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県知事選挙~地方自治の首長(ドン)は偉くて凄い大統領さんである

作者: sadakun_d

市の郊外にあるテニスクラブのハウス。


Jr.育成の星野コーチに会いたいと2〜3人の背広姿の男が現れた。

「こんにちはテニスクラブの星野さんでございますね」

背広の紳士はそれぞれが名刺を取り出す。

「はじめましてコーチ。たくさんのお子様がテニスを習っていらっしゃるんですね。驚きました。我々はかような者でございます」

初老の紳士たちは星野に名刺を差し出した。全く面識のない訪問者である。

「はあっ星野です。私がこのテニスクラブのJr.育成コーチ兼パーク副支配人でございます。今日はなにか私に御用でございますか」

手渡された名刺は県連合民主党支部と書かれていた。

「民主党。政治家の方でございますか」

テニスには無縁な世界である。

「私にどんな御用件でございますか」

政治家はテニスもやるのかと星野は名刺を眺めながら考えた。

「自民の中曽根元首相は呆け防止にラケットを振っていらっしゃる」


民主党のお歴方々はお互いに顔を見合わせた。星野コーチはなんだろうかと疑問符ばかりであった。


星野コーチの祖父は県の北西にある寒村の村長を務めたことがある。かなりの村長さんであったらしく村から町への格上げや村の住宅地開発、トヨタ自動車の下請け工場誘致運動を繰り広げた辣腕。今でも古い豊田市議の中には星野の祖父を知る者も少し残っていた。時おり話題になることもあった。


その村長の孫がテニスJr.育成で大々的に名を売り有名コーチになっていた。

「あの有名な村長さんの孫でございますね。間違いのないところでございます」

民主党支部はトヨタ自動車労働組合を基盤としている。組合組織を中心にして次期国政選挙や地方選挙の立候補者を人選している最中であった。


星野にその選挙の白羽の矢が当たる。


民主としてはさまざまな人選を(ふるい)にかけ星野に立候補の民主からの候補に祭り上げられていく。


選挙は愛知県知事の候補としてだった。

「テニスというイメージは県政の舵取りにピッタリだと思う」

こうして白羽の矢が当たる。

「知事さんに私がなるのですか。昨今県知事の選挙をテレビや新聞で見てはいましたが」


テニスパークのラウンジで県の民主連合の役員の方々から来館の趣旨を聞かされた星野だった。

「まあ驚きになられるのはごもっともでございます。早い話がテニスと地方自治とは無関係なことです」

初老の県連役員は地元選出の県議であり県議長であった。

「星野さんたいしたコーチぶりだと聞いていますから」


民主党県議連合としては愛知県知事選挙には勝てる民主党候補の人選が急ピッチで行われていた。


「当初は私が立候補をする腹でございました。二期も県議長を拝命されていますからね。次の椅子は県知事だという出世魚みたいな」

初老の男はラウンジのコーヒーにミルクと砂糖を入れせわしなくかき混ぜた。

「なんと申し上げましょうか。今の政治家は若い者が主流になりつつあります。私は今60半ばでごさいます。自分としては若いつもりでございましたがいかんせん歳を取りすぎましてな」

県議長はコーヒーカップを乱雑にもちあげた。

「私の立候補は県連にはダメでございました。県民主の推薦が取りつけれずでごさいます。若い者なら立候補は認められたのかもしれないですが」

横にいた男たちも県会議員さんであった。こっくりと長老の県議長の話に頷いた。


県の民主連合として県知事の候補は7人ほどに絞り込み。該当された方々にひとりひとり足を運んで話を聞いて回っていると説明された。

「まだ完全にはこの方にと絞り切れない段階でございます」

そして県議長は声を潜めた。

「星野さんは対立する自民党に取られたくはございませんからね」

言われた星野はギョとした。自民からも要請があるのか。

「そんな話はちょっと困る。テニスしか知らない私が県知事さんにだなんて。誤認候補、間違いだらけの立候補ですアッハハ」

星野もコーヒーを飲んで豪快に笑った。


ただ民主党も自民党も候補に名前が浮かびあがったことは満更ではなかった。


星野は夕飯時に娘のあみに愛知県知事選挙を笑いを交えて話した。

「お父さんは人気があるんだぞ。今からお父さんと呼ばず知事さんになるかなアッハハ」

豪快に政治家らしく笑う。

「へぇお父さんにそんな話があったの。県知事さんかあ。あれっちょっと待って。あみの同級生に政治家さんの娘さんはかなりいらっしゃるのよ」

あみの通う学園の名簿をくくってみた。いるわいるわ。政治家の娘さんや孫娘さん。

「まあなんでしょ。衆議院・参議院。県議員、名古屋市区会議員と市町村議員さん。なんたることなの。政治家さんが全部揃えられている。あらあ隣の県知事の娘さんもいるやん。ひとつ下と大学に在籍よ」

ついでにあみはタレントの娘はいないかなと探してみた。こちらはいなかった。


星野は名簿を確かめて見たくなる。

「すごいなっ。首相の奥さんが出たことは知っていたが。どれどれお父さんに見せておくれ。県の民主連合が言うには俺以外に6人の候補らしい。現職の県議員や市長と言った行政経験者から大学教授に弁護士・税理士となる人選だ。ライバルの名前だけでも見ておくか。あみの学校はお嬢さま学園だけあって充実だな」

