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月蝕  作者: 檸檬
1章 幼年期編
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月の導きと加護の宿命8

 I am not discouraged, because every wrong attempt discarded is another step forward.

 私はくじけない。なぜなら、どんな失敗でも次の前進の新たな一歩となるから。


 アルフロッド・ロイルにとってサラ・フォールスは母親の様な存在だった。

 産まれると同時に母に死なれたアルフロッドにとって傍に居た母はサラ・フォールスだった。

 スオウと同じ乳を飲み。(実際スオウは飲むのを嫌がったため、大変苦労したそうだが)

 幼い頃はスオウと共に寝て育った。


 その力の制御を誤って一度スオウの骨を折ってしまった事がある。

 加護持ちである、という事でかなり慎重をきして扱っていたそうなのだがそれがわからなかったアルフロッドは力加減がわからず、本ばかり読むスオウの意識をこちらに向けようと“ちょっと”力を入れた。


 そうしたら簡単に骨が折れた、ボキリ、と、ぐにゃり、と。

 その時の感触も、その時の光景も、その時の自分の漏れ出た悲鳴の様な声も、はっきりと覚えているようでどういう思考をしていたかは覚えていない。

 だが、幼いながらにもすごい大変な事になった、と、そう思った事は間違いない。そして、怖くなって逃げ出した。

 そう、逃げ出した。

 幼い頃いつもスオウがいた場所、本が密集しているその場所で床に踞り、腕を抑えているスオウを置いて逃げ出したのだ。


 その時のスオウは泣きもせず、歯を食いしばって耐えていたそうだ。


 実際スオウはその時必死に意識を繫ぎ、ルナを呼び、サラに治癒魔法をかけてもらうまでそれは続いていた。

 

 一時屋敷は騒然となったそうで、これは後から聞いた話だが骨折が治ったスオウが攻撃魔法なんかより治癒魔法を先に覚えるべきだな、と言っていたとかいないとか。

 今でこそ、ほんと、幼い頃からアイツはアイツらしかったんだな、と思うばかりだが。


 それよりも問題はスオウはアルフロッドがやったという事を一言も言わなかった事だ。

 ただ、本を取る時に転んで折った、とそれだけしか言わなかった。

 何を考えているのかよくわからなかった。

 言わなかった事が何よりも猛烈に自分を批難しているかの様な錯覚に捕われた。

 それから暫くはスオウと目を合わせる事すら怖かった。

 そばに寄る事も怖かった。

 父と話すときも怖かった、サラと話すときも怖かった。


 フォールス邸に行く事すら嫌がって、そしてそれに気がついた父が理由を尋ねた時に初めて泣きながらそれを話したのを覚えている。


 自分の家のガラスがビリビリと震える程の怒鳴り声を聞いたのは後にも先にもあれが最後だったかもしれない。

 思いっきり殴られたかと思ったら、その後直ぐにフォールス邸へと向かい親父が土下座しているのを見た。


 だが、謝られたスオウはこう言った。


 じゃあ僕もアルフの骨を折りましょう、それでおあいこです、と満面の笑みで。


 ○


 闇がおりた夜の森、僅かに聞こえる遠吠えと風によって起る木々の擦れる音が辺りに響く。

 一際大きな巨木の根元、そこには一人の少年が踞っていた。

 僅かに上下する肩から死体ではない事はわかる。なによりその少年が持っている剣は大きく、そして威圧感を放っていた。

 故に、襲いたくても襲えない下級の魔獣が遠目で見るだけだったりするのだが。


 だがそんな沈黙の空間もその踞っている少年の声で終わりを告げた。


「それはねーよ」


 パチリ、と目を覚まして思わず呟いたのは否定の言葉。

 懐かしい夢を見た、確かあれは6歳の秋頃の話だ。あのときの満面の笑みは今でもはっきりと思い出せる。

 まぁ、話は別にそれで終わった訳ではないのだが……。

 

 ふぅ、とため息を一つ。走り出した時に一緒に持って来てしまった大剣を背にして、佇む。そういえばこうやって家出をしたのは初めてかもしれないと思いながら目を瞑る。正直月明かりの無い場所は真っ暗で一寸先すら見えない、故に目を瞑ろうが瞑らなかろうが関係ないのかもしれないが、心情的な部分でアルフロッドはまた目を瞑った。


