虚構の世界に立つ夢幻14
決して取り戻す事が出来ないものとして一番に上げられるものに時間がある。
時間を取り戻す事は出来ない。過ぎ去った時間は戻ってくる事は無い。誰にでも平等に訪れ、誰にでも残酷にその現実を知らしめてくれる。
過去は決して戻らない、幸せだった時が戻ってくる事は二度と無い。
ただ、未来を幸福にしようと努力する事は出来る。それが実るかどうかは別として。
カナディル連合王国 首都
リリスからの報告を一通り受けたルナリアは足早に首都へと帰還していた。
報告の内容は苦虫をかみつぶした様な顔にするだけの効果はあったが、生憎と悲観している暇など無い事はルナリア自身良く理解していた。
対策と対応、最善を求めるのは当然の話であり、その報告と通達へとあがったルナリアを迎えたのは銀の槍斧であった。
囲う集団の鎧、銀の装飾。意匠の凝らした鎧は見た目だけではなく、その性能はカナディル連合王国でも上位に位置する。
体格のいい男が数名、自身の身よりも長い槍斧、ハルバートを構え一部の隙もなく一人の女性、ルナリアを囲っていた。
「どういう事ですか?」
声を発したのはルナリア王女であった。自身を囲う近衛兵、傍に居るニールロッドは眉を顰め、無抵抗を示す様に両手を上げている。
王都へと帰還したルナリアを出迎えたのは無事を感謝する言葉でもなく、護衛を減らした事に対する小言でもなく、剣呑な雰囲気と殺意すら混じりかねないハルバートの切っ先であった。
場内に入ってから囲まれた事が唯一の救いと言えるだろうか。そうでなければ城下町は騒然としていた事だろう。
剣呑な視線の晒される中ルナリアは毅然と立ち、そして目の前の近衛兵一人へと再度問いかけた。
「どう言う事かと聞いているのです! 答えなさいッ!」
その剣幕に押されたか、あるいはルナリアが纏う意思ともいえる圧力に負けたか、ルナリアの正面に立つ兵士は僅かに後ずさる。
答えは囲われた兵達の後ろからやって来た。
意匠の凝らされた衣服は赤と紺の混ざったローブ、鎧ではないそれは防具としてではなく、他者に対して威圧感を与えるものだ。
立ち振る舞いからして兵士ではない、戦う者の仕草ではない。だがしかし、そのやってきた男の権力は少なくともこの場ではルナリアに次いで高かった。やや薄い茶色の髪を後ろへと撫で付け、線の細い顔をしている。武官ではなく文官と言えるべき男だ。温和そうな顔ではあるが、そのどこか油断を誘う顔がその男の本質では無く、けして甘い者ではない事をルナリアは知っていた。
「国王陛下のご命令でございます、姫様」
「何?」
僅かに頭を下げ、問われた答えを返したのはカナディル連合王国国立騎士団“副”司令官、アドルフ・アルヒハイマンであった。
「副司令が何の用? 貴方が近衛の指揮権を持っているとは知らなかったわ」
ふん、と鼻で笑ったルナリアは睨みつける様にしてアドルフへと告げた。
近衞兵の命令系統は国の保有する軍とは別系統に属する。命令系統が違うのだ。そこに司令官であればまだしも副司令が出てくる理由にはならない。だがその言葉に対しての返事は僅かな苦笑だった。
「残念ながら姫様、今の私は副司令ではなく、カナディル連合王国国立騎士団司令官として着任しております。確かに仰られる通り司令官といえど命令系統は別では有りますが、陛下の許可も頂いております故」
「なん……ですってッ」
ギ、とルナリアがアドルフを睨む。隣に立つニールロッドも盛大に顔をしかめた。馬鹿な、と言葉が出そうになったがニールロッドは意思で飲み込む。今は副司令、いや司令官と王女殿下が話しているのだ。間に入ればこの状況下手にあげ足を取られる事は間違いない。そう考えたニールロッドは必死に打開策を思案する。しかし、現状を打破する案は出て来なかった。
