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月蝕  作者: 檸檬
3章 加護と加護
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虚構の世界に立つ夢幻17

 カナディル連合王国 クラウシュベルグ


 ガリ、と音がする。手に持った木片がもう片方に握られたナイフによって削られた音だ。特にソレに意味はない、何となく手持ち無沙汰であったため、手直に落ちていた木片を拾っていじっていただけに過ぎない。適当にカットされた木片、それを無造作に地面へと放った黒髪の少女、スゥイははぁ、と一つ溜め息を吐いた。


「そろそろルナリア王女に会えたでしょうか」

 

 そう言って手に持っていたナイフを腰に付いているポーチへと仕舞った。スオウはフィーア・ルージュのみを引き連れてカナディル連合王国の首都へと戻った。スゥイやシュバリスはクラウシュベルグで待機、アリイアは別の仕事が有るらしく、スゥイの知る所に居ない。

 憎らしい程に太陽が照りつけるクラウシュベルグ領の一角、街から外れた森の中、魔獣が出る事は無く静穏だけが辺りを包む。定期的にクラウシュベルグから派遣された兵が訓練も兼ねた掃討を行なっているため、クラウシュベルグ近郊とクラウシュベルグの生命線である線路周辺には滅多な事では魔獣が出没する事は無い。


 それが原因で線路界隈に難民が点在するという弊害も起っているのだが、安全上の問題や襲撃の危険性も含め、目下カリヴァ男爵の頭を悩ませている課題だ。


 貧富の差が激しくなって来たクラウシュベルグ、いや、他領土との差と言うべきだろうか。それに加え帝国との緊張状態。間にいくつかの領土を挟んでいるとはいえど、カリヴァ・メディチ・クラウシュベルグはグリュエル辺境伯の派閥に居る。故に、出兵は免れないだろう。政治的な意味合いも含めて。その為クラウシュベルグ領もそれなりに緊張感に包まれていた。


 ――スオウは戦争を避ける方で動いていると言っていた。


 それは単純な戦力差の問題もそうだろう。この大陸で大国と言えば、精霊国ニアル、リメルカ王国、コンフェデルス連盟、カナディル連合王国、そして帝国アールフォードだ。スイル国は帝国によって呑まれ既に無い。小さな小国はいくつかあるが、期待するだけ無駄だろう。当然加護持ちが産まれればあるいは、とも考えられるが、今産まれた所でたかが知れている。大国に引き渡しを告げられるか、攻滅ぼされるか。


 兎に角、その5国ある内でも帝国は抜きん出ている。スオウが言うには国民の知識水準が有る程度の水準を満たしていない状況で一定以上の知識水準を満たしたカリスマ性の高い統率者が率いた場合あり得る話だと言う。特に帝国の場合加護持ちがトップに座っている。そう簡単に王が変わる事は無い。


「ルナリア王女が国王を説得出来るかが鍵となる……。フィーア・ルージュを手に入れた以上襲撃の対価としては妥当と判断するか、しないか」


 けれど、面子は潰されたままだ。それで黙って良いのかどうか。コンフェデルス側の要人も死んでいるのだ、コンフェデルスも黙るわけにはいかないだろう。特に彼らは自分が前面に立つという訳ではない。


 またそもそもが帝国がそれを受け入れない可能性もまた高い。加護持ちを奪われたのだ、そもそもが宣戦布告をするつもりであったのならば退く必要性等無い。スオウは言っていた、帝国は死者こそを求めている、と。勝つか負けるかはどうでも良いのだ、と。一体そうして帝王は何を求めているというのか。


『スゥイ、お前はクラウシュベルグにて待機だ。もし問題があった時はシュバリスとフィリスの指示に従え』

『……危険性が高いという事ですか?』

『客が来る可能性があるという事だ』

『……?』

『コンフェデルス側の加護の子供達、彼らには加護持ちの場所がわかる力があるそうだ。ゴドラウの“話”だと正確ではないらしいがそれを鵜呑みにする訳にもいかない。フィーア・ルージュは連れて行くが、今まで居た場所に来ないとも限らない。始末出来そうなら始末しろ、危険そうなら逃げろ』

