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月蝕  作者: 檸檬
3章 加護と加護
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虚構の世界に立つ夢幻15

 重厚な扉、少しだけ開ける事が出来る小窓は顔の半分も映す事は無い。

 聞こえるのは声だけ、変わらぬ姉の声だけ。

 

 刻印技術が利用され、流失した可能性があるとしてルナリア王女は現在封印の間に軟禁されていた。

 その部屋は外からの外的魔術干渉を断絶し、ルナリアが万が一にも“殺される事”を防ぐ為であった。


 ――そう、リリスは説明を受けていた。


「姉上……、申し訳ありません、直に、直に犯人を捕らえ、いえ、絶対に殺しッ、ます、のでッ……」


 扉の前で頭を足れ、告げるリリスの顔は苦渋が浮かんでいた。

 魔素の消耗、加護持ちとして生きて来て初めてとも思える様な怪我を負っていたにもかかわらず、それを押してリリスは会いに来ていた。


 カナディル連合王国の秘奥とも言える呪刻印の技術が他者に直ぐに流用出来るとは思っても居ない、だがしかしリリスは目の前で見たのだ、フィーア・ルージュがその場でまるで洗脳されたかの様に従順になった事を、秀逸を通り越し、寒気すら覚える様な魔術技術を。


 まるで感情の無い人形の様に動いていたフィーア・ルージュが生殺与奪を奪われた程度で従順になった事に不信感は覚えても今のリリスにとっては重要視する点ではなかった。姉が、軟禁されている、という事実のみがリリスにとって許せるべき事ではなかった。


 だが、この部屋に居なければ姉上に何をされるか解らないのだ、王族の命が人質となっている、その事実にリリスは下唇を噛み締め耐えていた。

 “室内”から開ける事が出来る小窓、そこからリリスは中を“見ていない”。それはルナリアの配慮であったのか、それとも別の思惑があったのかは不明だが、リリスは“それなり”の部屋だとは思っていた。どちらにせよ現状が許せる物であるという訳ではないのだが。


『別に気にしなくていいわよリリス。私は大丈夫だから、犯人も別に捕らえなくていいわ』

「え……?」


 返って来た答えは気の抜ける様な言葉であった。

 思わず抜けた様な声が口から漏れる、扉の両端に立つ近衛兵は変わらず不動の立場を崩さないが、よく見れば僅かながら驚きの色が出ていた。


「あ、姉上? どう言う事ですかッ、姉上を、姉上をこの様な場所へ閉じ込める事となった原因ですッ! わ、私が至らなかったのなら謝ります、次こそ、次こそ必ず!」

『ふ、ふふっ……、いいのよリリス、大丈夫、それより貴方はグリュエル領へと行かなくてはならないのではなくて?』

「そ、それは……」


 帝国への威圧行為、開戦の可能性があるとして当然ながら国家として最大戦力を確保するのは当然の事だ。

 フィーア・ルージュの事が有る為両方前線に送り出すなど愚かな真似はする筈も無いが、あちらが加護持ちを出して来た場合、対抗する者が必要なのだ。アルフロッド・ロイルでは不安が残る、リリス王女であれば有る程度手綱も握れるという事だ。


 ウィリアムスであればそれは無かったかもしれない、だがアドルフは行なう。

 彼は、加護持ちは兵器であり、ヒトでは無いと考えているからだ。ウィリアムスがトップの座に座っていられたのはゴドラウの口利きもあった。だがしかしそれは今無くなり、責任追及という名の下、簡単な政治的な立ち位置の問題で追いやられたのだ。


