風光る漁村 リリアーヌ
手紙屋という青年の言葉にメールはめざとく反応した。さっと立ち上がり、顔を思いっきり近づけた。
「お兄さん、手紙屋さんですか! わ、私メールっていいます! リリアーヌに来たばかりですか? ポストはもう見ましたか? あ、それと魔物に出くわして怪我はしていませんか?」
青年は矢継ぎ早に質問を浴びせられてもたじろぐことなく、低い声で返した。
「怪我はない。ポストはまだだ」
「じゃあポストまで案内しますね。こっちです、ついてきてください!」
興奮した口調で語ると、メールは青年のわきを通り越してから、少し先で手招きした。青年は表情一つ変えず、その後ろをついていった。
メールは後ろ歩きをしながら、手紙屋を名乗る青年をまじまじと見つめた。黒いコートに黒い肩掛け鞄と、どうにも暗い雰囲気をもつ人だ。赤道近くのリリアーヌでは不適切な格好であり、見るからに暑そうである。髪は長く、その黒と対をなすように真っ白だ。前髪が目を半分ほど隠してしまっているために表情を読み取ることが難しい。
(もしかして、怒ってる? 私がいろいろと先走っちゃったから?)
誰も喋らない、気まずい空気が漂う。メールが気に障らない程度にちらちらと手紙屋の様子をうかがっていたとき、
「随分と手紙屋に詳しいんだな」
青年がはじめて自分から口を開いた。その言葉から、とりあえず怒っている訳ではないことに安心してから、メールは答えた。
「はい、実は私の両親が手紙屋なんです。あ、お姉ちゃんもなんですけど。だから手紙屋のことは結構知っているんです」
このアールザードという世界には、昔から魔物と呼ばれる存在が大陸中に数多く生息していた。非常に獰猛で時に人も食らってしまうその危険性は、一般人を村や町から外に出ることを不可能にした。唯一の交通手段は、主要な町と町をつなぐ馬車が日に何回か出るくらいだった。しかしそれも安全性が保証されている訳ではない。
魔物による村や町の孤立を防ぐために、国は古くから手紙屋という職業を設けていた。仕事内容は単純で、町から町へ手紙を届けるというものである。
この手紙屋がいるおかげで、人は魔物と出会う危険を冒すことなく、他の町の人と交流することができるようになった。しかしその代わりに、手紙屋は一般人の代わりに魔物が闊歩する道中を通過しなければならない。それはこの国のどの職業よりも危険なものであった。
「知ってます? お父さんとお母さんはアランとシゼルって言うんですけど」
「……聞いたことはある。有名な二人だ」
「知ってますか! 前に来た手紙屋さんにこのこと話したら、すっごく驚いていたんです。『あの二人の子どもだなんて羨ましい』って。でもその人、私と同じくらいの年だったんです。私からしたら、その年で手紙屋になってるその人のほうが羨ましかったです」
そんなふうに話をしながらメールは手紙屋の青年と一緒に、村の中心へ続く緩やかな坂道を上っていった。
「あ、ほら、あそこにポストが見えますよ」
村の中心は丸い広場になっていて、そこをぐるっと囲むように民家が建っている。その広場のど真ん中にはメールの二倍はある巨大な結晶の塊があった。これはメールが生まれるずっと前に村で発見されたものらしく、村のシンボルになっている。
その結晶のわきに、ちょこんと木でつくられたポストが立っていた。
「ポストはいいが、鍵はどこだ」
青年がポストの横についている、手紙を取り出すための小さな錠付き扉を見て呟いた。
「あ、そうですね。鍵を開けてもらわないと」
ちょっと待っててください、とメールは声をかけて、すぐそばにある小さな詰所へと向かった。
「すみませーん」
「お、メールちゃん」
「いつもご苦労様です」
「メールちゃんみたいなかわいい子にそう言われると励みになるよ」
詰所の中から笑顔で応えたのは、アールザードの軍から派遣された駐屯兵であり、魔物から村を守るために警備を行っている。
いきなりほめられたメールは思わず頬をほんのりと染めてうつむいた。
「か、かわいいなんてそんなことないですよ……。えっとですね、いま手紙屋さんが来たので、ポストの鍵をお願いできますか?」
