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名無しの手紙  作者: 山本良磨
第3話 シルメリア編
32/72

The 5th Day 1/2

「じゃあ名無しさん、行きましょう」

 メールは勢いよく宿泊していた宿屋を飛び出した。あとからゆっくりと名無しが続く。歩道の真ん中まで走ってからくるりと踵を返し後ろの名無しを見た。

「じゃあ、まずは病院に!」

 しかし名無しはすでに病院へと歩きだしていた。置いてけぼりを食らったメールは慌てて後を追う。

 今日もメールは病院でリオナと過ごすことになっている。昨日そう提案したのはメール自身だった。

 やはり、リオナともっと遊びたいと思っていたからだった。リオナとの時間はとても楽しく、もっと一緒にいたいと思わせてくれた。

 そして決断に踏み切ったもう一つの理由が名無しの仕事量だった。メールも名無しと一緒に回りたいと思っていた。しかしシルメリアは大都市で、それに比例して配る手紙の量も多くなっている。二人で行ったらきっと名無しはメールに歩幅を合わせるだろうから、自然と仕事をこなすスピードが落ちることになってしまう。そうなると仕事が終わるのは一体何日後だろうか。一晩つきっきりで看病してくれた恩もあり、メールはあまり名無しを困らせない方がいいと考えた。

(それとも)

 メールは名無しに気づかれないようにこっそりと名無しの顔を横から覗き込む。

(名無しさんはもし一緒に行っても私にお構いなしで自分のスピードで行くのかな)

 無愛想な顔からは感情を読み取ることは難しい。


          *     *     *


「今日も来てくれたの! いらっしゃい、メールちゃん、ナナシさん」

 リオナは病室の中で二人を迎えた。既にベッドから車イスに移り、移動の準備ができている。彼女のそばには父親のライナスが立っていた。

「リオナお姉ちゃん!」

 メールは名無しのそばから離れ、正面からリオナへと抱きついた。二人は顔を合わせるとにっこりと微笑む。

 その姿を確認した名無しは、配達のために部屋を後にしようとした。

「行ってくる」

「いってらっしゃい」

「頑張ってくださいね、ナナシさん」

 少女二人の声と、ライナスの会釈を背中に受けながら名無しは廊下を曲がり、見えなくなった。

「……それで、今日は何するの?」

「あ、それなんだけど」

 目を輝かせているメールの手を握りしめながら、リオナは言った。

「今日は、一緒にシルメリアの街を回ってみない?」

「え、病院の外に行っていいの?」

 メールが真っ先に心配したのはリオナの体だった。昨日一日一緒に遊んでいて、特に何か発作を起こしたなど、そういうことは全くなかった。目立った傷跡もなく、ただ足が不自由で車イスに乗っているだけだったらいいのだが、それ以外の理由もあって入院している可能性もある。彼女がはたして病院の外に出てもいいのだろうか。

 メールが心の中で思ったままに不安そうな顔をしていると、リオナは小さく首を振って優しく告げた。

「大丈夫だよ、私は足が不自由なだけだし。それに」リオナは後ろに立っている親を見る。

「今日はお父さんもいるから」

 その言葉を聞いた父親はそっとリオナを撫でつけた。

「さすがにずっと病院の中じゃ飽きてくるからね。 どうだい? 一緒にシルメリアを観光するかい?」

 メールは腕を組んで考え込む。

(名無しさんとしては病院の中でおとなしくしていてほしいんだろうけど、リオナお姉ちゃんと両親もついているから、大丈夫だよね)

 それに、やっぱり一日中病室の中は退屈だ。

「じゃあ、お願いします」

「やった! じゃあお父さん、行こ?」


          *     *     *


 リオナの父親曰く、シルメリアは街を分断するかのように中央を大きな川が北から南へ走っており、そこからさらに小さい河川が街全体に張り巡らされているらしい。

 シルメリア独自の移動手段にゴンドラがある。ゴンドリエーレを雇い、町中の水路を進む。水上を自由に行き交うゴンドラの姿が、シルメリアを「水の都」たらしめている。

 メールが入院していた病院は西地区にある。西地区は主に居住区となっていて、東地区が商業区となっている。まずはゴンドラに乗って東地区へと向かった。

「西地区にはめぼしいものはないからね」ライナスはそう説明した。

 メールは病院の前に用意されていたゴンドラにぴょんと跳ねて乗り込む。ゴンドラが振動で揺れ、メールは危うく水路に落ちそうになった。足元が水に揺られてぐらつく感触、メールには久しぶりのものだった。漁村のリリアーヌ出身だけあって、船には何度か乗せてもらったことがある。ほんの少しだけ村が恋しくなった。