星野の頭に元総理大臣の顔が浮かぶ。学園出身から総理大臣の妻にふたり卒業生がなっていたことが甦る。


翌週の新聞に大々的に愛知県知事選挙が報じられていた。


民主党は人選に難航をして出遅れていた。自民党は現職知事(3期目)を公認する。

「あらっちょっと。県の民主党はお父さんだけに絞り込んでないのね。あみはてっきり決まってしまったかと勘違いだわ」

いずれにしても自民の推薦する現職知事を破る人材を求めていた。県の民主連合の迷走ははてしなく続く。


新聞には日を置いて星野コーチなど候補者の名前が出る。

「あちゃあホントにお父さん県知事さんになりそう」


ひとり娘のあみに愛知県知事選挙が間近に迫ることになる。


あみが学園に行くと、

「あみのパパさん新聞に載っていたわ。県知事さんに出馬されるのかしら。大変だわね。頑張ってもらいたいわ。選挙はお金がかかるから落選はご法度よ」

クラスメイトからあみは政治家のなんたるかまで言われた。

「ひゃあみんな新聞で知ってるのね。テニスのあみが有名だったけど。お父さんが立候補したらひょっとして県知事の娘になってしまうのかなあ」

あみはたったの1日で学校で知事さんの噂の主になっていた。


県議議長の孫娘もあみと同じ学年にいた。星野をスカウトに来たあの老人の孫である。こちらは深刻な様子だった。

「私のおじいちゃん。ずっとずっと県会議員さんなの」

県議議長はかなり落胆をしていたらしい。

「県の議員さんたくさんの中で1番の偉いさんなのよ。私が生まれる前からずっと偉いさんだったんだから。今回はどうしても知事さんになりたいっておじいちゃん言ってたの。でもおじいちゃん歳がたくさんだから。県知事さんはダメなんだって。もっと偉い人に言われたんだって。おじいちゃん可哀想だなあ」

星野コーチに出馬を要請した老人は孫娘に愚痴までこぼしていたらしい。


県議長は初当選は町議員から。30半ばから労働組合に手を染めて議員に出た。町議員からチャンスがありとみて県議員に鞍替えをはかる。地道な努力と政治家としてのバイタリティが選挙民には認められ60歳まで落選もなく議員活動をすることができていた。


その老人県議長は長年愛知県知事になることを夢に見ていたことは間違いのないことである。40台の半ばあたりから県知事になれたらと立候補のチャンスを伺う。県議は余暇で付録でしていたフシもある。


本人は知事選挙立候補に意欲的だった。いつの知事選挙も党の推薦がありしだい出たいと考えていた。県には民主連合の議員議席約70ぐらいいらっしゃるが最も知事になりたい男だとさえ言われた。

「うーんあのおじいちゃんかね。県議長さんか。そりゃあ気の毒なことだな」

なりたい人がなれなくて星野みたいなシロウトに出馬要請に走るとは政界とは不思議なものだ。


星野が知事の候補にあがって以来娘のあみは県議長の孫娘さんと仲良くなっていく。


それまではクラスが違いお互いに顔と名前を知る程度であった。

「お孫さんね。おじいちゃんのことでがっかりされているみたい」

あみは夕食の時に県議長の話をよくするようになる。

「あの子にしたら大好きなおじいちゃんだってさ。お母さんのおじいちゃんに当たるらしいの」

孫娘は仲良しとなったあみにどうかしておじいちゃんを県知事にさせたいとよく話をする。


現職(隣県の)知事の娘さんはどうだったか。あみより学年は上で同じ学園の女子大生だった。

「話を知事の娘さんから聞いてみたらとても元気さん見たい。あっちこっちから知事選挙の推薦をいただいたからまず今度の選挙も落選はしないだろうなんだって」

父親と娘あみの食卓にいつの間にか選挙が政治が花咲くことになった。いつも出たテニスの話題は全くなくなった。


新聞報道は県知事選挙が特集された。県民の関心の高さを示すバロメータとも言えた。

「お父さん知事選挙が新聞にあるわ」

その立候補者の名前にテニスコーチ星野の名前が残り掲載され続けた。


民主の推薦した他の6人。机上の空論とも言える候補たちは自分から断りを入れてくる。候補者の大半が、

「現職自民に勝ち目がないとは」

せっかく立候補をしても負けるとわかると出馬しない。


候補の大学教授は学術研究を優先させたいから出馬しない。

「そんな勝つか負けるかわからない選挙なんてナンセンスである。まだ学内で学長選挙を狙ったほうが確率はアップします」


候補の弁護士はよりわかりやすい。

「知事の総収入はなんですか。あの歳費は計算ミスではないでしょうね。あれが地方の首長の年収であるのは我慢ならない」

電話で怒鳴り断りをした。

学歴や社会的に恵まれた者には地方の首長は魅力にかけてみえる。


断られた民主もたまったものではなかった。

「候補者に名があがるだけでも名誉と言われているのに。こうもあっさりと断られたら」

県の民主連合は県議長が顔に泥を塗られた気分である。


あみは新聞を読みながら候補者がどんどん辞めていく経緯をみていく。

「というとお父さんは知事さんの立候補になるのかな」


女子高生のあみは滅多に新聞の地方版など読まなかった。今は隅々まで丁寧に読み頭に入れていた。

「地方のニュースも読んでますわ。だってお父さんがいつも載ってますからね」

星野が掲載された場合はたいてい写真入りである。

「あらっなんですかこの写真。いやだ。お父さんダサい格好で。もう新聞掲載だわ。あみが服装に気をつけていかなくちゃあいけないわ。ダンディさんでないと選挙には当選しませんことよ。知事になるためには女性票をうんと獲得しなくちゃあなりませぬ」

コギャルあみはなにかと忙しくなる。

「お父さんいつもテニスウェアばかりだもんなあ」


星野の政治的アプローチや行政手腕は未知数であった。わかっているのはあくまでもテニスのJr.育成手腕だけである。星野のテニス選手育成には絶大なる信頼があり定評の的となっていた。テニスの世界ではまずトップクラスの逸材になる。

「しかしなあ。テニス選手を教えることはある程度わかっているし経験がある。だが政治の世界、県知事は関係がないでしょうに」

星野はクラブで球出ししながら考える。


ちょくちょくテニスクラブに訪れる県の民主関係者に星野は言う。

「大学教授や弁護士が断るような知事を私ができるわけがない」

星野もそろそろ候補者からリタイアをしたいと考える。


県連役員たちは星野の心境を察知する。


いつもにこやかに対応した。

「テニスの星野さんが県知事になっていただけましたら幸いでございます」

あらあらっまだまだ諦めていない。

「星野さん。知事職は任せてください。県議長以下民主党の全面的なバッグアップ体制がございます。シロウトさんでも大丈夫です」

星野は適任であると改めて強調をされた。

「俺はシロウトか。嬉しいような悲しいような。いやはやここで怒るのがいいんだろうが」


時間が経つにつれ県知事選挙の候補選びが段々絞られてくる。


大学教授にくだらないと断りをされ弁護士に怒鳴り散らされた民主連合。


気がつくと残りは40台前半の星野ぐらいになってしまう。


星野の売りは若さである。若さが強調されそれがひとり歩きをしていく。


民主党公認候補の中から星野の名前がなくなることはなく年を明けた。県知事選挙はニ月に迫る。


「わあっお父さん。いよいよね。県知事さんになってしまう」


60を越えた県議長が日参して星野を高く買う。

「是非とも県の民主の推薦で立候補をしてもらいたい」

正式に星野に民主連合からの要請があった。星野はテニスクラブのラウンジで直接に聞く。

「県議長さんそんな馬鹿な。大学教授や弁護士がダメなものを」

テニスラケットならいくらでも振るが選挙では手もどうやって振るのか。

「正直に困ってしまいます。そんなあっ。私は思いますが政治学の大学教授や弁護士さんの方が遥かに適任ではありませんか。再度候補者を当たった方がよろしいではありませんか」