「……ウィリアムス司令官はどうしたのかしら?」
「元、でございます。今回の襲撃の責任を取って辞任致しました。彼は以前のクラウシュベルグにおける失態も有りましたので」
その言葉にルナリアは下唇を噛み締めた。ウィリアムスが切られる事は問題は無い。だがこの目の前の男が司令官になるのでは話が別だ。
それはウィリアムスの方がやりやすかった、という意味で。
「姫様の独断かもしれませぬが、王族を危険に晒した以上この国を守護する軍の頭としては何らかの責任を取る必要が有ります」
「随分と早い判断ね、早馬を走らせたとしても私たちが戻る前に決断されるなんて、よっぽど急いでいたのかしら?」
「さて、私には何も……。では姫様、手荒な真似はしたく有りません、どうかご指示に従って頂けませんでしょうか?」
恭しく頭を下げるアドルフにルナリアは再度眉を顰め、軽くため息を付いた。
「リリス様に対する対応も宜しくお願い申し上げます」
頭を下げたまま続いて告げた言葉にルナリアは頭に血が上るのを感じた。
ギリ、と握りしめられた手からは血が出てきそうな程皮膚に爪が食い込み、いっその事リリスを使ってこの国ごと滅ぼしてやろうか、と思った程だ。袖の上から呪刻印に触れる、そこには触れてわかるものは無い、だが見えなくてもそこにある物はわかる。全て記憶しているのだから。
ミチミチと鳴りだした手の力をギロリ、と睨んだ視線へと移しそして吐き捨てる様に言った。
「後で寄越しなさい」
「ありがとう御座います」
アドルフの頭は下がったままだった。ルナリアは乱暴に歩き出した、突き出されていたハルバートを素手で乱暴に除け、逆に怪我をし無い様に腰が引けてしまった近衛兵が哀れな程であった。囲まれていた近衛の部隊から抜け出したルナリアは、ふと思い出したかの様にその場で止まった。
「……アドルフ、私を拘束する様に言ったのは父上なのよね?」
「……は、その通りで御座います」
「……フィーア・ルージュの行方は掴めたのかしら?」
「目下捜索中でございます。何分情報がきたのが数日前ですので」
「……そう」
振り返らずに返事を返したルナリア――その顔は笑みが浮かんでいた。凶悪な笑みが。
「どこに行けば良いのかしら?」
「直ぐにご案内させます。おい! 貴様、姫様をご案内しろ! 無礼の無い様にな!」
「あぁ、そういえばニールロッドはどうなるのかしら?」
「申し訳有りませんが、彼は別室とさせて頂きます。ご理解頂ければ幸いです」
「そ、まぁいいわ」
思った以上にあっさりと返事をしたルナリアにアドルフは僅かに怪訝な表情を浮かべるが、大人しくしてくれるのならば余計な事をして場を荒らす事も無いだろう、と近衛兵へと指示を出す。ルナリアはちらり、とニールロッドを見て、そして僅かに口角を吊り上げ言葉とした。ニールロッドは誰にも気が付かぬ程度に溜め息を吐いた。
どうぞこちらへ、と恭しく頭を下げた近衛の一人の後へ続く。
「(私を拘束? 父上が? 今回のフィーア・ルージュの件が私の仕業だと思っている? ゴドラウを殺す理由は十二分にある、であるならば拘束しようと動くのは間違っては居ない。けれど、それならばもっとやり方が有る筈。これはまるで“余裕が無い”、となると、フィーア・ルージュを攫った手の者が私と繋がっていると考えた? いいえ、そんな事は無い、そうならば父上なら泳がす筈だ、私がボロをだすのを待つ筈だ、なのに拘束した、つまり、私が自由で居ると問題が有る、という事かしら?)」
ふむ、と顎に手を当てて思案する。目の前を先導する近衞の姿を視界に収めながら更に思考に沈む。