『……わかりました』

『アリイアは、まぁ、必要となれば出てくるから心配はいらない』

『……?』


 数日前の記憶、スゥイはクラウシュベルグに居ながらフォールス邸には全く近づいていなかった。それはスオウも同様だ。スオウが、スオウ・フォールスである、という事までバレているかどうかは不明瞭だが、危険を踏む必要は無い。それにあそこはカリヴァ・メディチの私兵が居る。そうそうの事が無ければ襲われる事は無いだろう。


 そう、だから、スゥイは今、餌の仕事をしていたのだ。


「役に立つ? 役に立たない? 守られる存在? 道具が、守られる存在ではいけないでしょう。道具は役に立たなくてはならない、道具は使えなくてはならない。道具は守られる物ではない」


 ク、と嗤った。ピキピキと地面が氷り、空気が冷えて吐く吐息は白く白く美しい。じゃらじゃらと丸められていた一つの帯が地面に付くギリギリの場所まで垂れ下がり、そこに収められている柄が外気に触れた。


 ――客がやって来た。


 すぅ、と目を細め周囲を睨む。2人、いや3人、気配が虚ろで殺気が無い。


「みぃーつけたぁー。もー、おっひさー! 1番目ドッラの暗示が強過ぎぃー、つーか予定と違ってアルフロッドに付いてないしさぁー。なんでなんでクラウシュベルグにいるのょー、ばっかじゃないの、まじばっかじゃないのぉー? これって計画破綻してんじゃーん?」

「少し黙れ2番目ブロントーラ6番目エオーラ周囲の警戒をしておけ、さっさと暗示を解くぞ」

「あいよ、2番目ブロントーラまじうっせぇから少し黙ってろよ!」

「はぁー? なんでなんでなんでぇー? なんで私がアンタの言う事聞かないとイケ無いのぉー? 馬鹿? ばかばかばかでっしょ」

「うるっせぇよ!」

「二人とも黙れ……」


 目の前に現れたのは3人の少年少女だった。スゥイよりやや上くらいだろうか、17、8くらいの男が二人、女が一人。呼ばれていた事から茶髪でボブカットの女性がブロントーラ、それなりに整った顔ではあるが、どこか歪んだその表情は欠損が見受けられる。指揮権を持っていそうな男性がドッラ、目を黒い眼帯で覆いながらも見えているかの様に平然と歩いている。額には魔石らしき物が埋め込まれている時点でまともではない。そしてもう一人の男はエオーラ、体格からして男性だと思われるが、髪は長くポニーテールにして纏めている。軽薄そうな表情は兎も角としてあの両腕は義手だろう。明らかに服の上から見える形状がヒトの腕から剥離している。名前からして女性名の様だがコードネームか何かだろうか。


「私に、何か用かしら?」


 答えが返ってくるとは思っていない問い。同時に体はやや前傾姿勢へとなり、逃げの準備を計った。まずい、と本能が悟っていた。勝てない、と。道具であるから餌となった、道具であるから出来る事をした、けれど道具であるのにも関わらず今逃げようとしている。死ぬ事が怖いのか? 痛みが恐ろしいのか? それともスオウの役に立てなくなるのが嫌なのか。どれも答えではない様な気がした、単なる生存本能だと言うのだろうか、いや、違う、何か根本的に違う。


「迎えに来ただけだ、3番目ピゾーラ。全く、所詮消極的な潜入任務とは言えど対象アルフロッドから離れて別の男に靡いているとはな。必要最低限な記憶以外全て封印したのが失敗だったか。まぁ、そっちはそっちで有用な情報が手に入れられそうなので結果としては良かったが」

「……、……ッ!」


 ドッラと呼ばれていた男の言葉と同時にスゥイは瞬間的に柄に氷を纏わせ放った。狙いは寸分狂い無く、同時にスゥイは疾走する、後ろにだ、逃げる為に疾走した。


「ひゃっほーぅ!」

 