「お、来たんだね」
駐屯兵は一旦詰所の窓枠から顔を出し、青年の方を見た。そして壁に掛けてある鍵を取り、ポストへと向かった。メールもそのあとに続く。
「どうも。おつとめご苦労様です。ではどうぞ」
丁寧な口調でそう言ったあと、彼はポストの鍵を開けた。メールが青年の邪魔にならないように中をそっと覗き込むと、底にいくつかの手紙が置かれていた。それを青年が慣れた手つきで回収していく。
手紙をすべて肩掛け鞄にしまった青年は、駐屯兵に尋ねた。
「ところで、この村の宿はどこにある?」
手紙屋は町や村の宿屋が無料で使えるようになっている。そんな話があったのをメールはぼんやりと思い出した。
「それがですね、ここはなにぶん小さな村なので宿屋がないんですよ。代わりにここを訪れた手紙屋さんには私の家を使ってもらうようにしています。私は今日の夜は詰所で見張りをしていますので、どうぞ遠慮なく使ってください」
兵士の説明にそうか、と青年が納得した様子になっている中、
「あの、もしよかったらですけど……。私の家に泊まりませんか?」
遠慮がちな声でメールは提案してみた。名無しが、そして駐屯兵までもが驚いた表情をこちらに向けた。
「私の家、この広場の奥にあるんです。結構広いですから不便することはないと思うんですが……」
自宅のほうを指をさして、つっかえながらメールは説明した。
「しかしメールちゃん、君の家族はいま誰もいないだろう。決してこの手紙屋さんを信用していない訳ではないけど、女の子一人の家に泊めるのはそう賛成できるものじゃないよ」
「ええっと、でもほら、なんというか、私、この手紙屋さんはそんなに悪い人じゃないかなー、なんて……」
駐屯兵のおじさんにはそれとなくはぐらかしたが、本当の理由は心の中で呟いた。
(この手紙屋さんはお父さんとお母さんのことを知っていると言った。もしかしたら二人のことを何か聞けるかもしれない)
「その、手紙屋さんはどうですか?」
「……俺は寝泊まりできるのであればどっちでもいい」
青年の答えはとてもあっさりとしたものだった。そうなると残るは一人だけだった。メールは駐屯兵に目を向けて必死に訴えた。彼は腕を組んで唸っていたが、やがて根負けをしたように頭を掻いた。
「わかった、じゃあ手紙屋さんはメールちゃんの家に泊まってもらおう。そういうことなので、この子のこと、よろしくお願いします。
丁寧に頭を下げた兵士は、一旦村の人に見張りを交代してもらうのでこれで、と言い残して詰所へポストの鍵を返しにいった。
その場に残ったメールはそっと手紙屋の青年の顔をうかがった。青年もまた、メールを見ていた。
(そりゃそうだよ。手紙屋さんは私が家に案内するのを待ってるんだから)
旅をして疲れもたまっているはず。早くしないと、と気持ちがはやる。
「そ、それじゃ家に行きま——」
「あらー、メールちゃんじゃない!」
声が聞こえて振り返る。
「おばさん、こんにちは」
立っていたのはリリアーヌに住む壮年の婦人だった。一人で生活しているメールのことをいつも気にかけてくれて、家事を手伝ってくれたり、ご飯をごちそうしてくれたりする。思わず顔がほころんだ。
「こんにちは。メールちゃんは今日もかわいいわねえ」
「いえ、だからそんなことないですって……」
「……おや、この人は?」
照れる暇もなく、おばさんの関心は手紙屋の青年へと向いた。
「手紙屋さんです。ついさっき来たばかりですよ」
おばさんは納得したようにうんうんとうなずき、「いつもご苦労さん」とねぎらいの言葉を告げた。
「そういえば手紙屋さん。あんた、私宛ての手紙はないかい?」
「……名前は?」
「私のかい? マクブラインっていうんだけどねえ」
「……残念だが、今はあんた宛ての手紙は持っていない」
手紙屋の返答に「そうかい」とおばさんは少し残念そうな顔をした。
「誰からの手紙を待っているんですか?」メールは訊ねた。
「息子からだよ。数年前に軍に入るために首都に行っただろ? あれからまったく音沙汰ないからさ。私、前に手紙を送ったんだよ。『元気でいるなら返事よこしな』ってさ。そろそろ返事がきそうな頃だからさあ、ちょっと気になってね」