「(指示を出すから? いえ、これも泳がすという名目から外れるわ……、リリスにすら反感を抱かせる行為をしなければならない理由。国に取っての不利益かしら? 母をぼろ屑の様に扱った男だ、娘も同様に扱うだろう、それは全身に刻まれている刻印で良く知っている。刻印? ……襲撃者、おそらくスオウはゴドラウが得意とした即詠短縮魔術を使ったと聞いている。スオウならやりかねない、と思うけれどゴドラウから聞き出した、と考えれば? 刻印の技術も奪われたと考え私の命を守ろうとする……? 無いわね、即詠短縮魔術をゴドラウから奪ったとしてその場で直ぐ使える筈も無い、刻印の技術を奪われたとしても、私の命を守ろうとするならば拘束する意味は無い……)」
チッ、とルナリアは聞こえない様に舌打ちをした。答えが出ない、堂々巡りに嵌ってしまっているようだった。
「(まぁ、いいわ……、後ろ盾の私が囚われのお姫様になったのだから、勇者様が颯爽と助けに来てくれる事を祈るとしましょう)」
ひねくれた勇者であることは否定しないけれど、とルナリアは僅かに笑った。
スオウが助けに来ない事も十分に理解している。フィーア・ルージュを手に入れた今、ルナリアに仕える必要性は低い。フィーア・ルージュが素直に従うかは不明瞭だが、刻印を刻まれたフィーア・ルージュ、スオウの知識であればその刻印の流用も直に解るだろう。生殺与奪を奪われたフィーア・ルージュが何処まで従うかは不明瞭だが、それでも危険視するには十分すぎる程の情報だ。
その時ルナリアはふと思った、おかしい、と、前提条件がおかしいのではないか、と……。
右腕を抑える様に左手で掴む、僅かに震えていた左手を自分で見て、僅かに眉を顰めた。
おかしい。
そもそもの生殺与奪がおかしい。リリスからの報告があった通り、感情が希薄なフィーア・ルージュが生殺与奪を奪われた程度で従順になるの、か……?
私は、祖国を滅ぼしたい、と思う程憎しみを思った事があったか?
リリスを嫌っていた、殺したいと思っていた、だが、こんなにも思っていたか?
父を、あの男と呼ぶ程、憎しみを抱いていたか……?
自国の民が数百と死に、師長が死に、国家の安全を脅かす状況で王女たる私が笑みを浮かべる程の幸福感を得る事など、今まで考えられたか?
カタカタと腕が震える、カタカタと歯が鳴る。
ギチ、と自分の指を噛み、その震えを抑えた。
異様な雰囲気に気が付いたか、前を歩いていた近衛兵が一人こちらを振り向いたが、何でも無い、と返し後を付いて行く。
「(溢れてくる様な憎しみと、零れだす様な焦燥感、刻印に対する嫌悪感は未だに消えず……、そう、まるで今まで抑えられていた感情が浮かび上がってくるかの様に)」
それは答えだった。ゴドラウが抑えていた悪感情、全てを抑えなかったのはゴドラウの優しさか、それとも懺悔か、あるいは、殺してくれという願望か。ゴドラウが死んだ事によってそれが解放され、じくじくとルナリアを蝕んでいた。
「(はっ……あは、あははははっ、はっ、ははっ……、そう、そういう事、そう言う事だったのね。はっ、あは、あはははっ、道化じゃない、私の意思すら人形に過ぎなかったとは、ねぇ? それはそうよねぇ、どこの誰とも知らない奴に刻印技術が漏れて私が操られたら国が大変だものねぇ、ふ、ふふ、うふふ、はは、あは……ッ)」
震える背中、ルナリアは僅かに涙を浮かべ笑っていた。道化に過ぎなかった自分が、操られていた自分が、リリスを愛していると思ったこの感情すら作られた思いなのではないかと考え、笑った。
「ふざけるなッ!」
びくり、と震えた前を歩く近衛の視線など既に気にならない。憤怒のその表情は世界全てを呪っているかの様にも見えた。
近衛の二人が剣を抜いた、ルナリアの様子を伺う様に周囲を警戒し、剣を向ける。