 ゴンドリエーレと話をしながら、水路を渡り、大河川を横断していく。

 風に長い髪を揺られながら、メールはそっと目を閉じた。

「風が気持ちいい……」


          *     *     *


 ゴンドラの上から東地区を見たメールは息を飲んだ。

 初めてエルレ・ガーデンを訪れたとき、メールは町の規模の大きさにびっくりした。しかしそんなメールをフーリエは横で笑っていた。「ここもそれほど大きくないわよ」と。

 その意味がやっとわかった。目の前に広がる光景はリリアーヌは当然のこと、エルレ・ガーデンすら足下に及ばないレベルだった。隅から隅まで人であふれていた。

「どうだい、すごいだろう?」ライナスが微笑んだ。

 もはや言葉すら出ない。ぱっと視界に入った人の人数だけでリリアーヌの人口に達しそうな勢いだ。

「いきなりこの中を歩くのは大変だから、まずはゴンドラで街を回ってみようか」

 ライナスの言葉にメールは胸を撫で下ろした。実際、めまぐるしく動き回る人の群れに目が回りそうだったのだ。

 ゴンドリエーレの説明によると、船停の近くは人の出入りが最も多い場所なので、自然と店の量が多くなる。店が多くなると人が――、というふうに、シルメリアは発展していった。なので、船停から少し離れた場所に向かうと人の量も少なくなるのだと言う。それでもエルレ・ガーデンと同等かそれ以上ではあるのだが。

 地面の石畳や塀のほとんどは白色で統一されている。地面と草の色だけでなんの整備もされていないリリアーヌや、赤いレンガ道のエルレ・ガーデンとはまた違った雰囲気を持ち、シルメリアはとてもきれいな印象だった。「水の都」の名にふさわしい、水と空の青色が、街の白と非常にマッチしていた。

 ゴンドラはゴンドリエーレの操舵によって振動もなく、滑るように進む。そして、ある開けた場所へたどり着いた。そこは芝や石畳が綺麗に整備されていて、見晴らしのいい場所だった、

 その先には、

「綺麗な建物……」

 とても見事な聖堂が建っていた。目を奪われていたメールに、ライナスは言う。

「入ってみるかい?」


          *     *     *


 聖堂の中はとても広かった。それに対して人の数は一人、二人がぽつりぽつりといるだけだった。日の光がステンドグラスによって、様々な色を帯びて、がらんどうな屋内に降り注ぐ。

「綺麗……ほんとに」

 メールは建物の外でつぶやいた言葉を繰り返した。

「この聖堂は、アールザード王国の中でも有数の聖堂だよ。ここで結婚式を挙げることが、シルメリアに住む女性たちの憧れだそうだ」

「なんか分かります。こんな綺麗なところで結婚できたら、すごく幸せなんだろうな」

 少しの間、メールたちは屋内の幻想的な光景に心を奪われた。

 聖堂からゴンドラに戻ろうとしたとき、メールは別のゴンドラに乗って水路を進む名無しの姿を見た。

「あ、名無しさん!」

 声に気づいた名無しはこちらを振り向いた。名無しが雇ったゴンドリエーレに頼んですぐそばで止まった。

「どうしてここにいる?」

 メールはここまでの過程を一通り話した。リオナや両親の補足も入りながらの説明を終えると、名無しは小さく「そうか」とだけ言い、ライナスに、

「すまない」

「いえいえ、私たちが勝手にやっていることですから。……ところで手紙屋さん。シルメリアでの手紙配達はあとどのくらいで終わりそうですか?」

 ライナスの突然の質問にも名無しは淀みなく答える。

「うまく回れば今日中には終わるだろう。もし今日配りきれなくても、明日の朝で終わる。それが?」

「いえ、少し気になったもので」

 二人の横で、

「?」

 メールは頭に疑問符を浮かべた。

(どうしてライナスさんは手紙屋の仕事量を訊くなんてことをしたのだろう)

 どうやら名無しも同じことを考えていたようで、うっすらと眉間にしわが寄っていた。しかし気にしないことにしたのだろう。すぐに顔を元に戻した。

「じゃあな、俺は続きに行く」

「はーい」

 朝と同じく、三人に見送られる形で名無しは仕事を再開していった。

 しかし、名無しは数メートル進んだあと、もう一度ゴンドラを止めてもらい、メールのところへ戻ってきた。

「これをやる」

 右手が何かを握りしめていた。メールがその下に両手を広げると、その上に何かをそっと落としてきた。

 メールの手のひらに乗せられたのは、お金だった。しかも相当な額だ。

「え、これ、名無しさん!?」

「これで服でも買っとけ。リオナたちと一緒に見て回ったらいい」

「でも、こんなにたくさんのお金……」

「また風邪引かれてぶっ倒れられてもこっちが困るんでな」

「でも!」

 これだけの額をもらうのは、さすがに少し気が引けた。断ってお金を返そうとしたが、

「俺はもう行く」

 そう言ってから、名無しはゴンドラに乗り、そそくさとメールたちから離れていく。

「え、ちょっと、名無しさん!」

「受け取っておいたらいいと思いますよ」

 ライナスがメールの耳元でそっと囁いた。そして少女二人に呼びかける。

「さて、それじゃあ服がたくさん売っているところに行こうか」

「メールちゃん、可愛い服を買って、ナナシさんをびっくりさせちゃおう! お父さん、服選んであげなよ。そういうの得意でしょう?」

「あのなリオナ。確かに私はファッションデザイナーだが、どっちかというとウエディングドレスみたいな正装がメインなんだ。年の近いリオナが選んだほうがいいんじゃないのか?」