 普通のヒトとは違う、という事をアルフロッドは良く理解しているつもりだった。

 まぁ、スオウ・フォールスという友人も普通のヒトとは違うのだろうな、と漠然と感じてはいたが、それでもヒトという枠組みに収まっている様な気はしていた。だが自分はその枠組みを逸脱しているのだろう、と幼いながらも確りと理解していた。


 彼に取って幸運だったのはグラン・ロイルが幼い加護持ちを抑えられるだけの力を持っていた事だろうか。

 それとも世間一般的な価値観とどこかズレているスオウ・フォールスという友人がいた事だろうか。

 少なくとも悪い事を悪いと、叱りつける事が出来る親であった事、同世代の友人という存在がいる事によってある程度の不満が解消されていた事が功を奏したか、アルフロッドは世間一般的な価値観と自身の異常性を理解するという事は有していた。


 故に、だからこそ、彼はその世間一般的な価値観の元に生ずる加護持ちの自分との齟齬に苦しんでいた。


 全力を出せない事のストレス。

 異常な力を知った同年代の友達の腫れ物を扱う様な態度。

 異常な力を見た大人達の余所余所しい態度。


 それは少なからずアルフロッドに傷を与えた。

 故に彼は縋り付く。唯一態度の変わらないスオウに、そして父に、フォールス家に、そしてアンナにも。

 

 勿論、彼が彼の交友範囲を広げれば、そういった理解を示す友人は多数居たのかもしれない、だがそんな事は幼い彼にはわかる筈も無いし、彼に取ってはこの狭い世界が全てだった。


 そして彼は優しさも持ち合わせていた、その大事なヒトを傷つけられたくは無いという気持ちも持っていた。 


「何の為の力だよ、ほんと……」


 ぼぅ、と見つめる剣先は何も答えない。

 そんな状況の中で、


「みぃーつけた」


 クツクツと笑いながら笑みを浮かべ、木の根元にうずくまる少年に近づく影が一つ。


 ○


 ガン、という音と共にフォールス邸の玄関が開かれる。そして同時に何事かと駆けつけてきた使用人へと話す男が一人。

 駆けつけた男はグラン・ロイル。顔からして焦燥感が漂っており、ただ事ではない事を示していた。


「アルフロッドが来ていないか?」


 開口一番告げられたのはその言葉、困惑気味に答える使用人もそれに答えられる者は居ない。

 当然だ、アルフロッドはこちらには来ていないのだから。


 くそ、と一つ舌打ちした後でその場を後にしようとしたグランだったが、後ろから幼い声で止められた。

 偶々トイレに行く為に外に出ていたスオウだった。

 傍らには付きそいでルナが居た、余談ではあるが、尿瓶を使う事はスオウが断固として拒否し、魔法によって危なっかしくも体を浮かしてまでトイレに行こうとしたのを見かねてルナが付き添いをした。

 

 意識が無かった初日はルナが処理していた、というのは言わないであげる事にしたのはルナなりの優しさだろう。


「アルフロッドが帰っていない? いつからですか?」

「もう5時間くらいだ……、いや、別にアイツ一人どうこうされるとは思っちゃいねぇが。今クラウシュベルグは微妙な状況だ、どうなるかわかったもんじゃない」


 5時間、今の時間は23時を過ぎた所だ、となると18時くらいから行方不明になっているという事になる。

 その言葉に眉をしかめたスオウは、“まず”グランの話の内容について聞く事にした。


「微妙、とは?」


 スオウ・フォールスが襲撃を受けたのはグランも知る話ではあるが、それの裏にある事情は知らない筈だ。

 グラン本人が予測したとも考えられなくも無いが、それにしてもアルフロッドが居なくなる事によって“微妙”と表現するのはおかしい。もしするとしたら危険、か面倒、かそう言った表現の仕方をする筈である。


「い、いや……。ちぃと噂話を聞いちまってな。いや、別に裏が取れてる話じゃねぇんだ」


 そう言いながら頭を掻くグラン。

 自分でも子供相手に何を言っているんだとどこかで思いながらも話を続ける、同時にあまり時間を取っている場合でもないと考えたのだろうスオウに軽く謝罪を述べ、玄関から外へと駆け出していった。


(微妙、つまり確実性に乏しく危機的な状況とは言いがたいが、それなりに問題が起こり得る可能性を孕んだ事。か?)

(さての、あの男の様相ではそれより多少ランクがあがると思うがの)

(クラウ、アルの魔素は探知出来るか?)