ほぼ確定した、心配の言葉も無く、問いかけの言葉も無く、ただ剣を向ける。それは操られているのではないか、という下地が無ければ行なわないであろう行為だ。
ルナリアは軽く頭を振って目を瞑った。ゆっくりゆっくりと怒りを沈殿させて行く、どろどろともはや悪意などという物では例えられない様な醜悪な物。それすらもルナリアは作られた物ではないか、と一瞬思うが、もはやどうでも良かった。
「……案内しなさい、そこで大人しくしているわ」
目に見えてほ、と息を吐く近衛、しかし剣は鞘に納まらない。それをつまらない物でも見る様に眺めたルナリアはふと外を見た。
そこに希望は何も見えなく、ただどす黒く渦巻くナニカを幻視した。
手を翳す様にして目を覆い、それを見ない様にして視線を逸らす。
ややあって案内された部屋は10畳も無い小部屋であった。少なくとも王女を案内する部屋ではない。さらに言うなれば部屋の中にはびっしりと細かい刻印が所狭しと刻まれていた。
「何かしらこれは?」
理解していた、理解させられた、それでも問わずにはいられなかった。
だがその答えを持っていないのだろう。むしろ同様に中を見た案内役だった近衛も同じ様に眉を顰めた程だ。しかし、命令は絶対、それも最高権力者からの指示だ、従わない訳が無い。
「……申し訳ございません」
告げられた言葉はせめて出来る懺悔であったか。
深々と頭を下げた後、ルナリアを丁寧に室内へと案内した。
案内、というよりは連行に近いかもしれないが。
部屋の中には申し訳程度に椅子が二つ、小さなテーブルが一つ、そして最大級に悍ましいと思ったのが簡易のトイレらしき物まであった事だ。
まるで、監禁室である。
「……」
ルナリアはもはや声も出なかった。
何も言わず退室した近衛、がちゃん、と鳴り響く重い鍵の音。ふかくふかくルナリアはため息を付き、そして浮かびそうになる涙を堪えた。
情緒が不安定だな、と自分でも自覚出来る程感情の揺れ幅が大きい、それも当然だろう、彼女はまだ10代の少女に過ぎないのだ。抑圧された意識誘導も今は無い、死にたく無いという願望が浮かんでいる状況、全身に刻印を打たれ、母を殺され、そして感情と意識すら利用され、リリスの枷として生かされ、そして今、危険な可能性があるとしてまるで囚人の様な扱いを受けている。
「く……、あはは……、はは、ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
いつ殺されるか解らない刻印は、今までの感情すら仮初めであったかと思わせる様な呪いであり。
リリスを守ろうとして刻まれた刻印は、第一継承権を持つ次の担い手を操り人形にする為の物であり。
国のため、と動いて来た全てが手の平の上の事で。
そして守って来たリリスに対する愛情すら偽物かもしれなくて。
壊れた様に笑うルナリア。
バリバリ、とルナリアは皮膚を掻いた、血が滲む程、いや血が溢れる程皮膚を掻き、肉を抉り、刻印をこそぎ取らんばかりに腕を掻きむしる。
「ああぁぁぁああああああああああああああっぁぁぁぁぁぁあっ!」
バリバリと皮膚が破け、そしてぬるぬると血が溢れ、それでも刻印は消えてくれない。ただそこに存在し、その身を蝕む。
掻きむしった腕は血まみれで、掻きむしるのに使った指は肉と血がこびりつき、それをぼんやりと見つめた後ルナリアは、ゴドラウが死んだ時に感じた思いを再度思い出し、これ以上無い程の憎しみを込めて呟いた。
「殺してやる」
――と。
○
カナディル連合王国 首都 王城 謁見の間
「面を上げよ」
ルナリアが連行されている一方で謁見室では陛下へと報告があがっていた。内容は言うまでもなくストムブリート魔術学院での一件だ。