 リオナとその父親が会話をしている中、メールはもう小さな点になりかけている、名無しの遠い背中に向けて叫んだ。

「名無しさーん、ありがとうございます!」

 無愛想な顔からは感情を読み取ることは難しい。

 でも、メールは仮面の奥にあるものをわかり始めてきたような気がした。


          *     *     *


 メールとリオナは病院の庭園にいた。何をするわけでもなく、西の空に浮かぶ夕日と、それに照らされてキラキラ輝いている噴水をぼうっと眺めていた。

 そうしていると背後から名無しの声が聞こえてきた。

「よう」

 きた! メールは思わず頬が緩む。勢いをつけて踵を返して名無しと向き合った。

「どうですか? リオナお姉ちゃんと一緒に新しい服買いましたよ!」

 名無しに見せつけるように両手を広げて服を強調した。リオナと一緒に選んだのは、タートルネックのあたたかい白のセーターに、その上からグレーの厚手のワンピースの組み合わせだった。

 名無しは自慢げなメールをじっと眺めた後、頭をポンと叩いてきた。

「いいんじゃないか」

(予想してたけどやっぱりそれだけか!)

 わしゃわしゃと髪を撫でまわされながらメールは内心ちょっと悔しかった。手袋のざらついた感触が伝わってくる。

「ナナシさん、照れてるんだよ、きっと」

 リオナの横からの耳打ちに、メールは名無しの顔を窺う。

(ホントかな?)

 名無しはメールに目を合わせない。

「仕事、どうでした?」リオナが訊ねる。

「予想通りだ。全部配り終えるには明日までかかりそうだ」

 なんでここはこんなに広いんだ、と吐き捨てながら一層強くメールの頭を掻き回す。

「じゃあ、明日でお別れだね、リオナお姉ちゃん」

「そっか、まあ、仕方ないよね。でも、メールちゃんと過ごしたこと、私絶対に忘れないよ」

 私も忘れない、とメールも拳を握り、強く同意する。リオナの口から笑みがこぼれた。

「忘れない。昔のことを思いだして、頭の中がいっぱいになっても、絶対に忘れないよ」

「思い出す?」

 頭の中で引っかかった言葉をメールはそのまま口にした。

「うん。私、記憶喪失なんだ」

 メールは息を飲んだ。名無しもさすがに驚いたのか、ほんの少し目を見開いている。

「メールちゃんとナナシさんに会う少し前からの記憶がないの。確か今日で五日目だったかな。最初の内はお父さんとお母さんのこととか、覚えることがたくさんあって大変だったよ。メールちゃんとナナシさんが、記憶をなくしてからの初めての友達なんだ」

 あの人たちが本当のお父さんとお母さんなのかも思い出せないんだけどね、とぎこちない笑いを浮かべるリオナにメールは心が痛んだ。

 思わずメールは両手でリオナの左手を握りしめる。

「私、明日も来るよ! また明日会おうね!」

「帰るぞ」

 名無しのあっさりとした言葉に従って、メールは帰路についた。


          *     *     *


 リオナと別れ、宿屋への帰路につこうとしたとき、知った声に二人は呼び止められた

「手紙屋さん、メールちゃん」

 名無しが眉間にしわを寄せながら声の主を見た。メールもその視線の先にいる人を見た。

「ライナスさん?」

 リオナの父親は、病院の入り口にもたれていた。リオナや母親はいない。明らかにメールと名無しを待っていたような雰囲気だった。その顔は険しい。

「少し、お話があるのですがよろしいでしょうか?」

 名無しは、

「できれば手短にな」

 とだけ答えた。

 何がなんだがわからないまま、メールは名無しと一緒に、ライナスの後をついて行った。

 三人は病院近くの喫茶店へと入った。小さい規模の店であったが、それでも何人かはくつろいでいた。ライナスは迷うことなく一番奥の客から離れた席に座る。

彼の雰囲気から、ただ楽しくお茶しましょうというわけではないことは、メールにもわかった。胸のざわつきが止まらない。嫌な予感がした。

「こういうことを言うのは、私としても辛いことではありますが」

 そう切り出したライナスの口から出た言葉は、メールにはとても信じられないものだった。

「もう、リオナには会わない方がいい」

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