おばさんの息子さんのことはメールもよく覚えていた。五歳くらいのころから、よく遊び相手になってくれていた。
「手紙、早く来るといいですね」
「そうだねえ……。あ、そうそう。海に出ていた男たちが今さっき返ってきたみたいだよ。魚も捕れたみたいだから、あとで桟橋近くにおいで」
「はい、わかりました」
「それじゃあね、メールちゃん。手紙屋さんもありがとね」
小さく手を振りながらおばさんは広場を去っていった。そして広場にはメールと手紙屋の二人だけが残った。
「えっと、それじゃあ家に行きましょうか?」
* * *
リリアーヌの中心部から、海とは反対方向に進んだ先にメールの家はあった。青年は玄関を上がって、家の奥側にある客間に通してもらった。縁側からはリリアーヌの海を一望できる。
客間に入ると青年は鞄を置き、その場に座り込んだ。メールもそれに続いて入り口付近にちょこんと正座する。
「家にあるもの、自由に使ってくれていいですからね」
「変わった家だな。この扉も見たことがない」
手紙屋の青年は先ほどメールが開けた引き戸を眺めた。部屋中に満ちた鼻をくすぐる植物の匂いも初めて嗅ぐ。
「畳とか、ふすまとかは初めてですか? もっともリリアーヌではこの家にしかないですからね。私のお父さんとお母さんが昔訪れた町の家が、こういう独自の文化をもったものだったらしいです。それに二人が感動したらしくて、わざわざその様式を真似てこの家を作ったって聞きました」
「ここにお前一人で住んでいるんだな」
「はい、私以外家族全員手紙屋ですから。たまに仕事の合間を縫って帰ってきてくれますけど、基本的には一人です」
この家は広い。元々家族用に作られた家なのだから当然なのだろうが、十代前半の少女がたった一人で暮らしている今となっては、あまりにも大きすぎる。いったい彼女はどんな気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。
「お姉ちゃんは今もたまに帰ってきてくれます。でもお父さんとお母さんは一年以上前から一回も帰ってきてくれません。いつもならもっと帰ってきてくれるはずなのに……。手紙屋さん、お父さんとお母さんのこと、何か知らないですか?」
メールは顔を近づけてまっすぐと見つめてきた。その瞳は澄みきっていて、切実な思いが容易に読み取れた。
「いや……、知らない」青年は一言、そう答えた。
「そう、ですか……」
青年の返事にメールはがくりと肩を落とした。
「私、手紙屋になりたいって思ってるんです」メールはぽつりとそう呟く。「手紙屋なら町と町を自由に行き来できますから」
アールザード王国は魔物の脅威があるため、手紙屋といった特定職以外の人間は、町から町への移動を基本的にしない。馬車代も決して安くはなく、目の前にいる少女も自由に町の外に出ることは難しい。
「手紙屋になって、この町を出て、お父さんとお母さんを捜したい。会いたいんです。時期的にもうすぐお姉ちゃんが帰ってくるんです。そのときに、手紙や採用試験をしている王都アールザードに連れて行ってもらえるようにお願いしてみようかなって思っています」
メールの決心は固いようだった。青年が何か言おうと口を開いたとき「メールお姉ちゃん、いるー?」と縁側から声が聞こえてきた。
メールが客間から顔を出すと、そこには小さな男の子が立っていた。
「どうしたの?」
「えっとね、おばちゃんが早く港においでって。お魚なくなっちゃうよって」
「いけない! つい話し込んじゃってた。ごめんなさい手紙屋さん、私一旦港に行ってきますね」
手紙屋の青年は右手を上げてそれに応じた。ゆっくりしていてくださいね、そう言い残してメールは幼い子どもと一緒に部屋をあとにした。
あたりに静寂が降りた。聞こえるのはさやさやと風に揺れる木々の音だけだった。
青年は黒いコートを脱ぎ捨て、畳の上に寝転がった。長旅で疲れがたまっていたのだろう、ほどなく眠りに落ちていった。