事前に早馬で報告は受け、懸念事項の一つ、ルナリア王女については既に対処したが、それで報告をしないで良いという訳ではない。
奥、鏡の様に磨かれた石の上に赤く金糸で文様が縫われた絨毯、その先に5メルトルは有ると思われる大きな玉座、そこに一人の男が座っていた。年齢で言えば30代後半、細められた目は鷹の様に鋭く、薄く均一に生やした髭はその年齢をややだが高めに見せ、そして常にヒトを威圧していそうな表情は目の前に立つだけで背筋が引き延ばされる様な錯覚に陥る。ルナリアとリリスと同じ金の髪、だがしかし彼女達に見られる様な甘さなど何処にも無い。ただ、そこに居るだけで王であると思える程の存在感が謁見の間を覆っていた。
近年ルナリアを前面に出し、あまり出て来なかった国王陛下、だがここに来てその男が顔を出した。
陛下のやや離れた隣には玉座ほどではないが、それなりに豪華な椅子が“一つ”、そこにはグリュエル辺境伯が座っており、それ以外は“居なかった”。
その先、下の先へと居るのは比較的軽傷であった宮廷魔術師の一人。そしてセレスタン辺境伯の部下が数名、頭を足れて謁見の間に跪いていた。
陛下の声と共に面を上げる。
「簡潔に報告を述べよ」
告げたのは陛下の隣に立つ男であった。カナディル連合王国宰相ベルンハルド・オーディン、その耳は横に長く、髪は男でありながら腰まで長くそして美しいまでの金糸。エルフだ。見た目は40代程ではあるが、その年齢を感じさせない雰囲気はまさに国の重鎮としての仕事を全うしていると思われる。やや黒めのローブと赤いフードで身を装ったベルンハルドはやや目を細めて報告を待った。
「申し上げます。ストムブリート魔術学院より数キロメル離れたオルド平原にて帝国による襲撃を確認。襲撃者は帝国の猟犬、黒狼。そして加護持ちであるフィーア・ルージュ。リリス王女殿下、そしてアルフロッド・ロイルの協力によりこれを撃退。黒狼に関しましてはセレスタン辺境伯及び、その……、ルナリア王女殿下の部下によって壊滅致しました」
最後の辺りで僅かに言葉に淀んだ報告に謁見の間に居たものは誰もが眉をひそめる。そしてベルンハルドの反対側に座っていたグリュエル辺境伯は眉に皺が寄るのを隠そうともしなかった。
ルナリアが拘束された事を知らない物は居ない。その理由は不明、陛下の独断であった為だ。さらにグリュエル辺境伯も賛成という訳ではなかったが、反対しなかったので、決まったとも言える。
「宮廷魔術師の連中は一体何をしていたのかね? 君らは遠足に行った訳ではなかろう」
ふん、と鼻で笑う様に告げたのは一人の貴族だ、向けられた視線に報告へ上がった男は唇を噛み締め、怒りに震えるだけで何も言い返す事は出来ない。事実であるからだ。彼らの仕事であったアルフロッド・ロイルへの拘束も、長であるゴドラウ師長の命も、両方成す事も、守る事も出来なかった。
「それよりもアルフロッド・ロイルとの協力という点は頂けない。良い頃合いではないですか、リリス王女様が単独で撃退した事にすれば宜しいのでは?」
「馬鹿を言うな、アルフロッド・ロイルに下手に動かれても困る、ここは功を認め、国に縛るべきだ」
「粗野に扱えば連盟が手ぐすね引いて待っていますからねぇ……、リリス王女との婚姻を早く進めてしまえば良かった物を」
「内外の不安の解消の為に模擬戦を行なうと言ったのは貴様ではなかったか?」
ざわざわと騒ぎだした謁見の間、それを咎める様にベルンハルドは一つ咳払いをし、報告の続きを促した。
「犠牲者は」
「セレスタン辺境伯の私兵が828名……、ルナリア王女殿下の部下が1名、我ら宮廷魔術師から……、32名……でございます」
その言葉に一斉に回りを囲む者が顔を顰めた。
