたメールに対して、
「まあ、さすがにもう大丈夫だとは思うがな」
「……はい、気をつけます」
メールは小さく首を縦に振って頷いた。
ハイネとフーリエもそれぞれ口を開く。
「名無しだから大丈夫だとは思うけどさ。でも、気をつけてくれよ」
「別にあたしはあんたが帰ってこなくてもいいんだけどねー」
「お姉ちゃん!」
「だけど、メールに泣かれるのは困るから、無事に帰ってきなさいよー」
名無しはメール、ハイネ、フーリエに一通り目を向けて、それから船に乗り込む。
「いってらっしゃい」
メールの言葉を背中に受けながら、名無しを乗せた船は出航した。
(どうか、無事で帰ってきますように)
メールは両手を組み、遠くなる船に向かって祈った。