 しかしその氷の剣が対象にぶつかる事は無かった。空気すら焦がしかねない豪炎が可愛げな声と同時にブロントーラの両腕を包み、氷の剣を溶かしたたき落とす。


「いっえーい、何何何何? 殺し合い? いいよいいよいいよぉぉぉぉー! 一回で良いからその済ました顔焼きたかったんだぁー!」


 口が裂ける程にんまりと笑ったブロントーラはボブカットの髪を揺らして一足飛びでスゥイへと迫る。


白雪の妖精ビアンカネーヴェッ!」


 ギィ、と悲鳴の様な音を上げてスゥイの前面に繰り出した氷の盾とブロントーラの炎熱の拳が衝撃を散らす。


「あれぇー? なんで知ってるの? なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで? ドッラぁー、解けてんじゃなぁーい?」

「御心配なく名前だけで、すッ」


 ギ、と盾の角度をずらし、狂気に満ちた笑顔を浮かべるブロントーラの矛先をずらす。


「おろっ」


 ぐらり、と体勢を崩すブロントーラ。同時にスゥイの周囲に氷の飛礫が出現し、そして放たれる。


「のわっち!」


 ジュワ、と慌てた表情を浮かべながらも音を鳴らしながらブロントーラはその飛礫をたたき落とす。


「コンフェデルスの加護持ちの子供達が何の用」

「えぇーひっどぉーい、ピゾーラちゃーぁん、一緒に殺し合った仲じゃないー、一緒に産まれた兄弟をどれだけ殺せるか競い合った仲じゃなぁーい。冷たいなぁー。一杯殺して選ばれたんだよー、そんなに冷たいなら殺しちゃうよ? あ、でも氷のピゾーラなら冷たくてもいいかぁー、きゃははッ」

「――ッ」


 ――記憶操作。


 聡明なスゥイであるからこその思考。一瞬で答えを出した後、直に思考を廻した。

 白雪の妖精ビアンカネーヴェ、同盟の加護持ち、制定の子供達。何故こんな所に居るのかは不明だが、彼ら、彼女らが喋っている事を統合するに恐らく私を迎えに来たという可能性が一つ。記憶操作という魔術は存在している、故に自分が記憶を消され、潜入捜査に使われていたというのも筋としては間違っていない。ハニートラップにせよ本人すらも自覚していないで成立させるのが一番であるのは間違いないからだ。

 このタイミングなのは恐らくフィーア・ルージュがカナディル連合王国の所持する所になった可能性があると言う事、そしてその反応の傍に私が居たから、という事だろうか。


 この間コンマ数秒、一瞬で切り替えて迫る炎熱の拳を避ける。


「ほらほらほらほらほら――ッ! 素体では一番なんだからさぁー! ピゾーラちゃぁーん! あははははははははッ」


 素体、そたいそたい、素体……?


「何の……?」

「あーもうめんどいなぁー、ドッラぁー、さっさと記憶処理してよぉー。話進まなぁーイ」

「……ふぅ、お前が勝手に暴れているだけだろう。まぁ、拘束するには多少痛めつけた方が効率的かもしれんがな。しかしまぁ変われば変わる物だ元々感情など無かったのだがな、珍しい物が見れたので楽しかったよ」