 この状態で戦場になどいけるものか……。ぎゅぅ、と握りしめた手、何も成せなかった自分が憎い。

 ギリ、と奥歯がなった所でルナリアがリリスに問うた。


『リリス』

「は、はい姉上」

『貴方は私の味方よね?』

「と、当然です。姉上の為なら何でも!」

『そう、じゃあ死んで』

「……え?」

『ふ、ふふふっ、冗談よ冗談』


 ぞくり、とした声。リリスはそれを聞かなかった事にした、いや、認識出来なかった。故に気のせいだと思う事にした。


「そ、そうですか姉上……」

『あまり無理をしない様にね、頑張りなさい』

「は、はい」


 がばり、と顔を上げ笑みを浮かべたリリス。やや後ろ髪を引かれる思いはあったが、それでも時間は待ってはくれない。

 何度も何度もその扉を振り返りながらリリスはその場を立ち去った。


 ――そして


 ずるずると扉に背を預け、リリスが去って行った事を感じたルナリアは笑っていた。


「ふ、ふふふふふ……、駄目よ、まだ駄目、リリスには一杯殺してもらわなきゃ、皆皆、あの男も、この城も、あの連中も、この、国すらも」


 軟禁、いや監禁されてから2週間もの日が経っていた。

 食事は運ばれるが、それだけ。ただそれだけ、湯浴みすら出来ず、せめてもの情けか、体を拭うお湯と布が渡されるだけ。一応手伝いの侍女を寄越してはくれるが、王族の処遇ではない。現に来ている侍女も初日はあまりの酷さに絶句し、わなわなと口を震わせていた。だがそれでも所詮侍女に過ぎず、国王の命令に背ける訳でもない。ルナリアから視線を逸らし、ただ黙々と自分の仕事を果たしていった。

 自分で付けた傷は極力隠した、それがせめてもの抵抗かどうかはわからない。


 美しかった髪はやや翳りが見え、いつも結っていた髪は乱暴に解いたのだろう、地面には千切れた髪の毛が落ちていた。

 寝ているのか寝ていないのか、うっすらとかけていた化粧が剥がれた顔には隈が見え、ガチガチと爪を噛みながら、虚ろな瞳で呟く。

 自身で傷つけた片腕から流れた血は既に乾き、洗い落とされてはいたが、その傷跡が無くなる訳ではない。醜悪な傷と醜い刻印それでもルナリアはまだ美しく、そして儚気であった。


 ○


 金の髪が舞う、周囲を威圧するかの様に歩くリリスは握りしめた拳と怒りに染まった顔を隠そうともせず王城の中を闊歩する。脅威の力を持つ加護持ちがそのような精神状態であれば誰もが近づこうとすら思わない。場内に勤めている侍女などは姿を見かけただけで小さな悲鳴をあげ、場内を守る兵士は触らぬ神に祟りなしと目を合わせようともしない。


 リリスは父親、国王陛下には既に願い出た、しかし返って来た答えは否の一言。たしかにあの場所に居れば安全である事は間違いない。

 つまりは、早急に犯人を捕らえれば済む話だ。だがリリスの任務は帝国との開戦になった場合の保険であった。


 当然フィーア・ルージュの件を含め、国内が不安な状況、首都に加護持ちを置かない事に反対した貴族は多かった。身の安全を守れないという事で。残念ながら最初にそれを発言した者は、帝国との国境に進軍した軍編成の最前線に配置され、次に述べた貴族はその隣に配置され、そして誰もが黙った。


「加護持ちの傍に居たいのだろう、ならば叶えさせてやるが良い」


 陛下のその言葉が止めだった。

 そこにはリリスとルナリアが結託し、何事かを起こさない様にとルナリアとリリスを引き離す意味合いもあった。


「リリス王女様、その様な顔では皆が怖がります。もう少し穏やかにして頂けませんと」


 怒りの形相のリリスに声をかけたのはアドルフ・アルヒハイマンだ。先のルナリアとの会話も“しっかり”と報告を受けていた彼は温和な笑みを浮かべリリスへと近づいた。


「犯人の捜索はこちらで引き続き行なっておりますのでご安心ください。ルナリア様はあの部屋に居る限り安全でございます。それよりも帝国との開戦の方が問題でございますので、お願い致します。犯人が捕まっても国が無くなってしまっていれば姫様も悲しみますでしょう」

「……わかっている!」

 

 むしろ泣いて喜ぶかもしれないが、生憎とそれは二人とも知る事は無い。

 