本格的に立候補者となりそうだと星野は悩んだ。


ラウンジで県議長は、

「まあそうおっしゃらずに。星野さんは若さが取り柄ですから。多少の失敗も大目に見てもらえます。知事職など心配はいらないです」

県議長はなにかと星野を諭す。大学教授はかつて名古屋市長がなって芳しくはなかった。弁護士は対立候補がそれでございますと簡単に補足説明をしてそれまでだった。


「テニスコーチの県知事はいませんしね」


当選をしたらどうなるか。星野は予備知識もなくいきなり現職知事となるのである。

「県知事なんかまともにやれるのだろうか。政治を改めて勉強しなくてはいけない。大学は経済だがあんなのはテニスのスポーツ推薦の付属品だから。全くなにも覚えていない」

元々経済は何も学んでもいなかった。だいたい頭を使うこと自体がまず記憶になかった。


落選をしたらどうなるか。

「選挙資金はいくら掛かるのかわからない。それらすべてドブに棄てるわけだ。これは切実な問題だ」


テニスクラブには地元の市議さんも数人会員にいらっしゃる。元政治家を含めるとかなりの数にのぼる。星野は選挙資金についてあれこれと選挙の先輩に聞く。

「星野コーチ。市議会の選挙と県知事選挙では規模が違うからね。莫大な費用が要る気がするなあ。なあ市議さん」

相談した2〜3の市議は具体的に掛かった費用を教えてくれた。党の推薦があるから多少は軽減されてもいくだろうがしかし数百万は覚悟しましょうだった。

「簡単に数百万と言うがな。これから娘のあみの大学進学や結婚式に金が掛かるから」

ひとり娘のための預貯金を吐き出すのは忍びないという心境である。

「落選するわ。あみは大学進学できないわではなあ。ああ、考えたら選挙なんてやりたくないなあ」


あみの結婚資金は使ってはいけない。


「星野さん。選挙費用は当選をされたらなんとでもなりますよ。大丈夫ですから」

星野を高く買う県議長はニコニコしながら言う。選挙は負けることは前提に進めはしない。県議長は星野県知事を裏でサポートすることに決めたらしい。自分が県知事になれないので蔭に回ることに執念を燃やすというところである。

「県連民主の候補は星野さんと現職の市長(54歳)に絞られそうです」


6人候補の中。あの怒った弁護士はまだ正式にリタイアから外したとは決めたわけではないがダメージがついてしまう。

「民主党本部は推薦しないでしょう。これからはこの二人に絞り込みだと思って間違いないですね。若さと人気ならば星野さんでありましょう。スポーツマンですから爽やかなイメージは棄てがたいですなアッハハ。地方行政の手腕でしたら市長さんですけど」


この星野と対立する辣腕市長。とにかく民主連合の中の争いに勝たなければならない。


民主推薦を取りつけなければ県知事立候補は遠くなる。


県議長は続ける。星野にマジメな顔で話しをする。

「対立する市長なんですが。あれが堂々と民主党本部推薦から県知事になら私は怒ってしまいますよ。なぜ私は推薦されないかと納得がいかないです」


県議長がこうも熱心に星野に加担をするか少しずつわかってきたところである。議長としては反対勢力を封じ込めたい。そのためには素人の星野みたいなのが最適であった。言わば県議長の手先となるロボットであった。


「星野さん聞きましたよ。お宅の娘さんは学園に通っていらっしゃるんですってね」

星野は話題が県知事選挙でなくなりホッとした。

「そうです学園に通っております。あっ県議長さんのお孫さんがいらっしゃるとか」

県議長はニコニコする。

「お嬢ちゃんはあみちゃんでしたかね。私の孫娘と同級生だと言うではありませんか。奇遇でございますなあ。孫とは同じ学年であるけどクラスはまだないとのことですが」

孫と盆栽の話は県議長の十八番。いつも目を輝かせる。

「私の方は娘でしてね。母と娘。娘と孫と男の子が生まれなくて最初は見るのも嫌でした。いやそうじゃあない。そうではないですわアッハハ。星野あみちゃんとは違うクラスですか。でも県議長の孫だから星野さんの娘だからと学園では結構話題になっているそうではありませんか。二人を並べて雛壇を作ってみたりとか。いやはやバカなジジィを持って孫も嫌であろうになあアッハハ」

あみからも孫娘の話はちょくちょく父親の星野にはしていた。

「お孫さんはおじいちゃんを尊敬されていますね。あみの話ですと大好きなおじいちゃん」


星野は感じた。県議長自身まだ県知事に未練がたっぷりある。

「お孫さんから聞いております。おじいちゃん可哀想だって。盛んに話しに出るそうです」

県議長は恐縮しきりである。

「はあっ孫娘がワシのことを」

あみを経由して話題になっているのか。

「そんな風に話してましたか孫は」

県議長は弱ったなっと頭をボリボリかく。

「ついぞ孫の前では本音が出たわいな」

弱ったなあっと単なる老人になってしまった。

「いえねワシが家にいると実の娘や婿養子の手前では県知事はもうやらないといつも虚勢(きょせい)を張りますわ。歳が歳だからとアッハハ。娘はそれをまた孫に伝えているんでしょうな」