「えぇー、ドッラが楽しいとか気持ち悪いんですけどッ!」

「おーい、ブロントーラ、ピゾーラが逃げるぞ」

「あ、ちょっちまってよぉー!」


 思考がまとまらない、自分が自分でない恐怖、今までのスゥイ・エルメロイという者は何だったというのか、恐怖が身を包む、けれどスゥイは壊れなかった。


 ――だって、私は道具だから。


「――ガッ」


 一瞬の思考、そしてスゥイは地面に叩き付けられていた。何事かと足を見ればそこには奇怪な手の様なもの。ギチギチと機械的な異音を鳴らしスゥイの片足を締め上げた。


「あんまり暴れんなよ、力加減が難しいんだ。無理に動くとぶちっと潰しちまうぜ」


 視界に入って来たのはエオーラと呼ばれていた男だ。服で隠れていた腕は今はあらわになっており、両腕が義手であり、所々魔石が点滅しているのが見える。


「ドッラ、さっさとやれよ」

「えぇー、私もっと遊びたいー、あーそーびーたーいー、まだ顔とか腕とか焼いてないじゃん! つまんないよぉー」

「うるっせぇよ! 帰る途中に適当に攫って来てやるからそれで我慢しろ!」

「ぶぅー、つまんなぁーぃ」


 ぶらぶらと項垂れる様にしてぶぅぶぅと愚痴を呟くブロントーラを他所にドッラと呼ばれていた男が傍に寄ってきた。

 ギチギチと掴まれる足は痛みを訴え、骨が悲鳴をあげていた。


「さて、ではさっさとやりますか。あまり時間をかけるとブロントーラが我慢出来なそうですし。しかし、助かりましたよ。貴方が単独行動するなんてここ最近の動きからして珍しかったので、心境の変化ですかね? やはり人格は記憶が作り上げるものと言うべきでしょうか。以前の貴方からはとてもではないけれど想像できませんからね」

「そう……」


 ギロ、と睨み上げたスゥイの視線にドッラは苦笑を浮かべるだけだ。悪態をつこうにも足の激痛で顔が歪む。

 ドッラの足下に魔方陣が浮かんだ、話の流れからするに記憶を呼び戻す為の物だろう。必死に思考を廻す、逃げる方法を、反撃の手口を、手段を、切っ掛けを、糸口を、けれど現実は残酷で、ドッラの手がスゥイの顔の前へと翳された。


 ○


 ――お母さん。

 ――なんでお母さんは私を叩くの?


 え……?


 小さな子供、小さな子供が一人泣く。


 ――お父さん、なんでお父さんは泣いてるの?

 ――お父さん、私はお父さんの子供じゃないのに、お父さんはなんで守ってくれるの?


 それは……?


「お前が産んだ子供だろう! 巫山戯るな! お前の不始末を子供に押し付けるなッ!」

「いやよ、アレは私の子じゃない、私の子じゃない! お願い捨てないで、私が悪かったから、私が悪かったから!」


 ――お母さん、どうしてお母さんは私を嫌うの?


「大丈夫だお前は何も悪く無い。でも、ごめんな、ごめんな、俺はお前を好きになれないんだ……。お前は悪く無いのに、ごめんな、ごめんな」


 ――素体としては十二分でしょう。吸血種のハーフです、耐久実験にも耐えました。少々壊れましたが許容範囲でしょう。


 痛い、痛いよ、いたいいたいいたいいたい……、痛い?


「お父さん、お母さんが動かなくなっちゃった。だってお母さん、お父さんを殺すって言うんだもん。そしたら私死んじゃうもん」

「……スゥイ、お前」


 ――忌み子だ、母親を殺したぞ。さっさと始末しろ! 危険だ!

 ――だから私は反対だったんだ! なんであんな子を受け入れたんだ! だいたい相手の男は誰なんだ!

 ――父親も父親だ、どうせ母親に対する当てつけだったんだろう? 浮気された相手の子供を大切にして母親に陰湿に当たる。酷いやりようだと思うけどな。まぁ自業自得だけどな。


「実験は終了しました。制定の継承は完了、成功です。素質から命名して氷の二つ名を与えましょう。貴方は今から氷の3番目ピゾーラ。コンフェデルス連盟の為、その身尽き果てるまで尽くしなさい」


 ――父親はどうなった?

 ――足が付くと困りますので折角ですし有効活用として最初の3番目ピゾーラの実験対象にしました。殺してから気が付いた様ですけど、凄い物が見れましたよ。

 ――悪趣味だな、まぁ結果さえだせば文句は無いさ。


「カナディル連合王国に加護持ちが出現しました、1番目ドッラに洗脳させた背後家族関係を構築したのでそこの娘としてアルフロッド・ロイルに近づきなさい。折角ですから以前の名前と同じにさせて上げましょう」


 ……あ?


 紅い、視界が紅い。母の血は美味しかったか? とても、とても暖かくて美味しかったか?