 どいつもこいつも勝手な事を、それがリリスの内心であった。

 今直ぐにでも状況を打破するべく犯人を探しに行きたい。けれど立場と、そして状況がそれを許さない。


「……ッ」


 加護持ちであれど無力な事は無力なのだ、変えられない物は変えられないのだ。


「出立は明後日を予定しております。なに、ご心配なさらずとも威圧行為も含めた牽制に過ぎません、実際に開戦になる事はゼロとは言いませんが限りなく低いでしょう」


 そう嘯くアドルフにリリスは睨んだだけで返事を返す事は無かった。

 この場にルナリアが居れば鼻で笑った事だろう、一方的に暗殺とも取れる様な宣戦布告行為をされておきながら血を見ないで事が収まるとは思えない。だが連合王国とて開戦を望んでいる訳ではないのだ、落とし所としては多額の賠償金か、あるいは領土の譲渡、後は占領した後のスイル国の領土一部の引き渡し、程度であろうか。幸運にも王族に犠牲者はおらず、加護持ちも死者は居なかった。妥当な所であろう。


 それを向こうが飲むかどうかという話になると正直難しいとは思うのだが。


 そこまでリリスは思い至る事は無い。王族として育てられたとはいえど、あくまで加護持ちの王族として育てられただけだ。政治的な才覚はそこまで持っていない。


「私が居ない間、姉上は誰が守るのだ?」


 リリスにとって譲れない事の一つだ。フィーア・ルージュによって危機を感じさせられた彼女にとってそれは一番重要な事だ。

 しかし、その返答は彼女が満足出来る者ではなかった。


「御心配なく、精鋭で周囲を守らせて頂きますので」

「その精鋭があっさりと蹴散らされただろうッ! それのどこが安全なのだ!」

「状況が状況でしたので、あの様な真似が出来る者が何人も居るとは限りません」

「一人でも居れば十分だ!」


 怒鳴る様な声にアドルフは軽く頭を振って諭す様にリリスへ告げる。


「姫様、ここは首都です。王城です、この状況下でここまで潜入し、防衛網を破り、精鋭が守るルナリア王女様に危害を与えられる事などありえません。先日は姫様の独断によって傭兵に守護を任せておりましたし、近衞部隊も離れていました。ですがそれでも実際ルナリア王女様に怪我は無かったではないですか。さらに今はその時の状況よりも遥かにマシで御座います、命令系統もしっかりとしておりますのでご心配なされぬ様」


 そう言いながらアドルフは内心でため息を付いていた。

 目の前の少女はいまだ14歳の子供に過ぎないのだ。癇癪を起こす子供相手にあやしているだけ、それがアドルフの認識であった。


「(やはり兵器に感情など不要だ。コンフェデルスのやり方で最初から行なっておくべきであった。ゴドラウ師長が居なくなってしまったのが痛いな……。代わりを早急に用意し、リリス王女に刻印を打つ事を最優先する必要が有る。しかし、流出の可能性も有る、“殺されては”元も子もない。そこからまず始末せねばならぬか、面倒な。洗脳されていた可能性がある近衛の連中も宮廷魔術師の連中も大半は今は使えない状況だ、どこの誰か知らんが本当に面倒な事をしてくれた)」


 事実、洗脳されていた可能性の高い宮廷魔術師は陛下への報告の際も周囲から見えない場所で矢尻が命を狙っていた。不穏な動きをすれば即殺せる様に、と。幸運にもそのような事が無く終わったが、それでも懸念が消える訳ではない。

 余計な手間を増やしてくれたどこぞの襲撃者に対して怨嗟の念を送るアドルフ。不満げな表情を隠そうともしないリリスに対し笑みを浮かべながら、目は冷たい色を宿し、返事を待った。