孫の話となると一層目尻が下がる。

「そうですか。孫がこのジジィのことをかように申してましたか。全てわかってましたな、孫には勝てませんなあ」

自分で話をする間に老人の涙が溢れ落ちる。

「星野さん。ワシの本心を聞いて貰えますかな」

態度を改めて県知事選挙の話に戻る。涙を拭くため老眼を外した県議長の顔。年齢65歳には見えない更けた老人そのものであった。県議長さんは人並みならない苦労が県会議員生活にはあったようだ。


翌日の学園であみは授業後に県議長の孫を探していた。

「だってねあの県議長さんのおじいちゃんがあみの家に来てくれたんだもん。挨拶をしておかないといけませんわ。あれっどこに行ったのかなあ」


孫娘も県議長のおじいちゃんからあれこれとあみの話題を聞かされていた。

「そうゆうことかぁ。あみたんには私からちゃんと挨拶しておきませんと気が済まないですわん。おじいちゃんからよろしくと。えっとクラスは教室はどこでしたかしら」

こうして同じ学園の同級生たちはひょんな縁から仲良しさんになっていく。

「へぇあの子って目立たなかったけど話すと面白いんだね」

顔と名前しか知らない同級生が今ではお互いの家を知るぐらいの親密な間柄になる。

「あみも、あんな愉快な子だとは知らなかったなあ。顔だけは1年から知っていたけど」


仲良しとなるとあみは県議長さん宅に御呼ばれをする。


おじいちゃんが、

「ぜひあみちゃんを連れておいで。ジジィが若い娘さんに逢いたいと願っているからさアッハハ」

県議長さん宅に行くと孫娘よりもおじいちゃん(議長)が笑顔であみを迎えてくれた。

「いらっしゃいあみちゃん。お父さんによく似てますなあ。せっかく遊びに来てくれたんだゆっくりしていきなさい。よかったらワシの盆栽を見せますわなアッハハ」


あみは孫娘と一緒に応援間に通された。3人揃って昼御飯をいただく。おじいちゃんがいたって愉快な老人だと知る。


あみはおじいちゃんの自慢話を聞かされた。年寄りの話だから女子高生は退屈するかなと思われた。


祖父母のいないあみにはおじいちゃんという存在が珍しかった。

「おじいちゃん話が楽しいね。顔はかなり悪いけど(悪人顔)面白いね。あみは県議長ってなにする方かわからないけどあんな楽しいおじいちゃんだったら県知事さんになって貰いたいなあ。ウチのお父さんはテニスコーチのままでよろしくてよ」

どうやら老人の県議長には新しい外孫ができたようだ。


あみは喜んで丸一日遊び、

「それではそろそろ帰ります」

言った時には、

「ワシの憧れのあみ姫はお帰りになられますかな」

県議長は応援間から呼び鈴をチンチンと鳴らした。お手伝いさんがお呼びでございますかと現れた。

「お客様のお帰りだよ」

お手伝いさんは、

「はいわかりました」

頭をさげて玄関に消えていった。おじいちゃんはにこにこしていた。

「もう少しでお供が来ますからな」

あみはお供とはなんだろうと首をかしげる。

「お供さん?なんだろうかなあ、政治専門言葉かな」

お手伝いさんがあみを呼ぶ。

「あみさま。お供が参りましたわ。玄関にどうぞいらっしてください」

あみはありがとうございましたと応接間の県議長に挨拶をして孫娘と仲良く玄関に行く。


玄関で目の前を見てあみは、


「あひゃあー」


黒塗りの公用車が玄関に停まっていた。颯爽とした背の高い運転士があみのためにドアを開けてくれた。さすがに現代っ子のあみも目が点になってしまった。

「偉大なおじいちゃんだわ。恐れ入りますわ。ふぅー」


県の公用車を乗り物に使うのには訳があった。それは誘拐防止策である。


県会議員/議長を長くやっていればさまざまなトラブルに巻き込まれてしまう。県議員の政治家そのものに恨みを抱いてぶっつけてくれればよろしいがどうも世間の(ワル)はそうはならない。あんなごっつい悪人顔の県議長はあまり関わりたくはない。弱者として議員の家族に矛先は向いてしまう。特に子供さんである。


県議長の娘さんは小学生時代に誘拐をされそうになったことがある。


警察が早めに行動を取ってくれたために未遂で終わった。対立する派閥から誘拐未遂犯人は逮捕された。


このことから県議長は家族の安全には細心の注意を払い今日まで至っている。


今は学園に通う孫娘が誘拐の心配があり送り迎えは公用車がお供にされている。


県会議で一度私用の公用車は問題だと発議があったが、

「ならば誘拐されたらあなたが責任を、全責任を持ってくれますか。ならば私用公用車はやめましょう。今からすぐにやめましょう」

質問をした若手議員を悪人顔でジロッと睨んだらしい。発議はそれで終わり問題には以後ならなかった。


あみと県議長の孫娘は仲良く公用車で学園から帰えることが増えていく。

帰り道が途中まであみは同じであることが最大の理由であった。

「あみちゃんは私のおじいちゃんのお気に入りだからね。ちょくちょく遊びにいらっしゃい。だからお供も一緒なのよ」

という訳であみは帰り道は公用車だった。


あみと孫娘は顔は二人ともヘチャで似てはいなかったが背丈や全体の印象がよく似ていた。同じ学園の制服を着ていることも手伝って姉妹かとも見られることもあった。公用車の運転士さえたまにあみかな孫娘かなと間違いをするぐらいである。

「最初は戸惑いましたね。議長のお嬢ちゃんがどっちかとね。今はちゃんと区別つきますから大丈夫です」


おじいちゃんの県議長は様々に恨みを買う商売だった。今回の県知事選挙に関してもかなり恨みを売買してしまったようだ。普段の議長警護はかなり緊張をすることになる。


老人の県議長がいなくなればあっさりと県議員や県議会がすんなりと運ばれるケースが多々見られたのだ。長く県議員をやるから様々にしがらみができてかつ対立議員には防波堤的立場にもなっていた。