 心の臓を貫いて、それを貪ったではないか。もの言わぬ肉の塊は温もりをくれない、優しさもくれない、けれど叩かない、怒らない、怖く無い、冷たくたって怖く無い。冷たいのは怖く無い。だから、冷たいのが好き。


「お父さん、なんでお父さん、なんで、なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで……、なんで?」


 ――死ね。


「へぇー、アンタが3番目? 私は2番目、ブロントーラ。なんか上の受けがいいらしいじゃーん? というわけで死んでー、ちょー死んで〜、きゃはははははは」


 ――死ね。


「6番目が任務中に死亡、次の代わりを用意しろ。何だ? ピゾーラか、次が来るまた教育係をやれ」


 ――死ね。


 記憶が流入する、記憶が復元する、封印した記憶も、自身で消した記憶も、復元して行く。

 世界は黒く漆黒で、救いは無くて絶望に満ちている、けれどそこには悪魔が居る。座って嗤う悪魔が居る、壇上で踊る道具を愛でて、笑い転げる悪魔が居る。


「あぁ……、私には何も無かった、何も無かった。何も何も、そう世界は、こんなにも醜いんだ」


 ドッラが翳した手の先で、スゥイは涙を流しながら呟いた。

 消して植えて消して植えて、そうだ、私はスオウに言われてここに来た。スオウの命令でここに来た、だって私は道具だから、道具は道具らしく使われる為に存在しているのだから。


 逃げたのはそうじゃなければいいなと思った最後の望みだった、スオウに愛されたかった、スオウを愛していた、道具は愛など無いというのに。


「んぅー? あれ? ドッラー? まだ……?」

「……おかしい、馬鹿な……、制定の、加護の力の一端だぞ……!? ありえないッ、弾かれたッ!」


 消された記憶は復元され、消されたプログラムもまた復元する。ヒトのトラップ、外道の所業。


 ――なぁ、お前は俺のモノだろう?


「massacre automatique./殺戮自動人形キリング・マリオネット


 呟いた言葉は機械の様な羅列を残し、そしてスゥイの腕は目の前に居たドッラの腹を貫き、そして背まで抜けた。


 ○


 さらさらと金の髪が揺れる、一つの邸宅の前に立つ美女、いや美男子が一人。

 ゆらゆらと笑みを浮かべながら歩哨の立つ前を悠々と歩いて行く。


「おい、貴様とまれ、ここはフォールス邸の敷地内だ。これ以上すすかぺッ――」


 パン、と男を止めようとした歩哨の顔が吹き飛んだ。そして忘れたかの様に血が噴水の様に吹き上がり、男は美しく嗤う。


「ひっ、て、敵襲! 敵襲だ――!」


 恐怖からか、それとも自分の仕事を果たさんとした為か、手に持っていた槍をもう一人生き残っていた歩哨がその歩く男へと突き刺した。男は手ぶらだった、ゆったりとした服装ではあったが、少なくとも見える所に武器は無かった。そして案の定突き出した槍はずぶり、と男へと刺さり、――そして何も無かったかの様に男の歩みは止まらなかった。


「な、え、ひぃッ」


 歩くと同時に槍の位置がずれ、ずぶずぶと槍が腹から突き出てそしてぶちぶちと肉を挽きちぎり、そして背へと抜け男は歩哨の目の前に立った。


「な、ひぃっ、なんだよ、どうなってんだ、痛く無いのか!?」

「なぁ、アンタ、クラウシュラ・キシュテインは知らないか?」

「へっ、ひっ、し、知らない。だ、だれだぺッ――」


 パン、と今度は心の臓に穴があいた。魔素を込めたただのパンチだ。それが肋骨をへし折り、肉を食破り、背へと突き出た。

 答えを知らなかった相手にはもはや興味は無いと男は足を進める。そして数歩歩いた後自分の腹に刺さっていた槍を思い出したかの様に抜いた。数秒、そこには傷すら無かった。当然服にも穴など開いていなかった。


 ちらり、と見たら大勢の兵士に囲まれていた。にぃ、と男は嗤う。


「やぁやぁ諸君、聞いてくれたまえ、私の名前はヴェルトライ。引きこもりのヴェルトライとでも呼んでくれて構わないよ。いやはや1000年暇で暇でしょうがなくてね、ちぃーっとばかし出て来た次第さ。とはいえ時間はあんまりなくってね。僕が居ないと龍の食事も生活も立ち行かなくなるもんでさ。再生した片っ端から食うんだからやってられないよね。まぁーそれが仕事だから仕方が無いけど、そんな仕事を勝手に押し付けた綺麗なおねーさんに会いに来たんだ。今居るかな?」