「……ッ、アルフロッドは何処にいる」


 苦渋の決断、絞り出すかの様に告げられた言葉に、アドルフは僅かに片眉を顰めた。


「アルフロッド、アルフロッド・ロイルだ! あの男に頼るのは反吐が出るが、あの男を姉上の守護として付ければ多少は役に立つであろう!」


 その言葉にアドルフは今度こそ明確に眉を顰めた。


「姫様、アルフロッド・ロイルは現在学院に待機中です」

「……ッ、何故だ!」

「襲撃を受けた学院に対しての保険でございます。貴族の子息が通われている学院に再度襲撃があった場合、危険だからです。一部の者は“やむを得ず”実家へと帰省させましたが、学院も面子が御座います故。あの学院は飽く迄も国と対等である必要が有るのですよ」

「何だと……?」

「以前一度襲撃があった際、その原因となったのは貴族の子息でした。故に学院は貴族に対して強固な姿勢を取る事が出来る様になった、ですが、だからといって潜入を学生一人程度の動きで許す時点で学院の警備体制に問題が有るという事でもあるのです。にもかかわらず、今回また襲撃を許しました。救いであったのは学院から離れた場所であった事、学院の監視下ではなかった事、そして警備責任者が姫様とセレスタン辺境伯であったこと、でしょうか? しかし、リリス様はご存じないかもしれませんが、同時刻に学院で死亡者が出ているのですよ」

「馬鹿な……、聞いていないぞそんな事は!」


 言う必要がなかったからですよ、と内心でアドルフは呟いて言葉を続ける。


「これもまた帝国の仕業なのかは“不明”ですが、2度に渡る失態は今度は学院に対しての非難の原因となりました。その為誰もが生徒を帰省させようとしたのですよ。ですがそれは非常に困る。守る者は一部に固まってくれていた方が大変助かる。あちらこちらに移動中何か有ってもどうしようもないのです。ですから、目に見えてわかり易い守護者として加護持ちを学院に置く必要が有ります。おわかり頂けましたか?」

「……ッ」

「また同様に学院側としても“必要以上”に権力が落ちるのは避けたいのです、こちらとしても馬鹿な親が口出しして実力不足の使い物にならないゴミを宮殿に送られても非常に困る。故に、国として、学院に対して配慮するという意味合いも含め、アルフロッド・ロイルを自己保身の塊だらけの連中の為だけにこちらに置く、という事も出来ないのですよ」


 そう言ってアドルフは、にっこりと微笑んだ。途中から歯に衣を着せぬ発言であったがむしろリリスはそちらのほうがわかり易かった。

 忌々し気に顔を歪めたリリスはぎゅぅ、と目を瞑り、耐えた。


「ッ……わかった」


 絞り出す様に告げたその言葉。俯く様に告げたリリスはアドルフの顔を見る事は無かった。その暗く、淀んだ様な“ヒト”を見る目では無いソレを。

 納得は行かないが、理解した、という表情を浮かべたリリスはアドルフの前から立ち去って行った。

 先ほどまでの憤怒の顔は鳴りを潜めたが、それでも不機嫌そうな表情と雰囲気は変わらない。


 その後ろ姿にアドルフは忌々し気な視線を送った後、自身の政務へと戻る為、踵を返した。


 ○


 カナディル連合王国 ストムブリート魔術学院


「アル君!」


 パタパタと音を鳴らし駆け寄って来た青髪の翼人の少女にアルフロッドは目を細めた。

 フィーア・ルージュから受けた傷は未だ完治していなかったが、それでも普通の生活を送れる程度には回復していた。


「もう、勝手に出歩いちゃ駄目だって言われてたじゃない」


 腰に手を当て、ぷりぷりと怒る少女、ライラにアルフロッドは苦笑を浮かべた。

 治癒に専念する為に与えられた部屋で寝ている筈だったアルフロッドだったが、ライラがその部屋を訪ねた時はもぬけの殻であったのだ。

 主治医の小言が待っているだろうにも関わらず抜け出したアルフロッドに先に小言の一つでも言いたくなる気持ちは解らないでも無かった。


「すまんすまん、けどあんまり動かないでいると腐っちまいそうでな」


 ガリガリと頭を掻きながら笑う。

 