「殿下の部下は傭兵であろう? ならばさして問題ではなかろう。それよりセレスタン卿の部下が……」
「いかんな、これは宣戦布告としては十二分に効果がある。それに宮廷魔術師が32名も、だと……。精鋭ではなかったのか」
「愚かな、己の立場に胡座を組んでいたのではなかろうな?」
「毎年行なわれる儀礼式典における魔術儀典での成績も加味しておる、そんな事は有るまい」
魔術儀典、簡単に言えば毎年行なわれる魔術技量の集大成を発表する場である。その場での成績、実践経験での成績、等々普段の行動から評価を打ち出し、宮廷魔術師の技術は常に向上されている。この時代背景としては十二分に優れた評価制度であったが、それがきちんと理解されているかどうかは別問題でもあった。
「むしろ第四位が来てその被害で済んだ事を感謝すべきであろう。スイル国では万単位でヒトが死んだ、それに比べれば少ない」
「それは加護持ちが居なかった場合の話ではないですか? 今回こちらは2名場に当たっていました、それにも関わらずこれでは……」
「結局は撃退しているのだ、ならば良かろう」
「撃退、ね……」
忌々し気に言葉を吐いた男に視線が集まる、何を言いたいか誰もが解っていたからだ。
フィーア・ルージュは撃退したのではない、ただ退いただけだ。それもおそらく、主人を変えて。
それを成したのはフィーア・ルージュに刻まれたとされる刻印、そしてそれを放ったのは目の前に居る宮廷魔術師である。
誰もが聞きたかった、いや、誰もが聞いた、だが、生きている者は本当の意味は知らなかった。
生殺与奪を奪う刻印である、と流れた噂はそれが真であるかの様になってしまっていた。
「何者だ、我が国の者では無いのだろうな?」
ギロリ、と回りを見渡す一人の男。それはお前らの誰かが加護持ち欲しさにやったのではないか、と言っているかのようだった。
返答は無言か、忌々し気に睨み返すか、あるいは心外な、と慌てる者、ベルンハルドはそれを見て少なくともこの場に居る者でそんな大胆な手を取る者は居ないだろう、と内心で溜め息を吐いた。
「コンフェデルスの者ではないのだな?」
「早急に弁解の通達が来ていますのでそれは無いでしょう、あちら側にも犠牲者が出ていますし」
「むしろその責任を追究されなかっただけで儲け物だな」
「帝国の内部分裂という話も有る様だが」
「陛下の為に、と言っていたそうだ、それが誰を指すのかは……」
そこまで言って誰もが口を噤んだ。陛下、と呼ばれる可能性があるのは自国、そして帝国、あるいはいまや滅亡間近のスイル国……。
「スイルがそんな真似をするとは考えれんな」
答えたのはグリュエル辺境伯であった。確かに起死回生の一手として加護持ちを欲する可能性は無いとは言えないが、カナディル連合王国すら敵に回す可能性を持つ上に、そんな余裕が有るとは思えない。その言葉に誰もが黙った。一番隣接しているグリュエルであるからこその説得力でもあった。
僅かに沈黙が続く、それを破ったのはベルンハルドの言葉だった。
「報告にあったフィーア・ルージュを攫った男。その男、実力の程は本当なのだろうな?」
「は……、5重奏、そして3重奏を確認しています。リリス王女様の一撃を耐える結界も確認致しました」
その答えに漏れたのは否定の言葉だった。
「馬鹿な……」
「ありえん」
僅かなうめき声と否定する呟き。だがしかしそれは感情が認めたく無いというだけで、事実である事を否定するだけの材料が無いという事もまた理解していた。しかしながら、そのレベルは脅威、などという言葉で済ませる物ではない、少なくともそれほどの実力者、世界を探しても一人も居ないであろう。加護持ち級とは言わないが、準加護持ち級と見込んでも良い程だ。一騎当万ではなく、一騎当千と言った所だろう。