 返事は矢尻だった。魔術だった。顔面に突き刺さる矢尻、焼けただれる皮膚に骨、腕は千切れ飛び、顔は半分が弾け、足は氷って胴には穴が開いた。そして片足が無くなりバランスが崩れそうになった瞬間、一瞬で“何も無かったかの様に”全てを再生していた。


「あっははは、おー、がんばれがんばれ、俺は今からゆっくり歩く、ゆっくり歩いて一人ずつ殴る。顔がパァーンと弾けて飛ぶけれど、逃げたいなら逃げても良い。クラウシュラ・キシュテインを出してくれればそれで良い」


 にぃ、とヴェルトライは嗤った。またしても返事は矢尻と魔術だった。戦場さながらのその中でヴェルトライは鼻歌を謳いながら悠々と歩く。たまに顔が焼けたり弾けて音が飛ぶが、それでも笑みは変わらない。そして一番先頭に居た兵士の前に来た所で恐怖の目で見る顔を殴った。


 パン、と弾ける音。膨大な魔素を込めた身体強化による結果だ。それなりに高価な防具すら紙くずのように引裂いて殺し尽くす。


「ぐっ、クラウシュラ・キシュテインなど居ない! 早々に立ち去れ!」


 指揮官だろうか、一際贅沢そうな鎧に身を包んだ男が声だかに叫んだ。その言葉にヴェルトライは目を見開き、しまった、と言った顔をしてがりがりと頭を掻いた。


「あぁー、そうか、クラウシュラ・キシュテインじゃ通じないのか」


 うんうん、とヴェルトライは悩む。そして、あぁ、とひらめいたかの様に声を出した。


「思い出した、スオウ。だ、スオウ君はいるかなー? たぶんあってる筈なんだけど、数人の体に聞いたから嘘じゃないだろうし」


 びり、と緊張が走ったのをヴェルトライは感じた。要するに当たりであるという事だ。

 にぃ、と再度口角を吊り上げたヴェルトライはさらに歩みを早めた。まるで豪雨の様に降り掛かる魔術も矢尻もまるで何も無いかの様に歩いてくる。一歩、そして一歩近づく度に兵士の顔に浮かんだのは恐怖だ、いくら訓練して屈強な兵士として育て上げられたとしても殺しても殺しても殺せない相手が来たとすれば恐れたとて誰が責められるというのか。


 ヴェルトライは正門へと歩いて行った、当然そこに居た兵は殴り殺して。2階級の立場は伊達では無い。

 そして鍵のかかった正門を殴り壊したヴェルトライはロビーへと侵入した。


 そこには一人の女性が立っていた。


「サラ様、お逃げください!」


 サラ・フォールス。スオウの母親だ。裏側から正門を抑えていたのだろう、ヴェルトライの一撃で弾き飛ばされた為苦悶の表情を浮かべているが、それでも仕える者の勤めだとでも言うかの様にふらふらと立ち上がりサラの前に立つ。


「サラ? サラサラ……、あぁーサラ・フォールスさんね。大丈夫そのヒトには手を出さないよ」


 決死の覚悟で前に立った兵士にヴェルトライは気の抜けた返事を返した。

 肩を竦めて告げた言葉は信用の置けるものではない、今まで数十人と兵を殺して来てそのような戯れ言を信じる方がどうかしている。


「……どういうご用件でしょうか」


 毅然とした態度で告げたのはサラだ。その態度に機嫌を良くしたかヴェルトライは僅かに笑みを浮かべ返事を返した。


「くくっ、まぁ、スオウって子供がここに居るでしょう? 会いに来たんですよ」

「今ここには居ません。お引き取りください」


 ふぅん、とヴェルトライは呟いた。


「本当に?」

「本当です」

「ふぅん……」


 沈黙が辺りを包んだ。屋敷の外に居た兵士も屋敷内に入れる者は入り、ロビーの正面、別れる様に流れている階段の上からはぞろぞろと大仰な鎧に身を包んだ兵士がサラの傍に立つ。