老練な県議長が県知事選挙に出ては困ってしまう議員は山のようにあった。不都合ゆえに懸命に引き摺り降ろし、その結果降ろされた。


表向きは老人だから年齢が高いから県の民主の推薦は見送られたが実情は全く違う。対立する議員や圧力団体からのクレームがあったのが最大の理由であった。


県議長もその辺りは早目に察知をしたようでまずは自分の立候補はしませんと公表する。それが高齢となっており新聞にも本人は健気にもコメントをしている。


出馬しない代わりに適任者を推薦するからバッグアップをしたい。フィクサーに徹し選挙は戦いたいとした。ところがこれ額面通りには受けることができなかった。


対立する県議員や各地の市長/市議には、

「県議長は死んだ振り。県知事選挙直前には無所属で立候補してくるのではないか。自民と民主が(つの)を突き合わせて同志撃ちしているウチに勝ち逃げを狙う」

かなりの率でこの例え話は囁かれていた。


民主は揉めに揉めて挙げ句にシロウト候補を出馬をさせていく。これがどういう意味になるか。


世間に無能なる民主を植え付ける。そのためにも民主候補はインテリは困ります。大学教授や弁護士は県議長には百害ありて一利なし。星野あたりがちょうどよくて手頃なものであった。


その民主を横目にしてひょいひょいと無所属で当選を勝ち取ろうとしている。それが老練なるかな県議長であった。


さすが選挙は市議/県議と合わせて18回を数えるだけのことはあった。県議長選挙も加えたらもう少し増える。


県議長はとにかく恐怖である。県知事選挙ではなにをしてくるやらわからない存在であった。民主推薦なくても当選に至る可能性もなきにしもあらず。自民と民主の両党から見て県議長にはいて欲しくない。自分の党の選挙には邪魔な立候補者であることは間違いのないところであった。


両党から邪魔?


恨みを売買する存在であることの動かぬ証拠だと言えた。


県知事の立候補の受付が後1週間に迫ったある日。


学園が終わりあみと県議長の孫娘は仲良く公用車で帰っていく。

「あみちゃん。お父さんは県知事選挙に立候補されるのね。選挙だとなりますと大変なことになりますわ」

孫娘はおじいちゃんの選挙を子供の時からずっと見ていた。だから幼な心にも選挙とはそういうものだと思った。


言われたあみは、

「ふぅー」

ため息をひとつつく。星野本人もため息をついていた。父親の真似であった。


学園を出た公用車はどこにも立ち寄ることなくあみの自宅に向かう。いつもの道でありいつもの時間であった。公用車が名古屋市から郊外に出たあたりで事件は起こった。


公用車が郊外に出て赤信号待ちをした瞬間だった。

「ちょっとちょっと運転士さん」

後方からの車からクラクションが鳴る。続いて若者が走り寄る。運転席の窓をコツンコツンと叩いた。運転士はなんだろうかと窓を開けた。若者は男と女だった。

「どうしたんですの運転士さん。あれだけ携帯を鳴らして停まって停まってとやったのに。電源は入ってますか。全く通じなかったよ」

携帯がどうかしたかなと運転士はマナーモードを確認した。着信ありかと。が音声録音も着信も何もなかった。一瞬運転士はこの若者が嘘をついているなと疑った。その若者の軽い言い方には不快な感じも持つ。

「あれ?着信なしでしたか。というと俺が電話番号を間違ってしまったか。090-4528-あちゃ間違ってましたわ。ごめんなさいね」

若者は頭をかいてさも悪いと謝った。運転士には信号を越え左に停まってもらいたい。

「県議長さんから伝言があります」

若い男が言うには県議長さんに頼まれて孫娘さんをコンサートに連れていことになった。孫娘の好きなコンサートのチケットが取れたからこうして持参をした。その開演はまもなくであり急いでいる。ついてはこちらの車に孫娘さん乗り換えてコンサートホールまで連れて行きたいと言うことだった。

「県議長さんからの伝言です。我々はコンサートホールのスタッフです」


若い男は早口で捲し立てた。若い女は後ろ席にいる孫娘とあみの存在を確認をする。そして慌てた。

「ちっ、ちょっと」

女は男の手を引く。孫娘がなぜ二人いるのかわからなかった。しかも姿形が似ている女子高生である。孫娘は、若い男に尋ねた。

「そのコンサートってひょっとして」

今一番人気のある若手ロックグループの名前を聞かされた。

「ひゃあー。私前からおじいちゃんにチケットを頼みましたのよ。ひゃあ、本当に。あのコンサートチケットが取れましたの。私は取れないかなとあきらめていましたのよ。嬉しいなあ。見に行きたいなあ」

孫娘が喜びを現すと若い男女は、

「喜んでもらえ嬉しいな。じゃあ早く車に乗り換えてください。開演まであまり時間がないんですよ」

とにかく慌てさせた。孫娘はコンサートに行きたいと言い始めた。


若い男と孫娘会話が噛み合い違和感がないところである。


公用車の運転士も後ろ席のあみも何ら疑問に思っていなかった。当初はドタバタをして妙だわだったが。運転士は、

「コンサートチケットは孫娘の要望の通りになったんだ。なかなか取れないプラチナチケットでこうして何て言うか政治の力を使ってゲットしたんかな。県議長の孫娘だからさ」

この時点で若い男女は怪しい奴等の疑問は消えてしまった。

「コンサートに関してはねおじいちゃんにお願い致しますって私は頼んでいたのね。でも変だわ。朝はなんにも言わないおじいちゃんだったけど」

ちょっと変だと思った孫娘だった。若い男は直前になりチケットにキャンセルがあり手に入る。県議長さんから依頼があったことは聞いていたから早速こうしてプラチナチケットを持参をしましたと改めて強調をする。

「二枚あります」

二枚と聞いて孫娘はあみの顔を眺めた。

「あみちゃんもいかがかしら」


公用車の運転士は、

「わかりました。でもお嬢さまをお連れするのは運転士の役目でございます。コンサートホールまで私がお送り致します」

孫娘とあみはコンサートを楽しみましょうかと嬉しそうに話を始めた。運転士もにっこりとした。

「そんなに嬉しいのかな。では参りましょうか」


若い女は顔を引きつらせた。盛んに男にどうしょどうしょとサインを送る。そんな女の態度に男はわかったわかったったと首を振る。

「運転士さん。僕の車についてきてください。ホールまでの道は簡単ですけどもアッハハ」

男はコンサートホールでチケットを渡すと言い残し自分の車に戻った。


車に戻った女は、男にきつく当たる。

「どうすんの。娘を車に乗せなきゃあ計画失敗じゃあないの。止めにするの。どうする気なの。それにあんなに運転士に顔見られて。どうなるか私知らないわよ」

男は黙ったままであった。

「それよりも私ビックリしちゃった。孫娘が二人もいたなんてね。あの二人さ、なんか似た感じだったわね。年子の姉妹かしらね。あの人も孫娘は"二人の姉妹"だったとは知らなかったんだわたぶん」