(ふむ、儂もそう思って探しとる加護持ちは魔素が大きいからの。しかしさっきからやっておるが無理じゃ見つからん、半径1キロにはおらんのぅ)


 隠蔽技術は無かったと思うがの、と続けるクラウ。

 その言葉に思わず舌打ちをしながら思考を巡らせる。


(……そういえばビックピグが出たという話があったな)

(む、何じゃこんな時に)

(いや、ああいう強大な力を持った魔獣が出現したり行動したりする場合、その周辺の勢力分布が大きく変動して何らかの問題が生じる場合があるとは思わないか?)

(……まぁ、確かにの、無いとは言わんが)

(アンナへの執拗な交渉、ビックピグの出現、俺への襲撃、そしてグランさんが言ってた噂とやら。一方向ではないな、二方向、いやカリヴァの思惑も含めれば三方向か。領主と国が奇麗に足踏み揃えているとは思えん……か? いや、最悪切る事を考えると……)


 ぶつぶつ、と何か呟き始めたっきりクラウの呼びかけに全く返事をしなくなったスオウ。

 いつもの事だとため息を吐いたクラウは口を噤む。

 あるいは、答えに出る事を期待して。

 そして僅かな時間の後、ふと顔を上げたスオウは隣で怪訝な表情をしているルナに声をかけた。


「ルナ」

「駄目です」

「……何も言っていないんだが」

「どうせ自分も探しに出ると言いたかったのでしょう? 駄目です、サラ様からもキツく言われておりますので。それともし脱走等されますと私どもが叱責されます。そのような事はお望みではないと思いますが?」


 じろり、と見下ろしてくるルナに思わず肩を竦める。

 確かに自分の我が侭で彼女達が怒られるのは本意では無い、自分の事を良くわかっている。

 で、あるならば次の行動は決まっていた。


「では母に直接話そう、まだ起きているだろうか?」

「……既にお休みになられました」

「そうか、では母の部屋へ行く、肩を貸してくれ」

「ですからお休みになられたと!」

「ルナ、君が嘘をつく時右の目が僅かに動くんだよ、知らなかったのか?」


 その言葉と同時にぴくり、と一瞬動いた右手ではあったが、一瞬でそれを消して……、だがしかし同時にため息をついた。

 ――ただのブラフだと気が付いて。


「どうやらもう無理ですか」

「瞬間的な仕草は隠し様が無いからね、肩は貸してくれないか?」

「申し訳ありませんが私はサラ様のご指示を受けております。雇い主の次の権限の持ち主ですのでスオウ様のご指示は聞けません」

「困ったな、こんな所で魔素を無駄使いしたくは無かったんだが……」

「スオウ様それは脅しですか?」

「失礼な、建設的な交渉という奴だ」

「自身の体を人質に使う交渉など聞いた事がありません」


 人質は無いかもしれないが、自分の体を交渉の“材料”に使うのは十分にあり得る話なのだが、と内心呟きながらルナの出方を見る。

 正直魔素の無駄使いは避けたい、現状ただでさえ治癒魔法に割いているというのに無駄に使用すれば回復が遅くなる上に魔素欠乏で倒れるかもしれない。


「仕方が有りません私も同席します」

「まぁ、居てくれないと帰りが大変だしな」

「サラ様と一緒に寝れば良いのではないですか? 母親に甘えていれば良いのです」

「はは、それは中々に面白い」


 笑みを浮かべてくつくつと笑うスオウ。

 10歳、年相応に甘えられる“存在”であったのならば苦労はしない、と内心で思いながら未だ不承不承といったルナに肩を貸されながら母の自室へと向かうスオウであった。


 ○


「駄目です。何を言っているのですか貴方は? 今の時間を理解していますか? もう寝てなければいけない時間の上これから外に出ると? 世迷いごとも程々にしなさい」


 ゆったりとした薄い淡い緑の服、寝着であろうそれに身を包んだ母は先ほどの事を告げた途端けんもほろろにそう告げられた。

 隣に立つルナが当然だとばかりに頷いているのがなんとも脱力感を誘うのだが。


「怪我も満足に治っていないというのに……。確かに表面の傷は治癒魔法で直しましたが、骨折はくっついているだけで強度は圧倒的に劣っているのですよ? それこそ強い衝撃を受けたらまた折れてしまう。治癒魔法は私が教えたのです、忘れたとは言わせません」