 アルフロッドは今、学院に襲撃があった場合の保険として滞在していた。簡単な事情聴取は当然受けたが、リリスの様に首都まで呼ばれ、細かく聞かれる事は無かった。学院へ派遣された一個部隊の隊長に簡易的な命令系統とさわり程度のフィーア・ルージュの戦力を聞かれる事はあったが、その程度だ。もっと根掘り葉掘り聞かれると思っていた為、むしろ肩すかしを食らった様な形であった。


「皆は?」


 皆、カーヴァイン、ロッテ、シュシュの事だ。更に言うなら無意識では有るが、スオウとスゥイの事も含んでいる。


「皆アル君探してると思うよ。一応1時間程で一度部屋に集合する様に言ってたから取り敢えず戻ろ? きちんと皆に謝るんだよ?」

「あいよ、悪かったよ」


 含まれていた事までは気が付かなかったライラではあったが、取り敢えずは求めていた答えが返って来た事にアルフロッドは頷いた。

 

 “現在”ストムブリート魔術学院にてスオウとスゥイは確認出来なかった。それは居る事が確認出来なかったという事だ。

 襲撃者を間近で見ていたアルフロッドは、それが誰であるかほぼ確信に近い思いを抱いていた。

 付き合いは幼少の頃からだ、声は違った。けれど声なんか風系統の魔術でいくらでも変えられる。術式のレベルは高いが、スオウの事だ出来ても可笑しくは無い。それ以上に背丈、仕草、雰囲気、様相、何もかもがそうであるとアルフロッドの勘に訴えていた。


 失った血が多かった為だろう。フィーア・ルージュが退いた後に気を失ってしまったのがアルフロッドの最大の失点とも言えた。

 それでも数時間後に目を覚ましたのは流石は加護持ちと言うべきだろう。それからは周囲を覆う国の部隊、騒然とする現場の中、気が付いたら学院に押込められていた。


 別にそれに不満があった訳ではない。ライラ達が心配だったのもまた事実だったからだ。


 傷だらけの状態で包帯を巻かれ、涙目のライラとあった時最初に問うたのはスオウの居場所だった。

 けれど、それは誰も知らなかった。


 疑念は強まった、ほぼ確信に至ったとも言えた。だが――


「学院で殺人が起きたって……、大きな騒ぎになったし、別の場所に逃げた可能性も有るし……」


 むしろスオウの場合、逃げる事をしたかも怪しいし、と続けたそうにしていたライラの目。

 どちらにせよそれはスオウを確認出来なかった理由としては十分ではあった。

 けれど、疑念が消える訳ではない。

 けれど、確信の気持ちが揺らいだ理由にはなった。


 だから、アルフロッドはソレを誰かに言うのをやめた。

 それは結果としてスオウにとっては助かった。面倒事が増えなかったという意味で。

 そしてアルフロッドにとっても助かった。聴取の時間が増えなかったという意味で。

 スオウはきちんと種を巻いていた。しっかりと、抜け目無く。


 数日後、教師がしっかりと証言をしたからだ。スオウ・フォールスとスゥイ・エルメロイが避難していたのを確認し、その場に居た事を証言したのだ。それも数名。これを聞いたのがニールロッドであったならば……、これを聞いたのがルナリアであったのならば、それは話が違ったのかもしれない。だが、それを聞いたのは首都から来た部隊であり、所詮は商人の息子とコンフェデルスからの留学者。成績優秀者ではあれど、“その程度”の認識でしか過ぎず、話は終わった。


 アルフロッドに痼りを残して。


「(如何考えても可笑しいだろ……、教師が数名確認したつっても、生徒で見た奴はいねぇって話だし……。そりゃ避難場所によっちゃそういう事もあるかもしれねぇけど、態々人目につきにくい場所に避難するって何だよ。可笑しいだろ)」


 アルフロッドは自然と眉が寄って行った。

 

「(仮にスオウがあの加護持ちを持って行ったとして……、宮廷魔術師と組んでたのか? けど、あいつらそんな感じじゃなかったし、むしろ利用されていた様な感じだ。だいたいあの野郎、あいつらを殺す気だった、俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんだよ……ッ、くそッ)」