女は公用車にまさか県議長とは赤の他人の娘がチョコンと座っているとは想像もしなかった。


女に散々言われた男は比較的冷静に答えた。

「コンサートホールに入るまでまだ時間がある。それまでが勝負だ。チャンスはあるさ。まだまだあるさ」


男の車はホールに向かい後方からは公用車。車内ではあみと孫娘が愉しそうにコンサートの話をしていることが想像された。


「うんなんだろう」

公用車の運転士は不思議に思った。コンサートホールまでの道はまっすぐだ。しかし前の車は左ウインカーを出してなにやら工場跡地のような広場に侵入をしていく。男からは窓を開け続け続けと手を振られた。

「どうして工場なんかに」


運転士は後に続き中に入る。男が車から降りてきた。

「どうしたんですか。こんなところに車を停めたりして。どうもあなた方怪しくありませんか」


若い男は運転士の顔に拳銃を突きつけた。


後部座席で若い女性の悲鳴が聞こえた。


県議長宅の夕方は騒々しくなった。県議長の家から県警を通し連絡が言ったあみの家も騒がしくなった。


老人の県議長は県警の刑事を自宅に寄越させていた。

「一体どうしたと言うんだっ、君。公用車が行方不明だと。連絡もつかないだと」

刑事は恐縮して黙ったまま。県会議員の身分はゆうなれば県警の親方のようなものであった。

「ワシの孫娘もお友だちのあみちゃんも果ては運転士も音信不明なのか。なんたることだ」

県議長のおじいちゃんはご立腹だった。


公用車がどこかで交通事故に遭ったのではないかと心配をする。

「はっただいま県警の名古屋近郊に連絡網を敷き全力で公用車を探しています。交通事故ならすぐ連絡が来るはずでございます。議長さま少し落ち着いてください。大丈夫ですよすぐにお孫さをや皆さん元気な声が聞かれますよ。なんらかの不都合から携帯が繋がらないだけですよ」

公用車が音信不通とわかった瞬間に県警には連絡が行き最寄りの交番から巡査と刑事がやって来た。

「これが落ち着いていられるかバカモン」

ことがこと、議長が一番可愛がっている孫娘である。短気な県議長はついに雷を落とす。県議長は県警本部長より身分は上だった。

「これが冷静にしていられるか。一体ワシの孫はどこに消えたんだ。もしものことがあったら県警本部長の首はどうなるかわかっているだろうな、タワケッ」

刑事と巡査は顔色を変えた。

「いかん怒鳴ったら頭がクラクラしてきた。おい医者を呼んでくれ。ワシは気分が悪いぞ。おい医者だ」

禿げた頭に手をあてるとフラフラっとソファに腰折りながら倒れ込んでしまう。老齢に加えての高血圧症は頭に血がのぼってしまったようだ。

「旦那さま、旦那さま大丈夫でございますか」

家政婦が呼んでみた。いつもの目眩であろうかと判断をしてから医者に往診を頼んだ。

「血圧が高いですからね。ストレスの溜まることは極力避けてもらいたいと言われております」

刑事はさらに萎縮をする。


が、本部からは交通事故もなにも連絡はなかった。


星野の自宅も慌ただしい様子だった。近くの交番の巡査がやって来た。

「あみが行方不明なんだって」

巡査は県警から公用車が行方不明なことを事務的に知らされていた。

「そのようでございます。県警の方は行方がつかめておりませんです。詳しいことが判明いたしましたらすぐ御連絡を致します。今のところ交通事故の報告はありません。たぶんなんらかの原因で携帯が通じないだけだと思います」

県警本部からの連絡をしばらくお待ちくださいと交番のお巡りは心配顔で伝えた。

「あみにもしものことが」

星野は妻の仏壇に両手を合わせ一心に拝む。

「あみがいなくなったら俺はどうなるんだ。あみのために頑張ってきた俺はどうなるんだ」

妻の写真は優しく微笑んでいた。あみの笑顔によく似た素敵な美人だった。


交番の巡査は盛んに警察無線と交信をする。県警は本格的な捜査網を名古屋市内全域に敷いた。


若い連中は公用車の運転士を拳銃で威嚇した。

「大人しく言うこと聞けば手荒なことはしない。それだけは約束してやる。だがな歯向かったり逃げたりしゃがったら女だろうがなんだろうが容赦しない」

あみたちに車から降りろと命令する。車から降ろされたら犯人は人数が増えていた。


降ろされた公用車は犯人が運転してアジトの中に隠しビニールシートを被せられた。

「1週間隠し通せば恩の字だ」


1週間あれば県知事選挙に立候補はできなくなる。犯人の狙いは県議長の立候補阻止であった。


拳銃を突きつけられたあみはあまりの恐怖から泣き出してしまう。

「怖いよぅ」

孫娘も同様だった。お互いにしっかり手を握りしめ犯人からの恐怖を回避しようとした。あみの頭に近藤の顔が浮かぶ。

「おにいちゃん助けて。あみは殺されそうよ」

近藤は今頃アジアテニスで戦っているであろうかとふと思う。


車から降ろされたあみは犯人の言うままになるしかなかった。


ひとりずつ目隠しをされ自由を奪われた。携帯は没収されバッテリーを廃棄した。


「言う通りにしていたら手荒にはしない」

犯人は繰り返した。


あみたち3人は犯人のキャラバンに乗換えさせられてとある工場跡地に連行された。目隠しの布が顔に痛く食い込む。話をすることは許されない。


工場跡地に着くと目隠しは外された。

「いいか。ホトボリの覚めるまでここにいてもらう。俺たちの目的はお前らを殺すことじゃあない。あくまでも人質にしておくことだ。歯向かうなよ、いいか。ただジッとしているだけでいいんだからさ。1週間なッ。それを過ぎたら自由にしてやる」