「ゴドラウ師長より格上ですか、次の師長を選ぶのも大変ですね。宮廷魔術師を疲弊しているとは言え蹴散らすほどですし、さてはてどうしたものか」
「ベルンハルド、そこは貴様が決めろ。“使えれば”構わん、連盟への抗議は無理の無い程度で続けろ、奴らがやったとは考えにくいが、ゼロでは無い」
「は……」
ベルンハルドの呟いた言葉に漸く陛下が言葉を発した。放たれた言葉は重みを持ち、逆らう事を許さない様な気迫を感じる。
「グリュエル、貴様は帝国との交渉を行なえ、真意と目的をな」
「陛下、ここまでされた以上もはや対談による解決など無意味かと思いますが」
「誰が対談を行えと言った、真意と目的が聞けるのならば手段は問わん」
ギロリ、と睨み上げる様に視線を向けられたグリュエルは目を伏せ、頭を下げた。
「しかし陛下、現状帝国と事を構えるのは問題です。セレスタン辺境伯の消耗も無い訳では有りませんし、深遠の森の対応も無くす訳には行きません。それに、ガウェイン辺境伯の件も」
最後の方は小声となり、他の者には聞こえなかったがそれで十分に意味は伝わった。
ベルンハルドも、そして陛下も誰が情報を流したか、という点については既に裏が取れている。しかし今ガウェインを切る訳にも行かなかった。少なくともフィーア・ルージュの行方が明確になるまでは。
「現在ここに来ていないだけで十分に重罪だ、期を見て捨てろ」
「御意」
恭しく頭を下げるベルンハルド。王国設立の四家の内1家が居なくなる事にグリュエルは僅かに顔を顰めたが、もやは庇い様の無い状況であり、なによりグリュエルにとってもガウェインは邪魔であった。故に特に何も口を出す事なく、つまりそれを肯定し認めた。
「軍の連中に第四位を攫った奴を探す様に伝えろ、ただし見つけても手を出すなこれは厳命だ」
「はっ」
当然だ、確定ではないが加護持ちを抜いて世界最強級の魔術師に第四位が付いている。そこらの部隊で手を出した所で壊滅するのが関の山だ。
「グリュエル、貴様は念の為兵を5万直ぐに動かせる様にしておけ、王都からも10万を出せる様に準備しろベルンハルド」
「御意」
見せ、の兵だ。ガウェイン辺境伯、そしてフィーア・ルージュという不確定要素が国内に存在している以上、このまま帝国と開戦する訳にも行かない。とはいえ、ただ黙っている訳にも行かない。国とは、舐められたら終わりなのだ。
「詳細はベルンハルド、貴様から各位通達しろ。終わりだ、下がれ」
「はっ」
ザッ、と一斉に周囲の貴族の頭が下がる謁見の間。ふん、と一つ鼻を鳴らした陛下は玉座からつまらないものを見るかの様に退室して行く者達を見ていた。
○
「陛下……ルナリア王女殿下ですがお会いにならなくて宜しいのですか?」
謁見の間での話し合いが終わった後、次の会議の為に部屋を移動していた陛下に声をかけたのはベルンハルドであった。
殆どの者はルナリア王女が拘束されたのは知っていたが、どこに拘束されたのかは知らない。恐らく貴賓室か、あるいは自室であろうと思っている。知っているのは一部の近衛、と陛下、そしてベルンハルドとグリュエル辺境伯くらいだ。
問いかけたベルンハルドに返したのは無感情なまでの顔であった。
「何故私がそのような真似をせねばならん。危険が無くなれば自ずと出られる、必要など無い」
「……陛下、しかしあの部屋は流石に」
「知った事か、アレ以上の物を作るには金が掛かりすぎる上にバレる可能性がある。ルナリアが我慢すれば良いだけの事だ、問題など無い」
「……過ぎた事を申しました」
深々と頭を下げたベルンハルド、先を歩く陛下の背中を見る様に頭を上げ、そして諦めるかの様に軽く頭を振った。