 だが事実としてスオウが学院に居た事は教師が証言している。そして彼らは金で動く様な感じではなかった。


「(スオウじゃねぇのか……? ねぇんなら……、ッ)」


 それは願望でもあった。宮廷魔術師を犠牲にリリスの一撃を耐えようとしたやり方はアルフロッドにとってとてもではないが認められるものではなかった。アルフロッドが間に合わなければあそこに居た彼らは間違いなく死んでいたし、リリスも心に深い傷を負っていただろう。それを平然と行なった行為をアルフロッドが許せる筈も無い。


「アル君?」


 守る事を心の拠り所にするアルフロッドにとって、誰かが死んでしまったという結果は許せるものではない。

 守りたいものだけ守るスオウの考え方と相容れないのはそう言う観点からだ。

 スオウは守らないものはどうでもいい、という考えだから。


「アル君? アル君ー?」


 フィーア・ルージュがスオウに従う、それはアルフロッドにとって警戒するに十分な事実だ。

 親友である事に対する恩、今までの恩、何よりアルフロッドはスオウを嫌いになれなかった。そしていざとなれば自分であれば抑えきれるという自信もあった。けれど、フィーア・ルージュがスオウの下に付いた場合、もはや止める事が出来ないのではないかという恐怖がアルフロッドを襲っていた。


 守れなくなる、と。自分の目の前で誰かが死ぬ事はもう嫌なのだと、そしてそれにはスオウも含まれていた。


「ていッ!」

「んぐッ」


 遠慮のない一撃、ずびし、と皺の寄っていたアルフロッドの眉間にライラの指先が突き刺さった。

 不満げな視線を向けるアルフロッドであったが、それにライラはしょうがないな、とばかりに笑みを浮かべ、


「悩んでいたって始まらないよ、今ここで答えが出る訳じゃないんだから」

「そりゃぁ、そうだけど、な」

「きっと私たちの知らない所で色んなことが起ってる。色んなヒトの思惑が絡み合っている。スオウ君が言っていた様に私たちは結局は子供で、結局は出来る事なんか限られてる。でも、アル君はそれでも私を守ってくれた、リリス王女様だって守れた」

「……犠牲は沢山出たさ」

「アル君が居なかったらもっと出ていたよ。もしかしたら取り返しのつかない事になっていたかもしれない、だから、アル君はちゃんと守れたんだよ」

「……だと、いいけどな」


 ぽん、とライラの頭に手を置いてアルフロッドは苦笑を浮かべた。

 結局自分に出来る事なんてたかが知れている。スオウを問いつめてどうする? アイツに口で勝てるのか? 証拠は? 理由は? 結局の所堂々巡りへと落ち入るだけの話だった。


「今のアル君の仕事は学院を守る事、でしょ?」


 頭の上に乗せられた手をやんわりと退けて告げたライラにアルフロッドは頷いた。

 それが納得いかない事だったとしても、放り出して良い事ではない。


「大丈夫、ちゃんと私たちも協力するよ?」

「そいつぁ心強いな。頼りにしてる」

「ふふっ、任せといて!」

「んじゃぁ、皆と合流するか、教師から来てくれとも言われてたんだよな」

「アル君が居ればみんな安心するから、しょうがないよね」


 アルフロッド、では無く、加護持ちが居る。それだけで安心感は違うだろう。その意味を理解してアルフロッドは再度苦笑を浮かべた。


「仕方が無い、か……」


 利用される事、それは別に今に始まった事ではないのだから。

 そしてそれが誰かのためになるのであれば、きっと間違った事ではないのだから。


 ――けれど、


「(あの刻印、あの言葉、あれは俺に刻まれるものだったんじゃないか……? そうすれば俺もあのフィーア・ルージュみたいになっていたのか? ……ッ)」


 頭を振る、そして前を歩くライラを見た。不思議そうな顔で見上げる彼女の顔を見て、再度くしゃり、とライラの頭を撫でた。


 ○


 ぼんやりと意識が霞がかった様な感覚が続いていた。

 寝て、起きて、食事をして、排泄をして、そして寝て、起きての繰り返し。何をする訳でもなく、何をしなければならない訳でもなく、ただ機械の様に毎日を繰り返す。

 