「おいお前! さっさと出て行けよ! 兄さんはここには居無い!」


 場を動かしたのは一人の子供だった。ロイド・フォールス、スオウの弟だ。


「ロイドッ! 部屋に居なさいと言ったでしょう!」

「嫌だ! どうせまた兄さんのせいなんだろう! 俺達に迷惑をかけるなよッ! 兄さんなら今この屋敷には居ない、さっさと出てけよッ!」


 癇癪とも取れるその言葉にヴェルトライは嗤った。それは同情するかの様な笑いだ。


「く、ははっ、まぁ、確かになぁ。酷いよなぁ、クラウシュラはそういう奴だからな、仕方が無い。同情するよ、だから心配しなくてもアンタらに危害は加えないさ、邪魔するなら別だけどな」

「……スオウに何するつもりですかッ」

「母親としての挟持ですか? ふ、ふふふっ、酷いなぁ、やっぱりクラウシュラは酷い、酷い女だ。流石は記憶のクラウシュラ」


 くつくつとヴェルトライは肩で嗤った。


「そうですね、折角ですし同じ被害者同士良い事を教えてあげましょう。お宅の息子、スオウ・フォールスは加護持ち、13階級クラウシュラの所持者ですよ」

「……何の冗談を」


 サラは怪訝な表情を浮かべて目の前に立つ美男子、ヴェルトライを睨んだ。加護持ちを知らない訳ではない、けれど加護持ちはどう産まれてくるのかを知っている。加護持ちを産んだ親は必ず死ぬ。けれど自分は生きている、それこそがスオウが加護持ちではないという証左では無いのか?


 だが、ヴェルトライは首を振ってそれを否定した。


「クラウシュラは記憶を操る。サラさん、貴方は本当に自分のお腹を痛めてあの子を産んだのでしょうかねぇ……? 本当は産まれていた子供はどこかで捨てられていて、そう、すり替えられたかもしれない。貴方が他人の子供だと認識したか、それとも自分の子供の特徴を消されたか……、さてはて、記憶に間違いは無いですか?」

「……そんな筈は」

「かわいそうにサラ・フォールス。自分の子供は破棄されて、自分の子供でもない相手を愛させられ、そしてそれに気が付かれない様に洗脳されて生きている。おかしいと思った事は無いですか? 父親と母親、似ている所は有りますか? あぁ、もしかしたら父親が一緒かもしれませんねぇ。元ダールトン・フォールスの護衛でしたか? それが切っ掛けで結婚したそうですが、それなりの商家であったフォールス家の子が護衛と結婚しますかねぇ……? 元々居た許嫁の場所に貴方が居座ったんじゃないですか? 周囲の記憶をねじ曲げて、あるいは貴方も恋心程度は抱いていたのかもしれませんね、そこにつけ込まれたかな。なんにせよ、加護持ちであるとなれば貴方は母親ではないと言う事だ。これは情調」

「……黙りなさいッ!」


 僅かな沈黙の後、サラは叫んだ。ヴェルトライは肩を竦めて返しただけだ。


「しかし困ったな、今居ないとなると当てが外れた。また暫くペットの世話をしなければならないから出て来れない。しかたがない、伝言をお願い出来ますか?」


 答えは無い、誰もが殺気立った顔でヴェルトライを睨む。当然だろう、当主の妻を侮辱し、その子を侮辱し、兵士を殺し同僚を殺し、そして悠々と嗤っている相手に殺気立たない方がおかしい。ヴェルトライもそれを理解しているのだろう、返事が無い事を理解した上で告げた。


「また来ます、と」


 答えは爆炎と氷槍、特に抵抗する事なく吹き飛ばされたヴェルトライは屋敷の外へと弾き飛ばされ、そして空中で再生を完了させた後くるり、と回転して地面へと着地。優雅に一礼をした後その場を後にした。


「かあ、さん……?」


 ぽつりと呟いたロイドの声、サラは答える事が出来なかった。

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