 反論は許さないとばかりに、ビシリと言い切る母に思わず顔が引きつるのを感じた。


 それに治癒魔法の弊害は他にもある、一定期間使用しすぎると効きが悪くなるのだ。

 コレは恐らく細胞の分裂限界を超えているのではないかと予想するのだが、一定期間を過ぎるとまた元に戻るというのだから意味が分からない。体内の魔素が何らかの作用をしている可能性が高いが、それは今問題としている所ではないので置いておこう。


 つまり、ここで怪我を悪化させると次は治癒魔法を使えない可能性が高く有り、完治が更に遠のくという訳だ。

 しかもずるして自身で治癒魔法もかけているのだから余計酷くなる可能性を考慮した方が良いだろう。


 とにかく、予想以上の反発に少々先ほどの決意が揺らぎつつあるスオウでもあった。

 スオウとしては、母や父に不必要な不安を与えるのは本意ではない。

 それは以前も述べたスオウにとって自身が偽物の息子である、という事に関係してくる。

 つまり心配させず、安心して暮らせる環境を提供してあげる事を検討するべきだ、という観点である。


 問題になってくるのがそれ以上のファクターを占めている部分で今の状況が譲れない事かどうか、だ。


(仕方が無い、か)

(諦めるのかの……?)

(予想以上に母の反発も強かった、というよりこれは泣きそうだ。さすがにまた泣かせる訳にはいかない。説得させる時間がかかりすぎるだろうし心労をこれ以上かけるのも、な)


 大怪我を負ったときも随分と酷い顔をさせてしまったのだからやむを得ない。

 故にスオウは直ぐに切り替えた。


(他の手でいこう)

(まぁ、ただでは転ばん奴じゃとは思っとったがの)


 常に多くの手札を持つ事、基本である。


 謝罪を述べて部屋を出るスオウ、だが隣に立つルナはあれほど言っていた彼が思ったより粘らなかった事に不信感を持っていた。

 部屋を出てすぐに肩を貸してくれたルナはその事を口にしてスオウに問いただす。


「予想以上にあっさりと引き下がりましたねスオウ様……。何か良からぬ事を考えてはおりませんよね?」

「別に考えてはいないさ。母があそこまでだとは思っていなかったし、それに泣かせるのは本意では無いよ」

「……」


 ため息をつきながら話すスオウは嘘をついている様には見えない。

 そう確かに嘘は付いていない。

 スオウに取っては良からぬ事だとは思っていないのだから。


 ばれない嘘をつくためには、その嘘に真実を混ぜること、本当の意味で嘘をつかないことが大切である。


「……では、おやすみなさいませ」


 長年の付き合いのお陰か、未だに納得のいかぬ顔をしながらスオウをベットへと運んだルナは静々と頭を下げて部屋を後にする。

 パタン、と閉じられた扉、僅かに残る月明かりの中でスオウは静かに詠唱を始めた。


(目印を付けておいて良かったな)

(動かぬ物に限るがの、しかし起きておるかの?)

(起きてるさ、アイツがこの状況でこんな時間に寝ているとは思えないな。まぁ絶対とは言えないが可能性は低い)


 そう言って詠唱を終えボゥ、と小さな光を生み出す。

 治癒魔法を一旦停止させ、魔法の光を生み出したのだ。同時に僅かに全身を覆う鈍痛とするすると抜ける様に溶けていく魔素を感じながら生成した回路を大気中の魔素へと置換する。スオウの体内の魔素と比べて僅かに劣る今の部屋に存在している大気中では維持するのが精一杯なのだろう。だんだんと光が弱まり、そして少しずつ暗くなっていく。

 周辺の魔素を吸い尽くしたら消えてしまうだろう、だがそれでもおそらく10分程度は持つ筈だ。

 

 その光を元に紙とペンを持ち必要な項目を記載していく。

 そして全て書き終わった後にスオウはそれを紙飛行機の形に折り込んだ。


(しかし、折り紙というのはいつ見ても面白い物よな)

(紙飛行機くらいはあるだろ?)

(まったく、とは言わんがそこまで空気抵抗を考慮した折り方をしているのはないじゃろう。さらに言うのならば日本人は鶴やら蛙やらとんでもない物まで折る故な)

(中国とかの細工物も相当だとは思うけど、なっ)


 そう言ってヒュン、と手を切る。

 僅かに切れた指先からぽたり、と雫が落ちて紙飛行機の先端へと染み込む。


(ついでにこいつも、と)

(……刻印まで刻むのか。こんな媒体では燃えてしまわんかの?)