 毎日体を清潔にしてくれる侍女は何も喋らず。

 扉の前に居るであろう近衛兵は沈黙を貫き。

 ここへ閉じ込めた父は一度足りとて姿を見せる事は無い。


 ルナリアが自我を保てているのは憤怒だ。憎しみだ、ただそれだけでルナリアは保っていた。


 四歳。幼き頃、それがどう言う意味を持つ事なのかすらわからず吠えた言葉は自分の体に刻み込まれた呪いとなって返って来た。

 死に怯える毎日、恐怖に怯える毎日、けれどそんな感情すら、思いすら、考えすら全て作られたものだったとしたら?

 布団に包まり、一人耐えていた時、外であざ笑っていたのだとしたら?

 

 哀れな操り人形だ、と。都合の言い跡継ぎである、と。


 滑稽だ。


 父に食べてもらえぬ料理を作る母、父が来るのを毎日の様に待っていた母。

 死に目にすら来てもらえなかった母。滑稽だと思った母、けれど、私もまた滑稽な道化に過ぎなかったのだ。


 母も母ならば、子も子だと言う事か。


 全てが嘘だ、全てが仮初めだ。自分のこの喜びも、悲しみも、怒りも全て全て嘘に過ぎなかった。

 

 体を覆う刻印が悍ましい。吐き気すら感じる。現に、最初の数日はろくに食事も喉を通らなかった。

 それでも歯を食いしばって食べ、そして生きているのはただただ復讐の為だ。全てを呪わんばかりの怒りの為だ。


 ギチギチと噛んだ爪は最早殆どが噛みちぎられており、ぼそぼそとした爪は酷い有様だった。

 毎日の様に侍女が綺麗に整えてくれるが、ルナリアはまるで人形の様な冷たい感情のこもらぬ目でそれを見ていた。


 リリスが出立してから2週間。監禁されてから一ヶ月もはや、ルナリアは限界に近かった。


 ちらり、と見上げた小窓からは薄い明かりが差し込んで来ていた。

 月の明かりだろうか。半地下にあるこの部屋は直接日の光も月の明かりも差し込む事は無いが、明かりがまったく無い訳ではない。上部に開けられた細いスリット状の隙間から明かりは確りと入ってくる。何より魔石によって部屋の中は明るいのだ。


 ぱらぱらと腕から何かが落ちた、初日に抉った自分の腕に付いていた瘡蓋であった。

 自分の意志とは裏腹に、傷は治り、そしてその瘡蓋が取れたあとには変わらぬ刻印がそこにあった。


「ははっ……」


 乾いた笑いを浮かべたルナリアはいっその事腕ごと切り落としてやろうか、と思った所で扉がコン、と鳴らされた。

 食事の時間ではない、侍女が来る時間でもない、あるいは父でも来たか、とありえない予想を立てた所で次に耳に届いた声でルナリアは目を見開いた。


「“陛下”探しましたよ」


 私を陛下と呼ぶ男は一人しか居ない、居る筈も無い。


「ゴドラウの記憶通りで何よりでした、本当に。あぁ、失礼……、あの男の名など聞きたくもありませんでしたでしょうか?」


 抉る様な言葉に、皮肉気な言い回し、苛立ちを感じるのは余裕が無いからか、それともそれすら予想済みなのか。


 慌てて立ち上がり、小窓を開けたその先には予想通りの男が立っていた。何故ここに居るのか、何をしにきたのか、そもそもが貴様が余計な事をしたから自分がこの様な立場に居るのだ、などたくさんの思いが溢れ、そして次の言葉で全てを飲み込んだ。


「呪刻印を消しに来ました。お約束でしたから」


 いつぞやの学院での戯れ言。小窓から見えた揺れる王家の紋章の首飾り。

 そう言って悪魔スオウは微笑んだ。

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