連行された跡地でしばらく生活をしろと言われたのだ。3人はおとなしくなり観念した。孫娘だけはいつまでもメソメソ泣きはらした。


その夜から跡地で過ごす。あみたちは埃っぽいガランとした建物の中に軟禁された。食事は犯人が近くのコンビニ弁当を買い一日一回だけ与える。軟禁されたままだが何もすることがなく退屈は退屈だった。

「楽しみはコンビニ弁当だけだ。携帯もいじれないし。つまらない話だわ」

適応性の高いあみはすっかり諦めて犯人の言うままになる。ゆっくりと時間だけは過ぎていく。

「ああっ、アイスクリーム食べたいなあ。ケーキ食べたいなあ」

手持ち無沙汰は運転士も同じである。

「お腹減ったね。寿司や天ぷら腹一杯食べたいね。お刺身なんか盛り合わせでさ」

空腹な身の上に食べ物の話。さらにお腹は、

「グゥー」

3人揃って鳴ります。


跡地の埃の壁を眺めながらぼやきます、あみお嬢さん。


県警本部は行方不明を懸命に探していた。

「公用車両や携帯電話と被害者と繋がるものはいくらでもあるからすぐ見つかるさ」

県警の科学捜査は指をポキポキ鳴らす。


あみと運転士は携帯電話を所有している。孫娘はPHS(WILLCOM)だった。

「WILLCOMはお子さまが誘拐された場合に威力を発揮します。防犯のために作ってありますからね」

誘拐犯人などがもしも子供のWILLCOMを壊した場合には、

「どこで破壊されたか記録に残ります。電源が切れていないことが条件だけど」


※残念だ。犯人は壊したりしないでバッテリー抜き取りだった。


公用車両に備えつけのナビゲーションシステムから現在の居場所が特定できた。

「ナビゲーションは車の道案内のシステムです。今からどうやって行こうか教えてくれます。逆に車の位置をも教えてくれもします」

こちらのシステムは稼働しており易々と車両は見つかる。

「犯人はまさか車のバッテリーまで抜き取りはしないから。携帯より目につくんだけどね」

庶民にはナビゲーションまで浸透はしていなかった。


県警の科捜はニンマリ笑い県警本部に連絡を入れた。あみが失踪して2日目であった。


たちどころに工場跡地は県警の捜査網の中に入る。

「公用車両の場所は特定できた。後は踏み込むだけだが」

なんせ人質がいる。安易な行動は取れない。


県警は工場の持ち主を特定する。この場合には県議長に恨み、星野に恨みがあるのではないかと私怨の線をかなり神経質に調べていく。工場所有者と県議員はすぐに繋がる。

「見事なものですね。県議長と対立する県議員の名前がポロポロですよ」

この段階で犯人の目星は簡単につく。


後は人質の身柄確保を確認をしてから逮捕に踏み切るのみである。

「人質の安否が確認されないから」

これがネックとなった。


捜査官は工場跡地にいるだろうと目星をつける。

「よし。ホームレスを装い侵入してやるか」


が夜に無人の工場跡地には若者がいた。

「おい、おっちゃん。どこ行く。この中はねぐらじゃあないぜ。入るなや」

この時点で捜査官(ホームレス)は人質の存在を察知した。夜である。見張り役がいること自体妙に引っ掛かる。

「おっそうかい。ワシなあっ、今晩のねぐらないねんやあ。このさ工場の軒下でゴロンとするだけでいいさかいな。勘弁やで、ほなっ失礼しまっさ」

と敷地に強引に入るしぐさをする。若者は慌て制止させる。

「あんなあっ、おっちゃん!入るなって言ってんだろ。入ってくんなと言っとるだろうが、このボケッ野郎が。消え失せろやボケッ」

それからは県警の24時間張り込み体制が工場跡地に引かれる。

「コンビニ弁当を買って運んでいるな」

たちどころに弁当は3個買われているとわかる。


さらに買い物をする犯人の顔は特定もされた。コンビニ店員が、

「この方でしたら見たことありますよ。いつも来ますから」

素性がわかるのにあまり時間はかからなかった。


「もう踏み込みたいわ」

血にはやる捜査官たちだった。


県警本部から県議長には途中報告が逐一入る。

「なんだ。そこまでわかるんなら孫娘を助けんか」

県警の刑事に噛みついた。

「議長さん。県警はお孫さんの身柄の確保を第一に考えています」

手荒な行動に出て犯人を刺激してはいけない。


さらになぜ孫娘さんが誘拐されたかを県議長自身に問いたかった。

「県知事選挙か」

老人の県議長は、不貞腐る態度。

「そんなこと百も承知だわい」

と怒鳴り散らして塞ぎ込む。血圧がまた高くなった。

「ワシが知事選に出馬したら困る奴が、かなりいるからな」

腕を組み天井を眺める。対立をする県議員の顔がチラチラ浮かぶ。同じ民主の議員ばかりが浮かぶ。議員の中には、

「あんなにも可愛がってやったのに反旗を翻しやがった」

悔いても悔い切れない議員もいた。有象無象の世界を改めて知らされる政治の世界である。

「だからどうせいと言うのだ。ワシに知事選挙から手を引けと諭したいか。おいっ、おまえ。答えてみろや」

県警の若い刑事を睨みつけ今にもつかみかかろうかとする。県議長はあくまで県警のトップの立場である。妙なプライドが邪魔をしていた。


県警の若い刑事はヤレヤルとした顔をする。

「困るなあっ。この手のジイサンはやりきれないや。何かと意固地になるから」

刑事は今から対立をする議員の名前、孫娘を誘拐したであろうの犯人の名前を告げなくてはならないかと思うと憂鬱になった。


工場跡地の張り込みは続く。犯人の動きは捜査員にはおおよそつかむことができた。後は県警本部からの指令を待つばかりである。

「可哀想にお嬢ちゃんたち。あの跡地に軟禁されているんだな。少しでも姿が見えるとこちらとしては安心するんだが」

跡地にコンビニ弁当が届けらる。軟禁されているエリアはわかる。

「チラッとでも姿を」


双眼鏡の倍率は高められた。


県議長は若い刑事から、

「この県議員が犯人です」