(む、そうか。ではこっちで)

(強化魔法……? 精々全力でかけてもたかが知れておろう)

(別にいいんだよ、ただの嫌がらせだ)


 そう言ってにやり、と笑いその紙飛行機を窓から外に放る。

 一方向に目的の箇所まで飛ぶ、それだけの魔法。

 一定の距離内でなければ届かないのだが、それでも便利な魔法だ。通常であれば小さく折り畳んだ手紙等を特殊な矢の様な形状の軽い筒に入れて飛ばすのだが、とても飛行距離が短く役に立たない魔法の一つである。正直そんな物を使うなら鳥を使った方が効率的だ。

 勿論途中で餌として食べられる可能性が無い訳ではないが、2、3匹飛ばせば解決する話なので無駄に魔法師を呼んだりする必要性を感じない。


 が、スオウはその形状を工夫する事で飛行距離を格段に伸ばした。

 魔法の無い世界で70m近くも飛ばす事が出来る紙飛行機は魔法の力も加わって相当な距離を飛べる事がが確認出来た。

 勿論雨に弱かったり、鳥と同様に餌と見られて取られたりする可能性が無い訳ではないのだが。


(ま、現状これが一番ベストだしな)


 そう考えたスオウは3通程カリヴァに向かってその紙飛行機を窓から漆黒の闇の中へと飛ばした。


 ○


 ガン、という鈍い音が部屋に響く。それと同時にぴしり、という嫌な音も聞こえた。

 執務机に座っていたカリヴァはその方向へと視線を向けると、僅かに目を開いた後に大きくため息をついて頭を抱えた。


 視線の先にはガラスの窓、この当時高級品でもあったその窓のガラスに物の見事に3つ“紙飛行機”が僅かに突き刺さっていた。


 それが紙飛行機であることなどカリヴァは知る由もなかったが、こんな理不尽で意味不明な事をする者はカリヴァが知る中で一人しかいない。


 パリパリ、という嫌な音を鳴らしながらそれを引き抜くとその変な形状をした物が紙で出来ている事に気がつく。


「スオウ様……、まさか自身の血液を用いてまで紙の強化を行うとは……。何を考えているのやら」


 はぁ、とため息をついたその紙飛行機の羽には血で彩られた強化の魔術刻印が見えた。

 恐らく血を媒体とする事によって紙そのものに対する影響を減らしたのだろうが、やはり所詮は紙、その文字の下はこげた様に焼けてしまっている。

 魔術刻印がその意味をなさなくなった事でふにゃり、と本来の紙質を取り戻す。


 こげている部分、あるいは内容に影響が、とも思ったが大した支障はなかった、開かれた紙飛行機の中に書いてある重要な文章の部分には当たらない箇所だったからである。

 考えてみれば行ったのはスオウ・フォールス。であるならばそんな初歩的なミスをするとは思えない。

 他にも刺さっていた二通を見た所どうやら同じ文面が書かれている、途中で落とされたりした場合を考慮したのだろう。

 互いに決めておいた暗文で書かれたソレをカリヴァは執務机に備え付けられている椅子に座りながら魔法の光で照らされたその机の上で全ての紙飛行機を開く。


「……成る程」


 その文を呼んだ後ふむ、と一つ頷いたカリヴァは顎に手を当て僅か数秒思案した後に部下を呼ぶ。


「お呼びでしょうかカリヴァ様」

「至急メディチ家で雇っている傭兵を呼びなさい、あぁ、グラン・ロイル以外で構いません」

「は……? この時間でしょうか? 流石に皆寝入っているかと思いますが。夜間担当の者でしたら直ぐに呼べますが」

「……夜間担当のヒトはこちらの警備に当てる必要が有りますから、それ以外のヒトを呼んで頂けますか? 臨時手当は出しますと伝えて下さい」


 その言葉に僅かなから動揺した部下の男ではあったが、頭を下げて部屋を出て行く。

 扉が閉まった後にカリヴァは目を瞑って、そして――


「仕方が有りません、か。その後の処理を考えるとオロソルには穏便な交代が望ましかったのですが……」


 物理的に消えてもらうとしましょう。

 そう言ってカリヴァは微笑んだ。


 ○


 グラスの中に注がれる赤いワイン、トクトクと注がれるそれはコレから流れる血の様に見える。

 鮮やかでそれでいて芳醇な香りを醸し出すそのワインは値段に見合っただけの味を飲む者に与える。

 グラスは二つ、そしてそれを飲むのも二人。チン、という音と共にグラスが傾けられる。


 そして一口、口を湿らせるだけに使われたそれはテーブルへと戻され、そして話が再開した。


「予定通り市民には流しておきましたよ。あとはそちらの仕事です」

「ふん、メディチの連中にはバレていないだろうな? 奴ら嗅覚だけは無駄に良いからな」

「おそらくは、ですが多少バレた所で問題は無いのでは? それとあの、なんと言いましたか? パン屋の娘、あちらも話はついたのでしょうね?」

「あぁ、先日言い聞かせてやった、予定通り動くだろうさ」


 ふん、と鼻息荒く言い切る男はクラウシュベルグ領主であるオロソルである。

 恰幅の良い腹を揺らしながら目の前にいる男が持って来た土産であるワインに舌鼓を打ちながら予定通り話が進んでいた事に安堵していた。


「それで? そちらは如何なのだ? 金貨の件もそうだが、加護持ちとの接触は出来たのか?」

「ええ、先ほどクラウシュベルグに入れた間者から報告が入りまして、まぁ、それなりに」


 くすり、と笑みを浮かべて曖昧に答える男。

 30前半程だろうか、深い青の髪にゆったりと着ている細やかな装飾のされた黒のローブに上質な生地。

 手首に付いている銀の宝飾類には魔術刻印がされており、それだけでも相当な金額になりそうな物だ。


 そんな装飾が大量に付いた腕をシャラン、と鳴らしながら腕を組み直した男は話を続ける。


「それよりフォールス家? でしたか、あそこの子供が思ったよりも“やる”ようですが大丈夫ですか?」

「ハッ、所詮子供だろう? グラン・ロイルの介入が早かったから鮮血も手酷く反撃を受けたらしいが当初の予定通り相当の重傷を与えられたのだから問題有るまい」

「ふぅむ、まぁそうですが。そういえばその鮮血とやらはどうしたのですか? 一度会ってみたかったのですが」

「知らんわ、それなりに怪我を負ったとは聞いているが何処で何やっているのか知らん。まぁ、金払いさえしっかりやっていれば大人しくしている奴だそのうち顔を出すだろうよ」


 それに遅くとも明後日には支払いの日だからそれまでには戻るだろうよ、と告げるオロソル。

 それに対して僅かに眉をしかめる男ではあったが、然程大きな問題では無いだろうと考えた。


「では、予定通り襲撃予定は明後日の夜と言う事で」

「あぁ、ついでにメディチの連中を殺してくれれば言う事は無いがな」

「それは無理ですね、彼らの塩の恩恵は大きいですから。金銭の支払いだけでご了承いただければと」

「わかっている、ただの戯れ言よ。それよりそちらも約束を忘れるなよ? 私兵を動かすにもそれなりに金がかかるのだからな」

「ええ、それは勿論。立派な領主として動いて頂きますのでご心配なく」


 そう言って互いにワインを飲み干す。それはこれからクラウシュベルグに流れる血の様に鮮やかで、そして蠱惑に満ちていた。


 ○


 闇に染まる、ゆっくりと、じわじわと、それは浸食していくようにヒトの闇に付け入りつけ込み、そして浸食する。

 甘言でヒトを惑わし、そして底の無い落とし穴へとずるずると引きずり込んでいく。

 それは蠱惑の甘味、蠱惑の幻想。

 けして逃れられぬ誘惑をいかにして断ち切れというのか、良い大人が平気で陥落されてもおかしく無いであろうその甘言にどうして10歳に過ぎぬ子供が抗えるというのか。


 優しき事が、その優しき心が付け入られる隙でもあるのだと、ヒトの世はそうやってヒトの弱みに付け込み利用する物が必ず存在するのだと。

 世界が変わってもそれを理解させられる。


 結局の所ヒトの本質は決して変わらない。

 だがヒトは決してそれだけではないと信じたい、そう信じていたいのだ。


「俺が……、ここに居るからスオウが怪我したってのかよ……」


 ただの一言、溢れた言葉は何の意味をもたらすのか。

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