目の前に名前と写真が提示された。老人の県議長は両手で写真をつかみ小刻みに震え始めた。


その顔は40年来見て来ている県議員であった。お互いの初当選が同じであり終世のライバルであった。

「こいつならやりかねない」

40年にも及ぶ私怨は県知事選挙で爆発をしてとんだ犠牲を生んでしまった。

「わかりました。ただちに逮捕状を請求して事務所に踏み込むことに致します。なお孫娘さんは捜査官が見張りをしています。合図さえあればいつでも身柄の確保になります」

刑事はゆっくりと説明をした。


犯人の県議員の親玉は事務所で逮捕をする。

「なんのことだ。県警ごときがなんの用だ。君たちは失礼だぞ。ワシを逮捕するだと」

老練な県議員は知らないわからない、身に覚えがないと喚き出した。

「弁護士を呼んでくれ。県警なんぞにあれこれ言われる筋合いはないぞ。早く弁護士だ」

大物捕り物帳は大々的に新聞の号外で世間に知らされた。同時に工場跡地には数十人の県警警察官が一斉に踏み込む。圧巻だった。見張り役の若者は警察官の数に圧倒されすぐに観念をする。

「あみちゃんですね」

踏み込む警察にあみたちは発見された。

「ハイッそうです」

疲れた顔ながら答えた。埃だらけの跡地に明るい光明が差した瞬間である。


あみと孫娘は泣いて喜ぶ。

「警察が助けに来てくれたわ。ワアーイ、ワアーイ。あみは助かったのね」

パトカーに乗せられたら、あみは父親に電話を。孫娘は県議長宅に無事の電話を入れた。

「お父さん、お父さん。あみは今警察に助けられました。あみは、あみはワアーん」

電話口の父親星野は涙声で、

「あみか、あみだな。助かったんだな。よかったよかった」

嬉しさのあまりその場にヘタりこんでしまった。

「女房のおかげだ。ありがとうありがとう」

星野は携帯を握りしめたまま仏前にお参りをする。


故人の妻は仏壇から、

「あなたから、あみを奪うような奴は許しませんよ」

柔和なる笑顔の仏さまであった。


県議長宅は母親が電話に出た。娘の元気な声を聞かされ母親は嬉しさから気を失ってしまう。電話を代わったのはおじいちゃん県議長だった。

「おおっ無事か、よかったよかったのぅ。孫の声が聞けてなによりじゃ」

孫娘の無事を知り泣きながら喜ぶ。鬼の目に涙が溢れていた。


議長自身の政敵(ライバル)が孫娘誘拐に発展をしたとわかりこちらは顔が曇りぱなし。

「ワシのせいじゃ。ワシが県議長なんぞやらなければ孫娘の事件はなかったのじゃ。かわいい孫には罪はない。全てはワシが悪いんじゃ」

これを機会に県会議員から引退をする決意をする。清くすべて政界からの引退を考えた。

「もはやワシのようなロートルは要らないな。県議長としても県知事としても。時代じゃな、時代というやつさ。引退したら孫と盆栽の成長を楽しみにしていくさアッハハ」

と引退を仄めかした。

「おおそうじゃ。星野さんに県知事選挙は諦めなさいなと電話入れておくかな。彼も安心をするだろうて」


こうして県知事さんの話は白紙に戻っていった。


電話の星野は喜びであった。


県警では。

逮捕された政敵の県議員が事件の首謀犯人説をあくまでも否定していた。

「なんだとぉ!ワシが犯人だと。ふざけんなターケー」

工場跡地で逮捕した実行犯の若者の顔写真を突きつけたが、

「知らん知らん。そんなチンピラなんぞ見たこともない。ワシにはなんのことかさっぱりわからない。後は弁護士に聞いてくれ。不愉快だ、実に不愉快な話だ。おい県警っ。ワシが誘拐犯人だとブン屋に発表しやがったな。名誉毀損で訴えてやる。早くここから出せやあ、タァーケ。おいきさまら。県警本部長は誰かわかっておるだろうな、あーん。県議のワシに妙な嫌疑をかけくさって。きさまらな只で済むと思うなや。こん畜生が。出さんかいな」

取り調べで県議さんは大変な剣幕で威張り散らす。


まもなく県議の顧問弁護士がやって来る。刑事たちとはすでに顔見知りの間柄の弁護士である。刑法が得意であった。

「いやあ県議こんちは。またまたどうされましたか。今回は容疑が誘拐犯人ですか。また洒落た罪状をもらいましたね。まあまあ落ちつきましょうか。今ね嫌疑不十分仮釈放の手続きを進めていますから。手続きが済み次第ご自宅には帰れます。とりあえずは落ちましょうか。血圧が高いんでしたっけね」

弁護士の話を聞き県議は落ちついてくる。


顧問弁護士の尽力は絶大なものがあった。逮捕されたのは初めてではないから余計にである。

「あのね県議さん。刑事さんに威張り散らして妙なことを言わないでしょうね。私はそれが心配でございます。県警本部長は誰かなんて威張りはしないと信じたいなあ。まあバカなことは言わないでくださいよ。気をつけてください」

アガァ。県議は急におとなしくなってしまう。大虎が子羊にさらには借りて来た猫ぐらいにショボーン。

「いやいやワシはソノォ、少しだなあ。つまりだなあ」

頭かきかき刑事各位に謝った。刑事と弁護士は目を合わせて苦笑いだ。


その日のうちにあみ・孫娘・運転士は自宅に戻る。県警で簡単な健康診断を受け大丈夫だと言われそのまま返された。身元引き受け人はあみは父親、孫娘は母親が県警に来た。

「あみは早くおウチに帰ってアイスクリーム食べたいなあ。冷凍庫に入れたままだもん。アイスさんが寂しくしております。あみちゃんに食べてもらいたいと嘆きでございます」

あみは自宅に戻り久しぶりのお風呂にゆったりとつかる。全ての疲れを取っていく。


夕飯は星野が寿司の出前を頼んだ。あみの好物である。


翌日から逮捕された県議は本格的な取り調べに入る。ただし弁護士から仮釈放の申請が認められてしまい自宅に戻り在宅であった。県議はあくまでも誘拐には関与していない。軟禁をした若者だけの犯行でありワシは関係ないと強調した。


顧問弁護士は辣腕であろう。結局この県議は不起訴処分になる。

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